谷口江里也・ギュスターヴ・ドレ。ダンテの『神曲』の素晴らしさ

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谷口江里也。ギュスターヴ・ドレ。ダンテの三者共著の『神曲』

ここはダンテ『神曲』について語っているページです。というよりは、谷口江里也・ギュスターヴ・ドレ・ダンテの三者共著の『神曲』について語っています。

通常、ダンテ作『神曲』として語られることが多い『神曲』ですが、私が取り上げるのは、ほぼ別の作品としての谷口・ドレの『神曲』です。なぜって原作よりもずっとすばらしいからです。どっちかしか読めないのならば、断然、谷口・ドレの『神曲』の方をおすすめします。

もしこれから歴史的なダンテ『神曲』を読もうとする人がいるのならば、まずは最初に谷口江里也・ドレ・ダンテの共作『神曲』を読んでいただきたいと思っています。

谷口・ドレの『神曲』は、ダンテの原著『神曲』の何倍も感動をあたえてくれます。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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【書評】ダンテの『神曲』について

私はダンテの原著(翻訳ですが)も両方読みましたが、谷口江里也・ギュスターヴ・ドレの『神曲』は、ダンテの原著『神曲』よりもずっと感動しました。このコラムはその感動を伝えようとするものです。

音楽では編曲によって原曲がとてつもなくいい曲になることがありますが、谷口・ドレの『神曲』は、まさにこのパターンです。

最初に神曲について簡単に述べた後で、谷口・ドレ版がダンテ原著よりもどれほど凄いのか、ということを、後半に書いています。

永井豪デビルマン』のコマには、ドレの挿絵がそのまんま使われている箇所があります。

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちら。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

ダンテ『神曲』はミルトン失楽園』と並んでキリスト教文学の金字塔とされているものです。

聖書ではないのに、全世界のキリスト教徒の天国や神の概念に、多大な影響を与えている文学作品です。

ジョン・ミルトン『失楽園』を、現代サラリーマン劇に書き換えてみた
悪魔サタンを自由のために神に叛逆した英雄のように描いている こちらは悪魔サタンを自由のために神に叛逆した英雄のように描いているミルトン『失楽園』について書かれたページです。 悪魔を賛美していますので、不快な方、興味の無い方は、ただち...

『神曲』というのは、作者ダンテが地獄と天国を視察研修して、その研修レポートを詩の体裁で提出した作品です。

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「インフェルノ(地獄編)」

ヒドイ!! というのが率直な感想です。

日本人であるわたしはキリシタンではない異教徒なので、公平にいってヒドイと思いました。

イエス以前に死んだ人たちはみんな地獄にいるのです。よくて煉獄です。

イーリアス。はじまりは「怒り」から。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。そして文学
『イリアス』はフィクションにしては軍立て、軍容を詳しく書きすぎています。聞いてくれる人の出身地、出兵した地方の人たちの功を讃える意味で延々と語ったのだと思います。いっしゅの軍功帳みたいな意味があったのだと思います。ただのエンタメだったとすれば延々と軍容や功績を語る意味がわかりません。

そんなのってずるくない? 人類の歴史はすくなく見積もっても50万年以上あるのです。それなのに直近2千年に以降の人たちしか救われないっていうのは!!

何億人というBC時代の人たちがみな地獄にいるのです。日本人はほとんど全員地獄行きです。いくらなんでもそんな設定ひどすぎると思いませんか?

もちろん救われているのがキリスト教徒だけだからです。『神曲』はイスラム教世界では発禁に近い状態でよく思われていないようです。もちろんイスラム教徒は天国に行けないことになっているからです。

キリスト以前のご先祖様たちが作品に登場しますが、もちろん天国にはいません。

アキレウスも、ヘレネも、イアソンも地獄にいます。ギリシア神話の英雄たちです。もちろん紀元前の人物たちである。(トロイア戦争は紀元前1260年から1180年)この人たちは伝説上の架空のキャラクターとされていたが、トロイアの遺跡が発掘された以上、実在の人物だったかもしれない可能性があります。

トロイ戦争その後。オデュッセイアの表ルートと、アエネーイスの裏ルート

それほどキリスト教偏重なのに、ダンテは地獄や天国で見てきたことを詩でうまく表現できるように、詩神ミューズや芸術の神アポロンに祈ったりするのです。これでいいのでしょうか? キリスト神一神教の文脈に、ギリシアの神々が登場しちゃってますけど。

ミノタウロスも、メデューサも、ハルピュイアも、ギガンテスも、アラクネも登場します。みんなギリシア神話を彩るモンスターたちです。プロ野球オールスターゲームのように登場します。こういうモンスターたちが『神曲』を面白く盛り上げているのですが、なんだか別の作品のキャラクターが登場しているような違和感が否めません。

たとえば『ワンピース』に『北斗の拳』のキャラクターが登場して戦うような違和感があるのです。

もっとも『神曲』はルネッサンス(再生・復活)の曙光を告げる文学作品とされています。ですからキリスト教一色だった中世にギリシアの文明を復活・再生させたという意味では画期的だったのかもしれません。

そうした半面、キリスト教の中世的な面もひじょうに色濃く残っています。キリスト教徒以外は救われないというテーゼだから、異教徒は全員地獄いきなのです。

いちばん有名なのはイスラム教の開祖マホメットが腹を縦に裂かれ地獄でのたうち回っている姿です。

釈迦も孔子も天照大神も作中には登場しないけれど基本的には地獄にいるはずです。キリスト教の洗礼を受けていませんから。

木馬の計略は人を欺く詐術だからと、オデュッセウスも地獄にいます。

ダンテの詩の師匠ウェルギリウスがダンテのあの世の旅のガイドをしてくれます。ウェルギリウスもキリスト以前の人物なので天国には行けません。ウェルギリウスの『アイネイアス』はトロイ側の英雄を主人公にしているのでギリシア側のスターたちはあえて地獄にいる描写があるのです。

ユリシーズとオデュッセイア
たわいもない日常」だったら、自分だって経験しています。何も本を読む必要はありません。本を読むよりも自分が経験した方が面白いに決まっています。 日常が真実ならば、その真実をリアルに生きることができるのです。リアルRPG、リアル・ドラクエです。こんなに楽しいものはありません。 平凡な日常よりも、大冒険をこそ、わたしたちは読みたいのです。

そしてダンテ自身の仲間や政敵など、14世紀のフィレンツェの人々が詳しく登場します。

誰だ、お前は?

思わずそう言いたくなりますね。後世のわたしたちが知らなくても仕方がないようなダンテゆかりの人物たちです。

過去から現在の実在の人物がたくさん出てきます。そして基本的にダンテの味方が天国に、敵が地獄にいるのです。いや、どうも。

そんな作品でいいのかねえと思います。創作で自己正当化したい気持ちはわからないじゃありませんが……。

快楽・肉体主義者のエピクロス学派もまとめて地獄にいます。ダンテが嫌いな思想だったんでしょうね。わたしは大好きですが……。

このように復活・再生を意味するルネッサンスを告げる文芸作品とされるダンテ『神曲』ですが、キリスト教色はメチャクチャ濃いものがあります。

そしてそれ以上に濃いのは、作者の好みだったりします。

万能の神はイエスやその父ではなく、ダンテ君、君じゃないのかね?

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著名人がたくさん登場するから、みんなにウケた

『神曲』には著名人がたくさん登場します。このアイディアはやったもの勝ちです。

織田信長と源頼朝が戦争したら、とか、東郷平八郎が太平洋戦争を戦ったら、とか、今でもそういう作品は制作されています。

現代人が自衛隊ごと過去にタイムスリップしたら、とか、ナポレオンとアルカポネとイワン雷帝が同僚だったら、とか、過去の実在の人物を作中に登場させてしまう作品は現代ではお馴染みですが、ダンテ『神曲』がハシリなのではないでしょうか。

すでに知っている人物をキャラクターとして登場させることができるならば、作者は彼のキャラクター造形に力を割かなくてもいいのだから、これは作品の成功に非常に有利なことです。

『神曲』が非常に商業的にも成功した要因のひとつに、作品に、みんなが知っている有名人たちがジャンジャン出てくることがあったのだろうと思います。漫画『巨人の星』に王貞治長嶋茂雄が実名で登場するようなものです。最初からキャラ立ちしている人物を登場させればいいのだから、こんなに楽チンなことはありません。

いちから創作したナインで「プロ野球」の話しを書くのと、イチローや大谷翔平や野茂英雄ランディ・バースでチーム編成して、地獄で鬼を相手に野球する作品と、どっちの作品が面白そうでしょうか?

誰もが知っているキャラクターを登場させた方が大衆受けするに決まっています。本人の有名な言葉なんかを援用しちゃったらポイントが高いですね。

「僕は、巨人軍の4番打者だよ。サインなんて『打て』以外に、あるわけないじゃない」

いやあ、カッコいいなあ。っていうかそんな作者はズルい! としかいいようがありません。

インフェルノ(地獄編)はまるでお化け屋敷のようです。毎回、人を脅かしに自動で登場するお化け屋敷の幽霊人形みたいに、律義にその場所で誰かが通るのを待っているかのように、ちょうどいいタイミングで渡し守カロンケルベロスが登場します。プルトン(=ハデス)も地獄作品のたびに都合よく登場させられてたいへんだなあ。

ギリシャ神話本編ではあまり活躍しないハデスですが、オマージュ作品ではアポロンやアテナ以上に大活躍しているはずです。

ホメロスも、ソクラテスも、アレクサンダー大王も地獄にいます。クレオパトラも、地獄です。

ゲーム『ファイナルファンタジー』ファンの方には、第二十一歌に出てくる鬼の名は、FF4ゴルベーザ四天王に採られたスカルミリョーネバルバリシアルビカンテカイナッツォという名前の悪魔が登場します。

ファンタジーの悪魔の名前ってダンテの『神曲』からとられていたんですね。カルコブリーナも登場します。

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一切の希望を捨てよ。我が門を過ぎる者!

ロダンの彫刻『考える人』でおなじみの地獄の門を抜けて、ダンテは地獄めぐりをします。

自殺した人も地獄にいます。キリスト教が自死を禁止しているからです。

暴力をふるったもの、神に逆らったもの、甘言や権力に尻尾を振ったもの、快楽におぼれたもの、地獄に行く人の条件は洋の東西を問わず、だいたい同じです。

インフェルノの地獄絵図はグロいものがありますが、ダンテの地獄よりも、日本の地獄絵図の方がずっとグロいものがあります。

天国と地獄。日本のダンテ『神曲』と言えば源信の『往生要集』。日本人の地獄観を決めた作品
伊豆半島に『伊豆極楽苑』という面白い施設があります。エンターテインメント系の観光施設なのですが、人によってはおそろしく考えさせられます。 テーマは天国と地獄。日本人の死生観に沿ったジオラマが展開されていきます。ここで描かれることは、ど...

往生要集に由来する日本の地獄の方がよっぽどグロいので、ダンテの地獄は少し控えめな感じが現代日本人にはするかもしれません。

地獄の最下層には美貌の堕天使ルシフェルが悪魔の姿で氷漬けにされています。

それはいいのですが、なぜか口に主イエスを裏切ったユダを罰するように咥えているのが謎すぎます。

裏切者ユダは悪なのだから、彼を罰するのは正義の仕事ではないのでしょうか?

なぜ悪の堕天使が、悪のユダをかみ砕いているのか、その理屈がよくわかりませんでした。

両者ともに苦しんでいるから、それでいいのでしょうか?

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パラディーゾ・天国編

通常、ダンテの『神曲』はこういわれます。「パラディーゾ(天国編)」よりも「インフェルノ(地獄編)」の方がずっとおもしろい、と。

作家や脚本家がモノを書くときに「パラディーゾ(天国編)」を書いても面白いものにはならないんだから「インフェルノ(地獄編)」を書け、というように引用されたりします。

調和した人間関係や、ハッピーな人物を描くよりも、人間関係がぐちゃぐちゃだったり、誰かが苦しんだり恨んだり憎んだりした方が、ドラマは面白くなるという意味です。

人間はみんな幸福を求めているはずなのに、この嗜好は、いったいどうしたことでしょうかね?

私はダンテの原著も読みましたが、たしかにインフェルノの面白さにくらべると、パラディーゾは面白くありませんでした。キリストを信仰することの正しさを突き詰める衒学的な記述が多く、異教徒が読んでもあまり面白いものではありません。

天国のカタルシスもありません。

ところが……ところが、ところがです。谷口ドレ版だと、天国編こそが最高の見せ場に変わります。地獄編よりも天国編の方が読みごたえがあって面白いのです。

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谷口ドレ版だと地獄編よりも天国編の方が読みごたえがあって面白い

原作では面白くないと評判の天国編が、谷口ドレ版だともっとも面白くなります。

ドレの挿絵では、天使には鳩の羽根が、悪魔には蝙蝠の羽根が生えています。谷口ドレ版では、天使がだんだん「神々しい光」と混然一体になっていきます。

「どのように在るか、ということが全てなのです。私たちは、ここで光るのです」

「光を見ようとすれば、私もまた光にならなければならない」

「まばゆさとは、私の目の奥にひろがる私の闇と光との落差なのだ」

「あえてわかろうとはしないことだ。どこから、誰が、何のために、そんな言葉は私の鏡をくもらすだけだ」

そんな感動的なセリフが続きます。

ダンテの原著に同じセリフが出てくるのかと思いましたが、原著にそんなセリフはありませんでした。

谷口江里也さんの抄訳、意訳だと思います。エリヤ、あなたは預言者か!?

「在るべき事を、為すべき事を、見るべき事を、あなたと共に」

「あり得る事を、なし得る事を、求め得る事を、あなたと共に」

ダンテは夭逝した最愛のベアトリーチェとともに、天国を眺めます。

「あるべきことを、なすべきことを、みるべきことを、あなたと共に」

そしてダンテはとうとう天国の主の前に立つのです。

「ありえることを、なしえることを、もとめうることを、あなたとともに」

このようなセリフは原著にはありません。

谷口ドレ版ほどの感動を、ダンテ原著はあたえてはくれません。

光降る。
歌声響き光降る。
智は光。
愛は光。
光は全て!
私は愛……
私は光……

そしてこれまで暗かった書物が光り輝くのです。

実際に書物が光り輝くわけがなく、すべては目の錯覚なのですが、これが本当に本が光っているかのようによくできています。

谷口ドレ版『神曲』は、本そのものが芸術作品のようです。

そして感動のフィナーレ。ダンテの原著とはまったく違う終わり方です。

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ドレの挿絵なしでも、谷口の超訳なしでも、存在しなかった奇跡の名作

ドレの挿絵なしでも、谷口の超訳なしでも、本そのものが芸術作品であるような『神曲』は、完成しなかったでしょう。この感動をぜひ味わっていただきたいと思います。

ダンテの原著をいくら読んでも、この感動はあじわえません。

特に天国編のラストのカタルシスは、天国と地獄ほども違うものです。

ダンテ『神曲』を読むのも悪くありませんが、感動したいのならば、谷口ドレ版でないとダメなのです。

私は『フランケンシュタイン』のコラムで「原作をこえる二次創作もある」と語りました。谷口・ドレ版は二次創作というほど原作と違うものではありませんが、原作ごえしていることだけはまちがいありません。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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