みなさんこんにちは。放浪のバックパッカー、アリクラハルトです。世界を放浪する旅も慣れてくると「お目当て」をつくって旅をするようになります。ただ普通に旅をするのは一度やってしまっているので、次は「イベントを絡めて」旅をしようと思うのです。「お祭り」を絡めて旅に出るというのが定番です。
わたしの知っている人には「世界のマラソン大会」を走ることを目的に旅をする人がいます。
ワールド・マラソン・メジャーズ6大会フィニシャーズメダルの獲得方法・完走記
皆既日食なんかもずっと日本にいると百年に一度ぐらいしか見られませんが、世界中を旅して追いかけるなら、毎年どこかで見られるそうです。皆既日食、見たことありますか? わたしはこれまでにエベレストもピラミッドもアイガー北壁もグランドキャニオンもナイアガラの滝も見ていますが、皆既日食ほど感動したものはありません。
これは国内旅行に行きつくした旅人が、次は「お祭り」をテーマに旅をするというようなものです。イベントを追いかけてついでに旅をするというスタイルです。
そういうわたしは、できる限り「万国博覧会」を追いかけたいと思っています。このページは、万国博覧会に対する愛を綴っているページです。
【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのアリクラハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。ランニング雑誌『ランナーズ』の元ライター。著書『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべてのスピード狂。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!
万博バンザイ。万博ダイスキ
わたしが万博好きになったのは「つくば万博」からです。「つくば万博」が面白すぎたために、いっぺんで万博好きになりました。
その後、愛知万博、上海万博、ミラノ万博と通っています。
万博万歳。バンパクバンザイ(日本万国博覧会)
先日、YouTubeを視聴していたら過去の「大阪万博」の影像がありました。例の「太陽の塔」の万博です。
いくら万博フェチのわたしでも大阪万博には行ったことがありません。年齢的に無理です。1970年。
今、わたしたちは「大阪万博」と呼んでいますが、映像を見ると当時は「日本万国博覧会」と呼んでいたようです。場所が大阪なだけで「日本でやっている博覧会」だということでしょう。
1964年の東京オリンピックが「都市名」ですし、江戸時代末期1867年に江戸幕府だけでなく薩摩藩まで出展したという有名な万博がパリ万博(浮世絵などの日本ブームが起きてゴッホなどが影響を受けた万博)なのを考えると、なぜ大阪万博だけ都市名でなく国名だったのか、謎です。都市名でよかったのでは?
しかし過去の影像を見ていたら、当時の大阪万博にものすごく行きたくなりました。ああ、行きたかった。悔しい! と思えるものでした。
実際のところ、何がそんなに面白そうに感じたのでしょうか。
アメリカの月の石はたいしたことありません(見た目はただの石)し、NASAの展示も今ではJAXAとかワシントンのスミソニアン博物館に行けば同様のものが見られます。今振り返って見ると、写真の展示も多かったみたいです。万博のパビリオンの中で写真・パネルの展示はいちばん面白くない展示です。残念なやつです。わかりますよね?
でも1970年当時はそれでも面白かったんじゃないかな。まだ情報がそれほどない時代のことです。海外旅行が庶民に解禁されたかされていないかぐらいの時代です。白人や黒人など、生で見るのははじめてという人も多かったでしょう。
ジェットコースターや動く歩道、東京ドームのような建物など今では当たり前の技術が「どうだ」と誇らしげに展示されています。
全身洗濯機のような新技術は、庶民にこそ普及しませんでしたが、介護施設などで利用されているそうです。
そのいろいろな観客たちの「すげえ!!」という観客たちの感動が、わたしを感動させたのでした。
きっと現代のわたしたちが見たら「たいしたことないものばかり」だと思いますが、それでも周囲の人たちの「感動」「驚き」が、わたしたちを感動させ、驚かせてくれるだろうと思うのです。
もう遅いよ。今さらリニアモーターカー
また大阪万博の影像では、未来の超特急リニアモーターカーが紹介されていました。1970年ですよ。それから50年もたったのに未だに日本では収益をあげられずにいます。
遅いよ。遅すぎる。
リニアモーターカーだけは期待外れもいいところです。わたしはリニアモーターカーには何も期待していません。日進月歩の技術の世界で50年たっても収益化できないものに何の期待ができるでしょうか。
1970年には想像もできなかった自動運転の車が目の前に来ているのに、リニアモーターカーは何をやっているんでしょうか。リニアの関係者たちには「恥を知れ」と言いたいですね。
展示も動画なら許される。
写真、パネル展示は「低予算で出展できる」「面白くない代表選手」「残念な展示」ですが、動画でやればゆるされるところがあります。超巨大スクリーンで映像化するとか、360度映像で体験化するとか、立体映像・VR化するとか、映像ならまだ現在の万博でもパビリオンとして人気があります。
上海万博でいちばん人気だったサウジアラビア館は360度映像でした。
これからのパビリオンなどうなっていくのでしょうか? まだしばらく映像の時代が続くのでしょうか?
ここらで「乗り物」「映像」「ショー」を越えた「何か」が、登場してくれればエポックメイキングな万博になるのですが……。
お国の紹介ということで、出展国の影像を流すというワンパターンの展示になりがちなんですよ、万博は。
どれだけ時代が変わって科学技術が進化しても変わらないのは「人間」です。わたしが万博の総合演出家だったら「人間」に頼ったものにするでしょう。予算(人件費)がばく大になりますが……。
各国から選抜された人が来日して踊りや演奏、お祭りなどを再現する「人間」の展示は、リアルに外国人を見ることのすくなかった1970年当時の大阪万博では大人気でした。それは現代でも変わりません。わたしは世界30カ国近く旅をしていますが、ボリビア人とかボツアナ人には会ったことも見たこともありません。
リアルな外国人との交流。けっきょく、これに尽きるのではないでしょうか。これほど楽しいことは他にないと思います。その熱気が、大阪万博の楽しそうな雰囲気をつくっていたのだと思います。
また国内各地の「お祭り」も再現されていたようです。竿灯まつりなんか、ぜひ生で見てほしいお祭りです。当時はまだ東北新幹線もありませんし、そういうものを知らなかった人も多かったのではないかと思います。
まだ万博が最先端の情報を知る場、学びの場として機能していた時代でした。
大阪万博では「パスポート」を用意して、各国のパビリオンで入国スタンプを押してもらい、世界一周旅行をするという遊び(仕掛け)もありました。
昔に比べると万博の役割はもう終わっている
国威を発揚し、未来を先取りし、人々に未来を示す……そんなかつて万博が担った役割はもう終わっています。
誰も知らない、とっておきの最新技術は、昔は国がプライドをかけて万博の場でお披露目したのです。
有名な幕末のパリ万博では、ドビュッシーがガムラン音楽に出会ったとか、江戸幕府の出展したパビリオンからジャポニズムが生まれ、浮世絵がブームとなってゴッホらの絵に影響を与えたとか。
そのように「万博」ではじめて異文化を知った。カルチャーショックを受けた、という「体験」がかつての万博にはありました。
いまでもそういう「体験そのもの」は人の数だけありますが、旅先で個人的に経験するもので「万博の場」でするものではなくなっています。
インターネットもあります。今ならば万博を通すまでもなく手に入る情報です。しかし当時は万博しかなかったのです。福沢諭吉や森鴎外の本しかなかったのと似ていますね。発見と驚きで、当時の万博ほど面白いものはなかったでしょう。
しかし今ではインターネットや、商業のスピードは凄まじく、5年に一度の万博で披露されるのを待ってはいません。次々に最新技術は日常的に投入されて、万博で初めて知る技術というものはほとんどなくなっています。
たとえばiphoneやドローンやVRや自動化運転のようなものは、昔だったら万博の目玉として披露されるような技術ですが、現代では万博を待つまでもなく商業ベースで人々を驚かせています。日進月歩の世界ではスティーブ・ジョブズのような人が自社の製品発表会や幕張メッセのような場で即座に他社よりも一秒でも先に競って最新技術を発表しているからです。
逆に言えば、万博に驚きがないのです。
現在の万国博覧会が、いまひとつ面白くないのも、これが理由です。
上海万博でいちばん驚いたのは、この子でした。
商業化とは無縁のこの子のようなものは、万博じゃないと見られないものといってもいいでしょう。
大阪万博2025に期待しています
次の大阪万博(2025年)は何を見せてくれるでしょうか。もしかしたら「驚くもの」「初めて見るもの」など何一つないかもしれません。
それでもたくさんの外国人が来て、お祭りや踊り、音楽など生きている姿を見せてくれることでしょう。すくなくとも「人間」を見ることはできます。
足で回れる世界一周というコンセプトがわたしは大好きなのかもしれません。
(フロリダのディズニーワールドにこのコンセプトのテーマパーク(エプコット・ワールド・ショーケース)があります。4年に一度ではなくいつでもやっている万博です)
次の大阪万博にもわたしは期待しています。必ず、見に行きます。