世界で二番目に面白い美術館。大塚美術館
おはようございます。ハルトです。ゴールデンウィーク車中泊の旅もとうとう7日目です。
旅の西限である石見銀山からはすでに引き返していますが、まだ主たる目的地のひとつに行っていません。
それは徳島県鳴門市にあります。よく最も遠い地点が旅の主たる目的地だと思われることが多いですが、必ずしもそうとは限りません。
今回の旅で、ぼんやりとイメージしていた主たる目的地は「鳥取砂丘」と「大塚美術館」であり、実際にもっと遠かった「出雲大社」や「石見銀山」は足の赴くままに立ち寄っただけです。
主たる目的地なんてあってないようなものなのです。それが放浪旅行です。
ルーブル美術館に次いで、世界で2番目に面白い大塚美術館。
もし通りすがりにこの美術館があるのだとしたら素通りすることは難しいことです。
私の場合は、瀬戸大橋を渡ってわざわざ寄りましたけれど。四国で一番おもしろいスポットだと思っています。
昨年のゴールデンウイークにも車中泊で大塚美術館を訪れており、二年連続となります。
大塚美術館には美術ガイドツアーがあるので同行します。
このような場所はガイドがあった方がずっと面白く見ることができます。
ボランティアガイドさんが世界の名画を一生懸命説明してくれます。
このあたりにお住まいの方なのでしょう。
もう仕事はリタイアしボランティアで美術館のガイドをしておられるようですが、老後の生きがいとしては最高なのではないかと思います。
ルーブル美術館やプラド美術館にある世界の名画をまるで自分の故郷の絵のように誇らしく鑑賞者に語っていました。
黄色いプラスチックかと思っていたら本物の黄金製だった祭壇
絵画が祭壇画であった場合、その祭壇まで再現されています。
現地では祭壇画は開閉されるものなので、大塚美術館の祭壇画は時間で自動開閉します。
そして閉じた外側にも現地と同じ絵がありました。
何度も通い詰めているのにガイドツアーに参加してはじめて知りました。
ガイドさんからは世界三大名画というものを教えてもらいました。
ベラスケスの「ラス・メニーナス」。
エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」。
レンブラントの「夜景」。
そのすべてがこの大塚美術館では一か所で見ることができます。
また、炎の画家ゴッホがピストル自殺までの10年で2000作品ほど残していると聞きました。年間200作品です。これはちょっと驚くほどの多作、スピードなのではないでしょうか。
どう考えても1日じゃ書けないような大作もあるから、ほぼ1日1作品といってもいい執筆速度なのではないかと思います。
有名な『ヒマワリ』などはまず一日で書き終えた作品だと考えて間違いないと思います。
そうでなければ10年で2000作品を残せません。
生前のゴッホは1点しか売れなかったと聞きます。ほぼ一枚も売れなかったようなものです。
売れないということがどれほどガッカリして描くモチベーションを下げるかということが想像できるので、一枚も売れないような状態でよく2000作品も描けたものだと感動を禁じえません。
描くこと、それしかなかったのでしょう。おそらく。
真っ白なキャンパスの状態から、絵画が完成するまでの間、彼が描いているのを後ろから眺めてみたかったものだ、と思いました。
おそらく鬼気迫る迫力で、一瞬の躊躇もなく書き殴ったことだろうと思います。
スピードこそが力だったのでしょう。
『星月夜』ですら、一二日で書き上げたのでしょう。
絵具もキャンバスもたくさんお金がかかったことでしょう。
常人の気力ではありません。
一枚も売れない、誰からも認められないとわかったときに、その激しさが死を選ばせたのでしょう。
現存するレオナルド・ダ・ヴィンチの作品が15点程度しかないのに、印象派のモネは目が見えなくなるまで描いて6000点だと聞きました。
多作だなあ。
近代絵画の連中も子供の落書きみたいな絵ばかりでなく、ちゃんとした絵を描こうと思えば描けるんじゃないでしょうか??
レオナルドは医学や発明品など興味が多彩で、当時の技術を更新させる力があり、それゆえに画業だけに没頭できませんでした。
逆にゴッホは発明なんてできず、画業に没頭できたのです。それが完成画の数の違いでしょう。
しかし科学者の業績は上書きされる世界ですから、後世から見るとどうしても見劣りします。
ダ・ヴィンチの科学や生命に対する認識は当時としては画期的でも現代の視点から見ると間違いだらけですし、大砲やヘリコプターの発明はICBMやスペースシャトルの時代から見ると幼稚なものでしかありません。
しかし画業は違います。
感動は上書きされる世界ではないために、芸術は後世に残ります。
レオナルド・ダ・ヴィンチは画業に専念した方がよかったのではないでしょうか?
閉館時間まで大塚美術館で過ごしました。この美術館はいつも時間がたりません。
すべてが名画ですから、いつも全部見ることができず、何度も訪問することになるのです。
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本書の内容
・「ユーミン主義(遊民主義)」→ 限りある時間の人生を、遊びながら生きていく方法。
・「プアイズム(ビンボー主義)」→ お金を使わないからこそ、人生はより楽しくなる。
・「新狩猟採集民としての新しい生き方」→ モノを買うという行為で、どこででも生きていける。
・「お客さまという権力」→ 成功者にも有名にもならなくていい。ただお客様になればいい。
・「スマホが変えた海外放浪」→ なくてよし、あればまたよし、スマートフォン。
・「強くてニューゲーム」 → 人生ゲームをもう一度はじめからプレイする方法。
・「インバウンド規制緩和」→ 外国人の感受性が、日本を自由に開放してくれるのだ。
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(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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