『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ。白人が見た仏陀。解脱する方法

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

ヘルマン・ヘッセに『シッダルタ』という短編があります。

シッダルタというのは仏陀の本名です。ゴータマ・シッダルタというのが仏陀の本名。

イエス・キリストがユダヤ人だとすれば、仏陀はインド人かネパール人ということになります。

言われてみれば、古い仏像はインド人のような顔をしていますよね。五百羅漢はインド人軍団です。

ドイツ生まれの白人作家は、どのようにこのインドの哲人を見たのか、本を読んでみましょう。

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ん? 別人? 主人公シッダルタの他に、ゴータマ仏陀が登場する!

名門の出にして賢きシッダルタ。

当然ながら未来の仏陀が主人公の作品だろうと思いながら本を読み進めることになりますが、なんと作品の途中にゴータマという名の仏陀が別人として登場してくるのです。

ん? 別人か?

シッダルタの他にゴータマという名の仏陀が登場するのだとすれば、シッダルタとは何者なのか?

このあたりから小説『シッダルタ』は俄然面白くなってきます。

物語は今後、どういう展開となるのでしょうか?

小説『シッダルタ』理解のための重要なキーワードを解説しつつ、物語を追いかけてみたいと思います。

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輪廻とは何か? 梵=ブラウマンとは何か?

シッダルタは断食の生活の中で、生きることは苦しみだと感じます。

その苦しみから逃れるためには自己を滅却して我を脱し心を虚しくすることだと考えられていました。心さえなければ苦しみは感じないからです。心を空しくするのが修行の目的でした。

断食でフラフラの頭で、肉体を離脱し、輪廻を観想しますが、結局心は、おのれに戻ってきます。どんなに苦行しても、苦しみからは逃れることができませんでした。どんな瞑想もしばしの逃避に過ぎなかったのです。

輪廻というのは、宇宙や自然に内在する原動力(この原動力を梵=ブラウマンといいます)が永遠に流転することを意味しています。この考え方はブラウマンを物理学における原子だと考えると現代人にも非常に理解しやすいです。

宇宙のチリ(原子)は固まって星になり、星の一部はやがて土になり、水になり、星屑はやがて生命体となります。その命を構成した原子も、やがては死して宇宙のチリに戻ります。かつて生命体だった原子はやがて土となり水となり再び命となって永遠に流転していきます。

このような循環の思想のことを「輪廻」といいます。

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解脱とは何か? 梵我一如とは何か?

僕が僕であるための「何か」とは何だ? それを知ることを「自分探し」といいます。

他人と自分、世界と自分を隔てるものがありつづける限り永遠の苦しみは終わらないのです。ただふたつが同一だと悟ることができれば、他人と自分、世界と自分の区別はなくなっていきます。隔てるものがなくなれば苦しみはなくなる理屈です。この悟りの状態を梵我一如といいます。

我が我たるゆえん。自分探しをやめることこそが大切なのでした。それが「わたしはあなただ」といえる世界体験、神秘体験につながっていきます。

万物が姿を変えて永遠であるように、命も姿を変えて永遠だと考えるのが輪廻のもう一つの側面です。命が永遠に生まれ変わるとすれば、生きることは苦しみだから、永遠に苦しまなければならない。解脱とは「悟ること」ですが、悟るとはこの苦しみの輪廻の輪から抜け出すことを意味するのです。

仏教というのは基本的には「生きるという苦しみから逃れようとする宗教」なわけです。このことは忘れずに注意を払っておきたいところです。

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教外別伝。不立文字。みずからの体験によってしか悟りは得られない

シッダルタは修行に疑問を抱きます。それは苦行をして何かに到達できるのか、という疑問でした。

シッダルタは先達の「言葉」や「教え」では悟れないと直感しています。悟り、解脱の最大の敵は「知を求める心」「学ぶ」ということだと感じるのです。

親友ゴヴィンダにゴータマ仏陀に会いに行こうと誘われるが、シッダルタはあまり気乗りがしません。ゴータマ仏陀を胡散臭いと感じているからではなく、会ったところで返ってくるのは所詮「言葉」や「教え」でしかないからです。しかしゴータマ仏陀に会いに行くことで沙門(しゃもん)の修行の身を去ることができるから、とシッダルタは仏陀に会いに行きます。

しかしシッダルタはゴータマに直接会ったからとて、新しいことを学び得るわけではないとわかっていました。もうすでにゴータマの教えの内容は他人の口からではあるが、伝え聞いていたからです。本人の口から同じことを聞いても教えの内容そのものは変わりません。むしろシッダルタが興味を持ったのはゴータマの肉体の所作にでした。こればかりは直接見なければわかりません。

ゴヴィンダは仏陀に帰依しましたが、シッダルタは帰依しませんでした。友とはここで別れることになりました。

友をあずける仏陀にシッダルタは論戦を挑みます。

議論の要旨は「仏陀の悟りは疑わないが、それはみずからの体験により得たものであり他者の教えによって得たものではない。悟り、解脱は教えによっては授けられないものだ。入信し、教義を授けられても、教えでは解脱することはできない。みずからの体験によってしか悟りは得られない」というものでした。

教外別伝不立文字」(きょうげべつでん。ふりゅうもんじ)ということですね。「言葉じゃ伝えられない」ということです簡単に言うと。

「仏陀の教えが正しいことはわかっている。同じ境地に到達したい。そのためには言葉の弟子になってはダメなのだ。だから自分は入信しないのだ」というシッダルタの論戦に対し、仏陀は「賢すぎてはいかんぜよ」とたしなめてシッダルタを認め、二人は別れることとなりました。

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形而上学を捨て、実存主義者になる。自分探しの旅に出る。

仏陀の教えさえ捨てたシッダルタは旅に出て、ひとりのシッダルタを見つめます。現代哲学風に言えば、シッダルタは、形而上学を離れて、実存主義者になりました。

そして渡し守に河を渡してもらい、自分探しの旅に出るのでした。

河の向こうには遊女カマラがいた。異性ほど人間を成長させてくれるものはないとわたしは考えていますが、ヘルマン・ヘッセも同じ道程のことを書いておきたかったのではないかと思います。

カマラに受け入れてもらうために、シッダルタの堕落がはじまります。着物と靴と金のために、パンと果物のために。カマラとの性愛の生活のために。小児人種と心の中で軽蔑する大商人カーマスワミーに雇われて、世俗と快楽の生活を長い間シッダルタは送ることになるのです。

仏僧であることを捨て、富を味わい、歓楽を味わい、権勢を味わいました。禁欲、思索、超俗だった青年時代は終わり、世俗の官能によって多くのことを経験しました。女の快楽、美食の欲求、富と賭博に陶酔します。

物語としての『シッダルタ』は『仏陀の生涯』からは完全に離れていきます。世俗にまみれる仏陀なんていませんから。

そして小説として面白くなっていきます。自我や欲が物語を面白くするのです。

エンターテイメントは解脱とは無縁のものです。シッダルタも我欲にまみれ堕落していきます。しかし物語がそれで終わりませんでした。

仏陀と同じ名を持つシッダルタが、どのような悟りの境地にたどり着くのか、ゴータマ仏陀に啖呵を切ったことの決着をどう着けるのか、結末まで読まずにはいられない気持ちになります。

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死(老い)は人生の反省を促す最高の教師

欲に意地を張る生活から降りられなくなったシッダルタ。しかしとうとう「老い」が彼を捉えます。大商人カーマスワミーのような者になるために、父を、友を、仏陀を捨てて自分は河を渡ったのか。

シッダルタは後悔し、富貴な人生に別れを告げるのです。若い頃したように、もういちど出家をしたのです。

出家の旅の途中でシッダルタは死を思うほど絶望します。欲にまみれた生活を送り、真理から遠ざかってしまった、と。

人生の苦労の果てに思索人から小児人種に堕落してしまった。そして河のほとりで友ゴヴィンダと再会するのです。

「形あるものは無常、すなわちいつも途中」だと現況をシッダルタは友に報告します。

故郷へと戻る大河のほとり。渡し守ヴァズデーヴァにシッダルタは拾ってもらい、一緒に渡し守稼業をすることになりました。

ただ聴くことと素直な心をもっているだけのヴァズデーヴァにシッダルタは教えられます。しかし本当にシッダルタに教えてくれたのは渡し守ヴァズデーヴァではなく河そのものでした。河から世界を学ぶのです。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」鴨長明『方丈記』の冒頭を日本人読者なら思い浮かべてもいいかもしれません。

シッダルタが河から学んだことは、河は過去にあり、未来にもあるが、現在しかないということでした。輪廻も過去や未来ではなく、いっさいは現在にしかないという悟りでした。

愛したカマラと死に別れ、残された息子への煩悩に翻弄されるシッダルタ。先導者の役割を担ったヴァズデーヴァも去り、再びゴヴィンダと再会します。「形あるものは無常、すなわちいつも途中」と前回は答えたシッダルタは今度も違うことを言うのです。それが最後の言葉です。

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梵我一如。すべてのものに仏性がある

「時は実在しない」

えっ。時間は存在しないだって? これはまた大胆な価値破壊に来たなあとわたしは思いました。

「すべての隔たりは時がたてば一になる。隔たりは迷いに過ぎない。途中にあるのではない。不完全ではない」

敵は滅びるが、味方も滅び去ります。憎しみは消え、愛も消えるのです。すべては流れ去りやがて一つになります。だからもともと対立などはないのです。現在の姿がすべてであると悟ることがシッダルタにとっての梵我一如ということの意味でした。すべてのものに仏性があるということをシッダルタは言っているのだろうと思います。

ゴヴィンダが帰依するゴータマ仏陀とは違うことを言っているように聞こえるシッダルタの言葉。しかしシッダルタのほほえみは、ゴータマのほほえみと全く同じものでした。

このようにして小説『シッダルタ』は完結します。

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生きることはよろこびだと言えれば、それは悟り、解脱と同じ

シッダルタの「悟り」、いかがだったでしょうか。

そもそも「生きることは苦しみ。苦しみの輪廻から抜け出したい」っていうところをコペルニクス的に転換させればいいじゃないか、とわたしは思います。「生きることはよろこびだ」とどうして言えないんでしょうか。そう言えれば苦しみの輪廻からの解脱は果たしたも同然じゃありませんか。

よろこびを抱えたまま、よろこびを追いかける。それが生きることではないかとわたしは思います。それはもう悟り、解脱と同じことではないでしょうか。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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