武田鉄矢「今朝の三枚おろし」がおもしろい

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー養成講座)』『結婚』『片翼の翼』(無料公開中)キンドル書籍にて絶賛発売中です。ぜひご一読ください。

『車泊でGO!!』YouTube動画 始めました。(grandma-cuisine

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YouTube音だけ聴取のすすめ

みなさんは寝る前に何をして過ごしているのだろうか?

私はスマホでYouTubeを聴いている。画面は伏せてしまって見ていない。目を閉じて音声だけを聞いている。

このYouTube音だけ聴取が習慣になったのは「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」からである。

ラジオで流されているものを誰かが録音してYouTubeにアップしているものである。

いわゆる書評の番組である。金八先生・武田鉄矢が気になった本を書評(三枚おろしに調理)する。

番組が面白いのは、武田鉄矢が選ぶ本が私の趣味に合い、武田鉄矢の切り口が私の感受性に合うからである。

仕事中の車の中で何度か聞いたことがある番組であった。その時から面白いとは思っていたが、通して聞くとこんなに面白いとは思ってもみなかった。

これはYouTubeなどで時間があるときに通して聞く番組である。仕事中のカーラジオで一回だけ聞いてもこの番組の真価はわからない。

先日、聞いた中で、いい話があった。

このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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私という一代記を「スカッとした物語にしてはいけない」続編理論

私という一代記を「スカッとした物語にしてはいけない」という話しである。スカッとした物語、というのは「心残りのない完璧なストーリー」という意味である。

スカッと心残りがない物語はその人一代で終わってしまうが、無念さ、心残りがある物語の方が、後の世に何かが残るというお話しであった。

完璧に幸せにならずに、すこし最後は不幸で終わっていく方が、人を共感させ、誰かが続編を書いてくれることがあるという続編理論である。

ここで語られるのは戦闘機隼の設計者・糸川英夫さんのお話しである。隼で戦争に敗れてスカッとしない糸川氏は戦後宇宙開発に乗り出した。その彼のスカッとしない物語を弟子たちが繋いだのが「宇宙探査機はやぶさ」であり、「小惑星イトカワ」だという。

スカッとしない物語だから、物語が続いた。

だから私という一代記を「スカッとした物語にしてはいけない」という話しである。

スカッとした物語には虚飾(ウソ)が混じる。そもそも現代の私たちにスカッとした物語なんてものはもうあり得ないのではないだろうか。

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プロゴルファー織部金次郎』

こちらは私のマラソンに関する著書ですが、その中で「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」で聞いたネタを引用しています。

※このブログの筆者の書籍です。Amazon電子書籍で発売中。

「ハサミは両方に開かれる走法」「アトムのジェット走法」など、言葉のイメージ喚起力で速く走れるようになる新メソッドを提唱しています。

『市民ランナーという走り方』から、引用します。

「ボールを遠くに飛ばすにはどうすればいいんですか?」

と、ある俳優さんが、超一流プロゴルファーに聞いたそうです。

「そりゃあ……遠くに飛ばそうと思ってスイングすることだよ」

と返事があったそうです。

禅の公案のようなこの言葉の深みがあなたにわかるでしょうか。これは「速く走りたければ、速く走ろうと思って走ることだ」と言ってるのと同じことです。

このある俳優さんというのは武田鉄矢さんのことであり、超一流のプロゴルファーというのは中島常幸さんのことです。

このエピソードは『市民ランナーという走り方』の核心部分である「ランニングの奥義」「究極の走り方」について表現するために引用させてもらいました。

究極の走り方は、コーチとか他の誰かに教えてもらうのではなく「あなたの走り方は、あなたの肉体に聴け」ということです。

【究極の走り方】あなたの走り方は、あなたの肉体に聴け

『市民ランナーという走り方』では言葉のイメージ喚起力で速く走れるようになる新メソッドとして「アトムのジェット走法」「ハサミは両方に開かれる走法」など様々な走法を提唱していますが、100m走のような短距離を最高に速く走ろうと思ったら、もう死ぬ気で走るしかありません。「アトムのジェット走法」や「ハサミは両方に開かれる走法」とかいってる場合じゃありません。そんなこと考えているヒマがあったら死ぬ気で走ることです。速く走ろうと思って走ることです。速く走ろうという気持ちに、肉体が応える。それがあなたの答えです。最高のパフォーマンスをしている肉体にかける言葉はほとんど何もありません。あなたの肉体は、あなたの理論よりもずっとかしこいのです。コーチが言葉をかけるとすれば「速く、もっと速く、いけ、いけ!」と気持ちを鼓舞する言葉しかありません。ほら「そりゃあ……遠くに飛ばそうと思ってスイングすることだよ」という有名プロゴルファーの言葉と全く同じではありませんか。頭であれこれ考えるよりも、肉体が成し遂げてしまうのが本当のアスリートです。肉体が秀でているから、言葉で説明することなんて必要ないのです。先に理屈を頭で考えてから肉体で実践したのではありません。うまく走れた成功体験を言葉にして表現したのです。肉体が先、言葉は後です。

肉体が表現した瞬間のことを、言葉はうまく表現できません。

「百足(ムカデ)にそんなにたくさんの足をいっぺんにどうやって動かしているんだと聞いたら、百足は考えすぎて前に進めなくなってしまった」という寓話があります。

複雑で瞬間的な肉体の動きに言葉が介在する余地はほとんどありません。速く走りたければ速く走ろうと思って走ることだ、という言葉を発した人の境地が、私にはわかる気がします。

肉体のパフォーマンスを言葉でサポートするのがコーチの仕事です。言葉がイメージを伝えれば、パフォーマンスを再現することを助けてくれるからです。

言葉のセンスがなければ、一流のコーチにはなれません。しかしコーチの言葉は人によってバラバラなので、戸惑う人もいるでしょう。指導のときに使う言葉がコーチの優劣を分けます。

あなたに合うコーチと合わないコーチがいます。実際、私のランニングを成長させてくれたのは「スーパーアスリートの言葉」ではありませんでした。「はじめは遅かったけれど知恵と工夫で速くなったサブスリーランナーの言葉」でした。

あなたにとって本書がそのようなものでありますことを祈っています。

……と『市民ランナーという走り方』からの引用が長くなりましたが、このような本書のもっとも大切な部分に「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」から聞いたネタから話題を起していることをお分かりいただけたでしょうか。

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みなさんにもお勧めしたいYouTubeで音声だけを聴きながら眠りにつく快楽

もともとはラジオ番組だったものを、誰がYouTubeにアップロードしてくれているのでしょうか?

違法なのかな? できれば消えないでずっと続いてほしいと思います。

もしわたしが武田鉄矢さんだったら、現金収入はラジオ本番中にはスポンサーから受け取って、さらに「いつでも誰でも聞けるように」YouTube等にアップされて音声が残るっているのはうれしいけどな。ラジオだけだったら「消えてなくなってしまう」もの。

いつでも、誰でも、無料で再現可能だからこそ、社会に何か痕跡が残せるのだもの。思いを残した方が、後に思いをつなぐものが現れる。自分で言っているとおりに。

さてこのとおり、夜、寝る前にYouTubeで音声だけを聴きながら眠りにつくのは快楽です。みなさんにもお勧めしたいです。

他にも「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」と同じような使い方ができるサイトはたくさんあります。最近では「中田敦彦のyoutube大学」にハマっています。

彼がYouTubeでやっている世界の名作文学を、どこらへんが名作とされるのかやさしい言葉で解説しようとする試みは、私がこのサイトでやっていることと全く同じです。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

ジョン・ミルトン『失楽園』を、現代サラリーマン劇に書き換えてみた

ただし眠る前に聞くという特性上、声(言葉の音楽性)が気に入ることが絶対条件です。いくら「いいこと」を喋っていても、声が気に入らないと、聞き続けていることができません。

無論、映像に頼るサイトもダメです。

そのように絞っていくと、世にサイトはたくさんがるが、眠る前にふさわしいサイトは絞られてきます。「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」はわたしにとってそのような貴重な音源のひとつです。

みなさんも糸川英夫さんのお話を聞いて、感動してください。

感動こそが人生だ!

それではこの続きは明日のまな板の上で!!!!

このブログの著者が執筆した「愛とは何か? 結婚とは何か?」を追求した純文学小説です。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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