わたしはロードバイク乗りであり、自分の脚力だけでウサイン・ボルトよりも速く走ることができます。
100m日本最速のスピードで一時間続けて走ることができます。
そんなわたしは「マラソンランナー(人間)なんて所詮は鈍足」だと思っています。
人類最速よりも(自転車で)速く走り勝てなくても、車やバイクに乗ればわかることです。人間なんてしょせんは遅い生き物。この事実はどうにも動かしようがありません。
ハトやカラスなど飛ぶ生き物は問題にならず、ネコにもウサギにもスピードではかないません。鈍足! 鈍足!
それなのにわたしは『サブスリー養成講座』で、どうすれば速く走れるのか、ひたすら考えてきました。しかしその一方で、そうはいっても人間なんてしょせんは遅い、ということがいつも頭の中にありました。
しょせんは脆弱な人間の走力について、そこまでこだわって何になるというのでしょうか。
この気持ちは剣術の書物にたとえて表現したらわかりやすいかと思います。
古来、剣術について書かれた書物はたくさんありました。しかし剣豪がどんなに剣術を磨いても機関銃の前では無力です。どんな技を磨いてももはや戦場では役に立ちません。そういう時代になった今、剣術のテクニックだけしか書いていない書物が読まれることはもうなくなりました。ただ剣術を追求する先に「人生に通じる何か」がある書物だけが現代でも読み継がれています。
わたしの「グランドスラム養成講座」も同じだと思っています。走る技術だけを書いた書物は、剣技だけを解説した剣術書と同じです。
走ることを通じて人生に通じる何かが表現されていなければ無意味だとすらわたしは考えているのです。
※※※YouTube動画はじめました※※※
書籍『市民ランナーという走り方(マラソンサブスリー・グランドスラム養成講座)』の内容をYouTubeにて公開しています。言葉のイメージ喚起力でランニングフォームを最適化して、同じ練習量でも速く走れるようになるランニング新メソッドについて解説しています。
『マラソンの走り方・サブスリー養成講座』
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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自分を「無」にして、自然体になって、自由になる
力に頼るものは自分より力のあるものに対して無力です。速さに頼るものは、自分より速さのある者の前では無力です。ほかの「何か」がないと、力やスピードが上のものには勝てません。
相手次第で無力になってしまうような心の持ち方では駄目なのです。
自分の力をいくら追求しても限界があります。そのことを理解して「自然の側」につきましょう。この世界で自然の側につくほど間違いのない選択はありません。そして自分を「無」にして、自然体になって、どんな態勢からでも臨機応変にものごとに対処するべきなのです。それが「自由になれ」ということです。自由こそが融通無碍への道です。
精神性があって、はじめて修行が生きる
江戸時代に書かれた剣術書が今でも読まれているのは、それが精神面を説いた人生の指南書となっているからです。人生訓にまでなっているから今でも読む人がいるのです。これが剣技の技術解説だけの本だったら現代ではもう無用の長物として顧みられなかったかもしれません。原爆の時代に剣の奥義を説かれても空しいからです。そこに精神性があってはじめて修行の意味が生きてくるといえるでしょう。
これはマラソンの世界でも同じことではないでしょうか。
ロードバイクや自動車が行きかうこの世界で、せいぜい時速20km(キロ3分)の世界を極めることにどれほどの意味があるのか? わたしの『サブスリー養成講座』にどれほどの意味があるのか? そこに精神性がなく、ただ走る技術だけを解説したものだったとするならば。
書きながら常にそのことを自分に問いかけていました。
人間が走るということ。それは動物としての根源です。人間が剣を捨てることがあっても、走ることを捨てることはないでしょう。動物としてのベースのただの「動き」に、精神性なんてものがあるのか?
「ある」わたしは思いました。あると思ったからこそ本を書くことができたのです。
ゴール地点で勝つために、力を加減しながら走る
全力で走るのは簡単なことです。子供でもできます。
しかしマラソンのような長距離をうまく走り切るためには「全力で走らない技術」が必要です。筋力を温存し、使い切らない自制心が必要なのです。セルフマネージメントといってもいいでしょう。
全力を出し切るだけなら簡単です。誰にでもできます。
しかしベストパフォーマンスを発揮するためには脱力することが必要です。ブレーキをかけたままアクセルを吹かす状態を避けるためには対になっている反対側の筋力を脱力しなければなりません。それには技術が必要なのです。
レースの最中に、集団が自分を追い抜いていくのを、自制して見逃がすことができますか? この瞬間、本気を出せばついていくことも追い抜くこともできる集団に対して、自分のゴールを見据えて、自制することができますか?
これはなかなか難しいことです。誰にでもできることではありません。
ゴール地点まで見通して、ベストな自分のパフォーマンスを発揮するために、勝てる小競り合いから降りる選択をしなければならないとしたら、大人の精神力が必要ではないでしょうか?
たとえば本当は夢があったのに、サラリーマンの出世レースに巻き込まれて意地を張っているうちに周囲が見えなくなり、夢とは無縁の「こんなはずじゃなかった人生」を送ってしまうとか。ゴールまで見通すことができないと、その場の気分に流されて自分を失って生きることになってしまいます。
この瞬間、スピード勝負できる相手を先に行かせることは、先を見通す能力が必要になります。ここで無理をして、途中で燃え尽きるわけにはいきません。ベストバージョンの自分になることが大切なのに、途中で息切れしてしまうような生き方をしてはいないでしょうか。
見えている目の前のライバル一人に勝っても、大多数の他のランナーに負けるようなレースでは意味がありません。自分最高のパフォーマンスを発揮することができたら、もっと魅力的なレースが展開できたのだとすれば、レース(人生)に失敗してしまったということかもしれません。
人生に失敗しないためには、ゴールを見据えた自制が必要なのです。
私のマラソン人生論。人生にもゴールが必要だ
自制するのはゴールがあるからです。ゴールを見据えて力を加減しているのです。ゴールがなければ、自制はただ手を抜いているのと変わりありません。
全力を出し切るためには、ゴールが必要です。
ゴールがないならば、レースの過程で集団を先に行かせた意味はありません。
最高の自分でゴールする気持ちがないならば、自制はただ手を抜いているだけなのと同じです。
幸いにして私が取り組んできたマラソンにはゴールがあります。42.195km先にゴールがあることがはじめからわかっていました。スポーツはたいてい宣言時間などのゲームのゴールが決まっています。
では人生はどうでしょうか? あなたの人生にゴールはありますか? あなたはスポーツに熱中するほど真剣に、人生に取り組んでいるでしょうか?
ほとんどの人は、リアルな人生に、スポーツほどの熱狂を感じられないのではないかと思います。
リアルな人生が、スポーツほど熱中できないのは、ゴールが見えないことが一因ではないでしょうか。
ゴールが見えないから「その日暮らし」の生き方になってしまうのではないでしょうか。
ゴールが見えないから勝敗がはっきりしないし、興奮することもできないのではないでしょうか。
そして突然訪れる「死」にうろたえてしまうのだと思います。
このリアルな人生が、いつ、どの場所で、どのようにして死ぬのか、わかっていれば、それがゴールになるのですが、それは誰にもわかりません。
だからこそ、自分でゴールをつくる必要があるのです。
マラソンがそうであるように、人生でもゴールを決めることが重要です。ゴールがなければ走れません。
ゴールがなければ戦略の立てようがありません。
イーブンペースの魔法は、ゴールがあってこそ発揮できるものです。
あなたの人生にゴールは決まっていますか?
人生のゴールは「死の瞬間」だけとは限りません。
もちろんそこが最終的なゴールですが、途中で、いくつでもゴールを区切ることが可能です。
×歳までに、という自分設定のゴールを自分で勝手につくってしまうのです。
ゴールがなければ、努力の成果の検証のしようがありません。
人生は、小さなゴールの積み重ねです。
いずれにしても、人生にはゴールが必要です。
ゴールがなければ、走れません。
そして人生のゴールは自分でつくるものなのです。自分なりのゴールを決めることが生きていくうえで重要なのです。
この講座で学んだ「走るためのテクニック」が、あなたの人生を輝かせてくれますように。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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