ギルの物語=ギルガメッシュ叙事詩
ギルガメッシュ叙事詩『叙事詩』は紀元前2000年~1800年ごろに成立したといわれています。ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』よりもずっと古いのですね。当然のように作者不詳です。
小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学
写本による淘汰。『イリアス』と『オデュッセイア』のあいだ。テレゴノス・コンプレックス
発掘された図書館の粘土板。そこに刻まれた楔形文字。そこに記されていたのがギルガメッシュ叙事詩でした。
あの教科書に載っていた楔形文字が読めるのか、オラわくわくすっぞ!
ギルガメッシュ叙事詩の謎と奇跡
粘土板に書かれたギルガメッシュ叙事詩はところどころ破損していました。ひとつのテキストでは叙事詩の全容がわからなかったのですが、各時代の各地域の粘土板にギルガメッシュの物語が残されていて、それらを組み合わせて現代に伝わる『ギルガメッシュ叙事詩』が伝わったそうです。これは奇跡ではないでしょうか。どうしてそこまで昔の人たちはこのギルガメッシュの物語を伝えようとしたのでしょうか?
秦の始皇帝のような歴史上の権力者が自分の事績を後世に伝えるために書き残したのならわかりますが、叙事詩のような帝王の事績ではない物語の粘土板がこれほどたくさん残っているのは不思議です。
ギルガメッシュは神格化された実在のウルクの王様
ギルガメッシュは実在の王様だったようです。伝説のアーサー王よりもはるかに古い人物ですが、アーサー王よりも実在を疑われていない実在の王様なのです。これもまた不思議なことです。死後に神格化された王さま(王が神格化されるのはよくあることです)ですが、叙事詩は王の事績をつたえる歴史的碑文とは違います。どちらかといえば小説、物語です。それも男の子が大好きな竜退治の物語に近いものです。ドラゴンというよりは巨人ですが。作中のギルガメッシュはゼウスのような神ではなく、ただひたすらに人間です。〈わたしを信じるものだけが救われる〉というような教祖的な発言もありません。叙事詩を宗教の聖典だと解釈することはできません。
『ギルガメッシュ叙事詩』の魅力、内容、あらすじ、評価、感想
深淵を覗き見た人。ウルクの王ギルガメッシュ。すべてを知った人。知恵をきわめた人。
ギルガメッシュの三分の二は神、三分の一は人間。
ギルガメッシュは実在した都市国家ウルクの王です。
広場のある町ウルクの王ギルガメッシュ。定められた妻とは彼が寝るのです。彼がまず最初、夫はそのあとです。
→ 王の初夜権ですね。エンキドゥと知り合う以前のギルガメッシュは傲慢な王として描かれています。
狩人よ。聖娼シャムハトを連れていけ。エンキドゥが水場で獣に水を飲ませるとき、彼女にその着物を脱がせ、その豊かな奧処を開かせるように。
→ 世界最古の物語にこんな露骨なポルノっぽい表現があるなんてドキドキしますね。
おそらくお前のようなものが荒野で生まれたのだ。エンキドゥは聖娼を前に自分が生まれた荒野を忘れた。
ギルガメッシュは若い女性と夜をともに過ごそうとした。そこにエンキドゥは立ちはだかりギルガメッシュに足止めを食らわせた。
→ 因縁をつけられたギルガメッシュはエンキドゥと戦います。しかし他の者とは違いさしものギルガメッシュもエンキドゥを倒すことはできませんでした。ふたりは友情で結ばれ、全悪のフンババを協力して倒すことを誓います。
ひとつのことを行おう、死を賭しても、恥なきことを。
唸風、破壊の唸風、悪風、シムル風、魔風、寒風、嵐、旋風、これらの風がフンババに向かって吹き、彼の顔は暗くなった。
彼はフンババの頭を掴み、金桶に押し込めた。
→フンババというのは香柏の森の守り手の巨人です。香柏というのは日本語では檜ですが、実際にはレバノン杉らしい。巨人の姿をした自然神です。森への畏怖を体現した存在ですね。ギルガメッシュ王は建築材として香柏が欲しかったのです。だから森の守り手フンババを退治する必要がありました。
怪物フンババを倒した英雄ギルガメッシュは女神イシュタルに誘惑されます。イシュタルの誘惑を拒絶するギルガメッシュ。フンババを撃破し、天牛を退治する。女神の誘惑まで拒絶するからこその英雄です。人々の中でギルガメッシュこそもっとも素晴らしいといわれるゆえんです。
イシュタル(ウルクのビーナス)「父よ、ギルガメッシュが私をなじるのです。あざけりを投げつけるのです。天牛をお与えくださらないのなら、私は冥界に顔を向け、死者たちを上がらせ、死者の方を生者より増やします」
エンキドゥは天牛の腿を引き裂き、イシュタルの顔に投げつけていった。「おまえも征伐してやろう。そのはらわたを脇にぶら下げてやろう」
→ギルガメッシュとその友エンキドゥの第二の功績・天牛退治です。
ああ。私を侮辱したギルガメッシュが天牛を殺害した。
運命の定めはかならず人々に及ぶのだ。
→ ギルガメッシュに匹敵するもの、獣人エンキドゥも生き物の定めから逃れることはできませんでした。
シャマシュ(ウルクの太陽神、戦神)の前で泣く。わが運命はならず者の狩人ゆえに変えられてしまいました。
わたしはあらゆる困難の道を歩んだ。わたしを死後も思いだし、忘れないでくれ。わたしがあなたと共に歩み続けたことを。
エンキドゥの死に、ギルガメッシュは嘆き悲しみます。私は違う意見をもっていますが、叙事詩はふたりの友情の物語だと解釈する人もいるそうです。
悪しき霊が立ち上がり、これをわたしから取り去ってしまった。わが友、エンキドゥは狩られた。いま、あなたを捕らえたこの眠りは何だ。あなたは闇になり、もはやわたしに耳を傾けない。もはや彼は頭をもたげない。心臓に触れてもいっさい脈打たない。
わたしも死ぬのか。エンキドゥのようではない、とでもいうのか。悲嘆がわが胸に押し寄せた。わたしは死を恐れ、荒野をさまよう。
死と生の秘密をわたしは聞きたいのだ。
自然から都市にやってきたエンキドゥとは反対に、ギルガメッシュは都市から自然の中に旅立ちます。生と死の謎を求めて。
蠍人間「ギルガメッシュよ。彼のもとに行く道はない。この山を行こうとしても、誰も通り抜けられない」
わたしが愛し、労苦をともにしたエンキドゥ。彼を人間の運命が襲ったのだ。わたしは遠い道を旅し荒野をさまよった。わたしはどうして黙し、沈黙を保てようか。わたしが愛した友は粘土になってしまった。わたしも彼のように横たわるのであろうか。わたしも永遠に起き上がらないのだろうか。
→ わたしは叙事詩は友情の物語というよりも有限の命を納得するための旅物語だと解釈しています。
ギルガメッシュが自分も死ぬのだと感じるためには、自分と同等のものが死ぬのを見る必要がありました。それがエンキドゥだったのです。
死によって無意味化されかねない生の意味を探求する旅立ちでした。
友よ、誰が天に上れるというのか。人間の生きる日々は数えられている。彼が成し遂げることはすべて風に過ぎない。あなたはここに及んで死を恐れるのか。もし斃れたらわたしはわが名をあげるだろう。ギルガメッシュはかの恐ろしいフワワと戦いを交えたのだ、と。
人間の名前は葦原の葦のようにへし折られる。美しい若者も、美しい娘も、死にへし折られる。誰も死を見ることはできない。誰も死の声を聞くことはできない。死は怒りの中で人間をへし折るのだ。
→ この世界に永遠のものなんてありません。
残りのすべての年、わたしは大地で眠るというのでしょうか。わたしが恐れ続ける死を見なくてもよいようにしてほしい。
ギルガメッシュよ。おまえはどこにさまよい行くのか。おまえが探し求める生命を、おまえは見出せないであろう。神々が人間をつくったとき、彼らは人間に死をあてがい、生命は彼ら自身の手におさめてしまったのだ。ギルガメッシュよ、自分の腹を満たすがよい。昼夜、あなた自身を喜ばせよ。日毎、喜びの宴を繰り広げよ。昼夜、踊って楽しむがよい。
→ エピクロス派の哲学のようなことをギルガメッシュに教えます。しかしギルガメッシュが欲しかったのは永遠の命でした。『銀河鉄道999』と同じテーマでギルガメッシュは荒野をさまよいます。
家を壊し、方舟を造れ。持ち物を放棄し、生命を求めよ。生命あるもののあらゆる種を方舟に導き入れよ。
死を前にした人間の生の問題。死から逃れえる人はいない。人間はそのような限りある生しか生きられない。それが結論でした。
目に見える成果を何ひとつ得ることなく、死を超える生命は人間には許されていない、ということだけを深く心に刻み、ウルクに戻ったのです。
いったいギルガメッシュは生命探求の旅から何を学び取ったのか。叙事詩は答えない。はるかな旅を終えたギルガメッシュのその後の生き方については何も語らない。
生命探求の旅は苦難の道であり、それは労苦の積み重ね以外ではなかったが、その事実が彼に安らぎをあたえたのだ。ギルガメッシュが残したのは、生と死の秘密を求めて労苦を重ね、あらゆる苦難の道を歩んだという事実なのであり、その事実が、ただそれのみが、ギルガメッシュをギルガメッシュたらしめた。
人間は何故死ななければならないのか? すべての物語はここから生まれた
キリスト教の真実を求めて旅立つ『天路歴程』に似た構成だと感じました。
アスファルトという言葉がふつうに登場します。アスファルトはそんなに古くからあったのかと驚きました。古い書物の魅力のひとつはこうした驚きです。
フンババが守っていた森は、現在では砂漠となっているそうです。レバノン杉を伐採しすぎて砂漠になってしまったようです。フンババがギルガメッシュに勝てば森は今でも残っていたかもしれません。
ギルガメッシュ王の国ウルクは、イラクという現在の国名の由来となっているそうです。
叙事詩の中で、ギルガメッシュはあくまでも死を恐れる人間でした。友を失い永遠の命をもとめるそのはかなくむなしい姿が人々の共感を得たものだと思います。
人間は何故死ななければならないのか?
あらゆる宗教はこの問いから発しているといってもいい人間最大の疑問ですが、その答えを求める心がここまでギルガメッシュ叙事詩が国を超え時代を超えて粘土板で複製して伝えられた原動力なのだろうと思います。
死が、人に物語を書かせる。まさにそんなはじまりの物語が『ギルガメッシュ叙事詩』でした。
あの楔形文字をこうして現代日本語で読むことができて、ほんとうに感激しました。