このページでは、日本脚本家連盟で作劇術を学んだこともある、物書きのはしくれが「物語のあらすじを紹介することについて」の考え方をまとめたページです。
ネタバレだからといって物語のあらすじを紹介することをタブー視する人がいますが、あらすじを紹介したことで物語の価値はまったく損なわれないばかりか、むしろ新しい読者層を獲得するばかりで、むしろどんどん紹介するべきだ、というのが私の考えです。
書評に対する基本スタンス
本ブログでは書評をじゃんじゃん書いていきたいと思っています。とくに文学作品については、読書へと誘うイントロダクションとしてガイド的な稿を充実させていきたいと思っています。
私はものごとを単純化するのが得意です。それは人に「簡潔に」「要点を」紹介できるということです。大切なことが何なのか、はっきりと言うことができるということです。
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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
・マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
・ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。
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たとえば『アトムのジェット走法』や『踵落としを効果的に決める・走法』のように、独特の表現力によって、初心者に大切なことを、わかりやすく理解してもらえるようにできるということです。
文学作品ではあらすじを紹介することをおそれません。ネットの世界では「ネタばれ」としてタブー視されることもあるストーリー紹介であるが、私のあらすじ紹介に関する基本的なスタンスを以下に表明しておきたいと思います。
あらすじは地図のようなもの

さて、往々にしてわかりにくく、冗漫で、刺激の少ない文学作品を、刺激を求めてさすらう若者が読むためには、どうすればいいでしょうか。そこで登場するのが「あらすじ」です。
文学作品は物語的な面白さ(スリル・サスペンス)なんかまるで追求していない場合もあります。それよりも「こころ(心象風景)」を追求している場合が多いでしょう。桃太郎が鬼を退治したというストーリーそのものではなくて、桃太郎が鬼を斬ったときにどんな感情がよぎったのか、とか、桃から生まれたことの自己のアイデンティティ不在をどう解消したのかとか、そういうことが文学作品の核心であることが多いものです。それがないから『桃太郎』は文学ではなく、昔話の範疇なのです。
おそらく名作と呼ばれる作品ほど人間の深淵を描いていることでしょう。同じ恋でも、恋人の幸せのために身を引く恋もあれば、破滅に向かう恋もあります。文学者は言葉の達人、表現の名人です。文学にはあなたが感じたけれどうまく言葉にできなかった思いが表現されているはずです。
それと出会うのが読書という旅のよろこびでもあります。
文学作品の核心を知るには、詳細(ディテイル)を読むしかありません。あらすじは文学の理解を助けこそすれ邪魔しないのです。「あらすじ」を最初に読んで大きな流れを頭に入れれば、自分が全体の中でどこにいるのかわかります。あらすじは地図のようなものです。
葛藤を感じている最中なのか、葛藤と格闘しているところなのか、葛藤を解消しようとするクライマックスを読んでいるのか。全体の中で自分がどこにいるか把握していれば、道に迷うこともありません。
あらすじで把握したその場所、状況の中で、作者が何を訴えようとしているのか。どんな技巧を発揮しているのか。それを追求することが、読書という冒険、旅になります。
読書の面白さはディテールにある。あらすじに本当の味はない

文学にはあなたが気づけなかった感情が描かれていて、それを発見し、それに触発されることもあるでしょう。その淵源の感情を追体験することも文学の目的のひとつです。
だから、あらすじには文学の本当の味はないのです。私はそう思っています。
旅先の市場や路上や安宿街を歩くことと、地図を眺めることは全然違います。
読書という冒険のおもしろさはディテイルにこそあるのです。
読書することで、自分を知ることができる。

あらすじで把握した状況の中で表現されている「作者の思い」と感じた「あなたの思い」が違っていれば、それが「あなたの個性」です。同じ状況でも、作者とは目の付け所が違うかもしれない。胸をよぎる感情が違うかもしれない。それが「あなた」なのです。読書することで、自分を知ることができます。
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。
そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。
※本は電子書籍がおすすめです。



