思い出の宝島。ナムイ島(ナミソム)
小学生の頃、毎年のように林間学校に行っていた思い出の宝島、ナムイ島に行ってきました。我がソウル日本人学校では毎年、ナムイ島に林間学校に行っていたのです。
私はソウル日本人学校の出身。
ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来
ナムイ島(南怡島)は現在、日本人観光客にはナミソムと呼ばれています。各種ガイドブックもその表記になっていました。現地、韓国の発音で呼んでいるのでしょう。
しかし私たち日本人学校のあいだではずっと「ナムイ島」と呼んでいたので、このコラムではその発音で通したいと思います。ナミソムなんて言われるとなんだか別の島のような気がしてしまうので。
ソウルから南怡島(加平)への行き方
小学生の頃、私たちは運ばれるままにバスと船で南怡島へ渡りました。子供なんて自分の意志でどこかに行けない荷物のようなものです。先生たちに運ばれるままだったくせに、けっこう遠い場所に行ったような記憶が残っています。
ところが大人になって「あの島」(宝島)へ行こうとしたら、あんがい簡単に行けました。当時はなかったかもしれませんが、今は電車が通っているのです。ソウルから京春線加平駅で下車。1時間30分もあれば着きます。そこから駅前で待機しているタクシーに300円ほど払えば、南怡島へと向かう船着き場に到着します。
映画「スタンド・バイ・ミー」体験。思い出の場所が小さく見えた
ナムイ島がソウルからこんなに近かったとは……。驚きました。まるで映画『スタンド・バイ・ミー』のようです。大冒険のあと、幼いころ過ごした場所を見回したら、そこが小さく見えた……。
【旅人】これまでに世界の何か国に旅行に行ったことがありますか?
今更ながらに子供の世界の小ささに驚きました。考えてみれば、世界はひろい。ソウルなんて帰国子女を名乗るのも恥ずかしいぐらい近すぎる。
ナミナラ共和国へは船とジップラインで入国できる
ナムイ島は現在、ジョークで「ナミナラ共和国」という独立国を名乗っています。船着場がイミグレーションになっているのはそのためです。
船に乗ればあっという間にナムイ島に到着します。しょせんは漢江の小島ですから。
なんといっても島へは船に乗らずにジップラインでも行けてしまうのでした!
えっ! ジップライン! まじか! そんなに岸から近かったっけ?
子供の頃はもっと長く船に乗った気がします。川面から吹き付けた風のことをいまでもよく覚えています。その風の中、甲板で「ナムイ島の歌(宝島の替え歌)」を歌ったのでした。
おそらく乗船場が今とは違う場所にあったのでしょう。もっと長時間ハンガン・クルーズを楽しんだと記憶しています。荷物のように運ばれるままだった私には当時の詳細はわかりませんが、記憶と現実の差に愕然とします。
『冬季恋歌』冬のソナタの聖地
こんなに小さな島だったのか……!!
ナムイ島は南北に長い半月型の島です。直径4km。4km! たった4kmしかないのです。そんなに小さかったのか。大人になって、親の小ささにビックリするような気持ちです。
地球を一周するほど走りぬいてきたランナーの目からすると、鼻息が届くぐらいの大きさしかありません。
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あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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あの頃は、秘境に行く感じだったけれど、本当に学校の先生に連れられて行っただけだったんだなあ。。。
ナムイ島はすっかり変わっていました。大勢の観光客が訪れるレジャーアイランドになっていました。秘境感はまるでありません。
すべて人の手が行き届き、完全に整備されていました。今や小学校の林間学校で行くような場所ではありません。完全に観光地化されています。あの『冬のソナタ』以降、環境が大きく変わったのでしょう。ぺ・ヨンジュンと、チェ・ジウがはじめてキスするのがこの南怡島です。
『冬ソナ』は東アジア全域でヒットしたらしく、インドネシアやマレーシアなどイスラム教徒の観光客が多いためアッラーへの礼拝のための場所(プレイルーム)までありました。
私にとってナムイ島は原生林の何もキャンプ場みたいなところでした。そして夢の宝島でした。小学生の頃は、何もないところに行って、みんなで文字どおり林間を楽しむ、そんな場所でした。林間学校というのはそういう場所をあえて選んで行くものですよね。森の中にあったどこかの広場で、暗くなってからキャンプファイアをやりました。あの燃え盛る炎のことは忘れられません。でも、その場所がどこだったのか、もはやまったくわからないのでした。
ナミソムの宿泊事情
ソウルからナムイ島へは片道2時間もあれば行けてしまうため、ほとんどの人は日帰りです。大きな荷物を担いでいる人はあまりいませんでした。ほとんどの人は軽装です。しかし私は違いました。とにかく林間学校でキャンプファイヤーをやったナムイ島で夜を過ごしたかったのです。そのためにわざわざ東大門の安宿をチェックアウトして、ナムイ島に泊まるつもりで大荷物を担いで行ったのでした。
思い出のナムイ島といえば夜。キャンプファイアの夜でした。楽しかったのは昼間よりも夜だったのです。夜になってすべての観光施設を闇が覆い隠してくれれば、あの頃のナムイ島が闇の中に蘇るかもしれません。それを期待していたのでした。
しかし小さな島のホテルのキャパは小さく、予約なしの宿泊客を突然泊めてもらえるほどの客室数はありませんでした。
経験上、ある程度の予想はしていました。予約なし放浪旅をするときに、島は危ないことを私は知っていました。島というのはわざわざ行く場所で交通網のどん詰まりです。そこだけのために来た観光客しか訪問しない場所です。そういう場所にはアポなしで飛び込んで泊まれるような安宿は期待しない方が賢明です。宿泊施設はたいてい交通結節点にあるものなのです。だから島というのは予約なしだと泊まれないことがあるのです。通常、アポなしで安宿を探す時には、駅や市場の近くを探します。ナムイ島には駅も市場もありません。残念ながら宿泊は諦めるしかありませんでした。それでも泊まりたいと思ったのは、ナムイ島が私にとって思い出の島だったからです。
ナミナラホテルとバンガローがありましたが、キャパは小さいものです。本当に泊まりたいならば予約が必要です。しかし……こんな小さな島に大きなホテルがあったら興ざめです。この程度の部屋数に抑えているのはむしろ自制が効いていると褒めたいぐらいです。ボロ儲けしようとして景観を壊してしまうのは、魚を乱獲して未来の仕事を失う漁師のようなものだからです。
それにしても現在のナムイ島はレジャーランドとしては面白いところです。自然と調和したレジャーランドとしてはセンスがあって楽しめるところです。森の中にはリスやウサギがいました。もちろん自生ではなく、人によって放された動物たちでしょう。
いやホントがっかりするほど面白いところです。たくさん人が来るわけです。冬ソナ効果だけではないと思いました。明洞ミョンドンなど繁華街に飽きたら行くと面白いと思います。行く価値はじゅうぶんにあります。私のように過去に思い出がなくても、はじめての人でも面白いところだと思います。
やっぱりここはナムイ島じゃなくナミソムなんだなあ。
思い出のナムイ島はもうありませんでした。もし小学校の林間学校で今のこの島に来ていたら、残念ながら「思い出の島」にはならなかったかもしれません。今の南怡島は開発されすぎてワクワク感がないのです。何が出てくるかわからない夜や森の恐怖がないのです。管理されすぎているキャンプ場に似ています。あの当時、何もない大自然だったから、思い出に残ったのでしょう。宝島だと思えたのでしょう。今の南怡島は怖くありません。ここで何かが起こっても誰かが助けてくれます。管理者の保護下にあります。お金を払って遊ぶ場所です。
ソウル日本人学校の修学旅行では慶州に行きました。でも懐かしく思いだすのは修学旅行の慶州ではなく林間学校のナムイ島でした。慶州は市街地にあり、京都に似ています。街の暮らしの延長でした。
ナムイ島は宝島でした。異国の街で、ぼくら日本人がみんな仲がよかったのは、外国人にまわりを取り囲まれていたからに他ならないと思います。肩をよせあうようにして生きたからでしょう。大自然の中に、ぽつりと人間の集団があるとき、そこに「団結」というものが生まれるのではないでしょうか。燃え盛る炎を希望にして。私にとってナムイ島はそんな島だったのです。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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