ドラクエ的な人生

三国志。天下の笑いものになると挑発し、逃げたふりして伏兵で囲むワンパターン。

ここでは『三国志』をあらためて読んで、私の感じたことを書いています。

よくある三国志の書評だと、おおまかなストーリーや、正史と演義の違いなどについて、書いてあることがほとんどだと思いますが、本稿ではそのようなことは他の人にまかせて、もっとつまらないことにフォーカスして書いていこうと思います。

これまで三国志について書かれたノーマルなものを読み飽きたマニアの人のみ、お読みください。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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【書評】『三国志』について

三国志は、漢朝末期の争乱を描いた歴史ものです。

漢室(劉氏)の復興を願う劉備と、漢朝から権力を奪う曹氏と、うまく立ち回ってあわよくば天下を取ろうという孫氏が三国それぞれでを名乗り、中華の覇権を争うというお話しです。

本朝三国志「太平記」の人気が「平家物語」ほどない理由

フリー画像。三国志台湾・九份・十分写真集

韓国でも三国志演義は人気があるのか

三国志。オーパーツ兵器。逃げたふりして伏兵で囲むワンパターン。激怒すると死ぬ人々。閉口。天下の笑いもの

三国志最強ゴキブリ呂布

三国志の関羽雲長(道教の神様)

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三国志の表現上の特徴=やたらと閉口する

読んでいると、みんなよく「閉口」します。

口達者な弁舌家に困ったことをいわれると、武将も君主もよく「閉口します」。

閉口するって面白い表現だと思いませんか?

言い返す言葉もなくて黙りこくっちゃう。何も言えなくなっちゃうって意味なんでしょうけど。

閉口というのは、絶句とも、「なんもいえねえ(北島康介)」ともニュアンスが違います。

閉口には独特なユーモラスがあります。

現代ものの小説で「閉口する」人にあまり出会ったことがない気がします。

閉口するのは、やっぱり三国志の表現上の特徴だと思います。

それとも西暦200年ごろの中国の人たちは、やたらと閉口する民族だったのでしょうか。

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人を口説く方法=天下の笑いものになる、という挑発

三国志の人物たちが、人を口説くときの決めセリフが「天下の笑いものになりましょう」です。

いくさに踏み切れない勇気のない将軍にたいして「何のために養う兵ですか? ここで戦わなければ臆病者だと天下の笑いものになりましょう」と挑発すると、たいてい乗ってきて戦争してくれます(笑)。

やたらと「天下の笑いものになりましょう」という表現は出てきます。

マスコミもSNSもない時代に、恥かいたってそんなに拡散しないだろうに、そんなに物笑いになるのが恥ずかしかったのでしょうかね。

これは武将を動かしたいときの決まり文句のようなものです。

「その腰の剣は飾りものですか? 今、ここで立たねば天下の笑いものになりましょう」

と言えば、諸葛孔明でなくても誰でも孫権を口説いて呉を魏と戦争させることが可能です。

西暦200年ごろの中国、簡単な時代だなあ(笑)。

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激怒すると、昏倒したり、傷口が開いて死ぬ

西暦200年ごろの中国の人たちは、激怒すると死んじゃう民族だったと思われます。

驚くほどたくさんの人たちが、挑発されて激怒して、昏倒したり、傷口が開いたりして死んでいます。

相手を怒らせて殺す、というのは、三国志のお家芸といってもいいと思います。

とくに周瑜。怒らせるのだって相手の立派な計略なんだから、見抜きなさいよ。

アホみたいにすぐに挑発されて、怒気を発して、落馬したり、血を吐いたり、傷口が開いたりして、最後には死んでしまいます。

激怒して昏倒して死ぬパターンの武将は、驚くほどたくさんいます。

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悲しみのあまり塞ぎ込んで寝込んで死ぬ系

激怒して昏倒して死ぬパターンの亜流で、悲しんで塞ぎ込んで寝込んで死ぬというパターンも多くみられます。

劉備や孔明などは「悲嘆のあまり死ぬ」パターンです。

劉備は関羽、張飛が死んで「悲嘆のあまり」健康を害して死にます。

孔明は北伐の途中で、趙雲らが死んで悲しんだり、呉の国が兵を引いて勝機を失ったりして「悲嘆のあまり」健康を害して死にます。

感情の濃い人たちだなあ、と思います。西暦200年ごろの中国の人たちは(笑)。

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ワンパターン戦術。負けたふりして逃げる。追いかけてきた敵を隘路で取り囲んで殲滅

天才軍師孔明のみならず、魏も呉も蜀も、ほとんどの計略(戦略)が負けたふりをして後退し、伏兵によって取り囲み殲滅するというワンパターンです。

もうそればっか。

逃げるやつは追わなければいいのに。どうせ計略なんだから(笑)。

歩兵戦闘したことないからわかりませんが、包囲ってそんなに効くのかしら。

たくさんの兵士を少数の兵士で取り囲んでも、効果があるのかしら?

コーエーのゲーム『三国志』では、衆の兵をいくら寡の兵で取り囲んでも殲滅できません。

むしろ鎧袖一触で寡兵が全滅されてしまいます。「衆寡敵せず」ですね。

しかしリアルな戦争では、寡兵でも取り囲めば勝ち、みたいなところがあります。

前後左右から矢を射かけられたらパニックになっちゃうのかしら。

囲碁のように、取り囲めば勝ち、みたいな描かれ方をしています。

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オーパーツ武器。火薬を使った地雷、クラスター爆弾

火薬は9世紀の発明です。でも西暦200年ごろにすでに蜀の孔明が使っていることになっています。

ウッソー!

三国志演義成立が14世紀~ですからね。演義のころにはもう火薬はあったのです。

火薬を使った地雷、炸裂弾、クラスター爆弾みたいなのを孔明はつかっています。

ウッソー!

現代風にアレンジした今風の三国志では、孔明は火薬をつかって岩山を崩壊させて司馬懿の軍を山崩れで圧殺したりします。

あはははは。

笑うところですよ、ここは。

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三国志演義の創作ではないリアル

史実を元にしたフィクション。それが三国志演義です。

7割史実、3割創作と言われています。

関羽は顔良・文醜、華雄を討っていない、とか、史実でないところはたくさんあります。

正史と演義の違いを発見することに無上のよろこびを覚える三国志マニアもいます。

しかし私がいいたいことはそれとは違います。

三国志の創作ではないリアルなストーリーラインについて、です。

劉備玄徳をどれほど人徳の人として描こうとしても、最後には同族の劉章から蜀の国を奪い取らなければなりません。正統なものから奪い取ったものが帝位についていいものか?

この矛盾を解決するために「部下に乞われてやった」「漢の正統を守るためにやむをえずやった」という理由付けをしています。

魏は権力欲のためにやった漢室(劉氏)への叛逆だけれど、蜀のは漢室を守るためのしかたのない行動だった、と。

7割の史実のために、三国志はリアルな物語になっています。そこが面白いのです。

もし三国志演義が作者の完全創作だったら、劉備は最後に魏と戦うストーリーにしたはずだろうと思います。

漢室の復興という大義のために旗をあげたのですから、漢から権力を奪った魏の曹氏と戦うのが普通のストーリーラインです。

しかし現実には劉備は呉と戦争をします。この段階で呉はまだ帝を名乗っていないので漢王室の敵ではありませんでした。

呉と戦ったのは弟・関羽の仇討のためでした。そして呉との戦いの中で、桃園の誓いを立てた三人は次々と死んでいくのです。曹氏を罰することもなく。

これは物語としてはどうかな、というところです。

劉氏から帝位を簒奪した曹氏こそが敵のはずなのに、呉の孫氏と戦って生涯を終えるというのは、フィクションでないからこそのリアルな現実だと思います。

史実によって、変えられない枠があるのです。

まあ最後に漢王朝の大義(桃園の誓いの大義名分)よりも、弟・関羽との友情(桃園の誓いのアツい情感)を選んだ、という人徳の人だったと捉えることも可能です。

ヒーローたちが志半ばで死んでいくどころか、最終的な勝者は魏でも呉でも蜀でもないというところもまた史実のリアルな面白さだと思います。

こざかしい作者がいない現実のリアルで捻じ曲げられた物語。それが三国志の面白さです。

三国志は、史実云々という読み方はお勧めしません。

ただ楽しんで読めばいいと思います。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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