このページは司馬遼太郎『竜馬がゆく』の雑記感想文になります。
読了後、自分と同じ感想を抱いた同士はいないかな、という人が読むのに適しています。
もっとも重要な論文についてはこちらの別ページに記載しています。
https://arikura.com/ryoma-2/
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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未読の人はいないと思うが。。。概要説明
『竜馬がゆく』は司馬遼太郎先生の長編時代小説です。
この作品は金八先生こと武田鉄矢が「人生の書」にしていることで知られています。
金八先生の姓は坂本ですね。
武田鉄矢のバンド名は海援隊ですが、元ネタは坂本龍馬です。
武田鉄矢が『竜馬がゆく』を熱く語ることで、発行部数は何万、何十万も増えたのではないかと思います。
作品は簡明で、さくさくと読むことができます。
坂本龍馬をモデルにした本書の主人公は坂本竜馬であるが、司馬遼太郎がわざと竜馬にしたのは「本書はフィクション、歴史小説」です、というあえて意思表示らしい。
架空のキャラクターである盗賊と絡むなど、完全なフィクション要素もありますが、根も葉もない嘘ではなく、根も葉もあるフィクションというところが司馬作品の面白いところですね。
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
落差が飛躍を際立たせる
竜馬(龍馬)の面白いところは、何の後ろ盾もない脱藩浪人が、どうして歴史に残るような大仕事(薩長同盟、大政奉還、私設海軍、日本初の海運商社・株式会社)を成し遂げることができたのか、というところにあると思います。
竜馬エピソードには「子供の頃はハナ垂れ泣き虫小僧だった」落ちこぼれだったということが最初に必ず出てきます。
これはヒーローの雛形のようなところがあります。
エジソンとかアインシュタインとかが幼い頃落ちこぼれだったということは将来の大発明とワンセットです。
落ちこぼれが天才と呼ばれるからこそサクセスストーリーが盛り上がるのです。
「だから落ちこぼれのキミだって将来ものになるぞ」と思わせるから、読者の共感を得やすいのです。
坂本竜馬も、子どもの頃のダメっぷりは、将来とワンセットのエピソードになっています。
その落ちこぼれが英雄になっていく姿を追う中で、明治維新の歴史的背景が自然と学べるから、本作の人気はいつまでも衰えないのです。
戦国時代や明治維新は歴史そのものが面白いから、誰が主人公でもそこそこ面白くなります。脇役が主役級ですからね。本書の脇役は西郷隆盛であり、桂小五郎であり、勝海舟であり、高杉晋作であり、新撰組である。
これで面白くない小説を書く方が難しい。
しかも主人公は坂本竜馬です。
さて、落ちこぼれの泣き虫ハナタレはどうやって英雄になっていったのでしょうか。
そのステップを追いかけてみましょう。
北辰一刀流の免許皆伝というのは東大主席と同じ。エリート中のエリート
さて。そもそも坂本竜馬は無位無官の浪人として大仕事を成し遂げたのでしょうか?
いいえ。そうではありません。
坂本竜馬は東京大学を首席で卒業しています。もちろん現在の感覚にたとえて言えば、ですが。そういってもあながち嘘ではありません。日本一の剣術道場の北辰一刀流の免許皆伝となっているのです。しかも塾頭にまでなっています。
当時の剣術道場は、人間が心胆を練ることを学ぶ学校のようなものでした。武士の教養・学問とは畢竟「死」への対処であり、それは剣術道場で学んだのです。胆を練るとは、剣技を磨くこととほとんど同義語でした。
同じ流派に学んだものは、今でいう同窓生のようなものであり、仲間意識がありました。
同じ北辰一刀流に学んだというだけで酒を酌み交わして、たちまち同志関係を結ぶことができたようです。
学問というか、思想的な傾向を同じにしていたのです。
これはもう当時の剣術の腕というのは、学歴みたいなものと考えていいのではないでしょうか。
日本最高の剣術道場が北辰一刀流です。これは現代でいえば東京大学のような存在といっても過言ではありません。そこの免許皆伝の塾頭。すなわち東大主席卒業。いわば最高の学閥をバックにもっていたです。
ちなみに桂小五郎(木戸孝允)は神道無念流道場の塾頭、武市半平太が鏡心明智流道場の塾頭でした。早稲田大学の首席卒業と、慶應義塾大学の首席卒業のようなものでしょうか。
エリート教育機関の首席たちが交わりあっていたのです。
もちろん格上なのは東京大学首席卒業の坂本竜馬です。
この東大主席(北辰一刀流免許皆伝)がどのような形で志士活動に役立ったのか?
当然、どこにいても一目置かれる存在です。
ボディガードとしてどこにでも連れて行ってもらえます。
他藩の志士を訪れても「ご一手、ご教授ねがいたい」ということになり、下へも置かれぬ師として遇されます。
道場で汗を流して酒を酌み交わせば、たちまち人間の距離を縮めることができました。
また捕吏など追っ手に追われたときにも、武術の腕前は実際に役に立っています。
理論だけの弱い武士だったら、とっくの昔に捕縛されて、刀の露と消えていたでしょう。
また勝海舟の神戸海軍塾の塾頭にもなっています。
ペリーの黒船で幕を開けるこの時代には、蒸気船を操船できることは時代の最先端の技術を持っている言っても過言ではありません。
今でいうICTエンジニアみたいなものでしょうか。
坂本竜馬というと天下の浪人というイメージが強いのですが、たんねんに読み進めてみると実際のところ、藩というバックこそありませんが、エリート中のエリートなのだということがわかります。
竜馬の仕事は、落ちこぼれがやった仕事ではなく、エリートがやった仕事なのです。
(そもそもサムライというだけでエリートという時代でした)
生涯歩きまくる。メチャクチャ健脚
竜馬は江戸時代末期のマスコミもSNSもない時代に生きていました。テレビはもちろん、新聞すらありませんでした。
江戸時代末期、情報の伝達手段というのは、手紙レベルの口コミしかなかったのです。いちばんいい情報収集は自分のその目で見ることでした。
吉田松陰が外国に密航したかったのはそういう理由です。
坂本竜馬は土佐を脱藩して天下の浪人となりますが、日本中、神出鬼没です。江戸、神戸、長崎、京都、下関、越前……と飛び回っています。
飛び回っているが、飛べるはずがありません。実際には歩いていました。マスコミもSNSもない時代は健脚が超大切な武器だったのです。
足腰が強くないと維新の志士はつとまりません。他の志士もメチャクチャ歩いています。
竜馬の場合は船を多用していますが、桂小五郎なんて江戸と長州(山口県)を生涯で何十回往復しているでしょう。
あっちに行って謀議し、こっちで密議する。そっちで献策し、戻ってきて会議する……出かけて行って喋って聞くことが志士の仕事でした。
他国の志士を訪問した時に、北辰一刀流免許皆伝は名刺代わりに非常に役に立ったことでしょう。
メールもSNSもないから、会うしか関係性をつくりえません。維新の志士は、当時、テレビや新聞の代わりをしていた部分があります。ジャーナリストだったのです。
今ならばインターネットを使いこなしている人間というところでしょうか。いつの時代でも情報をもっているものが尊重されます。そうした関係性の中で薩長同盟を成立させたのが竜馬です。
薩長同盟の発案者が竜馬ではないことは小説『竜馬がゆく』にも明記されています。薩長同盟を考えたのはいち竜馬だけではない。当時多くの人がそれを考えていたのです。
ただ利をもって犬猿の仲の周旋したのが竜馬であり、盟約の裏書をしていることで、ほとんど彼の功績ということにになったのです。
今でいえば北朝鮮と韓国を仲直りさせるのに成功した、みたいなイメージでしょうかね。
愛されることが最強
すごい健脚で諸国を歩き回っても、行く先々で受け入れられなければ何にもなりません。
坂本竜馬は「なんともいえない愛嬌がある」「男が惚れる男」というような描かれ方をしています。
藩とか身分にとらわれない平等精神。世界の海援隊をやろうという自由な魂。江戸幕府を倒すというアナーキーでrock ‘n’ rollな魂。日本を洗濯しようという大志。脱藩浪人という冒険の人生。命を狙われるデンジャラスライフ。
その魅力を言葉で書けばこのような感じでしょうか。
リアルな現実では、声のよさ、笑顔のよさ、人間のもつ匂いのようなもので、好きって決まるものだから、坂本龍馬がどうしていろんな人に愛されたのか、本当のところは会ってみないと誰にもわかりません。
司馬遼太郎さんは小説上のテクニックとして、竜馬の相手側が惚れる姿を描くことで、竜馬の魅力を鏡のように表現しています。
司馬さんが「この男はただものではない」「いつか何かをやる男だ」「いつしか子分のようになってしまった」と描写することで、ああ竜馬って男は人を惹きつける魅力があるんだなあ、ということを相方の反応で成立させているのです。
まくら言葉の英雄。肩書としての英雄
小説中、肩書としての英雄、枕詞としての英雄、というのがよく出てきます。
代表的なのが、竜馬の殿様である土佐の山内容堂。天下の賢候とか英傑とか、小説中「まくら言葉」つきで登場するのですが、実際の挙動が英雄とか賢候ぽくないので、まくら言葉だけが浮いてしまっています。あれは当時の人の評判を司馬さんが書いたのでしょうか。
当時の人の「おべっか」をそのまま小説に書いてしまったのでしょうか。老公、老公というから爺ぃかと思ったら四十五歳で死んだ人でした。
全然老公じゃない。まだまだ若造ジャン!
偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
ドラクエ的な退場。悲劇的な死にざま
悲劇的な死にざま。未来があるはずなのに、若くして死ぬ。
判官びいきのわが国で英雄になるためには、必要な条件だと思います。
長生きしすぎたミック・ジャガーは他国では知らず、この日本では輝けるrock ‘n’ rollスターとはなりえないだろうと思います。若くして射殺されたジョン・レノンとは比較にならないですよね。
西郷隆盛が英雄なのも、西南戦争の悲劇的な死があってこそ。竜馬も志半ばで刺客に殺されていることが、やはり彼の評価をレバレッジしていると思います。
「この後も生きていたら、どれだけのことを成し遂げただろうか」
三菱商事をつくった岩崎弥太郎以上のことができたはずなのに…………そうやって惜しまれるんですね。
小説中、竜馬はひじょうにいさぎよい人間として描かれています。
大政奉還成立後、
「大樹公、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給えるものかな。よくも断じ給えるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」
と泣いて、
明治新政府の高官になることが確実なのに、自ら身を引き、
「あれは、きらいでな。窮屈な役人が。世界の海援隊でもやりましょうかな」
と日本を去ろうとする。
このシーンで私は「ドラクエ」の勇者を思い出しました。龍王を倒し、英雄となれるのに、国を去るドラクエ(1)の勇者を。
大魔王を倒し、英雄となったのに、いつの間にかいなくなるドラクエ(3)の勇者を。
おまえを倒してこの地を去るといった『ダイの大冒険』の勇者ダイを。
…………
竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、中岡の網膜にひろがった。
「慎の字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆けのぼった。
…………
坂本竜馬もドラクエの勇者たちのようにこの国を去ろうとし、そして暗殺によって本当に去っていったのです。まさに物語の勇者(英雄)のように。
海援隊の沈没率は50%。びっくりするほど船を沈めている
物語の英雄のように仕事を終えた後、去っていった坂本龍馬。だからこそ英雄なのだと思います。
暗殺されなかったとしても、革命からは大政奉還で去ろうとした竜馬。
たぶん海運業、三菱商事のような商社をイメージしていたのだと思います。
しかしこの海運業、本当に成功したかは疑問です。
実は竜馬、びっくりするほど高確率で船を沈めています。
亀山社中(海援隊)として、3~4隻ぐらいしか船を運用していないのに、うち2隻はほとんど処女航海で沈めているのです。
沈没率50%。
よく懲りないものだ。オレなら船とは縁を切りたいですね。ろくなもんじゃない。
操艦、下手くそすぎです。
もし竜馬が暗殺で死なず長生きした場合「大政奉還で革命から身を引き海に戻る」まではカッコよかったのですが、世界の総合商社をはじめても、輸送船の沈没で商売に失敗した可能性が大いにあると思いますね。
老後、何をやっても失敗して失意のうちに死んだ後藤象二郎のように、船の沈没で無一文になり、失意のまま死んだ残念な人になってしまった可能性があります。
どうせ人間はいつか死にます。竜馬は英雄のまま死ねた。そういうことなのだと思います。
『竜馬がゆく』はたくさんの人の心を動かし、本書を人生の書としている人たちがすくなからず存在する日本人必読書です。
未読の方は必ず読んでください! 読まずに死ねるか、の筆頭の書です。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
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