ドラクエ的な人生

インド神話『ラーマーヤナ』のあらすじ。ギリシア神話との類似点

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ヒンズー教のインド、バリ島ばかりではなく、バンコクなど東南アジアでもよく壁画などで見かける『ラーマヤナ』

このページではインドからインドシナ半島で壁画などでよく見かける『ラーマーヤナ』について解説しています。

このラーマヤナですが、ヒンズー教のインド、バリ島ばかりではなく、バンコクなど東南アジアでもよく壁画などに見られる大ベストセラーの物語となっています。

ラーマヤナの何が人の心を動かし続けているのか。それを見ていきましょう。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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成立過程。ギリシア神話との比較

ひとことでいうと、ラーマ王子がさらわれたシータ姫を助けに行くというあらすじです。

その中にインドの神さまがいろいろと登場します。主人公のラーマがそもそもがヴィシュヌの化身だとされているのです。

この点、ギリシア神話のイリアス、オデュッセイア、に似ています。人間の物語があって、その中に神さまが登場することで、ただの物語ではなく、宗教的な根源ともなっているのです。

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『ラーマヤナ』の成立は紀元3世紀ごろだといわれています。ギリシア神話のほうがずっと古いのですね。『イリアス』は紀元前6世紀ごろとされていますので。

ギリシア神話の場合、推しメンが特徴です。パリス王子の活躍にはアポロン神の加護がありますが、パリスはアポロンの化身ではありません。アポロンは女にフラれてばかりいますが、パリスは人妻を奪い取るようなモテ男です。

しかしラーマ王子の場合は、クリシュナが推してくれているのではなく、化身です。アバターです。

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(ガルーダに乗った)ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)がアバターの語源

このヴィシュヌ神というのはヒンズー教の主神のひとりです。大きな宗教が地域を浸透するときには、その中に神さまを取り込もうとするものなのですが、「(土着で信仰されている)クリシュナは実はヴィシュヌの化身なんだよ」「英雄ラーマ王子はヴィシュヌの化身なんだよ」ということにして、だったら結局おなじなんだから「ヒンズー教に改宗しなさい」ということにしたのです。こうすることで宗教戦争することなしに吸収合併することができます。

その結果、ヴィシュヌは化身が多く、10の化身した姿が有名です。

化身のことをサンスクリット語でアヴァターラというのですが、こんにちのアバターの語源になっています。アバターというのはユーザーの分身となるキャラクターのことですね。

ビシュヌの見分け方は簡単。ガルーダに乗っているのは必ずビシュヌ神です。

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シヴァ神には異名が多い。化身・異名はヒンドゥー教が吸収合併するときの必殺技

ヒンズー教はこの手が得意技のようです。「カーラバイラブはシヴァ神の異名なんだよ」

ムトゥ。踊るシヴァ神

シバ神というのは、ヴィシュヌとならぶヒンズー教の主神のひとりです。

このシヴァ神はたくさんの異名をもちます。異名というのは化身と同じようなものです。アフロディーテとビーナスは結局は同じ神様だ、というようなものです。

ヘルメスの靴。足についた宙に浮くためのバネ(足底アーチとアキレス腱)

カーラバイラブは別の名前だけど結局はシヴァ神なんです。

「けっきょくみんなヒンズーの神々だから、改宗じゃないよ。みんな同じ宗教なんだよ。仲良くしようぜ」

こうやってヒンズー教は小さな宗教を吸収合併していったのです。

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ギリシア教の主神ゼウスは、どんどん子供をつくって父親化していった(神々の父という吸収合併スタイル)

この点、ギリシア神話はすこし違います。他の宗教を吸収合併していくときに、主神ゼウスは化身とするのではなく、アルテミスやアポロンやアテネの父親だ、ということにしました。

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「子どものアルテミスを信仰しているのなら、アルテミスの父親のゼウスだって信仰の対象だよ。だって父親だから娘のアルテミスより偉いのだから。つまりきみもギリシア文化圏の一員だよね」

という風にギリシア教は信仰を拡大していきました。

ギリシア教というのは聞き覚えがないと思います。正確にはギリシア教というよりはゼウス信仰、デメテル信仰、ヴェヌス信仰、アポロンの神託信仰と呼んだ方がいいのかもしれませんが、ここでは総称してギリシア教としておきます。

哲学とキリスト教に負けてギリシア教は一度滅んでしまったために、神話であって宗教ではないように現代人には見えるかもしれませんが、かつてはれっきとした宗教でした。神殿があり、巫女がいて、お供えをしていました。

そのギリシア教は各地の神々をみんなゼウスの息子、娘ということにして宗教的に統一したのです。酒の神ディオニソスも、鍛治の神ヘパイストスも、みんなゼウスの息子です。

このように各地の神々を息子、娘にして主神ゼウスの権威を高めたのはいいのですが、その結果としてゼウスは女に手がはやい浮気者ということになってしまいました。いい女と見ればやたらと手を出します。その結果としてヘラクレスやペルセウスといった神話をいろどる英雄たちが誕生するわけですが。

この白鳥もゼウスが化けたものです。目つきがエロオヤジでしょ? この女はレダ。孕ませた子どもは世界一の美女ヘレネです。トロイ戦争の原因となる傾国の美女です。

ヒンズー神話のように化身、異名ということにしたほうが、主神が女好きのエロオヤジにならずに済んだだろうと思います。シヴァもヴィシュヌも愛妻家とされています。

息子・娘化戦略をとったギリシア神話のゼウスはエロオヤジになってしまった半面、ひじょうに人間くさくなりました。そしてそのエピソードゆえに今でもギリシア神話は世界中の人たちから愛されています。

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ストーリーの解説。貴種流離譚のあらすじ

ラーマは王子でしたが、王位継承でもめて故国を追放されます。貴種流離譚のはじまりですね。流離した王子は、流浪先で妻を見つけるものです。その妻の名前がシーター。

シータ王女の結婚相手にはシヴァ神の弓を引けたものが資格があるという設定になっています。この設定で思い出すのはギリシア神話の「オデュッセイア」。オデッセイにもイタケ島の王女ペーネロペーの再婚相手には英雄オデュッセウスの弓を引けたものだけが資格があるという設定です。どちらも強弓でラーマ王子(オデュッセウス王)にしか引けませんでした。似てますよね。

シーターを手に入れたラーマは、異母弟のラクシュマナと森の生活をキャンプ生活を送ります。

そこで鳥の王ジャターユと友達になります。このジャターユには「太陽の近づきすぎて、熱のために落下する」というギリシア神話のイカロスのような過去エピソードをもっています。

しかし森から羅刹の王ラーヴァナに妻シーターが略奪されてしまいます。

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古い時代の作者は作品をビジュアル化した時のことをあまり考えていない。

これが羅刹王ラーヴァナ。敵のボスです。描写が造形作家が困惑するようなものでした。十の頭と二十の手という描写でした。三面ぐらいにしておけばよかったのに……。

聖書の悪魔(七つの頭と十本のツノ)もそうですが、ビジュアル化したときのことを昔の書き手はあまり考えていなかったようです。ラーヴァナの十の顔は、一般的に顔が横並びのデザインになっています。

日本の十一面観音のような造形にすることはできなかったのかしら。顔の数は十一とラーヴァナよりもひとつ多くありますが、ラーヴァナほど気持ちわるくありません。

こんなふうに顔が横並びでは、刀を振り下ろそうとしたら自分の顔を斬ってしまうじゃないか。いやそもそも刀を振り上げられないぞ。

このラーヴァナは、永遠の命を求めて1000年苦行したというスゴイ奴です。その修行がブラウマーに認められて「神にも悪魔にも殺されない体」を手に入れました。それが人間ラーマ王子に倒されてしまうという話しですね。

ギリシア神話の巨人大戦・ギガントマキアにも同じような話しがあります。「神には倒されない巨人」ギガンテスを倒すことはゼウスにもできませんでしたが、人間であるヘラクレスが倒すのです。

このようにギリシア神話とインド神話は非常に似ています。

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孫悟空のモデルとされるハヌマーン登場。空を飛び山を持ち上げる

ラーマ王子は奪われたシーターを取り返しに行く前に猿族ヴァナラと親交をむすびます。サルの軍団の手を借りて羅刹を討伐するのです。

ヴァナラと呼ばれる猿族と一緒にラーマは戦います。この猿族ヴァナラの英雄がハヌマーン。孫悟空のモデルといわれるキャラクターです。

ヴァナラたちの諜報でシーターが捉えられているランカー島が発見されます。そしてみんなで鬼ヶ島に乗り込むのです。

ここから大戦争がはじまります。一騎打ちもあります。

かつて私は「太平記」が「平家物語」ほど人気がないのは一騎打ちがないせいだと書きました。

本朝三国志「太平記」の人気が「平家物語」ほどない理由

その点、ラーマヤナは一騎打ちの名場面がたくさんあります。ひじょうに「三国志的」です。

三国志最強ゴキブリ呂布

まずは斥候のハヌマーン対インドラジット。バラモン教の主神インドラさえも打ち倒したインドラジットが登場します。この対決はインドラジットが勝利します。ハヌマーンは山を持ち運ぶほど強いんですけどね。インドラジットにはかないませんでした。

羅刹の中にもラーマ軍に寝返る者もいたりして、まさに『三国志』のような展開となります。

三国志の関羽雲長(道教の神様)

そのインドラジットは、ラーマの弟王子のラクシュマナが倒します。

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インド神話とギリシア神話。あまりにも似ている設定

羅刹の敵でもっとも巨大なクンバカルナ。まさに巨人です。ギガントマキアのギガントは英語でジャイアント。巨人のことです。プロメテウスなどティターン(タイタン)も巨人・巨神です。ラーマーヤナにも巨人クンバルカナが登場します。

ね、ギリシア神話とインド神話って似てるでしょ?

巨人クンバカルナは、ハヌマーンをしりぞけます。しかしシヴァの弓矢を打ち込まれてラーマ王子に倒されます。

獅子座の由来であるネメアのライオンを絞め殺した剛力ヘラクレスはギガントマキアではひたすら弓でギガンテスを射殺しています。それを彷彿とさせますね。弓が主兵装でした。

そして敵の総帥、羅刹王ラーヴァナはラーマ王子が倒します。神には倒せないラーヴァナは、シヴァ神でも倒せないのですが、人間ラーマには倒せたのです。

「ギガンテスは神々だけでは滅ぼせない」という運命だったのですが、ゼウスの子ヘラクレスは、半神半人のヒーローだったので、厳密には神ではないために、倒せたのです。

ものすごくギリシア神話と設定が似ていると思いませんか?

あまりにも設定が酷似していることからギリシア神話から影響を受けているかもしれません。

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『桃太郎』も『八岐大蛇』もルーツはギリシア神話にあった??

このように『ラーマヤナ』は非常に面白い物語です。

日本の昔話『桃太郎』も鬼ヶ島(羅刹の島ランカー島)に猿(ハヌマーン)、鳥(ジャターユ)、犬(忠実な弟ラクシュマナ)を連れて退治に行くという設定が似ていることから、『ラーマヤナ』から影響を受けているのではないか、というふうに考える人もいます。

とすると、その『ラーマヤナ』が『ギリシア神話』から影響を受けているわけですから、物語のルーツはギリシアにある、ということになるかもしれません。

スサノオノミコトの八岐大蛇を退治する物語は、ヘラクレスがヒュドラを退治する物語とそっくりです。

ルーツはギリシア神話にあるのかもしれません。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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