専門家(法律家・弁護士)と議論して勝つ方法
わたしは医者でも弁護士でもありません。しかし「万が一、手術によって予期せぬ後遺症を負ってしまった場合、手術前の同意書にサインしてしまったら、損害賠償請求することはできないのか?」というコラムを書いた時に「いいや、損害賠償請求できる」と断言しました。「~と思われます」とか「~可能性があります。専門家に相談しましょう」というような曖昧な表現を使いませんでした。「たとえどんな内容の同意書であれ、明確な手術ミスによって下半身不随などの重大な後遺症が生じた場合、医療過誤の損害賠償請求はできます」と断定する言葉づかいをしています。
医療ミスによって重大な後遺症を負った場合、医者に損害賠償請求することができるか?
なぜ何の資格ももっていないわたしが、このような断定的な言葉づかいができたのでしょうか? それは専門家の意見を熟読して、彼らの意見を述べたからです。他者の意見を引用して言うことは、わたしが言っているのではなく専門家が言っているようなものです。だから断言できたのでした。
離婚にかんする調停で身につけた専門家と議論して勝つ方法
実はわたしはバツイチなのですが、離婚するときに元妻とすこし揉めました。元妻は弁護士を立てて交渉にのぞむと宣言していました。そういう人だったから離婚に至ったのですが。。。
ふつう相手が専門家(この場合、弁護士)だと、議論しても勝てないと思いますよね。はじめは私もそうでした。元妻は捨て身で来ています。こちらも高いお金を払って弁護士を雇わなければ対等な交渉はできないか、とウンザリしながら覚悟しました。
しかし離婚に関する本を何冊も熟読しているうちに「あれ、これは弁護士が相手でもぜんぜん議論に勝てるな」と考えをあらためました。わたしが読んでいた離婚に関する本の著者が「離婚専門の著名な弁護士」だと気づいたからです。この本を盾に「この本にこう書いてありますよ」と議論すればいいのだ、という作戦に気づいたからでした。
ただの「わたし」が主張しても何の重みもありませんが、本の内容を提示しつつ議論すれば、それは著者(の弁護士)がその場で主張していることと同じことです。わたしに弁護士の資格がなくても、弁護士が書いた本を根拠に議論すれば、弁護士が主張しているのと同じことなのです。なにも高いお金を出して人間の弁護士を雇うことなんてありません。
たいてい本を出版しているような人はその道の著名な専門家です。本を出していない人よりも本を出している人の方が専門家だと思ってまず間違いありません。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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手元にあった離婚本も、たくさんの離婚調停を手掛けているという離婚専門の弁護士さんがこれまでの知見、経験を動員して書き上げた書物でした。元妻が連れてくる弁護士よりも、離婚に関しては経験豊富な弁護士さんに違いありません。その人がこう言っていますよ、と本を差し出せば、相手の天秤バッチ(法律家の証し)にひるまずに議論ができると確信したのでした。
「行列のできる法律相談所」弁護士の言うことは絶対じゃない
その当時「行列のできる法律相談所」というテレビのバラエティー番組が人気でした。番組の中では「事件」をVTRで流して、それに対して数人の弁護士さんが有罪、無罪を判定して議論をたたかわせるという法律バラエティーでした。でもその中で、弁護士さんの有罪、無罪の判定っていつも一緒じゃありませんでした。同じ案件なのに有罪、無罪の意見が分かれるのです。そこで弁護士どうしが相手の意見を攻撃しあうというのが、この番組のウリだったわけですが、この番組も離婚で揉めている私にひじょうに勇気をくれました。
「なんだ、弁護士といっても、彼らの意見が絶対じゃないんだな」そう思えたからです。だって同一案件でも弁護士によって意見が違うのだから。どの弁護士かで意見が変わるなら、彼らの意見は絶対じゃありません。事件の結論を出すのは裁判官であって弁護士じゃないのです。嫁(元妻)がどんな弁護士を連れてきても、おれは堂々と正面から議論しよう。そう決意して離婚交渉にのぞめたのでした。
資格を盾に議論する人間は、資格に弱い。業界の大家の意見を否定できない
専門家と議論するとき、自分に資格がないからといって怯むことはありません。裁判所でもないかぎり、相手の意見が絶対じゃないからです。対等に議論しましょう。
たとえば離婚のようなケースの場合、該当する法令の数はそれほど多くありません。専門家の知識は膨大ですが、範囲を絞って戦えば戦えないことはありません。離婚分野だけならば、あっという間に弁護士と法律知識で対等になれます。
もしあなたが相手の資格がプレッシャーに感じるなら、資格を持つ人が書いた書物を盾にたたかえばいいのです。専門家の書いた本を盾にたたかえば、むしろプレッシャーを感じるのは相手の方かもしれません。資格を盾に議論する人間は、資格に弱いからです。本の著者の方が、目の前の専門家よりも業界の大家です。より専門家の意見に尻尾をまいて逃げ出すかもしれませんよ。