【熊鈴のメリット・デメリット】騒音登山者よ。迷惑だから熊鈴やめろ。うるさいわ

スポーツ・肉体
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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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目次
  1. 熊鈴のデメリット。一般的な登山者に熊鈴は無意味。ただうるさいだけ。
  2. 車中泊して登山する場合。アイドリング・ストップがマナーです。
  3. お地蔵様の錫杖か? 熊鈴、意味なし、うるさいだけ
  4. 熊鈴騒音登山者よ、せめて人と離れて歩いてくれないか
  5. 追記。YouTube動画のリニューアル。「熊鈴、うるさい」原稿
  6. 山を静かにプロジェクト。ノー熊鈴派宣言【完全版】
  7. 【熊鈴論争】YouTube動画配信した結果、賛否両論があった。
  8. 登山者の多い山の場合、全体がひとつの巨大な登山パーティーのようなもの
  9. 場面場面で熊鈴を付けたり外したり周囲に配慮して調整する
  10. 僧侶の錫杖は、ストックと熊鈴の役割。金属音が繰り返されることによる瞑想効果
  11. 熊を避けられるのは、熊鈴だけではありません。
  12. 山のマナーを守れない人は、人間社会のマナーも守れない。
  13. 熊鈴というのは「熊は人を恐れて逃げていく」ことを前提に設計されている。
  14. 「熊鈴がうるさいのなら人の来ない山に行け」おまえが来るな、という意見。
  15. 【熊鈴のデメリット】熊より圧倒的に事故率の高い落石など、災害の元となる音に気づきにくくなる。
  16. バードウォッチャーが趣味の人も熊鈴の音には迷惑している。
  17. アンチ熊鈴派は先行登山者の足音や人声、体臭によって熊が逃げてくれるはずだと考えている。
  18. YouTube上では否定的な意見の方が多かった。

熊鈴のデメリット。一般的な登山者に熊鈴は無意味。ただうるさいだけ。

ひさしぶりにお散歩コースの渓流登山散歩をしたら、熊鈴をチャリンチャリンと鳴らす登山者がずっと近くを歩いていて不快な思いをしました。

このページでは「熊鈴やめろ。意味ないじゃん」ということを主張しています。

※※「多くの登山者がすでに登っている山を、あとから登るような一般的な登山スタイルの場合」限定で語っています。単独で山菜を取りに行くような場合は想定していないことをご了承ください。※※

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車中泊して登山する場合。アイドリング・ストップがマナーです。

車中泊をして登山をするような週末ライフを送っています。車中泊をしていると、周囲に迷惑な人が来て、いやな思いをすることがあります。それは夜中にエンジンを切らない人です。うるさいっちゅーねん。

思い出したかのように鳴る車のエンジン音と振動は、静まり返った深夜には不快なほど響くものです。エアコンをつけたり、カーテレビを見たりしている本人は、周囲の迷惑に気づかないかもしれませんが。

車中泊生活は太る。車泊生活は夕食を抜く
車中泊すると太ります。食べてすぐ寝るからではないでしょうか。車中泊では夕食を抜くことをオススメします。太らず、浮いた食費を、次の旅費に回せます。いいことづくめです。

車中泊では停車中はアイドリングしないのがマナーとされています。でもマナーを守れない人は必ずいて、ずっとエンジンをかけて周囲に騒音、振動をまき散らしているのです。

車中泊マニアはナンバープレートの地名チェックが趣味になる
車中泊マニアにとってはナンバープレートの「地名」は貴重な情報です。同じ日同じ場所で車中泊をしているのに、東北カーの隣に九州カーが並んでいたりします。そういうのが面白くて車中泊賊は車のナンバープレートをチェックするのがいつしか趣味になってしまうのです。
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お地蔵様の錫杖か? 熊鈴、意味なし、うるさいだけ

 

それと同じように登山をしていると、周囲に迷惑な登山者が来て、いやな思いをすることがあります。それは熊鈴をつけた登山者です。

こっちは沢の水音、鳥のさえずりなどを聞いているのに、チャリンチャリンとうるさくてしょうがありません。

あんたはいったい何を聞きに来たんだ。鈴の音か? 家で聞いてくれ。

熊鈴をつけているのは、たいていは初心者の山ヤさんです。

山の本に書いてあったから真面目に熊鈴を買って装着しているのでしょうが、あんなものつけていたら、風の歌やセミの鳴き声など、自然の音が何も聞こえません。

まるでエンジンかけっぱなしで寝る車中泊の人のように、自分は歩くたびに歩調にあわせてシャンシャンと音がするし、慣れて気にならないのでしょうが、周囲ははっきりいって迷惑です。

地蔵様錫杖か? なんか地獄っぽいんだよな。

 

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熊鈴騒音登山者よ、せめて人と離れて歩いてくれないか

上級者になるにしたがって自然の音を聞くために、熊鈴なんてしなくなるのですが、シングルトラックでずっと熊鈴騒音登山者と一緒になると、正直、うんざりします。

少し離れて歩いてくれればいいのですが、こういう人に限ってそういうデリカシーはありませんので、やたらと近くを歩いてきます。チャリンチャリンチャリンチャリン……うるさいっちゅーねん。

だいたい何を怖がっているんだ。もしかしてクマが恐いのか?

北海道のヒグマは別にして、本州のツキノワグマなんか、人間にあったらびっくりして熊の方が逃げるんだから、何を恐れることがあろうか。

熊鈴騒音登山者よ、せめて人と離れて歩いてくれないか。

それが無理なら、熊鈴、やめてくれ! 自然の音を聞こう。そのために山に来たんじゃないか。

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追記。YouTube動画のリニューアル。「熊鈴、うるさい」原稿

こちらのブログの内容をYouTubeで公開したところ、意外と反論がありました。

その中にはわたしの主張する意図がしっかりと伝わっていないなあと感じたコメントもありました。なのでもっとしっかりとこちらの意図が通じるように書きなおしました。それをここにも上げておきます。こちらが【山を静かにプロジェクト】ノー熊鈴派宣言の主張(完全版)になります。

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山を静かにプロジェクト。ノー熊鈴派宣言【完全版】

※※この記事は「多くの登山者がすでに登っている山を、あとから登るような一般的な登山スタイルの場合」限定で語っています。「ひとりで山菜を採りに行くようなスタイル」の場合はまったく考慮していません。ご了承ください。

とある日本百名山をひさしぶりに登山したら、熊鈴をチャリンチャリンと鳴らす登山者がずっと近くを歩いていて不快な思いをしました。

「熊鈴やめろ。意味ないじゃん」

こっちは風の歌、森のせせらぎ、沢の水音、鳥のさえずりなどを聞いているのに、熊鈴の音にかき消されてしまいます。チャリンチャリンとうるさくてしょうがありません。

日本百名山のような登山者の多い山で、熊鈴をチャリンチャリン鳴らした登山者たちが鈴なりに連なっているのを見ると異様に感じませんか? ここはどこなんでしょう。地獄ですか? 賽の河原? ろっこんせいじょーおやまはせいてーん。チーン。チーン。チーン。チーン。チーン。チーン。

 

どれだけ速く歩いても、どれだけ離れて歩こうとしても、熊鈴の音が聞こえてきます。まるで自分が【地獄の亡者の群れ】の一員になったかのような気がします。 自然のただ中に来たはずなのに、ずっと人工音を聞かされ続けます。

わたしにとって熊鈴は、車のアイドリングを彷彿とさせます。自分が熊鈴を鳴らしていると、あのカン高い鈴の音もあまり気にならないんでしょうけど、ノー熊鈴派にとってはけっこう不快な音なのです。車のアイドリングも同じですよね。自分の出している音はさほど気になりません。自分の体臭は臭くないでしょ? それと同じです。

熊鈴をつけているのは、たいていは初心者の山ヤさんです。山の本に書いてあったから真面目に熊鈴を買って装着しているのでしょうが、その装備、本当に必要ですか? あんなものつけていたら、自然の音が何ひとつ聞こえません

シングルトラックでずっと熊鈴騒音登山者と一緒になると、正直、うんざりします。

少し離れて歩いてくれればいいのですが、こういう人に限ってそういうデリカシーはありませんので、やたらと近くを歩きたがります。チャリンチャリンチャリンチャリン……うるさくてたまりません。

本人も歩くたびに歩調にあわせてシャンシャンと音がするし、うるさくないのでしょうか? 周囲ははっきりいって迷惑です。

熊鈴騒音登山者よ、せめて人と離れて歩いてくれないか。それが無理なら、熊鈴、やめてくれ!

だいたい何を怖がっているんでしょう。もしかしてクマが恐いのでしょうか?

北海道のヒグマは別にして、本州のツキノワグマなんか、人間を恐れて熊の方が逃げるんだから、何を恐れることがありましょう。

よく考えてください。熊鈴というのは「熊は人を恐れて逃げていく」ことを前提に設計されています。だからわざわざ人の存在を熊に知らせているのです。熊が人を恐れているのは間違いありません。人を恐れる臆病な性質の熊の子孫しか今日まで生きのびることができなかったためです。

そうでなければ熊鈴は「熊さん、わたしに襲い掛かってください」と大声で叫んでいるようなものです。もしそうでないというのならば、熊鈴はただちにやめてください。非常に危険です。 熊は鈴の音を恐れているのではありません。人間が怖いのです。

山ではすべて自己責任です。遭難するのも自己責任。遭遇するのも自己責任です。だから熟慮の上で熊鈴が必要だと感じるのならばそれは止めません。しかし本当にそれが必要でしょうか?

わたしは極端な意見は危険だと思っています。極端な意見は、極端だという理由だけで間違っているとさえ思います。

わたしはここで熊鈴をつける登山者をゼロにしろ、と主張しているわけではありません。 たとえば「5人パーティーで登山する場合、5人全員が熊鈴つける必要ありますか?」と問うているのです。先頭のひとりだけでいいんじゃないでしょうか? 5人パーティー全員が熊鈴つける必要ありますか? それは無駄ではないでしょうか?

ところで日本百名山のような登山者の多い山の場合、全体がひとつの巨大な登山パーティーのようなものです。たとえ熊がいたとしても先行登山者がとっくに食われるか追い払うかしているはずです。だから後続登山者が熊鈴をつける意味はほとんどありません。

100人登山者がいたら、100人全員が熊鈴つける必要ありますか? 今の日本の百名山には、熊鈴人口が多すぎると思います。ほとんどの人には熊鈴なんて必要ありません。

本当に熊鈴が必要だと感じる人は、周囲の迷惑なんて気にしないで騒音をまき散らしながら登山すればいいと思います。 でも現状では、何も考えずに熊鈴をつけている人が多すぎるんじゃないでしょうか? すくなくとも先頭を歩いていない「あなた」には必要ないのではありませんか?

もちろんあなたが百名山以外のマイナーな山の単独行であったり、百名山であっても誰よりも早く朝一番で登る場合、山菜採りなど「単独」前提の場合は熊鈴をつけるべきだと思います。 この場合、そもそも「チリンチリンと無駄だし、うるさいな」と感じる人が周囲にいないのですから、何の問題もありません。

何も考えずにいつも同じ装備というのは登山者の正しい態度ではありません。常に熊鈴を着けて歩くというのはこれと同じことです。

登山の上級者は自分が登る山にあわせて装備を変えます。夏の日本百名山と、アルプスやヒマラヤ登山の装備が同じはずがありません。ヒマラヤの奥地に熊なんかいません。いるのはイエティです。熊鈴では追い払えません。

そして登山では熟達するほど知恵を使って荷物を軽量化しようとするものです。経験を積めば積むほど山で必要なものとそうでないものがわかってきます。水分や非常食、防寒着やヘッドライトなどを削るわけにはいきませんが、あなたのその熊鈴は削れるのではないでしょうか?

あなたの登山スタイルに、熊鈴、本当に必要ですか?

自然のまっただ中に来たはずなのに、常に人工音を聞かされ続ける登山スタイルを是とするか、非とするか、よく考えてみてください。

とりあえずここでは日本百名山を後続登山者として登る場合、熊鈴を家に置いて来ることをオススメします。山を静かにプロジェクトです。ノー熊鈴派宣言です。

そうすれば山が静かになりますし、あなたの登山ライフはこれまで以上に充実したものになるでしょう。風が、森が、川が、鳥が、あなたに語りかけてくることでしょう。

熊鈴を家に置いてくれば、熊鈴の質量以上に心が軽くなりますよ。

忘れてはいけないことは、熊鈴があっても熊に遭うときには遭うということです。熊鈴は絶対の利器ではありません。ただ単に確率の問題なのです。ところで百名山の後続登山者が熊に遭う確率が熊鈴を装着したところでどれだけアップするでしょうか。ほとんど変わらないのではありませんか? そういうものを無駄というのです。

 

自覚ある登山者が「自分の登山スタイルに熊鈴は必要ない」と気づいて、山がすこしでも静かになってくれることを願っています。 そうすればさらに自然を愛する登山者が増えて、さらに熊鈴は必要なくなります。

あなたも「山を静かにプロジェクト」に参加してください。「ノー熊鈴派宣言」をしてください。

どうしても、という方は「消音機能付きの熊鈴」というものが販売されています。

こちらを利用してください。周囲に人がいるときは鳴らさないことができます。それがマナーというものです。

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【熊鈴論争】YouTube動画配信した結果、賛否両論があった。

わたしはYouTubeで動画配信もしています。

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本ブログの筆者はYouTubeで動画を配信しています。

【車泊でGO!! Vehicle Night】

気に入っていただけましたら、チャンネル登録をお願いします。

×   ×   ×   ×   ×   × 

こちらの記事は【ドラクエ的な人生】の中でも読まれている方の記事なので、本記事を読み上げてYouTube動画に配信したところ、賛否両論がありました。

その動画は下記の事情※※があって消去してしまったのですが、そのときに寄せられたコメントとわたしの返事をここにコピペして残しておきます。

※※ご意見ありがとうございました。この動画は「多くの登山者がすでに登っている山を、人の後ろをついて登るような一般的な登山スタイルの場合」限定で語っています。ところが動画には言葉足らずの反省点があるため、視聴が一段落したら削除する予定です。いただいたコメントは貴重なご意見として下記のブログに転記して残させていただきます。

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登山者の多い山の場合、全体がひとつの巨大な登山パーティーのようなもの

Q.自分も登山初心者ですが自分は自然の音ってよりかは景色見るため、達成感を得るために山に行きます( ˙꒳​˙ ) それに主さんも最初は初心者だったはず、それくらい寛大な心で受け入れてあげましょうよ^^ それに100%ツキノワグマは襲ないという保証はどこにもないですし、熊に出会わないために熊鈴などがある訳でそれを否定するのは自分の身を案ずる事を放棄するのと同じように思いますけどねw 自然の音を聞きたかったら同じ事が言えますが家で自然音の動画を聴いてればいいと思いますよ!それか深夜帯に登って誰よりもはやく登頂するかですかね!

A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。 自然のまっただ中に来たはずなのに、常に人工音を聞かされ続ける登山スタイルを是とする非とするか、よく考えてみてください。 日本百名山のような登山者の多い山の場合、全体がひとつの巨大な登山パーティーのようなものです。たとえ熊がいたとしても先行登山者がとっくに食われるか追い払うかしているはずです。だから後続登山者が熊鈴をつける意味はほとんどありません。 忘れてはいけないことは、熊鈴があっても熊に遭うときには遭うということです。熊鈴は絶対の利器ではありません。ただ単に確率の問題なのです。ところで百名山の後続登山者が熊に遭う確率が熊鈴を装着したところでどれだけアップするでしょうか。ほとんど変わらないのではありませんか? そういうものを無駄というのです。 とりあえずここでは日本百名山を後続登山者として登る場合、熊鈴を家に置いて来ることをオススメしています。 自覚ある登山者が「自分の登山スタイルに熊鈴は必要ない」と気づいて、山がすこしでも静かになってくれることを願っています。

Q.もちろん理屈は動画で仰ってたようにわかりますよ! でも初心者の人なんかはそんな事なんか知らずに無意識に熊鈴を買う人がほとんどでしょうし、達人の域に達してる人も最初の頃は鈴を付けてた人がほとんどだったはずです(データはあまりませんが…) それに失礼な言い方になるんですが、主さんがいくら注意喚起しようが、その登録者数じゃほぼほぼ効果ないと思います… もっと知名度を上げるか、富士山とか六甲山辺りの世間一般の人にも有名な山に行って、登山道の入口付近に鎮座して一人一人声掛けするくらいしか対策ないと思います。 もちろん主さんもそんなに暇じゃないと思いますし、そんな変人みたいな行為恥ずかしくて自分には出来ないです。 そうですね…人工音は聞きたくないけど登山はしたい 登山家なんかになられたらどうです? それなら初心者なんかはまず登れない山に登って行くことになりますし、人工音なんかはほとんどしない トランシーバーとかは必要になってくるとは思いますが少なくとも初心者は登れないので人工音を最小限に抑えられると思いますよ! それか新たに法を制定するとか… 一時的に抑えられても一般常識にするのはやっぱり人1人の力じゃほぼ不可能でしょう登山家以外の方法を考えるならやっぱり知名度を上げて行くしかないと思います。 最初のコメントですが自分は人工音を全く気にしない人間なんですが、主さんのように自然の音を聞きにくる人の事を全く加味してないコメントをしてたのでそこは申し訳なかったです…

A.うp主です。コメントありがとうございます。 政治を変えたければ、デモに参加するのではなく、国会議員になれという意見ですね。 しかしわたしは熊鈴を憎悪し、根絶するのを生涯の宿願としているわけではありません。それほど暇じゃありません(笑)。 すぐ近くに「うるさいな」と感じている人がいるんだゾ、ということをわずかでもわかってもらえればそれでいいのです。 そういうの、いわなきゃ伝わらないじゃないですか。

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場面場面で熊鈴を付けたり外したり周囲に配慮して調整する

Q.ど田舎に住む住人です。 近所の人が庭先で1名、犬の散歩中に1名、山菜採り中に1名、ツキノワ熊に襲われ大怪我をして過去に入院しています。 私自身も、登山(百名山97登頂)や山菜採りが趣味の為、年間50回以上は山に入り、8回熊に遭遇した経験有ります。人馴れした熊には効果は薄いですが、山奥にいる熊は基本臆病なので、人の存在をいち早く知らせる為、初心者の私は熊鈴を絶対に付けます。人の気配を察知するとだいたい向こうから逃げてくれます。一番危険なのは、近くにいるのにお互いの存在に気づかず、至近距離でのばったり遭遇ではないでしょうか?臆病な熊は必死なので、ビックリして逆上して何をしてくるか想像できません。 私は山が大好きで、人の居ない山に入る事が多いのでバッタリ遭遇は正直すごく怖いので熊鈴は必須アイテムです。 ベテランさんにご迷惑をおかけしてすいませんが、どうかご理解をよろしくお願いいたします。ちなみに、百名山などの人が多い山では、鈴を外す事が多いです。

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僧侶の錫杖は、ストックと熊鈴の役割。金属音が繰り返されることによる瞑想効果

A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。 わたしよりもはるかにキャリアのある方と推察いたします。百名山中九十七座まで熊鈴とともに登頂されたのなら、残りの三座もぜひ熊鈴つきで登頂してください。なにか功徳(ご利益)があるかもしれませんから。 山のあなたの空とおく、さいわい住むと人のいう。

ブログ【ドラクエ的な人生】「日本百名山、全山制覇の難易度」 https://arikura.com/hotaka-hawaii-mania/

功徳(ご利益)という言葉をここで使ったのは、わたしには熊鈴とストックが僧侶が右手に持つ「錫杖」をイメージさせるからです。錫杖というのは、杖の上に金属の輪がついていて、杖をつくたびにシャンシャンと音が鳴る仏具です。 「錫杖」というのは、やっぱり今でいう「熊鈴とストック」の役割なんでしょうかね?  なんで昔の遊行僧は錫杖なんか携帯したんでしょうか? やっぱり熊が怖くてクマよけに鳴らしていたんでしょうか?  お釈迦さまの前世のように潔く虎に食われるという選択肢は遠慮したかったんでしょうか? そんなことで色即是空の境地にたどり着けるのか???

チベットのシンギングボールのようにある種の金属音の繰り返しには、瞑想効果があるとされています。 ベテランさんにお尋ねしたいのは、そういう効果が錫杖に、つまり熊鈴には瞑想効果がありますか? もし瞑想効果が熊鈴に「たしかにある」というのならば、わたしもぜひ熊鈴をつけて登山したいと思います。 「自分にとってうるさい」(デメリット)と思ってノー熊鈴派になりましたが、「瞑想効果がすごい」(メリット)があるのならば、話しは別です。転向します(笑)。 その場合、登山者全員が熊鈴をつければ、隣人の熊鈴の音など、自分の熊鈴でかき消されてまったく気にならないと思います。楽器のセッションのようなものです。みんなで一緒に集団陶酔しましょう。 わたしは熊鈴なしで自然の音を聞いた方が瞑想効果が高い(=登山が楽しい)と判断したので熊鈴をやめました。しかし熊鈴に瞑想効果(明確なメリット)があるのならば、話しは別です。 このことは熊鈴派の方にしかわかりませんので、もしよろしければ教えてください。

Q.タイトルに、人が多い百名山限定と書いて有れば良かったです。 百名山でも誰にも会わない山も有るので。 私事ですが… 登山は14才から初め、百名山ハントは30才から始めて20年が経ちました。 (すっかりおじさんです) 穂高も良い山ですよね。私自身、百名山を巡る事で、他にも魅力的な山が沢山有る事を知りました。 あ、熊鈴ですね… 私はいつも自然の音の中で暮しているので、山奥に入ると静けさのみが逆に怖く感じる時が有ります。誰も居ない山奥では、熊鈴の音で逆に気持ちを落ち着かせる事が出来ます。あくまで私の場合ですが。 北アルプスなど、人が多い場所では正直、熊鈴は要らないでしょう。人気が多いし、周りにも迷惑になるので。 私の場合、付ける付けないの判断基準は、人気が多いか少ないかです。 人により判断基準が様々で、考え方も様々で理解できない事も多い世の中です。 投稿者様のうるさいと言う心境も理解出来ます。 しかし、私のように人気が少ない場所では熊鈴を付ける事が必要と強く感じる人間も居る事を理解していただけると幸いです。 ちなみに、参考になる熊の動画

【埼玉秩父】Bear attacks climber / 登山中に熊に襲われた
October 1, 2022I was attacked by a bear from behind while descending the rocky ridge of Mt.Futago in Chichibu City, Saitama Prefecture, Japan.Instead of fear...

A.うp主です。コメントありがとうございます。もはや意見は完全に一致していると思います。 「北アルプスなど、人が多い場所では正直、熊鈴は要らないでしょう。人気が多いし、周りにも迷惑になるので。私の場合、付ける付けないの判断基準は、人気が多いか少ないかです。」わたしが言いたかったことも、これに尽きるからです。 ご紹介いただいた熊の動画、見ました。「うぉおオオ」と叫んで熊を追い払った後、何も語らないのがシュールですね(笑)。 「マジか!」とか「死ぬかと思った」とか、ああいう場面で人は能弁になるものだと思っていました。不安は人をおしゃべりにするってやつです。でも投稿主は何も語らない。シュールだ。

かつてわたしもハセツネカップという日本山岳耐久レースでいい成績を残すために、奥多摩の山を夜間トレイルランニングしたことがありました。朝まで夜通し走らないと完走できない厳しいレースなので、夜ランに慣れるためにヘッドライトとハンドライトだけで誰もいないトレイルを走る特訓でした。そのときも熊鈴はしていませんでした。 そのとき鹿には何度もバッタリ遭遇したのですが、明らかに鹿とはひづめが違う大型獣とバッタリ遭遇しました。超強力なハンドライトをライトセーバー(ビームサーベル)のように振り回して闇を切り裂き、大声で威嚇してその四つ足の獣を追い払いました。先の投稿者のように。 無事に下山した後、あの獣は何だったんだろうと考えました。あきらかにタヌキのサイズではありませんでした。サイズ的には鹿でしたが、足音が鹿とは違いました。逃げ去るリズム(ひづめの音)でわかります。 なにせ周囲は真っ暗で、はっきり熊だとわかったわけではありませんが、あれは熊だったのだと思っています。奥多摩には熊が生息していますので。 単独行だと熊にバッタリ遭遇しますよね。熊鈴を携行してください。それとて完璧ではありませんが。 長谷川恒男カップ本番で熊に遭わなかったことはいうまでもありません。わたしの前にも、そしてわたしの後ろにも、たくさんのトレイルランナーがいたからです。あんなシーンで熊に遭うわけがありません。そういうときに「熊鈴いらんだろ」とツッコミたくなるのです。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

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Q.言いたい事が、理解できました。やはりベテランさんでしたね✨ 意見交換ありがとう御座いました。今後もお互いに、自然を楽しみながら、気持ち良い山行が出来たら良いですね❗

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熊を避けられるのは、熊鈴だけではありません。

Q.ツキノワグマに遭遇して大怪我をしている人はたくさん居ます。 山の上級者だって熊鈴つけます。 山菜採りやきのこ採りは必ずつけます。 山で鈴が鳴ることは周囲にも自分の居場所を知らせる上で大切な役割を果たしていると考えています。 それをうるさく感じられるなら、登山者など入らない奥地で過ごされた方が良いです。

A.わたしの主張は単純です。たとえば5人パーティーで登山している場合、熊鈴をつけるのは先頭のひとりだけでじゅうぶんだと考えます。5人パーティー全員が熊鈴つける必要ありますか? それは無駄ではないでしょうか? ところで日本百名山のような登山者の多い山の場合、全体がひとつの巨大な登山パーティーのようなものです。熊なんか先行登山者がとっくに食われるか追い払うかしているはずです。だから後続登山者が熊鈴をつける意味はほとんどありません。 もちろんあなたが単独行であったり、百名山であっても誰よりも早く朝一番で登る場合、山菜採りなど「単独」前提の場合は熊鈴をつけるべきだと思います。 この場合、そもそも「チリンチリンと無駄だし、うるさいな」と感じる人が周囲にいないのですから、何の問題もありません。
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山のマナーを守れない人は、人間社会のマナーも守れない。

Q.ご自分の部屋から出ないで、耳栓してるのが策かと・・ 貴方以外のキャストにも人生はあるんだからw 山より先に精神科行ってらっしゃい 相談は聞いてくれると思うよ.
A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。おそらく「熊鈴をしない人=熊に襲ってくれと叫んでいるような命知らずのキチガイ」という脳内図式なのだと思いますが、その思い込みははっきりいって間違っています。 熊を避けられるのは熊鈴だけではないことをまず知ってください。先行登山者がいれば、その人が熊鈴以上に熊を追い払ってくれます。熊が恐れているのは熊鈴の音ではなく人間そのものだからです。スズのネなんて怖くありません。 あなたやわたしのように、多くの登山者がすでに登っている山を、あとから登るような一般的な登山スタイルの場合、たとえ熊がいたとしても先行登山者がとっくに食われるか追い払うかしているはずです。だから後続登山者が熊鈴をつける意味はほとんどありません。ただうるさいだけです。自分の鈴の音はうるさく感じないのかもしれませんが、一部の人はあなたの熊鈴をうるさいと思っているのですよ。まずそのことに気づきましょう。自分ではニオイに慣れきってしまって自分の体臭が臭いことに気づかないものです。でも臭いと思っている人が近くにいます。 山を歩いているような人は大自然に心が洗われて寛大になるのかと思っていたのですが、どうやらそうではなさそうです。 この動画ではけっして「熊鈴登山者よ、山に来るな」と言っているわけではないのに、熊鈴派の人たちからは「うるさいなら人の来ない山にひとりで行け」「家で耳栓してろ」というようなエキセントリックな反論が多々あります。「熊鈴やめろ。その理由は~~」という意見には「熊鈴やめない。その理由は~~」と反論するのがマナーでしょう。しかし熊鈴派にマナー違反の人が圧倒的に多いな、と感じます。 山のマナーを守れない人は、やはりこういう別の場所でもマナーを守れないのでしょうか。周囲に配慮ができないというのは、自分以外のキャストにも人生があることに気づいていないからではありませんか。 そういう人には、いちどうるさい熊鈴を家に置いて、大自然の音を聞きながら山を静かに歩かれることをオススメします。そうすれば世界には様々な音や声があるのだということがわかるでしょう。せっかく山が教えてくれるはずのことを、みずから耳を塞いでしまっているから、聞くことができないのです。
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熊鈴というのは「熊は人を恐れて逃げていく」ことを前提に設計されている。

Q.きのこ採りしにきた人も居るし人がどこにいるかも分かんないしもし本当にクマに遭遇したらどうするんですか?全員が山の音を聞きに来たわけじゃないですし里に熊が降りてくるなら、山に居ないわけないじゃないですか実際に遭遇したことあるんですか?うるさいなら直接注意したらいいんじゃないですかね。とりあえず熊鈴は必要です。こうゆう事を言う人を登山初心者と言うのではないでしょうか?
A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。 よく考えてください。熊鈴というのは「熊は人を恐れて逃げていく」ことを前提に設計されています。だからわざわざ人の存在を熊に知らせているのです。熊が人を恐れているのは間違いありません(正確には人を恐れる臆病な性質の熊しか生きのびられなかった)。そうでなければ熊鈴は「熊さん、わたしに襲い掛かってください」と大声で叫んでいるようなものです。もしそうでないというのならば、熊鈴はただちにやめてください。非常に危険です。 熊は鈴の音を恐れているのではありません。人間が怖いのです。山ではすべて自己責任です。遭難するのも自己責任。遭遇するのも自己責任です。だから熟慮の上で熊鈴が必要だと感じるのならばそれは止めません。 本当に熊鈴が必要だと感じる人は、周囲の迷惑なんて気にしないで騒音をまき散らしながら登山すればいいと思います。 でも現状では、何も考えずに熊鈴をつけている人が多すぎるんじゃないでしょうか? 何も考えずにいつも同じ装備というのは登山者の正しい態度ではありません。どんな山でも常に熊鈴を着けて歩くというのはこれと同じことです。 登山の上級者は自分が登る山にあわせて装備を変えます。夏の日本百名山と、冬のアルプスやヒマラヤ登山の装備が同じはずがありません。ヒマラヤの奥地に熊なんかいません。いるのはイエティです。熊鈴では追い払えませんよ。 登山では熟達するほど知恵を使って荷物を軽量化しようとするものです。経験を積めば積むほど山で必要なものとそうでないものがわかってきます。 水分や非常食、防寒着やヘッドライトなどを削るわけにはいきませんが、熊鈴は削れるのではないでしょうか? あなたの登山スタイルに、熊鈴、本当に必要ですか? 自然のまっただ中に来たはずなのに、常に人工音を聞かされ続ける登山スタイルを是とする非とするか、よく考えてみてください。
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「熊鈴がうるさいのなら人の来ない山に行け」おまえが来るな、という意見。

Q.そんなに自然の音が聞きたかったら、わざわざ100名山なんか行かずにもっとローカルな山に登山に行くのがいいのではないでしょうか?
A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。 私が主張したかったのは「自然の音が聞きたい」(10%)ではなく「熊鈴うるさい!」(90%)の方です(笑)。 熊鈴をやめてもらうきっかけとして「人工音じゃなくて自然の音を聞こうよ」とエサを撒いただけだったのです。 しかしそう聞かれない方が多いので戸惑っています。それもこの動画が短すぎて、言葉を尽くしていないせいで、ひとえにわたしの伝達力の不足です。 動画の差し替えができればいいのですが、YouTubeのシステム上、新規動画は立てられますが、差し替えはできないのです。だからこの動画はみなさんのコメントが出尽くしたと判断した時点で削除しようと思っています。ご迷惑をおかけします。 話しはかわりますが、わたしは日本百名山以外の山も半々ぐらいで登っています。ローカルな山だと、熊鈴よりも熊笹に出会う確率の方が圧倒的に高いですね(笑)。マイナーな山では登山道がクマザサで埋まっていることも多く、藪漕ぎをしながら登らなければならないことが多々あります。その場合、とても快適登山とはいきませんよね。とくに最近では妻と夫婦で登ることが多いので「はずれ」を引きたくないのです。 深田久弥が元々いい山を選んだこともあるのでしょうが、百名山レッテルを貼られたことで、登山者が増え、登山ルートが整備されたからだと思います。深田が選んだ頃よりも、今の方がルートは歩きやすくなっているのではないでしょうか。評判が人を、人が人を呼び、登山道が整備され、山小屋ができて、さらに人が集まり、その人たちが歩くことで道を維持されているんだなあ、ということがローカルな山に行くとよくわかります。百名山に行っても、それ以外に行っても、どちらに登ってもいつも深田久弥の偉大さを思い知らされます。 わたしはブログを運営していて、その中で「日本百名山、全山制覇の難易度」という記事を書いています。その中に、穂高フェチさんが登場します。はずれを引くかもしれない他の山に行くぐらいなら穂高に行く、という穂高登頂何十回という穂高マニアさんでした。この人物はわたしが実際に会った人です。海外旅行でもハワイばっかり行く人を知っています。その人は「はずれを引くかもしれない」マニラやメルボルンやモスクワに行くぐらいなら、ハワイに行った方がいいと考えているのです。わたしにもその気持ちがすこしわかります。 やっぱりローカルでマイナーな山には、それなりの魅力しかないと疑ってかかった方が「はずれ」を引きません。そこらへんのヤブ山に穂高や鳥海山や日光白根山のような魅力があるといくら説かれても「ええっ! ウッソー! 信じられなーい」ととりあえず言わざるをえません。 百名山の魅力は圧倒的です。ローカルな山と同じではありません。 地元の里山を推薦するような人は、愛情が目を曇らせているんだと思います。アバタもエクボというやつでしょう。
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【熊鈴のデメリット】熊より圧倒的に事故率の高い落石など、災害の元となる音に気づきにくくなる。

Q.私も投稿者さんの意見に同意です。結構な「熊鈴の何が悪い」派がいるようですね。 人のすれ違う登山道で熊鈴を鳴らしている人は、 ・登山に熊鈴は常備アイテムとなっていて、鳴らして歩くのが定着している ・恐怖心が先行して、安全行動を取っている自分は問題ないと考えている のいずれかに当たる場合が多く、騒音を周囲に撒き散らすデリカシーの無い状態になっています。 自然の音に関心が無いという熊鈴派の人は、以下を考えていただきたいです。 ・不要な箇所で熊鈴がうるさいと感じている方がたくさんいます(熊鈴を常に鳴らしているあなたは少数派です) ・熊より圧倒的に事故率の高い落石など、災害の元となる音に気づきにくくなります(周囲の人も危険に晒しています)私は丹沢によく行きますが神奈川県全体で過去10年、熊による死亡者は0件でケガが1件です。 何に恐怖しているかわかりませんが、それでも結構な人が周りに人がいても鳴らしっぱなしにしています。 安全最優先と説明責任から安易に「熊鈴を付けましょう」という案内が多いのも問題かと思います。 立山の自然環境保護センターでは、登山道で熊鈴を一日中ところ構わず鳴らすのをやめてくださいと立て札を掲げております。 より正しい情報が伝わることを願っています。
A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。同意見の方がいて、とても心強く感じました。 立山のように「登山道で熊鈴を一日中ところ構わず鳴らすのをやめてください」と訴えているところもあるのですか。 それは知りませんでした。同志よ。 わたしたちのようなノー熊鈴派(山を静かにグループ)が発言権を得ている山域もあるのですね。 実際、熊が嫌がって逃げていくぐらい耳障りな音を出しますものね。うっせーうっせーうっせーわ この動画は「多くの登山者がすでに登っている山を、人の後ろをついて登るようなモブ登山スタイルの場合」を想定して語っています。 コメント欄で「ひとりで山菜採りに行くときには熊鈴は必須だ」とベテランさんから反論をもらったりしていますが、それはわたしの動画が言葉たらずだったためです。 おそらくわたしたちが訴えたいのは、自分で判断することもなく、省みることもなく「本や雑誌に熊鈴必携と書いてあるから装着している」という思考停止の初心者登山者に対してなのだと思います。ひとりで山菜を取りに行くような山のベテランの身のこなしに対して、どうのこうの言うつもりはまったくありません。 viproomさんのいうとおり、登山の雑誌などで熊鈴が必須装備と書かれているのは、安全最優先と説明責任(責任回避)のためのほか、そう謳えば「登山者の数だけ熊鈴が売れる」という商業主義のコマーシャルの結果でもあると思います。 熊鈴をしていると落石などの音に気づきにくくなるなど、貴重なご意見をいただいたものと考えています。 ありがとうございました。
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バードウォッチャーが趣味の人も熊鈴の音には迷惑している。

Q.バードウオッチャーです 熊鈴には本当に迷惑しています。鳥の声は聞こえないし飛んでしまうし。熊鈴を否定するわけではありませんが適切に使ってほしいと思います。
日本人は心配性な人が多いのとマニュアル人間が多いので仕方ないとあきらめています。
ついでに 車のバックの際の警告音も気になります。林道で鳥を見つけてもバックすると飛んでしまうのでついに外車に買い替えることになりました。外車にはついていない車が多いようです。
A.ご意見ありがとうございます。自分がやらないために山域にはバードウオッチャーなど他の趣味を持っている方もいる視点が欠けていたことを知りました。
たしかに鳥も獣も逃げていきますよね。あれだけチリンチリンと鳴らされちゃあ。人間だって逃げたくなりますもの。
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アンチ熊鈴派は先行登山者の足音や人声、体臭によって熊が逃げてくれるはずだと考えている。

Q.ヒグマは別にしてツキノワグマ は怖くない? リアルのツキノワグマ を知らない浅知恵な初心者の考えですね。 こんな人達が居るからダメなんだよ!  自然や野性をナメてる! 熊が怖いなら山に来るなと言うけど、全く逆で、熊の怖さを知らない人こそ山に行くべきじゃないと思う。 熊鈴が絶対じゃないことなんてみんな知ってますよ。
A.うp主です。ご視聴ありがとうございます。過去ログをすべて読んでいただいている前提で話しますね。 ここでの議論は、熊鈴派の人も、ノー熊鈴派の人も、どちらも「熊に逃げてもらう」ことを前提としています。その意味では同じスタンスなのです。
ツキノワグマならケンカして勝てるなんて誰も言っていません。 クマに逃げてもらうことを期待しているわけですが、やっぱり体重50~120キロのツキノワグマ(体重はWikipediaよりオスの体重)の方が、体重250~500キロのヒグマ(体重はWikipediaよりオスの体重)よりも、より人間を恐れてスタコラサッサと逃げてくれるんじゃないでしょうか。 体重50~90キロの人間に対して、体重50キロのツキノワグマが逃げてくれることは信じられます。しかし体重250キロのヒグマが人を恐れて本当に逃げてくれるのか、簡単には信じられません。動画でいっている「北海道のヒグマは別にして、本州のツキノワグマなんか、人間を恐れて熊の方が逃げるんだから、何を恐れることがありましょう」というのは、このような意味です。論点は、怖いかどうかではなく、クマが逃げてくれるかどうかなのです。時々熊は襲い掛かってくるから怖いのであって、確実に人を恐れて逃げてくれるなら過剰におびえることはありません。 そのさい、熊鈴派の人は鈴の音によって熊に逃げてもらおうと考えています。それに対してわたしたちノー熊鈴派は先行登山者の足音や人声、体臭によって逃げてもらえるはずだと考えているのです。 おっしゃるとおり熊鈴は絶対の熊払い装置ではありません。しょせんは熊との遭遇確率の問題ですが、登山道を先に歩く人達によって、熊の追い払い効果はもう十分なのだから、周囲に騒音をまき散らす熊鈴は、人の多い場所では控えましょうよ、とわたしたちは主張しているのです。 山小屋なんてジングルベルかと思うぐらい鈴が鳴っていますよ。
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YouTube上では否定的な意見の方が多かった。

その分を差し引いて考える必要がありますが、割合でいうと賛成派20%、反対は80%ぐらいでした。

コメントに返答することで、こちらの考えが深まった部分もあります。また自分の言い足りなかった部分にも気づかされました。

コメントをくださった方、ありがとうございました。このブログでもご意見を募集しています。秀逸な意見は個人情報に配慮して、上記のように引用して多くの人に見ていただきたいと思っています。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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