トロイヤ遺跡に大城壁はない
このページでは私的世界ガッカリ名所のひとつ「トロイヤ遺跡」について書いています。なんでトロイ遺跡がガッカリ名所なのかというと「見たいものが無い」からですね。
みなさん、トロイの遺跡に何を期待していますか? 誰だってギリシア連合軍が攻めあぐねた「トロイの大城壁」だと思います。
小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学
アキレウスがヘクトルの死体を引きずって回った城壁。プリアモス王が城壁から見下ろして息子の死を嘆いたという難攻不落の城壁です。
この城壁が見られるのなら行く価値ありですが、残念ながらトロイ遺跡にはそんな城壁はありません。
機動戦士ガンダムにも登場した「木馬」ホワイトベース
物語のはじまり。ホメロスの『イリアス』にうたわれたトロイ攻防戦。
写本による淘汰。『イリアス』と『オデュッセイア』のあいだ。テレゴノス・コンプレックス
こちらがトロイ遺跡にあった木馬です。もちろん再現模型です。
『機動戦士ガンダム』でホワイトベースのことを木馬と呼んでいました。今考えるとあれはホワイトベースのシルエットが馬っぽいこともあったでしょうが、第十三独立部隊として敵の勢力圏内に取り残されたことが、そのままギリシア連合軍の「木馬戦略」に合致していたからでしょうね。木馬の中からガンダム(アキレウス、オデュッセウス)という超優秀な戦士が出てくることなども木馬にそっくりです。
こちらが木馬(模型)の中です。トロイア戦争ではこの中にアキレウスやオデュッセウスがひそんでいました。ちなみにこの模型木馬は30~40人ぐらいしか入れません。
しかしなあ……なんかちゃちいんだよな、この木馬。明らかに背中に小屋みたいなのが乗っかっているじゃないの。これで木馬の腹の中に兵士がひそんでいることどうして気づかなかったのかしら。おれだったらアキレウス、オデュッセウスごと火計で燃やしちゃうけどなあ。そうすりゃ二強をまとめてゼウスのところに送れたのに。
ちなみにこちらはラスベガスにあった木馬です。こっちのほうがずっとデカいし、そしてトロイにあったものよりよほどリアルです。人が入っているかどうかもわかりませんし、これほど立派なら城の中に持ち込んで神に捧げようと思うかもしれません。
アポロンの呪いによって正しい予言なのに誰も耳をかしてくれないカサンドラとか、ラオコーンの忠告などもあったのですが、結局のところ「神意」によって、木馬作戦は成功して、ギリシア連合軍がトロイに勝ちました。
トロイア戦争は、人対人、神対神の二層構造の戦争だった
「イリアス」「オデュッセイア」は、いちおうギリシア神話の一部ですが、シュリーマンの発掘によって、トロイア戦争は実際にあったこととされています。エーゲ海の海運業の制海権を争った戦争だったというのが通説です。
ギリシアとトルコが争ったのではなく、あくまでも都市国家どうしが争いました。現在トロイアはトルコにありますが、当時のトロイはギリシア文化圏でした。信仰している神様も今のようにアッラーではなく、太陽神アポロンだったりしました。ちなみにトロイヤ軍の味方についてくれた神さまはアポロンやアフロディーテやアレスなどでした。ギリシア連合についたのはポセイドン、アテナ、ヘラなどです。ゼウスもアキレウスの母テティスの懇願によりどちらかといえばギリシア寄りのスタンスでした。アフロディーテがトロイヤについたのは「パリスの審判」の恩返しのためです。アテネやヘラがギリシア連合軍についたのは「パリスの審判」への復讐のためです。人間くさい神さまですよね。
ヘクトルやパリスやアイネイアス(トロイヤ軍)が、アキレウスやオデュッセウスや大小アイアース(ギリシア連合軍)と人間同士で戦っているのですが、実はその背後で神さま同士が争っていたという二層構造になっています。
トロイ遺跡は「遺構」。歴史ロマンの想像力がなければ、面白い場所ではない
トロイの遺跡といってもこんな感じです。遺跡というより「遺構」といったほうがしっくりします。
たとえばアンコールワットだったら、遺跡の歴史的な背景なんかまるっきり知らなくても感動することができます。
しかしトロイ遺跡はこんな感じの「遺構」ですので、歴史的背景や、想像力、イメージ喚起力がないと、何も知らずに行って楽しい場所ではありません。
せめてトロイ戦争のあらましとシュリーマンの偉業ぐらいは知ってから行かないと、ただの「ガッカリ名所」で終わってしまうでしょう。
半神へロスが英雄ヒーローの語源
「戦死の中でもっとも力が強く、もっとも走るのが速い」という、ありえないチート設定の最強の戦士アキレウス。母のテティスが「海の神」である半神です。
テティスは、父親よりも優れた子供を産むという能力を持っていました。神の王ゼウスはテティスに求婚したかったのですが、自分よりも優れた子供が生まれることを恐れて諦めたといいます。
生まれた子供は父親よりも優れた能力をもった子供でしたが、テティスの夫は「ただの人間」です。この子がアキレウス。アキレス腱の語源となった半神でした。こういう半神のことをへロスといいました。このヘロスが現代でもアメリカ人が大好きなヒーローの語源です。
世界最古の物語が、ヒーローを描いているということは、象徴的な気がしますね。今でも映画やアニメの世界ではヒーローが描かれています。わたしたちにはきっとヒーローが必要なんでしょう。
小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学
引きずられるヘクトルの死体。トロイ第一の英雄とされていますが、ヘロドトスの『歴史』ではアキレウスのあまりの怒りと強さにビビッて命惜しさに城壁を三周も逃げ回ったと書いてあります。
あまりカッコよくないエピソードですよね。だから映画などでは逃げ回るシーンはカットされています。
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主人公ツバサは小劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。
「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」
ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。
「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」
惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。
「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」
劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。
「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」
そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。
「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」
そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。
「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」
そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。
「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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