国際恋愛バトル

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

本稿は『在留資格の緩和』というコラムで、性欲盛んな若い独身の外人男性ばかり日本に入れたら、日本のいい女はみんな国外に持っていかれるぞ、という主張した内容の続きです。

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人生最大の大仕事はパートナーを探すこと

後輩の若い男から恋愛の相談を受けた。彼の恋敵が外国人らしいのだ。相談してくるくらいだから勝敗は危ういのだろう。「そうだろうな」と残念ながら思った。おそらく彼は勝てないだろう。本人には言わなかったけれど。

20代ぐらいの若い時、一般的な日本人男性には、配偶者・パートナーを自力で獲得しなければならないという人生最大の大仕事が待ち受けている。

これは難しい仕事だ。簡単ではない。おれも苦労したクチだ。よくわかる。ここがうまくいかないことが、ニートの温床になっているとオレは思う。つまらない社会や、暗い顔をした人間が日本社会に発するマイナスの波動は、ここが温床になっていると思っているのだ。

ニートだから恋人ができないのではない、恋人ができないからニートになるのだ。

在留外国人が増えて、国際カップルがたくさん誕生しているが、男が外人で女が日本人というパターンがほとんどである。男が日本人で、女が外国人というパターンはあまり見かけない。

これには様々な理由があると思うが、ひとつには滞在外国人は「男ばかり」だということがあるのではないか。

20代ぐらいの若い時、一般的な外国人男性だって、配偶者・パートナーを自力で獲得しなければならないという人生最大の大仕事が待ち受けているはずである。その時、身の回りに日本人女性しかいなければ、彼女を口説くに決まっているではないか。

そうして国際カップルが誕生するわけであるが、遺憾ながら国際カップルの日本人女は「とびきりイイ女」であることが多い。

あなたの身の回りの国際カップルはどうですか?

なぜ遺憾なのかというと、オレが日本女を愛し、日本の若い男の味方だからだ。相談してきた後輩を憐れんだからだ。

ここで主張したいのは、政治家が不用意に国際的な門戸を開くと、日本人のいい女はみんな外国に持っていかれちまうぞ、ということなのである。ただでさえ日本人女性はカワイイって国際的にモテるんだから。

しかしそれもいつまで続くか……。

それが本稿のテーマである。

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茨城ブスの定理

わがふるさと茨城県のオンナはブスばっかりと言われることがよくあるのだが、その理由を調べると江戸時代の殿様が国替えさせられたときに領内の美人を全員新領地に連れて行ってしまったからだという説があるのだ。

蛙の子は蛙。美人の子は美人。ブスの子はブス。ダーウィン進化論的にも文句がつけられない完璧な理論武装である。あいた口がふさがらない。

これを茨城ブスの定理と名付けよう。

すると美女を全員外国に持っていかれた未来の日本にはブスしか残らないということになる。

外人男が日本に永住権を得れば、日本人の増加だと思ったらあまいぞ。

人間、年を取ると故国に戻りたくなるものなんだ。

私の小学校時代の恩師は念願のアメリカ永住権を手に入れたのだが、永住権を維持するためには「1年のうち半年はアメリカで暮らさなければならない」というルールが仇になって、結局、アメリカ永住権を手放して故郷の福岡で暮らしている。「年を取って、心底、ポテトとハンバーガーじゃなくて蕎麦や刺身が食べたくなった」と先生は言っていた。なるほど、と思った。

人間ってのは、そういうものなんだ。先祖が住んでたところが一番いいんだよ。オレの海外放浪経験から言うと日本人は「カッパ民族」だ。湿気のあるところが向いていて乾燥しているところは向いていない。湿気のある日本仕様に体が出来ているから、砂漠のような乾燥地帯に長期滞在すると肌荒れなど様々なトラブルが出てくる。

国際結婚した二人が、ずっと日本にいると思ったら大間違いだ。とくに夫が外国人で、妻が日本人の場合は、最終的には夫の母国に日本人妻は連れていかれる可能性が高い。

すると「茨木ブスの定理」によって、美女はみんな外国に連れさられて、日本には残念な遺伝子しか残らないことになり、日本人女性はカワイイって国際的にモテていた黄金時代も早晩終わるってことになる。

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国際恋愛サバイバル

日本人男が情けないからだ。恋愛はサバイバルバトルなんだ。日本語を使いこなせるという強力な武器があるんだから喋り倒して女性を口説けばいいじゃないかと老いた政治家は思うかもしれないが、そうはいかない。女性に対しては喋りすぎると逆効果だったりするから要注意だ。むしろ同じ日本語を使っているのにどうしてこんなに気持ちが通じないんだろうと悲しくなることさえある。これだけ意思疎通ができないんだったらいっそ外国人だったら気楽なのにと思うことだってあるのだ。気持ちが通じないことを、言葉が通じないせいにできるからね。言葉というのは不完全なものなんだ。

日本語が喋れるということはメリットになるとは限らない。不協和音なら鳴らさない方がいい。

「ぼくと結婚すればハワイに住めるよ」ライバル外国人が彼女をそう口説いたら、誰が太刀打ちできるだろうか。こっちはただのジャパニーズでジャニーズではない。勝てるわけがない。

「日本人女性は世界で一番モテて、日本人男性は世界で一番モテない」と言われることさえある。

とくに白人男性の隣にいるのは「いい女」であることが多い。日本人男性にモテないから仕方なく外国人男性とつきあっている、という感じではない。むしろ日本人男性ではもの足りないから、もうワンランク上の男性とつきあって人生を楽しもう、というオーラを感じる人たちが多い。

逆にフィリピンパブのお姉さんと一緒になっている男というのは、どうも日本人女性に相手にされないから仕方なく東南アジアの女性とつきあっているモテない男、という冴えないオーラを感じてしまうことが多い。

これを国際恋愛カースト制度と呼ぼう。

世界一モテる女たちを、世界一モテない男たちがものにするのは並大抵のことではない。入国規制という関税の壁がなくなったら、この恋愛バトルに勝つことはますます難しいものとなるだろう。

白人を持ち出すと話がややこしくなるので、ここではアジア人に限って話をすすめよう。どうせ日本に永住しようとするのは貧しいアジア人が大半だろうから。

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外国人のいい女に、たくさん日本に来てもらえばいい

日本で永住権を得るもっとも簡単で確実な王道は日本人女性と結婚することだ。ただでさえ若い男は恋愛したいわけだから、人生賭けて口説いてくる。異国語を覚える最高の手段もその国の異性とつきあうことだと言われている。一石二鳥どころか三鳥も落とせる最高の手だ。この手に全てをかけてくる外人男に、とてもナイーブハートの日本人男性は勝てないだろう。

たとえばインドネシアの男性と結婚すれば、バリ島で優雅に暮らせる。片田舎のサラリーマンの妻ぐらいしか提供できない日本人男性ではとても太刀打ちできないはずだ。

あなたが男を磨いて魅力的な男にならない限り。

社会に男性の割合が高まると戦争が起こるという説がある。かつて戦争は男の数を減らす機能を担っていたのだ。男が増えると社会不和の原因になる。女がいない男は社会に不満をいだいて暴れる。政治に不満をもち、己の存在意義を見失い、よからぬことをする。

解決策は簡単だ。労働力を思って若い男ばかり入国させず、外国籍のいい女に、たくさん日本に来てもらえばいいのだ。

女の数さえ多ければ国際的にモテない日本男性だって何とかなるだろうし、結婚すれば、そのカップルはおそらく日本で暮らすだろう。

チンパンジー系の人間社会は、男系社会で、オスザルの群れにメスザルが移動するのがベースになっている。いわゆる「女性が嫁に行く」スタイルである。外国人男と日本人女は外国に行ってしまうが、日本人男と外国人女は日本に留まる可能性が高いということである。

そういうことを考えて政策を打ってもいいじゃないか。これは差別ではない。国の利益を考えて政策っていうのは打つものなんだ。関税をかけて日本の農産物を守っているように、関税をかけて日本の戦闘力のない若い男たちを守ってやれ、と言っているのである。

女性が多くたって社会不和の原因にはならない。

そもそも外国人の日本在留資格の緩和は労働力不足が根本にあるのだが、今、「男じゃなきゃ無理」という仕事なんて、ほとんどないんじゃないか。

接客業なんて女性の方がずっといいぞ。人当たりがいいし、リピーターも増える。コミュニケーション能力も高い。介護は接客業だ。

事務職だって女性の方がいいぞ。計算間違いが多いのはだんぜん男だ。女性の方が言語能力が高く、社会に溶け込みやすいのだ。何でもできるぞ。

それに比べて、公共の場で大声で怒鳴り散らしたり、公道を危険運転したり、窃盗したり、社会によからぬことをするのはだいたい男だ。ろくなもんじゃない。

だったら女性をどんどん入れればいいじゃないか。

日本に長期滞在する人たちを性別で人数規制してはいけないのか?

国会議員や国立大学の学生すら公平に男女半数の数にすべきだという議論だってあるんだぞ。

どうせ能力で見ているじゃないか。性別っていうのは能力のひとつなんだ。

私の属する「自転車」や「マラソン」の世界でも「彼女」はチヤホヤされているぞ。なぜ彼女がチヤホヤされているかのか? 女だからさ。別に速いからでも熱心だからでも詳しいからでもない。女だからさ。男の数が大多数の業界だからね。

若い美女っていうのは、それだけでひとつの経済効果なんだ。むさいおっさんひとりと同じ能力のわけがない。能力で選んだ、と堂々と言えばいいじゃないか。生殖能力も含めて能力と呼べばいい。

ともあれ労働力事情ばかり考えて外国人男性ばかり入れると、恋愛事情において日本人が先細るぞ。

こういう議論をしている政治家を見たことがない。だからオレが言うのだ。

いい外人女をたくさん日本に入れなさいよ。そうすりゃあ社会が明るく楽しくなるんだから。「たいして幸せじゃない国ニッポン」をブレイクスルーしてくれるのは、明るくハッピーな外人女性しかないんじゃないの?

賃金の高さぐらいしかウリがない日本人男性に夢をあたえてあげてくださいよ。

沖縄の「なんくるないさー」が通用するのは沖縄のみである。みんなが「なんくるないさー」と思っているから通用するのだ。沖縄人が東京に来たら「なんくるないさー」は通用しない。周囲がそれを許さないからだ。

オレのバックパッカーの流儀も、この日本では通用しない。周囲が同じ考え方をしないからである。

しかし外国人の若い女をたくさん入れればこの国は変わるのではないか。社会を牛耳っている日本人のオッサンと正反対の場所にいる人たちだから。

彼女たちこそ強烈なカウンターカルチャーになってくれる文化の黒船である。

たいして幸せじゃない国に住んでいる日本人男性が、いい女まで外国人男性に奪われて、ますます社会に不満を抱いて生きていくのをチトかわいそうだと思うのである。

別に外国男を入れるな、と言っているのではない。せめて半々の割合で女性を入れろという意味である。女性の割合が多い方が望ましいね。そういう議論が一切ないのだ。

だいいち、華やかな女性が増えれば社会が楽しくなるじゃないのよ。むさくるしい男が増えても、危険な闇が増えるばかりだ。

単純労働でいいなら、女性でいいじゃん。

これでも日本社会がすこしでも楽しくなるように。そう願って真面目に提案しているのです。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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