ミーハーが世界を回している
ウチの妻は、はっきりいってミーハーです。テレビなどの影響をダイレクトに受けてしまいます。テレビドラマの俳優が乗っている車や着ている服を自分も欲しがるというミーハーぶりです。
あまり物欲のない私からすると「どうしてそんな思考に……?」と思うところも多々あるのですが、彼女のようなミーハーがトレンドをつくっていると思うこともあります。
世の大半がミーハーじゃなかったら、ファッションの流行なんてつくりだせるわけがありません。ミーハーが大多数でなかったらトレンドなんてものは存在しないでしょう。
つまり世間の購買というのはミーハーが支えているのです。ミーハーが世界を回しています。
そういうことがわからない人は、いいマーケターにはなれないのではないか、と思います。
ミーハーは世の中をつくる「時代の子」です。現代という時代を生きているのです。
戦国武将だって幕末の志士だってミーハーだった
戦国時代に生まれた人たちは、そろいもそろって土地を奪ったり奪われたりの領土争いをみんながやっていました。
幕末の志士たちは、攘夷思想にかぶれたり、国を憂いて尊王をとなえたり、倒幕しなければ……と熱にうかれたように、みんなが揃いもそろって「時代のうねり」に身を投じていきました。
私は戦国武将だって幕末の志士だってミーハーだったのではないかと思います。だってそれが時代のトレンドだったんでしょ? みんな同じような生き方をしているじゃないですか。
織田信長だって坂本龍馬だってミーハーだったんだと思います。
戦乱の俗世との縁を切って高野山とかに出家してしまう人は、戦国時代にだって明治維新のころにだっていたわけですから、そういう時代のうねりとは無縁の人たちにくらべたら、革命児の信長だって龍馬だってベースのところで時代の流行に乗っかっているわけです。
やっぱり「ミーハーが世界を回している」のです。
時代を超えた「いのちの絶対感」を求め「普遍に生きる。時代に合わせない。自分だけの真実を求める。受け入れられなくてもいい。好かれなくてもいい」という哲学者、宗教家のスタンスが、どうしてミーハーよりも立派なものだと断言できるでしょうか。
私はミーハーになりたいとさえ思います。もっと即物的になりたい。そんな感受性を手に入れてみたいと思うことがあります。
残念ながらミーハーとは程遠い性格に生まれてしまった者として。