ドストエフ好きー? いや嫌い。『白痴』の内容、感想、書評

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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ドストエフスキー作品『白痴』のあらすじ、読書感想文

ここではドストエフスキー『白痴』の書評をしています。主人公は「てんかん」の病のために、またロシアを知らないために、相手の言うことを言葉通りに受け取るほど無垢なために白痴と呼ばれるムイシュキン伯爵です。

作者ドストエフスキーはムイシュキンを「現代のキリスト」「無条件に美しい人間」として描こうとしたらしいのですが、どのあたりが無垢な殉教者なのか、私にはさっぱりわかりませんでした。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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癲癇とはどんな病気? てんかんで白痴ってどういうこと?

作者ドストエフスキーも「てんかん」持ちだったことで知られています。癲癇もちで白痴というのはどういう意味なんでしょうか?

癲癇とはどんな病気なのでしょうか?

てんかんは、突然、けいれんしたり、意識を失って倒れるなどの病気です。これを「てんかん発作」といいます。原因は脳の電気信号の異常によるとされています。その信号の強弱によって人によって「てんかん発作」もさまざまなのだそうです。突然目の前でぶっ倒れてヒクヒクと痙攣されたら、たしかにヤベエ奴には見えるかもしれませんね。白痴には見えないかもしれないけれど。その異常信号のせいで、症状の悪い人は脳機能障害にまで行ってしまう人もわずかながらいるそうです。しかし実際に癲癇もちのドストエフスキーは、史上最大の文豪と評価されることもあるのです。私はそうは思わんけど。

ドストエフ好き? うんにゃ。嫌い。

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イエスが子供に慕われる描写はない。

ギロチンになる死刑囚の会話内エピソードから冒頭スタートします。

子どもに慕われるムイシュキン。子どもに愛される子どものような男。

私は聖書を精読していますが、イエスが子供に慕われる描写はなかったのではないかと思います。なぜなら奇跡を奇跡と感じることができるのは常識ある大人だけであり、何も知らない子供にとっては奇跡もあたりまえのことになってしまうからです。

汽車の中でたばこを社外に投げ捨てられ、おかえしに子犬を車外に投げ捨てるエピソードがあります。この犬を投げ捨てるエピソードは妙に印象に残りました。持参金目当てのガーニャ。おおっぴらに「金のため」に「人の思いもの(老人トーツキィの情婦)=ナスターシャ」と結婚しようとする。

卑劣漢ですな。ドストエフスキー作品には、こういう「典型的な」「あからさまな」「恥を知れといいたくなる」人物がよく登場します。

ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?

嘲笑しようとわざわざ近寄ってくる女。こういう嫌味な人間を登場させるのが、ドストエフスキーの真骨頂なのです。書き手としては普通はここまで露骨なのは書きたくないんですけどね。典型的な嫌な奴とか、典型的な嫌味とか、絵に描いたような典型的な悪人が本作でも登場します。

呼ばれてもいないナスターシャのパーティーに行く侯爵。そこで「生涯一の悪い行いを告白するゴッコ」を行います。トーツキイの情婦であったことと、お金にがめついことで、男に軽蔑され捨てられると思っているナスターシャ。「幸福になれないなら、いっそ別れましょう」などという。こういう反応を現代精神科では「防衛機制(反復脅迫)」といいます。いじめられてきた犬が、やさしい人にも、おびえて噛みつこうとするようなものです。

プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

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人名を理解するのに苦労するロシア文学。和訳版は人名を統一した方がメリットが大きいのではないか?

ガーニャに火中から取れば10万ルーブリあげると試すが、意気地がなく取れない。

ちなみにガーニャというのは男です。ワーニャというのは女です。わからんっちゅーの。日本語のようにタケシは男で、シズカは女だというように、名前から日本人は性別などが連想できません。あだ名で読んだり、フルネームで読んだり、ドストエフスキー作品は人名を理解するのに苦労します。

ロシア人が読む場合、呼びかけ方で「親しみ」「関係性」を表現しているわけで、原書ではそれを表現するために使い分けて表現されているわけですが、和訳された書物の場合、名前は統一した方がいいんじゃないでしょうか。どうせ日本人が読むものですから、ロシア本国の繊細な呼びかけによる関係性なんて日本人にははかりしれませんし、それをとるメリットよりも、誰が誰だかわからなくなるデメリットの方がずっと大きいと思います。

同じ人物の名前を三通りぐらい覚えなければなりません。ただでさえおぼえられないというのに……。

読書家の定義。登場人物の名前の覚え方・テクニック

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日本人感覚だと「キチガイ」ばかり登場する。だから「白痴」なのか?

ラゴージンは、恋によって現在うけている苦しみのために、ナスターシャを憎み、女が女房になったら腹いせしようと考えている。女房にならなかったら殺そうと決めている。

どういう変態なんでしょうか? かなり屈折した変態ですね。

ナスターシャは金めあてでなく、背後に白刃があるから、ラゴージンが気になっている。

女の方もかなりの変態です。精神的マゾっぽいところがあります。

時計のために長年の友だちを刺し殺す男のエピソード。時計を見せびらかすスネ夫をのび太が殺しちゃうみたいなエピソードです。日本人の感覚だとキチガイだと思うんですけど、こういうあからさまなのを臆面もなく出してくるのがドストエフスキーという作家です。日本人は温和で暮らしやすいけど、ドラマがあるのはロシア人かもしれません。

エリツィンのように「ソ連とロシアは違うのだ」と五木寛之は予言した

赤ん坊の笑顔を見た母親のうれしさは、罪びとが真心こめてお祈りするのを見た神のうれしさと同じ。これがキリストの最も重要な思想なんだ。

私はそうじゃないとおもいます。キリスト教の本質は、この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということです。

「イエス様を信じれば、この肉体、この意識のままで復活して永遠の命を得ることができる」ことです。たしかに愛も説きました。しかし最重要なのは愛ではなく、死んでも復活できるということです。これは一種の詐欺師の手口であってキリスト教が一部いいことをいっているから(愛の教え)と言って、その宗教全体が信じるに足る(復活できる)、という議論は成立しません。」

十字架を交換して義兄弟の契りを結ぶムイシュキンとラゴージン。いくらキリスト教思想で意気投合したからって、いきなり義兄弟はムチャじゃないかな。義兄弟の契りが唐突な気がします。元々ふたりはナスターシャをめぐる相いれないライバル同士だったのです。

前世の約束なら、ナスターシャはおめえがとるがいい。あれはおめえのもんだ。おれはおめえに譲った! ラゴージンをわすれないでくんな。

ナスターシャはたえまなく自分の穢れを自覚するのが、ちょうど誰かに復讐でもするような快楽なんです。マゾですねえ。なんだか分裂症の人のように見えます。あるいは作者は分裂症の人を描きたかったのだとすれば成功していますね。

『告白』を読むイッポリート。拳銃をこめかみに当てて撃つが、銃弾が出ない。不発か。未装填か。恥じて泣くイッポリート。大声で笑うもの。雷管を入れ忘れた。ぼくには廉恥心がある。永久に恥辱を受けた。意識を失って倒れた。自殺しかけたのは『告白』をアグラーヤに読んでもらいためか。ほめてもらいたかった。われわれはあなたを愛しかつ尊敬しています。どうぞ生き残ってくださいといってほしかった。自殺未遂か、狂言自殺か、はっきりしないエピソードです。このように本筋と関係のない小エピソードが『白痴』では妙に印象に残りました。

うそをつくときに、まるで類のないようなことを、ちょっと上手に挟むと、その嘘がたいへんほうとうらしくなるものよ。

嘘つき、多いんだよなあ。ドストエフスキー作品。

ムイシュキンとラゴージンとナスターシャの経緯は、会話の中で語られる場合も多く臨場感がありません。

ムイシュキンがナスターシャにプロポースしたこと。しかしナスターシャはラゴージンと駆け落ちしたこと。それをムイシュキンが取り返したこと。ムイシュキンとナスターシャは一所に暮らしたこと。ストーリーの上で、ひじょうに重要な要素であるはずの、これらのことが、説明ゼリフと呼ばれる会話の中で説明されるだけなのです。非常におくれた演出法ですね。

シャーロック・ホームズが過去に起きた事件を、いま目の前で現在進行しているかのように演出した手法をぜひ見習ってほしいものです。

ホームズ・ワトソン・スタイル。シャーロックホームズ60編の読むべき順番

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死臭にこだわり。死臭が好きなのか?

じゃあ自首しないんだね。あれをかつぎ出さないんだね

どうしてどうして。

ひとつ心配なのは、においが出やしないかってことなんだ。おめえ、においがするかい?

死臭にここまでこだわる人も珍しいのではないでしょうか?

死臭といえば『カラマーゾフの兄弟』ゾシマ長老の死臭を思い出します。

ドストエフスキー作品の読み方(『カラマーゾフの兄弟』の評価)

これほど死臭を執拗に描写する作者はヘンタイなんじゃないかと思います。

カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 

ナスターシャ殺しの犯人ラゴージンは喪心と熱病の状態に。ムイシュキンは白痴に。

なんで? 過剰な精神ストレスが原因でしょうか?

こういうのを女脳というんでしょうか。とりとめのないことをひたすら饒舌だな。ドストエフスキー。

実際のドストエフスキーはギャンブル狂で、賭ケグルイの果てに、出版社からお金を借りたのが『白痴』誕生の背景だそうです。身を亡ぼすほど賭博に狂った人間が「無条件に美しい人間」を描こうってそれは無理じゃないですかね? まず自分が斎戒沐浴してから……というのが日本人の発想だと思います。「それとこれとは別」というのが大文豪なんですかね。女を抱きながら悟りの世界に達してしまうような人が世の中にはいます。ドストエフスキーもそのような「常人でない人」だということでしょうか。

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「唐突」「分裂症」「気持ち悪い」「キチガイ」

人間の感情は一筋縄ではなく、瞬間瞬間でコロコロ変わるものだ、ということをドストエフスキー本人は描きたいんでしょうが、小説でそれをやろうとするから「唐突」「分裂症」「気持ち悪い」「キチガイ」に見えるのです。

ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?

このドストエフスキー作品の傾向をわたしは「モダンアートみたいなものだ。わかる人とわからない人がいて当然だ」と評しました。

『白痴』に登場するヒロインたちにも同じことが言えます。そして私はこの人たちの描き方が「好きになれない」「理解できない」のです。

ドストエフ好きー? と聞かれたらわたしは「いや、嫌い」とすなおに答えるしかありません。
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白痴の内容

大の男が、恐ろしさのあまり泣き出すなんて夢にも思いませんでしたよ。
人が人を殺したからって、その人を殺してもいいものでしょうか。いいえ、絶対にいけません。
ここでよくながめることができないくらいなら、外国へ行ったって急にできるようになるわけがないじゃありませんか。
幸福になることができるなら、ものの見方を知っているはず。
いろんなことを空想したものです。私は牢獄の中でも偉大な生活を発見できると思うようになりましたよ。
もし命を取りとめたらどうだろう。無限の時間がすっかり自分のものになるんだ。そうなったら時間をむだに費やしやしない。→ そう思ったけど実際は時間を空費する人生だった。
きみは子供だ。背丈と顔は大人に似ていても、発育とか精神とか性格とか知能の点においても決して大人ではない。わたしは大人と、世間の人と、大きな人といっしょにいるのを好まないんです。
私はスイスへあまりにも多くのものを残してきました。私は何よりも人々に対して丁寧で正直でありたいと思いました。世間でも私のことを子どもと言うかもしれません。みんなは私のことを白痴と考えています。
よ、読むようにだって? で、あなたは読んだんですか? 嘘だ。あなたが勝手に読んだんだ。こん畜生……あなたには黙っていることができないんですか。少しは私の身にもなってくださいよ。
無言で煙草を汽車の外に投げ捨てられたので、無言でペットの犬を汽車の外に放り投げた。おもしろいエピソードだと思ったらそれとそっくり同じ話が新聞に出ていた。嘘ばなしだった。
横面を張り飛ばされる。あなたはきっと自分のしたことをとても恥ずかしく思うようになりますよ。こんな仔羊みてえなもんをイジメやがって。
ガーニャは金のために他人の情婦(ナスターシャ)と結婚しようとする。
現代の人間にとっては、際立ったところもなければ性格も弱い、これといった才能もない平凡な人だと言われるほど侮辱的なことはありません。一人前の卑劣漢の数にも入れてくれない。
あの男はあなたを愛しているのではなく、あなたのお金を愛しているのです。
ロゴージンはあたしを商品扱いにして競ったんじゃありません? あんなことがあった田とでも、結婚するつもり? 自分の憎んでいる女を家へ入れようというんですか。
あなたの花嫁がロゴージンと駆け落ちしようとしたことをあとであなたは恥ずかしくならないかしら? あんたの女房はトーツキイの妾だったと言われたら、恥ずかしくはなくって?
七万五千ルーブルと結婚するのを幸福と思うなんて、よくもそんなことが考えられたものねえ。
おれの女だ。みんなおれのもんだ。女王さまだ。大詰めだ。
十万ルーブルを暖炉の火の中に放り込む。素手でとったらガーニャのもの。まあだらしのない。気が狂ったんだ!
ムイシュキン公爵。コーリャが話してくれましたよ。この世であなたほど賢い人にはまだであったことがないって。
もしあたしがあんたの女房にならなかったとしたら? 身投げして死ぬって言ったじゃないか。でもきっとその前にこのあたしを殺すでしょうね。
きみの恋は憎しみとすこしも区別がつかないものなんだね。その恋が消えてしまったら恐ろしいことがおこるかもしれない。きみは現在うけている苦しみのために、あの女をとても憎むことになるんだよ。→ロゴージンはわかりやすい精神構造ですね。
あの女はきみに何を望んでいるんだろう。二度までもきみを嫌って婚礼の間際に逃げ出した。
みんな嫉妬だよ。きみがやたらに誇張して考えてるからだよ。
私はこの土地であったことをなにもかもすっかり忘れてしまいたいよ。胸の中から抉り出してしまいたかったんだよ。
「主よ、キリストに免じてゆるしたまえ!」と念じて友だちを切り殺して時計を奪った男。
はじめて赤ちゃんの笑顔を見た母親の喜びっていうものは、罪びとが心の底からお祈りするのを天井からごらんになった神さまのよろこびとまったく同じことなんでして。
心配するなよ。あんたの十字架をもらったからには、決して時計のために斬り殺したりしないよ。もしそれが運命の約束なら、あんたがあの女をとれよ! あんたのもんだよ! 譲ったよ! このロゴージンを忘れるなよ。
→時代で仕方がないとはいえ、女性の意志はまるっきり無視ですね。まるでモノのように扱われています。
あんたは公爵の感謝の念ばかりを感情に入れているんじゃありませんか。よくもまあお礼は決して言いませんよなんて口が聞けたものだこと。
ぼくはただ万人の幸福のために生きたかったのです。その結果何が生まれたでしょう。何もありません。あなたがぼくを軽蔑する結果になったばかりです。何ひとつ思い出となるべきものさえ残すことができず。一つの事業もなく、たった一つの信念をひろめることもできずに。もしこんな肺病にかからなかったらきっと自殺でもしていたでしょうよ。
いや、それにしても、こんなあなたのような人を、なぜ世間では白痴というんでしょう、合点がゆきませんよ!
まず最初に私を棺に入れて、土の中に埋めてから、そのあと娘をあの人にやってください。みんながあなたを騙しているのに……あんな男を信用して、よくも恥ずかしくないんですね。かいのないお人好しだこと。まるで男とも言えやしない。
「うちに来てはいけない」白痴にはこんなふうに書いちゃいけないってことを考えてもみなかったんですよ。なにしろ言葉どおりに受け取るんだから。
彼女が自分の方を見ていたことを体全体で直覚した。おそらくそのまなざしはものすごく、憤懣の炎が燃えて、顔には紅がそそいでいたに相違ない。
惚れるならなんだって他の女と一緒にしたがるんだろう。公爵の幸せなところがみたいなんていうのを見りゃあ、やっぱり惚れてるんだよ。
なんであいつは他の人から見ると正気なのに、ただおめえにばかり気ちがいに見えるんだい。
ピストル自殺。雷管を入れ忘れたのだ。ついうっかりして忘れたんです。わざとじゃありません。ぼくは廉恥心がある。ぼくは永久に恥辱を受けた。彼はついに意識を失って倒れた。イッポリートが自殺しかけたのはアグラーヤに『告白』を読んでもらいたいがためかもしれぬ。われわれはあなたを愛し尊敬しています。どうぞ生き残ってくださいといってくれるのを望んでいた。
ナスターシャはあなた一人を愛している。これは嫉妬です。いいえ、嫉妬以上です。あの女がラゴージンと結婚するとお思いなすって? あの女はあたしたちが式を挙げたら翌日、自害してしまいます。
ラゴージンがわたくしを憎まずにいられないほど愛しているのを、わたくしはよく知っています。あの男はわたくしを殺すでしょう。わたくしがこうしてあなたに手紙をさしあげているのをちゃんと知っているのでございます。
ダチョウ倶楽部のような展開。しゃべるなよ。花瓶を壊すなよ……いわれるほどそうしてしまう。
わたしが生きているうちは、公爵をうちのアグラーヤの婿にするわけにゆかない。
どんな権利があって、あなたがこの人を愛してるってことをあたしやこの人にうるさく広告なさるんですか? あなたは自分でこの人を捨てたじゃありませんか。逃げ出したじゃありませんか。誰が仲人役を買って出てこの人と結婚しろと勧めたんです。何のためにあたしたちのあいだへ割り込んでくるのです?
→ラゴージンほどじゃありませんが、ナスターシャの心も謎というほどではありません。
精神的マゾというか、自分を卑下して、相手にふさわしくないと思い、それでもその気持ちに気づいてほしいとアピールする心情は理解することができます。
私のものだ。私のものだ。あの高慢ちきなお嬢さんは行っちゃったの? ははは。わたしはあやうくこの人をあの娘に渡すとこだった。いったい何のために? どういうわけで? ぶん、気ちがいだ。きちがいだ。
あの男はアグラーヤさんがいなかったら、ほんとうに死んでしまうかもしれない。アグラーヤさんもあの男があれほどまで自分を愛していることを一生知らずに過ごしてしまうかもしれないぞ。しかしふたりを同時に愛するなんて、いったいどんなふうなんだろう。なにか別々な二つの愛で……ふん、なかなかおもしろい……しかし、かわいそうな白痴だ。いったいあの男はこれからどうなるのだろう?
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ムイシュキン公爵の二つの愛。不可解にして謎

あの男はアグラーヤさんがいなかったら、ほんとうに死んでしまうかもしれない。アグラーヤさんもあの男があれほどまで自分を愛していることを一生知らずに過ごしてしまうかもしれないぞ。しかしふたりを同時に愛するなんて、いったいどんなふうなんだろう。なにか別々な二つの愛で……ふん、なかなかおもしろい……しかし、かわいそうな白痴だ。いったいあの男はこれからどうなるのだろう?
ムイシュキン公爵の「別々の二つの愛」とはいったいどんなものだったのでしょうか?
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よくわからないのでチャットGPTに聞いてみた。

ムイシュキン公爵の愛について、よくわからないのでチャットGPTに聞いてみました。

chatGPT「ドストエフスキーの小説『白痴』において、ムイシュキン公爵の二つの愛は、ナスターシャ(アレクサンドラ・エヴゲーニエヴナ)への愛と、アグラーヤ(エリザヴェータ・プロコフィエヴナ)への愛です。まず、ムイシュキン公爵のナスターシャへの愛は、純粋で理想的な愛として描かれています。彼はナスターシャに深い感情を抱き、彼女の美徳や純粋さに魅了されます。ナスターシャは物語の中で彼の心の支えとなり、彼の内なる善を引き出す存在です。ムイシュキン公爵はナスターシャを救いの手と見なし、彼女に対して献身的な愛情を注ぎます。

一方、ムイシュキン公爵のアグラーヤへの愛は、情熱的で身体的な要素を含んだ愛として描かれています。アグラーヤは美しい女性であり、彼女に対して公爵は強い性的魅力を感じます。しかし、この愛はより複雑で混乱しており、彼の心の中で罪深い欲望や破滅的な要素も含まれています。公爵はアグラーヤへの愛に引き寄せられる一方で、その愛によって苦悩し、内なる葛藤に直面します。

つまり、ナスターシャへの愛は精神的な次元での救済や純粋な善を象徴しており、公爵の魂を浄化する力を持っています。一方、アグラーヤへの愛は情熱的で身体的な要素が強く、公爵の内なる葛藤や欲望を露呈させます。

これらの愛の対比は、人間の心の中に存在する善と悪、純粋と欲望、理想と現実の相克を描き出すために用いられています。ムイシュキン公爵の二つの愛は、彼のキャラクターや小説全体のテーマの一部として、複雑で深い人間の心理を探求する上で重要な要素となっています。

ムイシュキン公爵のナスターシャへの愛は、彼にとって精神的な救済と癒しをもたらします。ナスターシャは彼にとって純粋さと善の象徴であり、彼女の存在は公爵が自身の内なる葛藤や社会の不条理に直面する中で、彼の心を安定させる要素となります。公爵はナスターシャへの愛を通じて、自己犠牲や慈愛の美徳を具現化しようとします。

一方、ムイシュキン公爵のアグラーヤへの愛は、より複雑で破壊的な要素を含んでいます。アグラーヤは魅力的な女性であり、公爵は彼女の魅力に引き寄せられますが、同時にその愛に苦悩し、内なる闘争を抱えます。アグラーヤへの情熱は欲望や肉体的な要素に基づいており、公爵の心には罪深い感情や堕落の欲望が渦巻いています。

ナスターシャへの愛とアグラーヤへの愛の違いは、愛の対象への公爵の感情や心理的な状態によって明確に示されます。ナスターシャへの愛は彼に喜びと救済をもたらし、彼を高尚な精神的な存在へと導きます。一方、アグラーヤへの愛は快楽と苦悩を伴い、公爵を誘惑と罪の狭間に引きずり込みます。

この対比は、ドストエフスキーの『白痴』において善と悪、理想と現実、純粋と欲望といったテーマを探求する上で重要な要素です。公爵の二つの愛は、人間の心の中に存在する相反する要素を浮き彫りにし、人間の複雑な本性や善悪の闘争を描写しています。」

こんなもっともらしい答えを返してきたのですが、ぜんぜん納得できません。

精読したつもりですが、どの描写をもってナスターシャへの愛は、純粋で理想的な愛といっているのか? どこらへんが物語の中で彼の心の支えとなっているのか、まったくわかりませんでした。chatGPTも具体的に教えてくんろ。

アグラーヤへの愛情も逢引の描写はあるものの、そこで性的欲望が芽生えたとは思えず、別に堕落もしていないと思う。
それが「明確に示される」というのだが、どの描写のことを言っているのかchatGPTも明確に示してほしいもんだ。
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風俗嬢に説教して自分のものにするタイプの男?

むしろわたしが読んだ感触だと、ナスターシャに対する愛は、同情に近いのかな、と。イエスがマグダラのマリアに感じたような「みんなはきみをけがれているというし、自分もそう思っているかもしれないけれど、そうじゃないんだよ。かわいそうに。お金持ちの公爵である自分が結婚すれば、それを世間に証明できるかな」という感じでしょうか。だからこそナスターシャは引け目を感じて瀬戸際で逃げるのではないでしょうか。そして「愛されずんば殺す」ラゴージンに殺されてしまうという……。
一般的な男の愛はアグラーヤに向いているように見えます。一般的な男の愛には情欲、性欲が含まれますが、それは常識からそう判断しているだけであって、ドストエフスキーの文章からは性欲や堕落を感じられませんでした。
chatGPTはわかったように書いていますが、実際彼は何もわかっちゃいません。AIですから。
何を(どの文章を)根拠にそう言っているのか、教えてほしいものですね。
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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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