『世界一のランナー』走ることを真正面から取り上げた作品はすくない。『走れメロス』は信頼を裏切らない人の話し。走る人の話しではない

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エミール・ザトペック
『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『バックパッカー・スタイル』『海の向こうから吹いてくる風』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』Amazonキンドル書籍にて発売中です。

このページではエリザベス・レアード『世界一のランナー』について書いています。

わたしはこの本を読む前から……あるひとつの予想を立てていました。

そしてその予想は……残念ながら当たってしまいました。

走ることを真正面から取り上げた作品はすくない。『走れメロス』もそうです。あれは「友だちの信頼を死んでも裏切らない人」の話しであって、「走る人」のお話しではありません。

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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。

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その予想とは何だったのか、ご覧ください。

『世界一のランナー』あらすじ

エチオピアの地方都市に住んでいる11歳のソロモン君が、おじいさんに連れられて、生まれてはじめて首都アディスアベバに行くことになりました。

ソロモン君の夢は、ハイレ・ゲブレセラシエやデラルツ・ツルのような、世界一のランナーになることでした。

はじめての大都会で、はだしの自分をみじめに思いながらも、ツルらの祝勝会が開かれることを知ってソロモン君は喜びます。

おじいさんがアディスアベバに来たのは、戦友に声をかけられたからでした。死んだ戦友がおじいさんに最期に渡したかったのは「前の皇帝の勲章」でした。

革命によって処刑された皇帝から、おじいさんは勲章を受けていた俊足の軍人だったのです。

ところがおじいさんは首都で体調を壊してしまいます。ソロモン君は、バスで田舎の父のもとに帰ろうとしますが、途中でバスが故障してしまい、しかたなく走りだします。

少年走れメロス状態です。

故障がなおったバスに一度は追いつかれますが、ふたたびのバストラブルに乗じて、ソロモン君はバスよりも早く帰ることに成功します。

実家から父と一緒に首都に戻りましたが、おじいさんは死んでしまいました。

死に際におじいさんからもらった皇帝の勲章はソロモン君の宝物になりました。

おじいちゃんのことが縁となって、戦友の息子はソロモン君を支援してくれることになりました。靴も履いていない裸足の子が体育学校に入るための奨学金をもらえることになり、そこでランニングを学ぶことができたのです。

後年。ナショナルチームの一員としてソロモン君は銅メダルを獲ってエチオピアに凱旋帰国します。

大統領より、歓喜の国民よりも、はだしで貧しい身なりで、あこがれのまなざしでこっちを見ている少年のことが気になります。あの子は昔の自分にそっくりだ。今は誰よりもあの少年と話しがしたいと思うのでした。

走ることがタイトルにある小説でも、走ることが主役の物語はすくない

本を読む前にわたしが予想したことというのは「きっと走ることは脇役的にちょっと出てくるだけなんだろうな」ということでした。

具体的に言うと『世界一のランナー』というタイトルから想像される、オリンピックのマラソンで金メダルを獲る人のことを描いたマラソン物語ではないだろうなあ、と予想したのです。

走ることがタイトルに明記されている小説でも、走ることを真正面から取り上げた作品というのは驚くほどすくないのです。何か別のストーリーがあって、その中で「ついでに走る」という物語がほとんどです。走る系小説の大半は、実際のところ走らなくてもストーリーが通用してしまうものが多いのです。

これが野球やボクシングなどだと真正面から野球物語ボクシング物語になっている作品がたくさんあるのですが、真正面からマラソン物語になっている作品というのは数えるほどしか出会ったことがありません。

有名な『走れメロス』もそうです。あれは「友だちの信頼を死んでも裏切らない人」の話しであって、「走る人」のお話しではありません。急いで走ったのは確かですが。

わたしが予想した通り、『世界一のランナー』は、「少年が外の世界とはじめて出会って、勇気を出して駆け出した」というお話しでした。決して「マラソンの話し」ではありません。だから「予想通りだな」と思ったのです。

ランニングって見た目地味だし、描きにくいんでしょうかね?

マラソンはシリアスに走れば走るほど「無心」になるので、あれやこれやレース中に考えているマラソン金メダリストなんて違和感がありますから、回想シーンに持って行きにくいのかしら?

ハイレ・ゲブレセラシエデラルツ・ツルといった日本のマラソン大会でも走ったことがある実在のランナーが登場します。

『世界一のランナー』がシリアスなランナーならともかく、一般の方が読んで面白い本かというと……微妙です。

あるいはガチのシリアスランナーだからこそ「もっと走ることに向きあってほしかった」と思うだけで、一般の人が読めば先入観なしに面白く読めるのかもしれません。

プロボクサーが『あしたのジョー』を面白く読めるかどうか……もしかしたらより楽しめるのはプロではなく一般の読者なのかもしれません。

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