えっ? ひとりじゃサイクリングできないの?
ロードバイククラブに所属しています。けっこうシリアスなホビーレーサーが所属しているチームです。このクラブにはじめて入会した時には「高級車みせびらかし」「セレブリティ倶楽部」のように感じたものでした。
ところが慣れてくると、最初はモンスターのように思えていた人たちも、しょせんは「人間」なんだな、というのがわかってきます。ストイックにスピード持久力を追求する人もいましたし、ひとりで走ってもつまらないという人もいました。
えっ? ひとりじゃサイクリングできないの? あやうく聞き逃すところだったよ。
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このブログの作者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』のご紹介
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードをガチンコで競うようになるところまでを描いた自転車エッセイ集です。
※書籍の内容
●スピードこそロードバイクのレーゾンデートル
●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。体重ライディング理論。体重ペダリングのやり方
●アマチュアのロードバイク乗りの最高速度ってどれくらい?
●ロードバイクは屋外で保管できるのか?
●ロードバイクに名前をつける。
●アパートでローラー台トレーニングすることは可能か?
●ロードバイククラブの入り方。嫌われない新入部員の作法
●ロードバイク乗りが、クロストレーニングとしてマラソンを取り入れることのメリット・デメリット
●ロードバイクとマラソンの両立は可能か? サブスリーランナーはロードバイクに乗っても速いのか?
●スピードスケートの選手がロードバイクをトレーニングに取り入れる理由
初心者から上級者まで広く対象とした内容になっています。
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ローテーション練習会。プロトンを形成しながら先頭を交代していくスタイル
わたしが所属するロードバイククラブでは、毎日曜日の早朝に「練習会」をやっています。自由に走るスタイルではなく、ローテーション練習といってプロトンを形成しながら先頭を交代していくスタイルでいつも同じコースを走っています。
なぜいつも同じコースなのかというと、信号がすくなく、歩行者がすくないルートを厳選して選択しているからです。車もすくなく、直線が多いのでスピードを出すこともできます。
コースがわかっていると、危険な箇所も決まっているので、プロトンの安全にも貢献します。
このようなローテーション練習会を毎日曜日にやっているのですが、その人は今では練習会以外ではもうほとんどロードバイクで外を走ることはないのだそうです。
どうしてですか? と聞くと、「ひとりで走っても面白くないから」という先ほどの回答だったのです。
ロードバイクの集団は、退屈も、風の抵抗もない
いや気持ちはわかりますよ。ローテーション練習会ならみんなで先頭を交代しながら進みますが、ひとりだとすべての風の抵抗を全身に受けなければなりません。
練習会ならハンドサインを送るなど集団の中で交流があります。プロトンは一匹の巨大な竜のような動きをします。孤独を感じることはありません。
それに対して一人で走るのは……わたしも単調な河川敷を通勤バイクで通った経験の持ち主ですのでわかります。単調ですよね。仕事だからできたことです。同じことを個人的な趣味の時間にやりたいとは思いません。
むしろアップダウンのある山岳道路の方がギアチェンジやハンドル操作があって退屈しないのではないでしょうか。
しかしそれにしてもひとりじゃ走れないというのはどうなんでしょうか。ロードバイクよりも野球とかサッカーに転向した方がいいような気がしますけど?
ロードバイクは集団競技。向いているのは陸上競技よりも集団球技からの転向組
自由と孤独はワンセット
自由と孤独はワンセットです。孤独じゃなくなろうとすると自由ではなくなり、自由であろうとすれば孤独はつきものなのではないかとわたしは思います。
けっきょく、自由というのは、起きたい時に起きて、食べたい時に食べて、やりたいことをやって、眠たいときには眠る。それに尽きるのではないでしょうか。自分の好きに使える時間をもっていることが自由です。
時間が自由にならなければ、いくらお金をもっていても自由ではありません。
「会社員は奴隷じゃない」このテーゼは正しいですか? たしかに会社員は「いわゆる奴隷」のような状態ではありません。しかし意に反してやりたくないことをやらなければならないし、勤務時間という時間に拘束されています。この勤務時間が守られていればいいのですが、ブラック企業では公私の別がないほど長時間労働だったりします。
自分の時間がなければ自由がないのと同じです。自由がなければ奴隷と同じではありませんか。
本当に時間が自由になれば、夜中に眠れないのは悪いことではありません。いくらでも起きていて、好きなことを楽しめばいいんですから。でも、明日、重要な会議があったら、睡眠薬を飲んででも寝た方がいいですよね。寝てはいけないときに睡魔に襲われるというのは一所の拷問です。それを避けるためには自分の自由な時間を睡眠薬で塗りつぶしたほうがいいというわけです。
さて、そこに自由はあるでしょうか?
ロードバイクを降りないことが、もっとも重要なこと
怠惰な日中を送ってしまったとしても、夜に取り戻せばいいのです。でもたいてい友だちは夜中には寝ていますよね。夜は誰でも孤独です。でも自分の時間です。
夜こそ人生を楽しめ。夜こそ自由です。でも夜は孤独です。だから自由と孤独はワンセットなのです。
アマゾン・プライムビデオで『氷点下で生きるということ』という作品があります。シリーズ化されていて、人気があるようです。わたしも大好きでよく見ています。
しかし冬に見る気はしませんね。『氷点下で生きるということ』は夏に見る作品だと思っています。真夏の暑いさかりにパンツ一枚で『氷点下で生きるということ』を見ていたら、
自由か。あっちは氷点下、こっちはパンイチ
と、あきれられてしまいました。
でもこれが自由だってことなんだと思います。この瞬間、好きなように生きられるということが。
「ひとりで走っても面白くないから」というロードバイク乗りは若い頃はかなりの乗り手だったそうなのですが、今では集団を先頭でひっぱる力はありません。
孤独に走れる人間だけが、集団を先頭で引っ張ることができるのではないでしょうか。
孤独に走れる人だけがロードバイク乗りとしては強くなります。
しかし「ひとりで走っても面白くないから」氏の肩の力の抜けたあり方もホビーレーサーとしてはわるくないとわたしは思います。
今という時間を楽しむためには、現役でいることがもっとも重要です。
バイクを降りてしまっては、もはや血を沸かせることも、歓喜にふるえることもできません。
よく生きるためには、ロードバイク乗りというのは、乗り続けることが重要なのだなあと思います。
そのためには現役であることがいちばん大事です。バイクを降りないことが、もっとも大事なことなのです。