ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』おまえはさまよい歩き、定住する人々に、いささかなりとも自由への郷愁を伝えなければならなかった

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ヘルマン・ヘッセ著『クヌルプ』放浪者を主人公にした作品

ヘルマン・ヘッセ著『クヌルプ』は放浪者を主人公にした作品です。タイトルのクヌルプは主人公の名前です。

黄色は『クヌルプ』から。赤字が私の感想になります。

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『クヌルプ』ってどんな話?

タイトルのクヌルプというのは主人公の人名です。主役の名前がタイトルになっている作品が西欧にはよくありますね。1915年に出版されました。

クヌルプはかつては将来を嘱望された青年でしたが、学校をやめて放浪の生活を選びました。定職につかず、自由な生活を送っています。社会の枠にとらわれず自由に生きますが、その代償として孤独を背負っています。周囲の人々や社会はクヌルプのことを奇妙な異物のようにとりあつかいます。

放浪暮らしの中で、クヌルプは肺を病み、医者にかかることになります。医者はクヌルプの生き方を「もったいない」と感じていました。世間的な成功者である医者の目から見ると、クヌルプの生き方、価値観は理解できないものでした。アウトサイダーがこうむらなくてはならない蔑視をクヌルプは浴びせられます。

病が進行し、死を覚悟したクヌルプは、心の中で神と対話します。彼の信じた人生、選んだ生き方は、医者のいうように、もったいないようなものだったのでしょうか?

しかしクヌルプは自分で自分を肯定します。自分の一生で、人の生き方は一つではないことが示せたと彼は考えます。そしてこれでよかったと自分をうけいれて死んでいったのでした。

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クヌルプってどんなやつ?

クヌルプは長期にわたる計画を立てたり、約束をしたりするのを好まなかった。訪ねてくる日々が自由に使えないとなると、気分が悪くなるのであった。

#me too といいたくなります。この主人公クヌルプというのは私のことでしょうか?

マラソンランナーも、登山家も、放浪旅行者バックパッカーも、やっていることは同じ

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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。

(本文より)

【入力ワード】写真からランニングフォームを学ぼうとする人が多いので注意喚起したいと思います。写真からフォームを学ぶのはお勧めできません。写真というのは瞬間を切り取ったものなので、間違った解釈をする可能性があるからです。「振り上げた脚」(往路)なのか「戻ってきた脚」(復路)なのか、写真ではわかりません。大地を蹴ったように見えている脚が本当に大地を蹴っているのか、大地を蹴ったように見えているだけなのか、写真からはよくわからないからです。写真で振り上げた膝の高さを見て「ふむふむ、膝はここまで上げるのか」と思い込んでマネするのもよくありません。慣性の法則で結果として脚がそこまで上がっているだけで、実際のランナーの意識としてはそこまで上げようとしていないかもしれません。「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときのフォーム意識(入力ワード)」は、必ずしも同じではないのです。

【腹圧をかける走法】そもそも息をするのは、酸素を吸うためです。吐くことよりも、吸うことに意識をおくほうが自然な発想です。肺の中に残っている空気(残気量)は、どうせゼロにはできないのです。吐き切るという努力は、動かない壁を押すような無駄な努力です。そこに力を割くべきではありません。持ち上がらないバーベルを無理やり持ち上げようと喘ぐと、余計に息が苦しくなってしまいます。楽に息するのとは真逆のことです。それよりも思いっきり吸うことです。そのための走法が腹圧をかける走法です。肺を絞って痩せた人のように走るのではなく、腹はたるんたるんと力を抜いてだらしなく腹が太った人のように走ります。そもそも重力は下向きなのだから、横隔膜を下げることは理にかなったことです。それに対して、吐き切ることを意識すると、重力に逆らって横隔膜を持ち上げながら肺を絞らなければなりません。どちらが楽にできると思いますか?

【ストライド走法】ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。

【踵落としを効果的に決める走法】私はカラテ素人ですが、サブスリーランナーとして、すくなくとも「踵落とし」を無力化する方法をすぐに思いつくことができます。答えはカンタン。攻撃側が踵を振り上げて止まったポイント(これを上死点といいます)に、自ら打撃ポイント(脳天など)を近づけていくことです。上死点では運動エネルギーがゼロになっているために、破壊力もゼロです。上死点から距離をとらないことで「踵落とし」というキックを無力化できます。
ストライドを稼ぎたいあまりに、未熟ランナーほど振り出した前足が最も伸びきったところで着地してしまうのです。つまり「膝が伸びきったまま」「踵から着地」してしまうのです。これは「踵落とし」の運動エネルギーがゼロになっている上死点で着地してしまっているのと同じことです。これでは速く走ることはできません。

言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論の書。言葉による走法革命。とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。本書はあなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」「腹圧をかける走法」
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。

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旅職人の免状をきちんと用意しておく。目立つ点と言えば頻繁に滞在地が変わっていることに見られる放浪癖。仕事をもたない浮浪人の違法な人に蔑まれる生活。

クヌルプはいちおう旅職人という職業の肩書をもっています。しかしいっさい仕事をしようとはしません。

放浪の大先輩。山下清のルンペン旅。天才画家の乞食行脚

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ネコは自由の象徴。

クヌルプはどこでも大手を振って歩けたが、たとえていえば、どこかの家庭で美しい猫が一緒に暮らしているようなものだ。こういう猫はおおめに見てもらえる。気苦労のない上品なお偉方のような無為の生活を送るのである。

あらゆる手仕事に通じている。「旅をしていれば、いろいろと覚えるものさ」

「じつに幸福な男だな」働いて前進するものにくらべて、クヌルプは子供のように誰にでも声をかけて好意をよせられ毎日を日曜日と考えている。

私はネコを飼ったことがありませんが、古今東西ネコ=自由と感じる人がたくさんいるんですね。

自宅待機に最適なペットはハムスター

恋が終わることがあれば死ぬ時だと思ってきたが、私は死ななかった。二人が離れて暮らすなんてあるはずがないと思っていた友情も、別々に暮らすようになって久しい。満たされること少なくたちまち消えてゆかなければならない人間のよろこび。

女の子ばかりを追い回した。何もかも男女を意識しての話し。

史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』恋愛至上主義

ラテン語学校に行っている恋人なんか御免だわ。まともな人間が出ないもの。私の恋人はちゃんとした男じゃなきゃだめ。

人間と人間のあいだの深淵。そこに応急の橋を渡すことができるのは愛情だけ。

サマセット・モーム『人間の絆』人生という絨毯にカッコいい模様を描こうぜ!

ラテン語学校をやめたがすべては徒労だった。それ以来、人の約束に信頼を置くことをしなくなった。約束で自分自身を縛ることもなかった。自分の気に入った生活をし、自由や美しいものにこと欠かなかった。それでもずっと孤独だった。

長い放浪の年月がいまではささやかでつまらぬものに見える。それに反して少年時代の神秘な日々が新しい輝きと魅力を帯びてきたのである。

あの夏の花の魅力あふれる輝きにくらべれば無にも等しい。医者のマホルトも少年であったころとくらべれば取るに足らぬ存在ではないだろうか。

プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

若い盛りの頃は人々に好かれもしたが、病気のときや、こんなふうに老けてくると孤独な存在だ。

あんたはその気になれば、こんな浮浪人よりはましな人間になれたはずだ。あんたは他の人間よりはすぐれた才能をもっていた。それなのにあんたはどうにもならなかった。

このセリフはあくまでも定住者スクエアからの発言です。しかし実際には「ありふれた定住者」よりも放浪者の方が実力がなければやっていけないのは明白です。しかしそれを誇れるわけでもなく、バカにされ蔑まれるのが、放浪者が自由と引き換えに甘受しなければならないものなのです。

ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう

気の毒がってもらうには及ばない。人間一度は死ななければならないんだ。あんたにしても昔は違うことを考えていた。おまえはなぜ区裁判所判事にならなかったのか? などと神さまはおたずねにはならないだろう。

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みんなが同じ生き方をしているとき、そうでないものの生きざまはそれだけで価値がある

そしていよいよ作品のエンディング。クヌルプは臨終に際して心の中で神と対話します。

十四歳で女に捨てられたことで何かがこわれたというが、その後の人生のすべてが無に等しかったというのか?

あの当時の私のように杯をあげ、ダンスに興じ、恋の夜を祝ったものはそう数多くはおりますまい。あのときで終わりにすべきでした。

さあもう満足するがいい。何ひとつとして改めるべき点などない。おまえは人なみの暮らし、親方となって妻子をもち新聞でも読むような生活がしたかったというのか? そんな生活に入ってもすぐに逃げ出しけっきょくは放浪ぐらしに戻るのではないか?

ヒッピー&バイク映画の最高傑作『イージー・ライダー』ワイルドにトリップする映画

神の名において、おまえはさまよい歩き、定住する人々に、いささかなりとも自由への郷愁を伝えなければならなかった。神の名においておまえは愚行をおこない、嘲笑されなければならなかった。

すべてがこれでよい。すべてがあるべき姿をみせている。

クヌルプは自分の選んだ生き方に満足して死んでいったのでした。野たれ死にのように見えて意義のある価値のある生き方だったと思います。みんなが同じ生き方をしているとき、そうでないものの生きざまはそれだけで価値があると私は思います。

定住し税金を取られる生活をしている者が、放浪しあたりまえの価値観に染まらないクヌルプを憧れの目で見つめたのは、そして軽侮の目で見つめたのは、あたりまえのことでした。

今の自分じゃないなりたい自分になるために、今の自分を認めて許してあげるために。

おまえはさまよい歩き、定住する人々に、いささかなりとも自由への郷愁を伝えなければならなかった。

やっぱりこの作品の主人公は私だ。そんな気がします。

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