ギリシアの物語であることを念頭に読むべき本
ギリシア人作家ニコス・カザンザキスの『その男ゾルバ』の書評です。
現代は『Zorba the Greek』ギリシア人ゾルバ、というタイトルです。
この小説を深く味わうためには、ギリシアという国の物語を念頭に置かなければいけないようです。
太古、文化において世界をリードして、現在は辺境の三等国に落ちてしまったギリシアという国。インテリの語り部(私)と、粗野な労働者ゾルバは、対照的な存在ですが、教えるのはゾルバ、教えられるのは語り部、という関係性です。新しい知恵の語り部と、古き知恵のゾルバの対決が描かれます。勝つのはどちらでしょうか?
『その男ゾルバ』のあらすじ
非常に読みやすい小説でした。語り部とゾルバと安宿の女主人。ほとんど三人しか登場しない小説だからです。
語り部は「本の虫」と友達にバカにされるようなインテリです。彼は本ではなく現実世界を生きたいと思っていました。そこでクレタ島で炭鉱を掘る仕事を通して現実を生きようと決意します。そこでゾルバと出会い、彼を労働者のリーダーとして雇います。ゾルバはすでに老人で語り部とは親子ほど年の差があります。語り部は採掘場の親方で実際の肉体労働はしないで経営側でした。半分作家で経営のかたわら釈迦を主人公にした小説を書いています。そんな暮らしの中、素朴なゾルバに生きるとはどんなことか語り部は教わるのでした。ゾルバは語るというよりは行動で人生を教えてくれました。たとえば安宿の女主人を誘惑し女を大切にするなどの行為によって。行為でも表現しきれないときには彼は楽器を鳴らし踊るのでした。ゾルバによってけしかけられて語り部は魅力的な後家と寝ることに成功します。しかし後家は島民に恨まれており野蛮な血によって殺害されてしまいます。さらに安宿の女主人は結婚を夢見ながら死んでいきます。ゾルバの炭鉱での仕事は失敗してしまいました。語り部は島を去らざるをえなくなりました。ゾルバはダンスを語り部に教えます。ゾルバとは文通での交流が続き、ゾルバの死で物語は完結します。
『その男ゾルバ』の書評・魅力・解説・考察
結婚しましてね。人生も落ち目を選んだってわけで。もしわしの女房が一つことを何度も繰り返したら、どうしてサンドゥリなど引きたい気分になろうかね。サンドゥリだけは別だ。こいつは野獣だ。自由が必要でさ。わしがその気分にならにゃだめだ。
この労働者の語る、人間の言葉の中でもっとも単純な言葉。
人間なんてまったく動物みてえなものよ。死神が頭の上にいるというのに、心はとっくにあそこへ向いてらあ。
ゾルバは無教養な労働者であり、語る言葉はエロ・アフォリズムの宝庫です。
男だって? どういう意味だね。自由ってことでさあ。
自分たちの自由を見て狂ったようになった群衆を見たことがありますかい。こいつが自由ってもんだ。激しい欲望をもち、その欲から自らを解き放して、もっと高貴な欲に身をゆだねる。この状態を私たちは自由と呼んでいるのだろうか。
ゾルバが見ているのは全「女性族」であった。それぞれの特徴もまた消えてしまい、個々の女性の背後に厳粛な聖なる神秘に満ちたアフロティーテの顔が現れるのである。その顔こそゾルバが欲望をいだいている顔である。マダム・オルタンスはつかのまの現象の仮面にすぎない。ゾルバはその仮面をはぎとろうとしているのである。
婆あみたいに扱って、ありゃ男の振る舞いじゃねえ。結局のところ女じゃねえか。弱い、すぐいらいらする動物だ。
おまえは本当に女はみなあのこと以外頭にないと考えているのかね? 他に何にも頭にありゃしませんや。女ってやつあ、他に何にも考えちゃいません。おまえが欲しいっていってやらなきゃ女は泣きだしまさあ。女がうんと言わねえことは話しが別でさあ。男あみんな女あ見りゃあ欲をもたなきゃならん。それが女の求めてることでさあ。たとえ百まで生きたってわしは女性族の尻、追っかけまわしてるでしょう。
わしは何にも信じちゃいません。ゾルバの他には。こいつだけは私の手に負えまさあ。こつだきゃ知ってまさあ。他の奴ら皆、幽霊だ。わしが死んでしまや、皆いなくなる。ゾルバ的な世界は沈んでしまうってわけでさあ。
私は隠者になるか、人間に我慢できるように彼らを飾るかしなければならなかったのだった。この瞬間から、人々と直接、しっかりしたふれあいを持ち始めること。
踊る他に何が出来ましょう。どんなはけ口があるというんですかい?
いいたいことを踊る。口で言えねえこたあ、足や手や腹や激しい叫び声で言う。頭のてっぺんから足の先まで聞いて、身体で喋ったことをみんなわかってくれた。残らずわかってくれました。
人間は身体がまったく唖みてえにものをいわんようになって、とうとう口だけで喋るようになってしもうた。いったい口が何を喋れますかい?
時折、言葉がもはや用を足さないと見ると、彼は飛び上がり、踊り始めるのだ。そして踊りがもう十分でないとなると、膝の上にサンドゥリを置き、それを弾くのだ。
話そうとするとめちゃくちゃになってしまいまさあ。いつか、気分のいい時に、踊ってみせてあげまさあ。
この「踊り」を「走る」と私は読み替えて読んでいました。私もまたうれしい時に走り、かなしいときに走ったものです。言葉以上のものを探していました。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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書籍『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』あとがき
もしおまえさんが女以外の天国を探していなさるとすりゃあ、お気の毒だが、そんなものはねえですぞ。他に天国はねえ。
もし女が一人で寝るようなことがありゃあ、そいつはわしら男の恥ですぜ。女と寝ることができたのにそうしなかった男にゃ禍あれ!
人生はあっという間に過ぎてしまうわよ。早く来なさい。早く、早く、遅くならないうちに! マラという悪霊神。すなわち女というものを創り出したのはいったい誰なのだろうか?
そうですぜ。マリアさまはあの後家だ!
私は幸福だ、と言い続ける主人公。語り手。
たった一人で寝ていなさるが、今夜は後家のところでうまくやんなせえ。行って奇跡を行いなせえ。
自分の人生を振り返ってみた。それは味気ない、まとまりのない、確信に欠けた、夢のようなものであった。
さすらいの女の物語は、結局のところ「結婚物語」だったのだ
美辞麗句を並べ立てた殺し文句。そんなものは、結局空々しいたわごとにすぎない。女の現実的な心は、もっと手に触れることのできる堅実なものを求めているのだ。永い歳月の末、彼女は見捨てられて、たった一人ぼっちで残されているではないか。結婚こそこの上もない喜び、あんなに熱烈に求めていた港、今までの人生で得ることができないのであれだけ悔やんだものだった。平安、そして堅気なベッドに横たわる、それ以上、何があろう。
結婚をテーマにした私の著作です。女が求めていることが結婚だということに最後まで気づかない愚かな若い男の物語です。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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この女は今は見るも耐えられんがのう。その頃は魚みてえにピチピチしておった。長まつげの別嬪と呼ばれていたもんだ。それが今じゃ……どこにそのまつげがあるのじゃ? みななくなってしもうた。一つだって残っちゃいねえ。
自由をよろこんで捨てるのは、心の後ろで財布がピカピカ光っているからでさあ。
サンドゥリは野育ちだ。自由の天地が必要でさあ。金がなくなりゃ、楽しまなけりゃならねえ。
あんたの僧院に女、マンドリン、酒の樽、焼き立ての子豚を密輸する。そうすりゃあ、わけのわからねえたわごとでおまえさんたちの人生を無駄に過ごさんでもよくなりまさあ。
『その男ゾルバ』にはガツガツ食べるシーンがやたらとたくさん登場します。飲むシーンよりも女を抱くシーンよりも、とにかく食欲を満たすシーンが多かった気がします。
男が精力もてあまして爆発しねえようにするにゃ、ぶどう酒飲んで、さいころを楽しんで、女を抱く……それで待つんでさあ。てめえの死期が来るのを。
わしが何か欲しいときにゃあ、ぎっしり詰め込んでそいつを追い払う。サクランボが食べたくてしかたがなかったが、腹痛になるほど食べたら、もう一粒だって欲しくなくなった。女の番もそのうち来まさあ。
一粒の麦のごとく、わが心よ、おまえもまた、大地に落ちて死ななければならない。恐れてはならない。もし死ななければ、どうして身を結ぶことができよう。しかし彼の内部では、彼の人間の心はくじけて震えていた。死にたくなかったのだ……。
この世でいいものはみんな悪魔の作り出したもんですぜ。きれいな女、春、焼いた子豚、ぶどう酒。神は坊主、断食、せんじ薬、それに醜い女……ヘン!
ゾルバが大切にしているものが、このセリフにすべて提示されています。すべて具体的なものです。神の王国とか平安とか瞑想の境地とかそういったものではないのでした。肉体に立脚した快楽、ゾルバが求めているのはそれです。
怪我で走れなくなった市民ランナー。リゾートランナーの悟り「人生とは肉体」
この世界の不可思議ってやつを生きるに忙がしゅうて本を書く暇なんざねえんでさあ。あるときゃ戦争、あるときゃ女、あるときゃぶどう酒、あるときゃサンドゥリ。いったいどこにあわれなペンを走らせる暇があるってんです。そんな暇のあるやつらは、実際に人生の不可思議を生きてるわけじゃねえってことでさあ。
わたしも必死で走っていた頃、世界中を放浪していた頃は、執筆する気になれませんでした。執筆とは過去の反省です。過去をかえりみている暇があったら、次の目的地に向かいたい気持ちでした。ゾルバと同じ気持ちをわたしも感じたことがあるのです。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
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いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
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●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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亭主を探せ。亭主を探して子どもを持つんだ。これこそずっと夢にみていたことだ。結婚という大いなる希望が彼女の心の中にきらめきはじめてからというもの、わが海の精はあのなんともいいようのない怪しげな魅力をすっかり失ってしまった。
もし老いた一人の売春婦をふたたび二十一歳の昔にかえすことができなければ、キリストの復活がどれほどの役に立つというのだ?
キリスト教が世界一の信者数を誇る不滅の宗教であるのはなぜなのか?
これからさき何千年も顔を欲望でたぎらせながら踊り続けるだろう。踊り手の顔は崩れてやがて土にかえる。他の踊り手がそれにかわって現れても、踊り手はただ一人なのだ。彼は何千という仮面をもっている。彼はいつも二十歳の若さだ。彼は不死なのだ。
ナイフの一打で、女の首を切り落としてしまった。
若い男が後家の色気に迷って自殺したことから、男の親族が後家を斬首するシーンです。作者がこのシーンを取り入れたのは映画化の際の盛り上がりを狙って……ではなく、古いギリシアの民衆のスポイルされた近代市民とは違った血の色を描きたかったからだと思います。
「急げ、みんな、女は死んだぞ」安宿の女主人の死を待って、相続人のない遺産を略奪にかかる。
「なぜ、人間は死ぬんですか?」「私にもわからんよ」もっとも本質的な問いを説明することができない時のように、恥ずかしい気持ちになった。「おまえさんの読んだ本はいったい何の役に立つんで? 本がおまえさんにそれを説明してくれねえとすれば、何を説明してくれるんで?」「本は人間の戸惑いを語ってくれるだけだ」「本の中から何を見つけたんですかい?」言葉に価値があるとすれば、それは血の一滴による。
さあ、ゾルバ。私に踊りを教えてくれ。
ダンスのステップは悪魔的な人類の歴史を砂の上に書き綴っている。
全能の神よ。わしを殺すこと以外にゃ、他には何もできねえじゃねえですかい。踊りも十分踊った。だから、わしゃ、もうおまえさんなんかいらねえんでさあ!
自由を縛る紐を切るには、馬鹿でなきゃできませんぜ。みんな賭けていちかばちかやってみなきゃなりませんぜ。頭ってやつあちいせえ店番ですぜ。おまえさんの人生をひっくり返して見せてくれるラム酒のようなものは、ここにゃ何もありゃしねえ!
物語のラストで語り部はゾルバの訃報を受け取ります。その前に一度、緑の石を見に来ないかとゾルバから誘われていたのですが断っていたのでした。この緑の石は一種の象徴でしょう。ゾルバのダンスのようなものです。語り部はゾルバに会わず、ゾルバの物語を書こうとします。書き終えたときにはゾルバが死ぬと確信しているのに最後まで小説を書き通してしまいました。ゾルバから生き方を学んだ語り部でしたが、ゾルバのように生きることはできなかったのです。
でもそれでいいのではないでしょうか。どちらも正解でなく、どちらも正解です。どんな生き方をしたっていいのです。ただ、語り部はゾルバの生き方に憧れていましたが、ゾルバは語り部の生き方を鼻先で笑っていました。そして語り部に消えない印象を残して消えていったのです。