はじまりの物語『ギルガメッシュ叙事詩』の魅力、内容、あらすじ、評価、感想

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ギルの物語=ギルガメッシュ叙事詩

ギルガメッシュ叙事詩『叙事詩』は紀元前2000年~1800年ごろに成立したといわれています。ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』よりもずっと古いのですね。当然のように作者不詳です。

小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学

写本による淘汰。『イリアス』と『オデュッセイア』のあいだ。テレゴノス・コンプレックス

発掘された図書館の粘土板。そこに刻まれた楔形文字。そこに記されていたのがギルガメッシュ叙事詩でした。

あの教科書に載っていた楔形文字が読めるのか、オラわくわくすっぞ!

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ギルガメッシュ叙事詩の謎と奇跡

粘土板に書かれたギルガメッシュ叙事詩はところどころ破損していました。ひとつのテキストでは叙事詩の全容がわからなかったのですが、各時代の各地域の粘土板にギルガメッシュの物語が残されていて、それらを組み合わせて現代に伝わる『ギルガメッシュ叙事詩』が伝わったそうです。これは奇跡ではないでしょうか。どうしてそこまで昔の人たちはこのギルガメッシュの物語を伝えようとしたのでしょうか?

秦の始皇帝のような歴史上の権力者が自分の事績を後世に伝えるために書き残したのならわかりますが、叙事詩のような帝王の事績ではない物語の粘土板がこれほどたくさん残っているのは不思議です。

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ギルガメッシュは神格化された実在のウルクの王様

ギルガメッシュは実在の王様だったようです。伝説のアーサー王よりもはるかに古い人物ですが、アーサー王よりも実在を疑われていない実在の王様なのです。これもまた不思議なことです。死後に神格化された王さま(王が神格化されるのはよくあることです)ですが、叙事詩は王の事績をつたえる歴史的碑文とは違います。どちらかといえば小説、物語です。それも男の子が大好きな竜退治の物語に近いものです。ドラゴンというよりは巨人ですが。作中のギルガメッシュはゼウスのような神ではなく、ただひたすらに人間です。〈わたしを信じるものだけが救われる〉というような教祖的な発言もありません。叙事詩を宗教の聖典だと解釈することはできません。

神の歌『バガヴァッド・ギーター』ヨーガの真髄とは?

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『ギルガメッシュ叙事詩』の魅力、内容、あらすじ、評価、感想

深淵を覗き見た人。ウルクの王ギルガメッシュ。すべてを知った人。知恵をきわめた人。

ギルガメッシュの三分の二は神、三分の一は人間。

ギルガメッシュは実在した都市国家ウルクの王です。

広場のある町ウルクの王ギルガメッシュ。定められた妻とは彼が寝るのです。彼がまず最初、夫はそのあとです。

→ 王の初夜権ですね。エンキドゥと知り合う以前のギルガメッシュは傲慢な王として描かれています。

狩人よ。聖娼シャムハトを連れていけ。エンキドゥが水場で獣に水を飲ませるとき、彼女にその着物を脱がせ、その豊かな奧処を開かせるように。

→ 世界最古の物語にこんな露骨なポルノっぽい表現があるなんてドキドキしますね。

おそらくお前のようなものが荒野で生まれたのだ。エンキドゥは聖娼を前に自分が生まれた荒野を忘れた。

ギルガメッシュは若い女性と夜をともに過ごそうとした。そこにエンキドゥは立ちはだかりギルガメッシュに足止めを食らわせた。

→ 因縁をつけられたギルガメッシュはエンキドゥと戦います。しかし他の者とは違いさしものギルガメッシュもエンキドゥを倒すことはできませんでした。ふたりは友情で結ばれ、全悪のフンババを協力して倒すことを誓います。

ひとつのことを行おう、死を賭しても、恥なきことを。

唸風、破壊の唸風、悪風、シムル風、魔風、寒風、嵐、旋風、これらの風がフンババに向かって吹き、彼の顔は暗くなった。

彼はフンババの頭を掴み、金桶に押し込めた。

フンババというのは香柏の森の守り手の巨人です。香柏というのは日本語では檜ですが、実際にはレバノン杉らしい。巨人の姿をした自然神です。森への畏怖を体現した存在ですね。ギルガメッシュ王は建築材として香柏が欲しかったのです。だから森の守り手フンババを退治する必要がありました。

怪物フンババを倒した英雄ギルガメッシュは女神イシュタルに誘惑されます。イシュタルの誘惑を拒絶するギルガメッシュ。フンババを撃破し、天牛を退治する。女神の誘惑まで拒絶するからこその英雄です。人々の中でギルガメッシュこそもっとも素晴らしいといわれるゆえんです。

イシュタル(ウルクのビーナス)「父よ、ギルガメッシュが私をなじるのです。あざけりを投げつけるのです。天牛をお与えくださらないのなら、私は冥界に顔を向け、死者たちを上がらせ、死者の方を生者より増やします」

エンキドゥは天牛の腿を引き裂き、イシュタルの顔に投げつけていった。「おまえも征伐してやろう。そのはらわたを脇にぶら下げてやろう」

→ギルガメッシュとその友エンキドゥの第二の功績・天牛退治です。

ああ。私を侮辱したギルガメッシュが天牛を殺害した。

運命の定めはかならず人々に及ぶのだ。

→ ギルガメッシュに匹敵するもの、獣人エンキドゥも生き物の定めから逃れることはできませんでした。

シャマシュ(ウルクの太陽神、戦神)の前で泣く。わが運命はならず者の狩人ゆえに変えられてしまいました。

わたしはあらゆる困難の道を歩んだ。わたしを死後も思いだし、忘れないでくれ。わたしがあなたと共に歩み続けたことを。

エンキドゥの死に、ギルガメッシュは嘆き悲しみます。私は違う意見をもっていますが、叙事詩はふたりの友情の物語だと解釈する人もいるそうです。

悪しき霊が立ち上がり、これをわたしから取り去ってしまった。わが友、エンキドゥは狩られた。いま、あなたを捕らえたこの眠りは何だ。あなたは闇になり、もはやわたしに耳を傾けない。もはや彼は頭をもたげない。心臓に触れてもいっさい脈打たない。

わたしも死ぬのか。エンキドゥのようではない、とでもいうのか。悲嘆がわが胸に押し寄せた。わたしは死を恐れ、荒野をさまよう。

死と生の秘密をわたしは聞きたいのだ。

自然から都市にやってきたエンキドゥとは反対に、ギルガメッシュは都市から自然の中に旅立ちます。生と死の謎を求めて。

蠍人間「ギルガメッシュよ。彼のもとに行く道はない。この山を行こうとしても、誰も通り抜けられない」

わたしが愛し、労苦をともにしたエンキドゥ。彼を人間の運命が襲ったのだ。わたしは遠い道を旅し荒野をさまよった。わたしはどうして黙し、沈黙を保てようか。わたしが愛した友は粘土になってしまった。わたしも彼のように横たわるのであろうか。わたしも永遠に起き上がらないのだろうか。

→ わたしは叙事詩は友情の物語というよりも有限の命を納得するための旅物語だと解釈しています。

ギルガメッシュが自分も死ぬのだと感じるためには、自分と同等のものが死ぬのを見る必要がありました。それがエンキドゥだったのです。

死によって無意味化されかねない生の意味を探求する旅立ちでした。

友よ、誰が天に上れるというのか。人間の生きる日々は数えられている。彼が成し遂げることはすべて風に過ぎない。あなたはここに及んで死を恐れるのか。もし斃れたらわたしはわが名をあげるだろう。ギルガメッシュはかの恐ろしいフワワと戦いを交えたのだ、と。

人間の名前は葦原の葦のようにへし折られる。美しい若者も、美しい娘も、死にへし折られる。誰も死を見ることはできない。誰も死の声を聞くことはできない。死は怒りの中で人間をへし折るのだ。

→ この世界に永遠のものなんてありません。

松田聖子『青い珊瑚礁』永遠のものなんてない

残りのすべての年、わたしは大地で眠るというのでしょうか。わたしが恐れ続ける死を見なくてもよいようにしてほしい。

ギルガメッシュよ。おまえはどこにさまよい行くのか。おまえが探し求める生命を、おまえは見出せないであろう。神々が人間をつくったとき、彼らは人間に死をあてがい、生命は彼ら自身の手におさめてしまったのだ。ギルガメッシュよ、自分の腹を満たすがよい。昼夜、あなた自身を喜ばせよ。日毎、喜びの宴を繰り広げよ。昼夜、踊って楽しむがよい。

→ エピクロス派の哲学のようなことをギルガメッシュに教えます。しかしギルガメッシュが欲しかったのは永遠の命でした。『銀河鉄道999』と同じテーマでギルガメッシュは荒野をさまよいます。

家を壊し、方舟を造れ。持ち物を放棄し、生命を求めよ。生命あるもののあらゆる種を方舟に導き入れよ。

死を前にした人間の生の問題。死から逃れえる人はいない。人間はそのような限りある生しか生きられない。それが結論でした。

目に見える成果を何ひとつ得ることなく、死を超える生命は人間には許されていない、ということだけを深く心に刻み、ウルクに戻ったのです。

いったいギルガメッシュは生命探求の旅から何を学び取ったのか。叙事詩は答えない。はるかな旅を終えたギルガメッシュのその後の生き方については何も語らない。

生命探求の旅は苦難の道であり、それは労苦の積み重ね以外ではなかったが、その事実が彼に安らぎをあたえたのだ。ギルガメッシュが残したのは、生と死の秘密を求めて労苦を重ね、あらゆる苦難の道を歩んだという事実なのであり、その事実が、ただそれのみが、ギルガメッシュをギルガメッシュたらしめた。

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人間は何故死ななければならないのか? すべての物語はここから生まれた

キリスト教の真実を求めて旅立つ『天路歴程』に似た構成だと感じました。

ジョン・バニヤン『天路歴程』の魅力・あらすじ・解説・考察

アスファルトという言葉がふつうに登場します。アスファルトはそんなに古くからあったのかと驚きました。古い書物の魅力のひとつはこうした驚きです。

フンババが守っていた森は、現在では砂漠となっているそうです。レバノン杉を伐採しすぎて砂漠になってしまったようです。フンババがギルガメッシュに勝てば森は今でも残っていたかもしれません。

ギルガメッシュ王の国ウルクは、イラクという現在の国名の由来となっているそうです。

叙事詩の中で、ギルガメッシュはあくまでも死を恐れる人間でした。友を失い永遠の命をもとめるそのはかなくむなしい姿が人々の共感を得たものだと思います。

人間は何故死ななければならないのか?

あらゆる宗教はこの問いから発しているといってもいい人間最大の疑問ですが、その答えを求める心がここまでギルガメッシュ叙事詩が国を超え時代を超えて粘土板で複製して伝えられた原動力なのだろうと思います。

死が、人に物語を書かせる。まさにそんなはじまりの物語が『ギルガメッシュ叙事詩』でした。

あの楔形文字をこうして現代日本語で読むことができて、ほんとうに感激しました。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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