【禅・瞑想ランニングのやり方】今この瞬間の歓喜のために走る

ランニング・マラソン・ダイエット
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youtube 始めました。(grandma-cuisine

note にて書籍『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』を発売しています。

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このページでは瞑想ランニングのやり方を解説しています。

禅ランニングということもあります。

最初に仏教の禅の心を解説し、それが長距離ランニングにどう応用すればいいのか、説明しています。

【結論】今を走る、それが瞑想ランニングです。
あなたはもうすでに瞑想ランニングをしているのかもしれません。

瞑想ランニングのやり方を文字で書くと、座禅の瞑想のやり方と完全に一致します。
信じられないかもしれませんが、走ることが幸福につながるのです。
それが【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた、ということの意味なのです。
幸福を追求しなければ「走るために」生まれた甲斐がありません。
瞑想ランニングは幸福追求のためにするのです。

【この記事を書いている人】

瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。

初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。雑誌『ランナーズ』で数々の記事を執筆していた物書きです。「頭のよさで走り勝つことはできるか?」その答えを書いたハルトの【サブスリー養成講座】を展開しています。

また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。

そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!

山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。

その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。インドネシア。マレーシア。ニュージーランド。タイ。ベトナム。カンボジア。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の27ケ国。パリとニューカレドニアを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。

登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。

千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!

※この稿の内容は以下のとおりです。

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『サピエンス全史』ってどんな本?

瞑想ランニングを行うためには、そもそも瞑想って何だ? というところを押さえておく必要があります。

解説するにあたり、参考にしたのはこちら。

『サピエンス全史』という書物です。

この本のコンセプトは人類が全動物種の頂点に立ち地球の支配者になった原因を探るというところにあるのですが、それだけにとどまりません。

フィクションを共有するという認知革命、産業革命、科学革命を通じて、人類は地球の支配者になれたが、生態系の中位にあった狩猟採取時代にくらべて、幸せになれたのか? ということを本書の後半では取り上げています。

人類の幸福を考える章が非常におもしろかったので、その章の内容を詳述しつつ、瞑想ランニングのやり方に繋げて行きます。

瞑想ランニングが求めるものも「幸福」に他なりません。

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人間はどんなときに幸福を実感できるのか?

『サピエンス全史』はさまざまな仮説を提示します。

幸福の鍵は、富ではないか?

幸福の統計をとるにあたってはアンケート調査による外はない。

なぜなら他者の主観的な幸福度については、想像でランキング付けをするわけにはいかないからだ。

文明は人間を幸せにしたのか? 人類史を語る『サピエンス全史』は、この問いを無視するわけにはいかなかった。

アンケート調査による統計を眺めると、ある一定の水準までは富は実際に幸福をもたらすとしている。

富は実際に幸福をもたらす。しかし一定の水準を超えると富はほとんど意味をもたなくなる。

たとえば富は借金まみれの者が、貯蓄をできるような立場になる際には有効である。

しかし、年収2500万円の経営幹部が、報酬が倍額の5000万円になったとしても、その幸福感はわずか数週間で消えてしまう可能性が高い。

底辺を抜け出す時には意味を持つが、高みに駆け上がるときには意味をもたない。

モノ不足の発展途上国の市民に富は有効だが、飽食で肥満に悩む国の国民には富は幸福の主たる要素とはなりえない。

結局、幸せはカネじゃ買えないってことだ。

幸福の鍵は、健康ではないか?

重病人が何よりも求めるものは「ささやかな健康」だろう。それはわかる。

しかし残念ながら、健康も富と似たような傾向を示す。

病状が悪くなる一方だったり激しい痛みをともなったりする場合には、健康は幸福感に直結する。

しかし一般人がオリンピック選手ほど肉体壮健になっても、それで幸福度が増すわけではない。

アスリートは一般人より必ずしも主観的に幸福な訳ではないということだ。

幸福の鍵は、対人関係ではないか?

アドラー心理学では、幸福感も、不幸感も、すべては対人関係にあるとしています。

お金持ちの世界を一瞬で手に入れる方法
この瞬間、「いま、ここ」の強烈な光に過去は関係ないし、未来もない。イマココ哲学を体現できれば、お金持ちの世界(感じていること)を一瞬で手に入れることができます。お金持ちも、貧しい私たちも、瞬間瞬間を生きていることに変わりはないからです。この瞬間の命の爆発に、蓄財の多寡は関係ありません。
ドラマ『ROOKIES』とアドラー心理学『幸せになる勇気』は完全に一致(併記してみた)
ドラマ『ROOKIES』の川藤先生が不良生徒たちに対するスタンスは、アドラー心理学が『幸せになる勇気』という本で主張している教育のスタンスと完全に一致しています。ドラマ『ROOKIES』を視聴すれば、難解なアドラー心理学がサクサクと頭に入ってきます。

対人関係こそが幸福感の鍵というアドラーに対して、『サピエンス全史』はどう答えているだろうか。

たしかにコミュニティに所属する感覚は、幸福度にとって重要だ。
人間はコミュニティに所属しなければ生きていけなかったため、友愛に包まれると幸福を感じるという感情を発達させてきた。

出世欲などもこの感情の変形だとハルトは思う。

富や健康よりも、家族やコミュニティの方が幸福感に大きな影響を及ぼすとアンケート調査は示している。

たしかに対人関係は幸福度に影響を与えるのだが、だったら人間は不幸になっているかもしれない。

現代は国家と個人が直接結びついている時代だ。家族やコミュニティは中世の方がずっと強固なものだった。

過去二世紀の物質面の状況改善は、家族やコミュニティの崩壊によって相殺されてしまっているかもしれない。

幸福の鍵が対人関係ならば、コミュニティが濃厚だった昔の人の方が今より幸せだった、ということもありえるのだ。

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幸福は、期待と現状との落差によって決まる

アンケート調査を分析すると、幸福は富、健康、家族、コミュニティへの所属感といった客観的な条件よりも、むしろ主観的な期待と現状との落差によって決まるらしい。

幸福度は主観的な感覚だから、客観的条件が同じでも人によって幸福度は違ってくる。

たとえば貯蓄1億円(富)でも満足する人と、満足できない人がいる。

人によって違うのは、もっとお金が欲しいと望む人と、これで満足だと思う人との差である。

つまり主観的な期待と、現状との差が幸福度の鍵になるというのだ。

持てるものに満足する方が、欲しいものをより多く手に入れるよりもはるかに重要だということである。

幸せかどうかは期待によって決まるからだ。

するとやはり人類は文明によって幸福になれたのだろうか? という人類史的な疑問が頭をもたげてくる。

テクノロジーが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのか? というのが『サピエンス全史』の追求テーマのひとつであるからだ。

中世の農民も欲しいものは持っていたのだ。だから満足していた。

しかし消費主義の現代市民はマスコミによって次から次へと物欲を掻き立てられている。つまり幾ら買っても次々と欲しいものが出てくる。SNSによって自分が持っていないものをあいつが持っているという差が目の当たりになる。

全員がほとんど何も持っていなかった狩猟採取民にくらべて、常に満たされない現代人の幸福度が上だと本当に言えるのだろうか?

ムバラク政権下のエジプト人の物質的な状況はラムセス2世の時代よりも良好だった。しかしそれをアッラーに感謝して踊り狂うどころか怒り狂っていた。比較対象がファラオではなく同時代のアメリカだったからだ。

比較がある限り、悩みは尽きることはない。

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【世界が美しく見える魔法】脳内モルヒネ・ホルモン幸福論

生物学者は生化学的な仕組みによって幸福感は決まると主張している。

給与の額や権力のような外部要因によって決まるのではなく、セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質の量で幸福は決まるというのだ。

実は私ハルトもこれと同じ主張である。

【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた
このブログが一編の小説だとすれば、このページは最終章、ラストに配置すべき、結論について書いています。退屈なケの日常を、わずかな時間で、パーティーに、お祭りに、クリスマスに変える魔法。それは走ること。走ることには魔法のような効果がある。走るために生まれたから

私ハルトが【世界が美しく見える魔法】というのは、この脳内モルヒネをさしたものなのだ。

体内をめぐる快感。それは血流に乗って全身を駆け巡っているホルモンや脳内の電気信号に起因している。

人間はホルモンバランスなのだ。

そして人間の体内の生化学システムは幸福水準を安定した状態に保つようにプログラムされているそうだ。
恒常性(ホメオスタシス)がはたらく。

幸福も、不幸も、やがては慣れて、落ち着くということである。

私たちはあふれんばかりの快楽を一時的に味わえるものの、そうした快楽は永続しない。
それらは遅かれ早かれ薄まっていき、感じなくなってしまう。

私ハルトが瞑想ランニングを日課としているのも、同じ理由からである。
世界が美しく見える魔法も、長続きはしない。
一晩眠れば元に戻ってしまう。
幸せな今を走るためには、毎日毎日、自分に魔法をかける必要があるのだ。
毎日の瞑想ランニングによって、日々、世界は美しい。

人間の幸福度を一定水準に調整するシステム。このシステムは酷暑になろうと吹雪が来ようと室温を一定に保つ空調システムになぞられることができる。
設定温度はひとりひとり異なる。
陽気な生化学システムの人は外的要因にかかわらず比較的幸せでいられる。
陰鬱な生化学システムの人は宝くじが当たっても作品を仕上げても気分は沈んだままだ。
陰鬱な人の脳みそは、そもそも何が起こっても心が浮き立つようにはできていないからだ。

どんなことが降りかかろうとつねに比較的楽しそうにしている人もいれば、いつも不機嫌な人もいる。
家を買っても結婚しても、その人固有の生化学的特性(設定温度)は変わらない。
ほんの束の間、生化学的状態を変動させることはできるが、体内のシステムはすぐに元の設定点に戻ってしまうのだ。

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結婚したからハッピーなのか、ハッピーなキャラクターだから結婚できたのか? 原因と結果を間違えるな。

 

データ分析をする際、原因と結果をはき違えないように『サピエンス全史』は注意喚起をしている。

たとえば既婚者は離婚者より幸せだというデータがある。

しかしだからといって「結婚をすれば幸せになれる」と結論づけるのは早計である。

もともとハッピーな設定温度の人物だから異性に好まれ結婚できたのかもしれない。この人物はきっと離婚しても幸せだろう。

もともと陰鬱なマイナス思考だからこそ離婚されてしまったのかも知れず、この人物が再婚してもこれ以上幸せにはなれないかもしれない。

私たちの心の空調システムは設定された範囲内で推移できるだけで、すぐに設定温度に戻るのだとしたら、歴史にはさほど重要性がない。

歴史上のほとんどの出来事は、私たちの生科学的特性に何一つ影響してこなかった。テクノロジーは劇的に進化したが脳の構造そのものが進化したわけではない。

個人単位で見れば、狩猟採取民は現代人よりも賢かったのだ。その証拠に現代人は森の恵みの中だけで生き残ることはできない。

つまりこういうことである。

時代が変わっても、セロトニンを分泌させることはできるが、濃度は変えられないため、人々の幸福を増大することはできない。

周囲と同程度の暮らしをして、その暮らしに満足していたら、中世フランスの農民と、現代のパリの銀行家の幸福度は変わらない。水洗便所があるとか、エアコンがあるとかは個人の幸福度には関係がない。

幸せの設定温度が高めの人はフランス革命前も、革命後と同じように幸せだったのだ。

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幸せは身の内より発する。

幸せへの鍵が生化学システムにあるのなら、政治や社会改革、革命など一切起こさずに、人々をこれまでより格段に幸せにすることができる。

セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質の濃度を増大させればいいのだ。

ケミカルな処方が効く。

麻薬を注射した時は最高に幸せだというヘロイン中毒者はもっともだということになる。

酒を飲む、タバコを吸う、大麻を吸う……

幸せを手に入れるための鍵はドラッグだといえるだろうか?

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人生の意味や意義は妄想。しかし集団的妄想は幸福に寄与する

本人が有意義な人生だと感じていれば、困難のただなかになっても幸福度が高いアンケート結果を返してくることが多いそうだ。

逆に無意味に思える人生は、どれだけ快適な環境に囲まれていても厳しい試練に他ならない。

しかし人類史を俯瞰してきた『サピエンス全史』によれば、人生の意味や意義はいかなる意味でもフィクションである。妄想に過ぎない。

地球がホモ・サピエンスを選んだのは偶然に過ぎず、神の聖別があったわけではないからだ。

聖別がないのならば、人間の命の意味はイヌやネコの命と何も変わらない。それが近代の科学的な結論である。

神の計画の一部ではなく、現代の人々が自分の人生に認める意義はいかなるものもたんなる妄想にすぎない。

とすると、死後に永遠の至福があると信じていた中世キリスト教の人々の方が、幸福だったかもしれない。

全員が死後の世界を信じているならば、集団的妄想は幸福度を底上げしてくれることは間違いない。

「あなたは自分の人生におおむね満足ですか?」と訊かれたら、中世の人々はかなり良い成績を収めたかもしれない。

すると幸福とはその時々の集団的妄想に一致した自己の欺瞞によるものだろうか。

それならば宗教やコミュニティが健在だった頃の方が幸せだったかもしれない。

ところが近代自由主義が神聖視するのは個人の主観的感情だ。そしてその感情ってやつは、まったく当てにならないのだ。

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瞑想ランニングをするには、禅の心を理解することが重要

富も地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしなかった

『サピエンス全史』ではここまで人類の幸福を研究してきて、とうとう最後にブッダの教えをもってくるのである。

著者のユヴァル・ノア・ハラリはエルサレムのヘブライ大学の教授なので、ユダヤ教徒だと思うが、『サピエンス全史』では神の教えはフィクションの一言で片づけられている。

しかし仏の教えには深い洞察とリスペクトを示す。

筆者によれば、仏教は幸福の本質と根源について体系的に研究してきた教えで、幸福の問題を重要視しているそうだ。

脳内モルヒネ・ホルモン幸福論と同じく、仏教では幸せは外の世界の出来事ではなく身体のうちで起こっている過程に起因すると考える。

ブッダは一国の王子であったが、地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしなかった。

読書マラソン3『シッダルタ』ヘッセ作
『荒野のおおかみ』のヘルマン・ヘッセに『シッダルタ』という短編がある。日本人なら誰でも知っていることだが、シッダルタというのは仏陀の本名である。ゴータマ・シッダルタというのが仏陀の本名。イエス・キリストがユダヤ人だとすれば、仏陀はインド人か...

しかし共通の認識を出発点としながらも、仏教はまったく異なる結論に行き着く。

快感を求めて、苦痛を避ける。そのあたりまえがブッダの「悟り」ではない。

たいていの人は快い感情を幸福、不快な感情を苦痛と考える。

その結果、自分の感情に非常な重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。

生涯のうちに、どんな決断をして何をしようと、私たちはただ心地よい感情を得ようとしているに過ぎない。

だが仏教によれば、そこには問題があるという。

私たちの感情は波のように刻一刻と変化するつかのまの心の揺らぎにすぎない。
五分前に喜びや人生の意義を感じていても、今は消え去り意気消沈しているかもしれない。

快さを求めたら、たえずそれを追わねばならず、仮にそれが成功したとしても、ただちに一からやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いは決して得られない。

現れたが早いか消えてなくなるものを達成するために、なぜそれほど苦労するのか?

快感を求めて、苦痛を避ける。あたりまえの生き方がブッダの「悟り」ではない。

苦しみの根源は、苦痛でも悲しみでも無意味さでさえもない。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情をこのように果てしなく空しく求め続けることなのだ。

感情を追い求めれば私たちは常に緊張し、混乱し、不満を抱くことになる。
この追求のせいで、心はけっして満たされることはない。

喜びを経験しているときにさえ、この感情がすぐに消えてしまうことを恐れ、この感情が持続し、強まることを渇愛する。

ありもしない未来によって、今が掻き乱されてしまうのだ。

人間ははかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべてつかのまのものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに、はじめて苦しみから解放される。

それが瞑想修行の目的だ。

瞑想のやり方

マインドフルネス瞑想では、まずは自分の身体の状態を全力で注視します。呼吸の状態をモニタリングする。すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることを止めていきます。

瞑想するときは自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がたえまなく沸き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟る。

特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになる。

ああだったかもしれないなどという過去の追想をやめて、今この瞬間を生きることができるようになるのだ。

そうして得られた安らぎはとても深い。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情を果てしなく空しく求め続けることなのだ。

喜びの感情を果てしなく追求するのは、何十年も浜辺に立ち、良い波を壊さないようにし、悪い波を近づけまいとする徒労に等しい。

人は浜辺で狂ったようにこの不毛な行いを繰り返す。

だがついに、砂の上に腰を下ろし、波が好きなように寄せては返すのにまかせる。

なんと静穏なことだろう。

幸福が外部の条件とは無関係であるという点についてはブッダも同じ意見だった。

ブッダの洞察力でより重要で遙かに深淵なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。

事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはその感情を渇愛するようになり、苦しみも増す。

ブッダが教え諭したのは外なる成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめることだった。

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瞑想ランニングのやり方

『サピエンス全史』を引き合いに、幸福とは何か? 瞑想とは何か? を知っていただきました。

いよいよ本題の瞑想ランニングのやり方を説明します。

マインドフルネス瞑想では、まずは自分の身体の状態を全力で注視して、呼吸の状態をモニタリングするというのがやり方でした。

瞑想ランニングでは、まずは自分の身体の状態を全力で注視して、呼吸の状態をモニタリングします。

足の裏はどこから地面に接地しているか?
ときにはピッチのリズムを数えましょう。
どこの筋肉に力が入っているか?

逆にどこの筋肉がリラックスできているか?
呼吸に注目し、肺の奥まで大きく空気を吸い込みます。

身体に吹き付ける雨や風を感じます。
熱くなっていく体温、流れる汗を実感します。

全神経をそこに集中して、今を走ります。
仕事のことも、人間関係のことも、過去も、未来も、考えません。

すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることを止めていきます。

これが瞑想ランニングです。

走り方、というよりは、走るときの心構え、を説いています。

瞑想ランニングのやり方を文字で書くと、座禅の瞑想のやり方と完全に一致します。

走っているか、座っているかの違いしかありません。

それほどランニングと瞑想は似ています。

そして今この瞬間に感じる快楽、満足感は、瞑想ランニングの方がずっと上です。

ランナーズハイと呼ばれる脳内モルヒネは、熟達したランナーほど出やすくなるものです。

瞑想の達人がより心が静かであるように。

そして瞑想ランニングは幸福を追求する術でもあります。

そのために、いささか長くなりましたが、幸福とは何か、について解説させていただきました。

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✖✖はレベルが上がった(まとめ)

瞑想ランニングは幸福を追求する術でもあります。

そのために、幸福とは何か、について、先に解説させていただきました。

信じられないかもしれませんが、走ることが幸福につながるのです。

それが私が言う【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた、ということの意味なのです。

【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた
このブログが一編の小説だとすれば、このページは最終章、ラストに配置すべき、結論について書いています。退屈なケの日常を、わずかな時間で、パーティーに、お祭りに、クリスマスに変える魔法。それは走ること。走ることには魔法のような効果がある。走るために生まれたから

この章は私のブログの最終章です。

そのための手段として瞑想ランニングがあります。

瞑想ランニングのやり方、というタイトルだったのですが、はからずも幸福とは何か? を追求するコラムになってしまいました。

幸福を追求しなければ「走るために」生まれた甲斐がありません。

瞑想ランニングは幸福追求のためにするのです。

※このコラムで「幸福とは何か?」を追求するのに参考にした『サピエンス全史』は、全人類必読書です。
未読の方は、ぜひ一度お読みください。

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