ホメロスを原書で読めた語学の天才、シュリーマン
ホメロスの書いた『イリアス』。
イーリアス。はじまりは「怒り」から。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。そして文学
多くの人が架空戦記だと思っていた物語を、史実だと信じて、資材を投じて発掘したハインリッヒ・シュリーマンのたくさんの著作から、彼の生涯や思想に関係する部分を抜粋して書かれた本が『古代への情熱』です。
写本による淘汰。『イリアス』と『オデュッセイア』のあいだ。テレゴノス・コンプレックス
この本は主に次の三本柱から構成されていると言ってもいいでしょう。
①語学の天才として知られる彼の外国語勉強法。
②大商人として成功したパート。
③資材を投じて発掘に成功したパート。
①も②も③のためにこそ存在していました。シュリーマンはドイツ人ですが、古代ギリシア語を完璧にマスターして、ホメロスを翻訳を通さずに原書のまま読めました。
【世界がっかり名所】トロイ遺跡は「遺構」。ヘクトルが逃げ、アキレウスが追いかけた城壁はない
『古代への情熱』の詳細
ダンス教室では、ミンナも私も、まるでだめだった。ちっとも上達しない。
→語学の天才もダンスはダメだったようです。
よくないことが重なった。そのため、すべての知人が背を向け、交わりを断つまでになった。
めきめきラテン語に上達した。ラテン語でトロヤ戦争のこと、またオデュッセウスやアガメムノンの冒険を作文にして父への贈り物にした。
→ラテン語は西ヨーロッパ言語のご先祖様のようなものです。日本でいえば古文のようなものでしょうか。
神さまに、いつの日にかギリシア語を学ぶ幸せをあたえたまえ、と祈り続けた。
→好きこそものの上手なれといいますが、語学学習に幸せを感じるほど好きだったんですね。
思い樽を持ち上げようとして、血を吐いた。胸部の痛みのため、力仕事が無理だとわかり、解雇を申し渡された。
→語学の天才も、肉体の重労働はダメだったみたいです。やはり人間、適材適所ですね。
このときほど無一文であったことはなかった。毛布を手に入れるために、上着を売り払わなければならなかったのである。
外国語習得は、職場の地位を上げる効果もある。給金の半分を勉学にあてる。悲惨さがむしろ勉強へと奮い立たせた。
→シュリーマンに必要だったのは、本当は古代ギリシア語だけでした。しかし彼が語学の天才と思われるほどたくさんの言語を習得したのは、ひとつには前半生の商人としての成功のためでした。
英語を学んだ。大きな声をだして原文を読む。訳をしない。毎日きっと一時間はあてる。自分の関心のあることを書いてみて、暗唱する。夜に目が覚めると、夕方に読んだところをもう一度記憶の中で復唱した。記憶力は昼よりも夜のほうがずっと集中しているので、夜の復唱は大きな効果があった。このやり方によってわずか半年のうちに、英語を完全にマスターした。
→私は英語の勉強をしているのですが、このくだりは私にとって本書の最重要箇所のひとつです。語学の天才は、音読と、訳をしないことをすすめています。
フランス語も半年で終了した。オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語の習得はいたって簡単だった。いずれも半年とかからないうちに、いとも流暢に話し、書くことができた。ロシア語は教師なしではじめ、文法書によって数日のうちにロシア文字と発音を会得した。短い作文や物語をつくってそれを丸暗記する。私の声高な朗誦に音をあげて、家主に苦情が入った。
→近所から苦情が来るほど大声で他国語を読み上げていたようです。
ミンナを失った悲しみは一生のあいだ克服できないだろうと思っていた。しかし時はすべてを癒すものだ。
→シュリーマンは歴史に残る人物ですが、初恋は実りませんでした。
ギリシア語が習いたくてたまらなかったが、この素敵な言葉の魔力にとらわれて、商人としての関心が鈍るのを恐れた。クリミア戦争中は仕事に忙殺されて本を開く暇などなかった。
辞書を開いて時間を浪費することなど一分たりともしなかった。本を読み、単語を比較して、読み終わった時、単語の半分をおぼえていた。六週間で現代ギリシア語、三か月で古代ギリシア語、とりわけホメロスを読むにたるだけの力を備えていた。とりわけイリアスとオデュッセイアを熟読した。貴重な時間を小うるさい文法にとらわれるなどのことはしなかった。実地の練習、古典的な散文を注意深く読み、それを暗唱することによってのみ、文法をわがものにすることができる。この方法によって、古典ギリシア語を生きた言葉のようにして学んだ。
十分必要な資産を手に入れたので、商売から完全に身を引くべきときだと思った。そこで旅に出た。スウェーデン、デンマーク、ドイツ、イタリア、エジプト、そこでアラビア語を学んだ。イスラエル、ペトラからシリアを横断し、ギリシアへ。
→外国語をつかいこなし、商人として成功したシュリーマンでしたが、彼の目的はお金持ちになることでも、社会的地位でもありませんでした。成功は手段にすぎませんでした。
商人生活に明け暮れているあいだも、トロヤを忘れなかった。いかにも金儲けに専念していた。しかしそれはひとえに手段を確保して、それでもって人生の大目標を追求したかったからである。41歳で事業を清算する。
世界周遊。チュニス、エジプト、インド、セイロン、ベナレス、シンガポール、シンガポール、ジャワ、中国、日本、北アメリカ。
→シュリーマンはなんと日本にも来ています。しかしこの世界最難関言語を習得しようという気にはならなかったみたいです。残念。日本語を三か月ぐらいで習得したらすごかったのに。
この丘は、なんと多彩な歴史を持ち、なんと多くの種族が住み続けてきたことであろう。ここに来りて、そして滅んでいった。
→私はトロイ遺跡を実際に見ていますが、この地層は何層にも重なっています。なんでそんなことになるのかというと、悠久の歴史の中で、滅んでは放置され忘れ去られ、また来ては街を建設し、また滅んでは放置され忘れ去られるということを何度も繰り返してきたからです。
生物の進化も、どうしてこんなことが? と思いますよね? トロイの遺跡も、生物の進化も、悠久の歴史ということを考えないと、短絡的には理解できません。
困難は願望をさらにかきたてた。イリアスが事実であること、大いなるギリシアの民から、その栄誉の王冠を、なんぴとも簒奪できないことを証明する。そのためには、いかなる労苦もいとわない。いかなる費えも惜しまない。
ギリシアの栄光を伝えるこの聖にして高貴な記念碑が、こののち永遠に、ヘレスポントを旅する人のまなざしをとらえんことを。
→シュリーマンはドイツ人でしたが、彼があこがれたトロイは現在のトルコにあります。アガメムノンも、ヘレナも、アキレウスも、そしてホメロスも、今でいうところのギリシア人です。彼の事業は、結果的にギリシアの栄光を証明することになりました。シュリーマンの葬儀には、ギリシアの大物が参列したそうです。ギリシアにとってシュリーマンは恩人ですから。