関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
辻野弥生さんという人の書いた『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』という本を読みました。ソウル日本人学校出身の帰国子女で、ときどき韓国人あつかいされるという経験をしてきた私にはひじょうに興味深い本でした。
ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来
福田村事件というのは関東大震災の直後に起こった朝鮮人虐殺事件のうちの一部で千葉県野田市で起こったものです。関東大震災が起こったのはちょうど昼頃でした。大正時代のことですから都市ガスなんかあるわけなく、炊事は竃(かまど)や七輪(しちりん)などを使用していました。大地震でそこから炎が燃えひろがったのです。死者・行方不明者約10万5000人の大惨事でした。そのうちの9割が火災の犠牲者だそうです。やりきれない思いを抱いて火元の責任を朝鮮人に押しつけたものでしょう。
地震発生直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「日本人を皆殺しにしようと町に火をつけた」「襲い掛かってくる」などいわれのない流言がひろがり、各地で朝鮮人が無残に殺されたのでした。余震と火災で戦々恐々の群衆は自警団、在郷軍人や消防団、青年団を中心に、刀剣、木刀、竹槍、鳶口で武装して、朝鮮人に暴行、虐殺を加えました。
中世の魔女狩り。フランス革命期の貴族狩りのような、韓国人狩り
朝鮮併合が1910年8月22日、関東大震災が1923年9月1日のことです。併合直後のことではなく13年もたった後のことでした。現在の東武野田線の線路敷設人夫として多くの朝鮮人が低賃金、劣悪な環境で働いていたそうです。庶民の中ではどこかしら心の負い目というか悪いことをしている意識があったのではないでしょうか。やっぱりインド人に対するイギリス人の態度と、朝鮮人に対する日本人の態度は、まったく同じものではなかったのだろうと思います。日本だって白人たちに植民地化されたくなかったわけですから、植民地化されたくない気持ちはわかったはずです。日韓併合後、心の負い目の裏返しでずっと朝鮮人は差別と恐れの対象だったのでしょう。肉を食べる人たちです。力道山や大山倍達、前田日明、長州力らを生んだ国ですからね。個対個ではかなわないとおびえていたのでしょう。韓国語の日常会話は日本人にはしょっちゅうケンカしてるみたいですし、外国(日本列島)で一旗あげてやろうなんて人は荒くれものばかりだったとしても不思議はありません。日本にいた朝鮮人は「犬畜生」「朝鮮人、きたない」と屈辱的な差別を受けていました。このあたり宗主国と植民地という関係では、人格的に成熟していない限りどうしたって下に見てしまうでしょう。私にも身に覚えがあります。ソウルではおばさん(植民地化教育によって日本語を喋れる年寄り)を使用人として使っていましたが、やはりどこかで下に見ていたと思います。子どもでしたからダイレクトに態度に出ていたはずです。スネ夫みたいな感じだったんじゃないかな。
朝鮮人がガギグゲゴが言えない、と特徴を分析し、道ばたで因縁をつけられ、十五円五十銭ジュウゴエンゴジュッセンと言えなければ朝鮮人判定されたそうです。髪型などちょっと変わった風貌をしていると朝鮮人ではないかと疑われました。このあたりの記述を読んでいると、中世の魔女狩りとか、フランス革命期の貴族狩りかと思うようなシーンが連続します。
朝鮮人と見たら殺してもよいという内容の新聞記事もあったそうです。殺人者はお上のお墨付きもあると誤解していました。流言飛語を流布する新聞のガセ記事を信じたのです。だから「不逞鮮人」を殺すことは「お国のため」「火災や井戸の毒をふせぐために」と正義の行動だと信じている人もいたそうです。
「警察が殺さないなら、今ここで殺す」と、保護されている朝鮮人を棍棒で殴り、竹槍で刺し、鳶口で切り、日本刀で切る。拷問も殺人もありました。こうして「朝鮮人」と「朝鮮人だと誤解された日本人」が虐殺されたのです。
関東各地での「不逞鮮人」虐殺件数は130名にもなったそうです。全員が朝鮮人ではなく、内地人70名、朝鮮人は62名と、内地の人間の方が多いのがこの事件の特徴です。被害者が全員日本人だったら国際問題にはならなかったかもしれませんが、問題は彼ら全員が朝鮮人の名のもとにリンチされたということです。
朝鮮人なら殺してええんか! この問題はそういうことなのです。事件に対して裁判が行われましたが、多くの場合は執行猶予となりました。諸外国への言い訳を与えるための裁判だったからです。警察や軍に負い目があったから、という説もあります。
韓国人蔑視の理由はくさい臭い。キムチのニンニク臭が原因だった
福田村事件とは? 誤解により日本人が日本人を虐殺した事件
福田村というのは現在の千葉県野田市三ツ堀あたりにあった村です。朝鮮人虐殺事件は関東各地にあったのに、福田村よりもたくさんの人が殺されている地域が他にあるのに、なぜこの事件だけが大きく取り上げられるのかというと、
①朝鮮人と思っていた被害者は実は讃岐弁を喋る香川県人の行商人で、誤解による殺人だったこと。
②利根川に投入するなど9人も殺害した加害者たちに罪悪感がなく、むしろ国家にとって善いことをしたと胸を張っていたこと。
の異様性によるものでした。讃岐弁を話す行商人に「おまえらの言葉はどうも変だ。朝鮮人ではないか」といいがかりをつけて暴行、殺害におよんだのです。ときどきテレビでK-POPのタレントさんが一生懸命に日本語を話しているのを聞くと「ああ、韓国人の喋る日本語だなあ」とわかるじゃないですか。本当に朝鮮人ならば、朝鮮訛りでいちおうわかったのでした。しかし讃岐の方言と朝鮮訛りの区別がつかなかったことが福田村事件の悲劇でした。
東北地方でのこと。私も韓国人が韓国語を喋っていると思っていたら、東北のお婆ちゃんが訛って日本語を喋っていてびっくりした経験があります。たしかに一瞬、誤解してしまうこともあるでしょう。しかし殺す前によく確認すればいいのに……。
本書はタイトルが示す通り、関東大震災の朝鮮人虐殺全般よりも、野田市福田村の事件にスポットが当てられています。紙面の半分以上は日本人による日本人の(千葉県人による香川県人の)虐殺事件を取り扱っています。
韓国で反日運動が盛り上がるほど、日本にも韓国ぎらいの人が増えていくのがわかる
私はソウル帰りの帰国子女として生きてきました。帰国直後はよく韓国人あつかいされたものです。イギリス帰りの帰国子女がイギリス人あつかいされてイジメられることはありませんが、韓国帰りの帰国子女は韓国人あつかいされてイジメられる危険がありました。
私は極力、そういうことを避けて生きてきたのです。「韓国が好きだ」とアホみたいに表明できません。愛憎の韓国ソウル、というのはそういう意味です。
私たち家族がソウルで暮らしていた頃、朴正煕暗殺事件というのがありました。日本人会の電話連絡網がかけめぐり、学校は休校になり、家から外に出ないようにというお達しがありました。大事件が起こったと子供心にもわかりました。あのとき親たちは「逆・関東大震災」を恐れていたのだと思います。関東大震災の混乱のどさくさに朝鮮人虐殺があったように、パク大統領暗殺事件の混乱のどさくさに日本人虐殺があったってすこしもおかしくありません。
実際に『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』には韓国人のこのような言葉が残されています。「日本に暮らすおまえたちには言っておかなくてはいけない。歴史は必ず繰り返す。どんなに楽しいことがあっても、このことだけはぜったい忘れるな。社会の変動がある時、朝鮮人に色々な責任を転嫁して殺されるかもしれない」と。
両親からは「何か困ったらナヌン、キョッポニダと言いなさい」と教わっていました。これは「私は在日韓国人です」という意味です。日本人だとわかるとイジメられてしまいますが、韓国語を喋れないのは在日だからしょうがない同胞は同胞だ、と思ってもらえれば殺されずに助けてもらえるかもしれません。そんなギリギリの言葉でした。忘れようったって忘れられません。
このような日韓の緊張感の中で私は生きてきました。大学が日本文学科、卒論が三島由紀夫なのは韓国暮らしからの反動かもしれません。
私がそういう生い立ちをしてきたというのに、うちの嫁は「韓国が大好き」とアホみたいに表明してきます。韓流ドラマもK-POPも大好き。ハングル文字も勉強して覚えました。
ある日のこと「ゴミ出ししてきて」と嫁に頼まれて天を仰ぐほどショックを受けたことがあります。わが町では、ゴミ分別に責任を持たせるためでしょう、収集するゴミ袋に名前を書かなければいけないルールになっているのですが、そのゴミ袋の氏名がハングル文字で書いてあるのです。はあ? なんじゃこりゃあ! 妻を問い詰めました。妻はせっかく覚えたハングル文字を忘れたくないので書いているだけだというのですが、それがどういう結果をもたらす可能性があるのかまったくわかっていないようです。こんこんと説教してやりました。
ゴミ袋にハングル文字が書いてあったら韓国人が住んでいると思われても仕方がありません。たとえばゴミ収集場にゴミが散らばっていたら誰のせいだとみんなが思うでしょうか? 分別収集を理解していない韓国人のしわざと思われるに決まっています。決めつけられた後で「実は日本人なんですけど」と釈明したところでいまさら無罪放免になるでしょうか? もしも集合住宅で火事が起きたら誰の責任にされるでしょうか? もしも関東大地震クラスの地震がふたたび襲い掛かったらどうなるのでしょうか? 妻は自分は日本人だと信じているし虐殺なんかされっこないと思い込んでいますが、私は韓国人と勘違いされて拷問・虐殺されるなんてまっぴらごめんです。大正時代はそれほど遠い昔ではありませんし、福田村はそれほど遙か彼方でもありません。香川県の行商人だってまさか自分が韓国人と勘違いされて虐殺されるなんて思ってもいなかったことでしょう。
韓流ブームなどもあって今はとくに若い人には昔ほど韓国人差別はなくなっていると思います。それでも折に触れて韓国では「謝罪」だとか「竹島」だとか反日運動が燃え盛ります。韓国で反日運動が盛り上がるほど、日本にも韓国ぎらいの人が増えていくのがわかります。
日韓摩擦【提案】国名のついた海の名前を世界一括で別の名前に変える。未来の国境線は今とは違うはず
日韓というのはそういう微妙な関係であり、そこに私は生きてきました。嫁がゴミ袋にハングル文字で名前を書くのを見て私がどれほど愕然としたかおわかりいただけたでしょうか? 今どきの若い子たちがなんでそんなにむじゃきに韓国を好きになれるのか私にはさっぱりわかりません。自分たちが関東大震災のときに彼らに何をしたのか歴史的な事実を全く何も知らないんでしょうね。ましてや自分の名前をわざわざハングル文字で書くなんて……ずっと日本で育った人には理解できない感覚なのかもしれませんが帰国子女の私にはそんな感覚が肌感覚で息づいています。
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私は別に韓国が嫌いというわけではないのです。嫌いだったらむしろ単純で他人に理解してもらえるのでしょう。しかしこの複雑な気持ちはそんなに単純なものではありません。第二の故郷として特別な感情をもっているとしか言いようがありません。それが書籍『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』の執筆動機となっているのです。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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