私は東京都心からみて「都の東北」に住んでいる。常磐道の沿線である。
大学時代、新宿で飲むと、10時過ぎには宴会を切り上げて帰らなくてはならないものだった。そうしないと終電に間に合わず帰れなくなってしまったのだ。
父よ。山の手に家を買ってくれれば、もっと深夜まで飲めたのに。
学生時代の私はそう思っていた。里山に囲まれた風景は、日本人の心の原風景なのではないか。
山の手がセレブ、下町が庶民のわけ
ウチの両親は名古屋の出身である。
総合商社に勤めたため、仕事の都合で名古屋を出て、生涯の大半を関東地方で暮らすことになった。
名古屋を出て、家を買うことになった父は「どこでも選べた」はずである。総合商社だ。人よりもいい給料をもらっていたはずだからだ。
ところが都の東北、常磐道方面に家を買った。おそらく理由は「安かったから」であろう。
名古屋人の財布は固いので有名だ。名古屋で商売が成功すれば、全国どこでも成功すると言われている。
俗に皇居から見て西側を山の手、東側を下町という。
山の手はお金持ち、下町は庶民というイメージがある。
実際にかつて幕臣などのお金持ちは山の手に住んでいた。
これには理由があるとおれは思う。たまたまではない。
奈良や京都に行けばわかるが、古都には山が多い。むしろ山の麓に都をつくったのではないか、と思うほどだ。
里山に囲まれた風景は、日本人の心の原風景なのではないか。
山は天険の要塞になった。
なにより絞り水があるため清水に困らない。
京都でお茶が発達したのは、四方の山からいい清水が溢れたため、という。
里山は目を休める。こころを癒す。
視界に里山はあった方がいいのだ。日本人の心の原風景だ。
だから「里山あり」「里山なし」のどちらでも選べるお金持ちは「里山あり」を選ぶのだ。
それは山の手である。
遠くの名山より近くの里山。山は視界を塞ぐ存在であってこそ
常磐道方面に行くと筑波山しかない。遠くに日光の山々がかすかに見えるが遠すぎる。山というには小さすぎる。山は視界を塞ぐ存在であってこそ、だと思っている。
遠くの名山よりも、近くの里山である。
常磐方面は、本当にまっ平らで、視界を塞ぐものが何もない。
何もないほうが自転車漕ぐのに楽だろうって? それは違う。
楽だが、退屈なのだ。多少アップダウンがあった方がサイクリングは楽しい。
近くに視界を遮るような山があった方が、日本人の心にはしっくりくるのだ。
何もない空間を長時間眺める気にはならないが、山があればそれを眺める気になる。
大人になって、世界のいろんな場所を知るにつれて、父はどうして常磐線沿線に家を買ったのだろうか、と残念に思った。
会社が常磐線直通千代田線沿線にあったことが大きいとは思うが、もうすこし住む場所を工夫をしてもよかったのではないか。
どこでも買えたのだ。現に同じく名古屋出身の叔父は鎌倉に家を買っている。東海道と常磐道ではだいぶ違う。
鎌倉には鎌倉アルプスと呼ばれる山があり、そして湘南海岸がある。なによりも世界遺産の古都である。
東海道にだって家を買えたはずなのに、常磐道に家を買ってしまった父のことを、残念だなあと思っていたこともあったことを告白しよう。
それを強く感じたのは大学生時代である。学生時代、飲み会といえば、たいてい新宿か渋谷だった。
新宿で酒を飲むと10時すぎには宴会を切り上げて帰らないと終電に間に合わないのだ。
つくづく世の中は下町じゃなくて山の手方面に便利にできているよなあ、と思っていたものだ。
常磐道の最大のメリットは上野が近いこと
ところが、私は地方に就職することになった。
都心の企業にだって勤められたのに、満員電車に揺られる通勤を選択しなかったのは人生最良の選択のひとつだったと思っている。
すると都内に行くことがほとんどなくなった。新宿や渋谷に行くことがなくなったのだ。
酒を飲むとしても常磐線沿線になった。
はっきりいおう。ビールの味なんて都内で飲んでも、常磐沿線で飲んでも同じである。
誰と飲むかだけが重要なのであって、味は同じだ。
新宿の宴会から遠く離れると、山の手とか下町とか、東海道とか常磐道とか気にしなくなった。
そして今、中年になって思うことは「常磐道、悪くないなあ」ということである。
常磐道の最大のメリットは上野が近いということだ。直通である。
中年になると、新宿とか渋谷に興味がなくなる。どちらかというと行きたくない街である。
むしろ面白いのは上野だ。美術館、博物館が集中していて、たいてい面白い何かをやっている。
わざわざ東京に出かけようと思う用事は、たいてい上野にある。
すると常磐道は非常に便利なのだ。直結だから。
学生時代にはまったく興味がなかった上野だが、中年になったら上野にしか興味がない。
人間、変われば変わるものである。
海のそばに住むことも、塩害に遭ったり、想像もできないことがあるかもしれない。
まったく、人生、何がいいかなんて誰にもわかりやしないよ。