同窓会に出たくない人もいる。
「みんなが元気そうで何より。これをきっかけにグループからひっそりと退出するよ。あまりいい思い出がないので苦しくなる。ごめんね」
友人A君からもらったメールが、今回こんなことを書くきっかけになりました。同窓会のグループラインに入っているのだが、ほとんど発言しないA君。彼が何を考えているのかよくわからなかったのだが、そんなことを考えていたのか。
正直、驚きました。同窓会というのは、みんながみんな懐かしいとか、昔の仲間に会いたいと思っているわけではないんですね。
別のB君も「親しい人と個別に会うのはいいけれど、みんなと集団で会うのはちょっと……」という感じらしい。そんな人もいるんだなあ。
昔の仲間に会いたい人ばかりじゃない。古い友人に会いたくない人もいるんだなあ。いい思い出ばかりなわけじゃない。
錦を衣て夜行くが如し。クラス会に出たくない人の心理とは?
人の気持ちは人それぞれだけれど……クラス会に出たくないと思う人の心理を自分なりに推測してみようと思います。もちろん人によってまちまちなんだろうけれど。
おそらくだけれど……人生に成功していたら、むしろ出たがるんじゃないだろうか、と思います。
楚の項羽はこう言っています。いくら立身出世しても、故郷の人々に知られなくては甲斐がない。出世して故郷に戻らないのは、錦を衣て夜道を行くが如し、と言ったとか。
子どものような彼の気持ちが私にはよく理解できます。
逆にイエス・キリストは、自分の故郷では「奇跡」を見せることができませんでした。みんなが「大工のヨゼフの息子だろ?」とはなから軽く見ていたからです。
A君は人生に失敗したと感じているのかな? あるいは今そんなに幸せじゃないのかもしれない。もしも現在を強く肯定できるならば、過去も肯定できるはずだから……。
いや……よしましょう。他人の気持ちは私にはわかりません。それがわかったら、今こんなことにはなっていないでしょう。人の気持ちなんてしょせんはわからないのです。
「あいつ今何してる?」 小学校時代の同窓会
小学校時代の同窓会が東京でありました。外国で一緒に暮らしたソウル日本人学校の仲間たちがひさしぶりに集まって、酒を飲んで語りあいました。リーダー格の人が「みんなに会いたい」と声をかけてくれるから、こうしてみんなで会うことができます。そういうリーダーがいることはしあわせなことだと思います。中学校も、高校も、そういう集まりがありません。そういうリーダーがいないからです。
小学校のとき、私はただ夢中で遊んでいるだけのバカでした。その人がリーダーであることすらわかっていませんでした。ほかのみんなはそれがわかっていたようですが。
要するに「人間関係地図」のようなものが頭に描けていなかったんですね。ときどき「その当時、誰が誰を好きだった」とかいう同窓会にありがちな恋バナが話題になったりするのですが、そういう社会的な地図も全くわかっていませんでした。どんだけアホだったんでしょうか、私は。自分に呆れてしまいます。
小学校時代、早生まれは不利。周囲はみんなお兄ちゃん、お姉ちゃん
わたしは2月生まれ、早生まれです。クラスの中では最年少でした。4月生まれの人とは、ほとんど一年違います。周囲はみんなお兄ちゃん、お姉ちゃんでした。そういうことも当時の私はまるでわかっていなかったのですが、今から考えると、小学校時代の一年差というのは、ものすごくハンディキャップですよね? 学業成績などにも大きなハンデでしょうが、とくに運動能力にはどうにもならない差がつくでしょう。ここでの運動能力とは、つまりはケンカの強さということです。子供の一歳差は階級の違うボクサーと勝負するぐらいハンデがあります。この差は個人の責任ではありません。
このことは統計的にも証明されていて、あきらかに4月5月生まれの子は、2月3月生まれの子よりも有利だそうです。プロスポーツ選手になるのは明らかに4月5月生まれの子が多いのです。一年長く生きているから勝っただけなのに、指導者の目に留まり、褒めて育てられるから、結果としてそういうことになるのです。
2月生まれの私は勉強も運動もできるほうではありませんでした。あきらかに「ジャイアン」ではなく「のび太」側でした。藤子不二雄先生と同じですね。たぶんA君も同じだろうと思います。
ドラえもんのいない世界で、のび太はジャイアンからどうやって身を守ればいいんだろう
いじめられっ子は同窓会に出るべきか?
おそらくこのA君のいう「あまりいい思い出がない」というのは、当時イジメられていたことを指しているのだと思います。小学生に家庭か学校いがいに世界なんてありません。おれもそうでしたが、A君も「のび太」だったんでしょう。
当時ウチのクラスには「ジャイアン」がいました。ジャイアンといっても暴力で支配するタイプではなくて、頭のよさでクラスを仕切るタイプのいじめっ子でした。おれもこのジャイアンにイジメられてたけど……そういうことがA君は今でも気になっているのかな。苦しくなるなんて。
なんでだろう? ……おれが平気になったのは、たぶん今を生きているからではないかな。今を生きていれば、過去のことなんて関係ないもの。過去の暗さに影響されて、現在のよろこびに影を差してしまうなんて馬鹿げていると思うから。
ただ、そう思えない人もいるってことなのでしょう。みんなが同じような考え方をするとは限りません。自分とは違うタイプの人間がいるんだってことを私はもう知っています。
人はどうしていじめをするのか? イジメは「自分が楽しいから」
ところで人はどうしていじめをするのでしょう? それは「楽しい」からだと思います。
子どものやることです。「自分が楽しいからイジメる」のでしょう。いじめをすることで、自分の力を確かめることができます。周囲をしいたげることで自分の地位を確認することができます。
ちいさな小学生の子供に自分の絶対的な生の価値観なんてないから、相対的な周囲との関係でしか自分を測れないのはしかたがありません。
自分は楽しいのに相手は苦しんでいる、というのは、貴族と奴隷の関係と同じです。人はやがて死んで元の木阿弥になるなんてことが小学生にはわからないから、貴族でいられることは単純に楽しいのでしょう。こどもにとって自分が奴隷だと知ることは辛いことです。
子どもの行為はみんな同じです。自分が楽しいからそうするだけなのです。
同窓会でいじめっ子といじめられっ子が相対したときの対処法
幼い頃「自分が楽しいから」いじめをやっていたジャイアンが、久しぶりに会った同窓会でまたイジメをやるでしょうか?
私はやらないと思いますよ。だってそんなことをしたって自分が楽しくないから。
楽しくないことをわざわざやるはずがない。年に一回しか会わない相手と、わざわざ不愉快になるために出かけるわけがない。向こうだって気持ちよく飲みたいはずでしょう。
久しぶりに会う人と、できれば仲良く楽しく過ごしたいと思うに決まっている。だってそのほうが「自分が楽しい」から。
こっちも子供だったが、向こうも子供だったんだ。そこは割り引いて考えてあげないと。
むしろ昔のようないじめ展開があったなら、今こそ自分の成長を確かめる絶好のチャンスじゃないか。自分の人生にそういうリベンジのチャンスがなかったらむしろガッカリじゃありませんか?
もしも暴力で支配されていたのなら、やられたら今度こそ挑戦してみれば? なあに、ケンカなんて先制攻撃すればほぼ勝てるし、今ならその気になれば相手がやくざだって刃物で殺せるだろう。結局は覚悟の問題だよ。人をだし抜く以上、だし抜かれることもあるんだとはっきりと教えてやればいいんだ。
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いじめっ子の力の源泉は当時の人間関係の中にある。いじめ展開にはならない
そもそもいじめ展開なんかになるわけがないと思う。いじめっ子の力の源泉は当時の人間関係の中にあるんだ。その人間関係が切れている以上、もはやいじめっ子は当時の力をもっていない。いじめっ子の力の源泉は人間関係なんだ。
だからきみをいじめることなんてもうできないんだよ。
ただふたたびイジメられることはないにしても、昔のことを思い出したくないってことだろう。でも、それでもさ、とにかく会って、裸の相手を見極めればいいじゃないか。なんでこんなクソみたいな奴にいじめられていたのかな、と感じたらむしろ不幸だな。自分がみじめになるだけじゃない?
むしろさすがジャイアンと思える相手だったらむしろ幸せなんじゃないかと思う。たとえば自分の野球のキャリアにピリオドを打ったのが、イチローとか大谷翔平だったら、むしろ納得できるじゃない? ジャイアンにはジャイアンらしくあってほしい。ジャイアンが無名のゴミだったらむしろ悲劇だとオレなら思うけど。
トークは先に喋ったほうが勝つ。自分の得意分野を選んで語るから
昔の苦しさが忘れられないのなら、正々堂々挑んでみればいいじゃないか。それですっきりすると思うよ。負けてもともと、何も失うものはない。
まあ、同窓会では、そんな気合を入れなくても、ジャイアンがまた君に威張ってきても、にこにこ笑って聞いているだけでいいと思うよ。
はた目には「いじめっ子といじめられっ子の立場は何も変わってないじゃないか」と見えるかもしれない。だけどそうじゃない。おれは知っている。ちゃんと相撲を取れば対等に組み合えるということを。
ジャイアンの知恵や見識に圧倒されて黙り込んでいるのと、喋れば互角以上に喋れることを知った上で黙っているのとは雲泥の差だ。自分の中にその力があることはわかっている。その上で黙って聞いていた。それでいいじゃないか。
もちろん人にはそれぞれ得意分野というものがある。話題というのは、選んだものが圧倒的に有利なのだ。だって自分の得意分野を選んでいるのだから。喧嘩は先手必勝だけれど、トークは先に喋ったほうが勝つ。
『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』親分子分の逆転現象
本稿を書きながら『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』というドラマのエピソードを思い出しました。
親分と子分の関係だった幼馴染の二人がいました。親分は「会社の社長になる」という夢を子分に語っていました。
時が過ぎて大人になった二人。ひとり社長になっていました。もうひとりは浮浪者でした。社長は浮浪者を助けて会社の重役にとりたてます。
ところが社長というのはかつての子分で、ひろわれた浮浪者のほうがかつての親分だったのです。
まあ、こんな話しでした。世の中にはそんなこともあります。
ジャイアンにも挫折があったはずだ
そもそも年に一回の同窓会なんかよりも、そのほかの364日のほうがずっと重要です。
A君。きみに挫折があったように、ジャイアンにも挫折があったと思うよ。ずっと勝ち続けられる人なんていない。いじめっ子だってずっといじめっ子のままでいられたはずはない。このひろい世の中の、きっとどこかで負けているはずだ。
そもそも敗けたことのない奴なんているんだろうか。挫折を知らない人などいるはずがない。
戦えば戦うほど、負けた経験は増えていく。西武ライオンズのエースだった東尾修なんて生涯成績は251勝247敗だよ。ほぼ丁半博打みたいなものじゃん。でも大エース扱いされています。戦うほど勝つ経験も増えていくが、負けた経験も増えていく。それがいやなら戦わないことだ。
そもそもどんなチャンピオンでも老いて「もう無理だ」と思い、負けて引退するのだ。
おとなになっても虐げられたものの気持ちがわからないやつがいるとしたら、世の中のことをなにもわかっていないバカだ。そんなやつは軽蔑していい。
だから昔のことなんて、気にすることはないんだよ。
同窓会があったら、いじめられっ子だって、いじめっ子だって、初対面の人と会うかのように、大人の態度で会えばいいんだ。