新型コロナウイルス、コビット19の影響で、なにごとも自粛、自粛ということになっている。すると河川敷や公園をマスクをつけずにジョギングするランナーに対しても、その行為は許されるのか? と疑問を抱く人がいるようだ。ランニング中は深い呼吸をしているから、すれちがった時に感染のリスクがあるだろう、という理屈である。
マスクをつけるとかつけないではなく、みんな外出自粛してステイホームしているのだから、そもそも走るのをやめろ、との同調圧力がランナーたちにかかっているのだ。
感染症の専門家に「マスクなしのランニングに感染リスクはないのか」と聞いたら「リスクはある」という返答だったということがランニング自粛論の論拠となっている。
だが専門家はこんなとき、リスクはある、と答えるに決まっているのだ。専門家として間違ったことは言えないのだから「可能性がある」と言っておけば責任逃れができる。保身の論客だ。
同じ研究者に「マスクをつけて走ればノーリスクなのか」と聞いたら「リスクはある」と答えるだろう。「散歩はノーリスクなのか」と聞いたら「リスクはある」と答えるだろう。「生きていることにリスクはないのか」と聞いたら、やはり「生きていくことにはリスクがある」と答えるだろう。
「リスクがある」と言っているだけなのだ。そんな論拠の議論は容認できない。リスクがあるのはあたりまえじゃないか。
満員電車を放置しておきながら、アスファルト道路を孤独に走るランニングをやめさせようなんてちゃんちゃらおかしいぜ。
外出自粛をすればそれでいいのか? おれたちは、ただ生きたいのではない、よく生きたいのである。
ランニングマン宣言
ランニングマンは、マスクで鼻と口をひた隠しにすることを鼻で笑って拒否する。
ランニングマンは、ランニングハイの恍惚に全身を満たし、生きるよろこびに満ち溢れ、いつか走れなくなるその日まで、生きることは走ることだと公言する。
ランナーが新型コロナウィルスで失うものはなにもない。
ランナーは自由を手にするのだ。
すべての国ぐにのランナーよ、団結せよ!
アリクラ・ハルト
2020.5.4
※※※YouTube動画はじめました※※※
書籍『市民ランナーという走り方(マラソンサブスリー・グランドスラム養成講座)』の内容をYouTubeにて公開しています。言葉のイメージ喚起力でランニングフォームを最適化して、同じ練習量でも速く走れるようになるランニング新メソッドについて解説しています。気に入っていただけましたら、チャンネル登録をお願いします。