ロバート・ハリス『エグザイルス』の内容、あらすじ、おすすめの点
ここではロバート・ハリス『エグザイルス』について書評しています。
わたしにとってロバート・ハリスは人生を変えた本『ヴァガボンディング・ガイド』の訳者として人生に登場しました。
人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』リアル・ドラゴンクエスト・ガイドブック
しかしその後、本人の著書を読むにつれて、生涯でもっとも影響を受けた作家だといっても過言ではないかもしれません。わたしにとってはピッピー・フリーク文化の師匠のようなものです。
ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう
黄色は『エグザイルス』から、赤字はわたしの感想です。
『エグザイルス』あらすじ
「溌溂」「自由」「激しく」「情熱的に」その代わりに「生産」「発展」「義務」そんなコンセプトが幅を利かせていた。社会というものは「楽しい」を基準にしていなかった。レールの上を往復するような状況。
→ロバート・ハリス。本名は平柳進。国籍日本。イギリス人クオーターです。長くシドニーに住み、読書家で英語で読んでいるために、英語の方が日本語よりも得意だという人とは思えないほど心をえぐるような日本語をつかいます。
旅に出るということは、可能性をもつかどうか。場所ではなく、自分が可能にする。自分の歌を歌いあげ、人と触れ合い、物語を交換し、生きていることを賛歌する。
→物語は自分の外側にあるのではなく、内側にあります。いつもわたしはそう思うのです。
すべての可能性が霧のように薄れていく、阿片患者が目覚めたまま夢をみているような目。
独りで泣いた。人目もはばからずに声を上げて大泣きに泣いた。
叛逆する相手とか、情熱をぶつける対象がない。
いつかどこかの国でひとかどの人間になれたら、おれは決して日本人には辛く当たらない。彼らがのぞむなら、できるかぎり力になってやろう。
→わたしはサハラ砂漠で日本人女性に無視されたことがあります。英語ツアーでガイドが何を言っているのかわからなかったので彼女にたずねたのですが、追い払われました。彼女は英語がペラペラで、日本語なんて使いたくなかったのでしょう。
オレは生きているんだ! 全身で生きている歓びを感じているんだ!
神話の人物たちが戯れ、瞑想し、戦い、踊り、愛を交わし、生まれ、死んでいく、一大宇宙図だった。
今までにこれほど眠ることが心地よく麻薬のように感じられたことはなかった。
ヒッピーたちと神と人生と宇宙について議論していくうちに、旅そのものをライフスタイルにして生きていけることを知った。
テレビ番組の話題で盛り上がる生活——そう思うと憂鬱になった。もっと冒険をしたい。日常生活には戻りたくない。好きなところで好きなことをやって生きていきたい。
これからは他人に定められた道を進んでいくのではなく、自分の選んだ生き方をしていくんだ。
→はっきりいってドロップアウトを推奨しているような本です。ロバート・ハリスにハマると日本でサラリーマン生活を送れなくなりますので注意してください。
アジアのバックパッカーは社会復帰できない。東南アジアでは、ちゃんと定職ついている人が貧しく、ちゃんと働いてない人が豊かに見える。バトゥ洞窟
みな運命に挑戦し、大きな叫び声を上げながら自分の道を生き抜いた破天荒な連中のように見えた。
人生とは旅をして、泥にまみれ、人間と触れ合い、おのれを知ることだ。『冒険者たち』友情、ロマンス、旅、ギャング、アフリカ、パリ、夢——そんなものが全部つまった作品だった。目的は宝物だろうが、悟りだろうが、愛だろうが何でもいい。
空を見上げると、星がヴァン・ゴッホの絵のように、忙しく渦巻いている。
目を閉じて、内なる宇宙と外の大きな宇宙を感じ取ろうとしているんだよ。
自分という意識を忘れ、まわりの宇宙をただ感じる、器のような存在になった。
生きることは、この世の果実を思いっきり楽しむことだ。物語の最後、二人は砂浜で子供のように無邪気にギリシアのダンスを踊る。
ボヘミアンはメインストリームの社会が書いた「これが人間の生きる道である」という一般的なシナリオに大いに反発するのだ。大切なのは毎日冷たい水を頭からかぶったようなハッとする思いで生きることだ。
ボヘミアンは創作活動に人生を賭ける。詩人、絵描き、作家、脚本家、ミュージシャン、俳優……あまり売れてはダメという条件がつく。
日本は炎に触れたいと思うものには窮屈で不毛なところだった。
→人と違うことを考えると敬遠されます。人と違う生き方をすると嫌われます。それどころか圧殺しにかかってきます。放っておいてくれればいいのですが……放っておいてくれないのは、相手の新しい生き方が自分の心をおびやかすから気にさわって仕方がないためでしょう。嫉妬に似たこの感情をニーチェはルサンチマンと呼びました。
マインド・ドラッグ。現実がダメなら現実を変えちまおう。意識をブラックなものにした。自分の中に敵が生まれ、不信感や不安な気持ちが増殖しはじめた。
おれは「生」の奇跡に参加するためにここにいるんだ。
星のきらめきが非情で冷たく映った。宇宙は暗く果てしなく僕に対して無関心だった。
やりたいことが山ほどある。生をまっとうするために旅に出たのだ。
暗くて危険な道、カオス、狂気の世界。苦しみながらもひたすら心を丸裸にしていった。
自分だけが後れを取ってしまった。取り残されてしまった。そんな劣等感でいっぱい。
崩れかけた関係をパッチアップするのに必死だった。
世界に鋭い現実感のようなものを感じられなかったのではないか。何かを刃物のような鋭さで感じたかったのではないか。現実にそれはなく、狂気の世界に生きている実感があった。
人間の一生は、この苦痛に操られたパントマイムであり、この苦痛からの逃避の歴史だ。
人間の本来の姿は、もっと伸び伸びとした、生き生きとした、子どものようなもの。
ぼくという人間の原点にあったのはひとりの小さな傷ついた子供だった。悲しみ、寂しさ、恐怖、怒り、愛の渇きにさいなまれた小さな自分。この自分からぼくはあまりにも長い間遠ざかっていた。
彼女の存在がどれだけ僕を孤独から守ってくれていたのか。
徹底して自分勝手に振舞えた。学校でも家でも自分の気持ちに素直になることを教えてくれなかった。いやむしろ感情をどうやって押し殺すのか、気持ちをどうやって抑えるのか、ということばかり教えられたような気がする。それは社会そのものがそう機能しているからだ。
ぼくが心を開けば、人も心を開いてくれる。
感じれば表現できる。表現とは、心の蓋を開けて、沸騰したものを出すことなのだ。
仕事先によく書店を選んでいたのも、こうした素地があったからだ。
自分のルールに従って生きている。挫折や自分との葛藤、運命との戦いの歴史を持っていた。自分の中の深いところをひとりで旅してきて、自分の心を秤にかけてきたローン・ウルフ一匹狼だった。
頭ではなくハートに忠実に生きること。いかに日常を非日常に作り替えていくか。
ウォーク・アバウト放浪の歌。ビジョン・クエスト。自分たちの精霊にあうための旅。
ただあてもなくさまようのではなく、この地球、この生を歌い上げる。そして己のことを少しづつ理解していく。
日本人。彼らの暗さ、消極性、元気のなさばかりが目についた。なぜ彼らはこんなに暗くて、静かで、内向的で、生真面目なんだろう。
人生の投げかけてくる不条理。
やりたいことをやってきた。そしていつも自分らしく生きてきた。ぼくの基準はいつでも「楽しく」だった。
自分の道を行くということは、実際に旅に出るかでないかではなく、自分らしく生きたいと行動に出た人間はその時点で地図も海図も羅針盤もない長い航海へとすでに旅立っているのだろう。
→ロバート・ハリスさんはYouTubeチャンネルを開設しています。そこにファンレターを送ったことがあります。本人から返信があり、うれしかったのを覚えています。
コロナ禍でしばらくウォーク・アバウトできていませんが、そのかわりたくさんの本の中を旅しています。わたしもハリスさんと同じく、読書というのはひとつの旅だと思います。
もしかしたら実際の旅よりも危険で触発される旅かもしれません。何故なら「あなたの物語」はあなたの外側ではなく、本当はあなたの内側にあるものだからです。
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『ギルガメッシュ叙事詩』にも描かれなかった、人類最古の問いに対する本当の答え
(本文より)「エンキドゥが死ぬなら、自分もいずれ死ぬのだ」
ギルガメッシュは「死を超えた永遠の命」を探し求めて旅立ちますが、結局、それを見つけることはできませんでした。
「人間は死ぬように作られている」
そんなあたりまえのことを悟って、ギルガメッシュは帰ってくるのです。
しかし私の読書の旅で見つけた答えは、ギルガメッシュとはすこし違うものでした。
なぜ人は死ななければならないのか?
その答えは、個よりも種を優先させるように遺伝子にプログラムされている、というものでした。
子供のために犠牲になる母親の愛のようなものが、なぜ人(私)は死ななければならないのかの答えでした。
エウレーカ! とうとう見つけた。そんな気がしました。わたしはずっと答えが知りたかったのです。
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