フランケンシュタイン。原作小説を超える二次創作もある

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子ども向け絵物語の『フランケンシュタイン』のストーリー

「フランケンシュタイン」世界昔話#92

幼いころ、子ども向きの絵物語で『フランケンシュタイン』を読んだことがあります。『世界昔話』というアニメになったものが書籍化されたものです。(以下、絵物語と称す)

その絵物語はこのようなお話しでした。

「フランケンシュタイン博士がつくった怪物は、死体をつなぎあわせてつくった異形のものでした。嵐の夜、落雷によって無生物に命が吹き込まれました。神の子ではない人間。人間がつくった人造人間でした。

しかし見た目の気持ち悪さから「怪物」は人々から嫌悪されます。生みの親フランケンシュタイン博士にも嫌われて、目ざめて最初にフランケンシュタイン博士を殺します。

しかし怪物は見た目こそ怪物でしたが、心は子供のままでした。相手が自分を怖がるのを見るとなぜか悲しくなって殺してしまうのです。人を殺すことが悪いことだということもわかっていません。

怪物は人間たちに迫害され追われます。自分の見た目の醜さに怯えたりせずに微笑んで少女を殺したりはしませんでした。少女に花束をもらって「お花……」とはじめて言葉をしゃべります。

少女を洋館に待たせてお花を摘みにいった怪物を、怒りにかられた民衆が狙っていました。洋館に火をつけて怪物をあぶり出そうとします。

そのとき、花束を手にした怪物が戻ってきます。銃でハチの巣にされながら、怪物は火に飛び込み、少女の命を救います。

「お花……」

少女に花束を渡して、怪物は死にました」

そんなストーリーでした。

残酷な怪物なのは人間(おとなたち)のほうではないか? そんな感想をもったことを覚えています。

「名作だったなあ」という少年時代の印象です。それで原作小説を読んでみることにしたのです。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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メアリー・シェリー原作小説『フランケンシュタイン』は、全然違うストーリーだった

1818年にメアリー・シェリーが発表した元祖『フランケンシュタイン』(以下、原作小説と称す)は、子供向け絵物語とはぜんぜん違う小説でした。ストーリーも違います。それどころか怪物のキャラクターも違うのです。

フランケンシュタイン博士がつくりだした人造人間という設定は同じでしたが、まるで別人のようにキャラクターが違うのです。

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絵物語(二次創作)と原作小説の怪物像の大きな違い

まず原作小説ではフランケンシュタイン博士は老爺ではなく、若者です。絵物語ではいきなり殺されますが、原作小説では最後まで殺されません。むしろ怪物はフランケンシュタインのことを創造主のように思っています。

絵物語では、人を殺すことが悪いことだとわかっていない知恵の足りない幼い子どものような怪物でしたが、原作小説では人殺しは悪で、遺族を悲しませることだとはっきりと認識しています。知能犯なのです。

絵物語では「みんなが自分を恐がるから悲しい」という子供のような無邪気な理由が殺人の動機でしたが、原作小説では、「自分だけが嫌われ、うとんじられているみじめな存在だ。だからみんなに同じ気持ちをあじあわせてやりたかった」「おれが悪意を持つのは、みじめだからだ」「おれを憐れんでもくれぬ人間に、なぜおれだけが哀れみをかけなくてはならぬのだ」と、人殺しを悪とはっきりと認識した上で、みじめな気持ちを晴らす手段として殺人を犯します。そしてそのことを苦しんでいます。人を殺した弁明をして自己正当化しようとします。まるで近代文学の主人公のような怪物なのです。

それだけではありません。

絵物語ではただのけ者にされているだけの怪物ですが、原作小説の怪物はなんとか人間社会に溶け込もうと努力するのです。怪物はただの「容姿醜悪」な「嫌われもの」の人間の象徴ではないか、とさえ思えます。

人間の容姿が人間関係に決定的(致命的)な影響を及ぼす、という「整形もの映画」みたいなことがフランケンシュタインのテーマです。原作の作者は女性だけに、容姿の美醜が人間関係に及ぼす影響については、敏感に感じ取っていたことでしょう。

怪物って人間の比喩なんじゃないの?

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怪物の誕生

フランケンシュタイン博士は錬金術に心を奪われて、人造人間をつくりだそうとします。2年間精魂を傾けて命をもたないものに、命を吹き込もうと知恵の限りを尽くします。

死者蘇生の錬金術

絵物語では墓場から死体を掘り出していましたが、原作小説では解剖室や食肉工場から素材を得ます。

えっ、食肉工場? それって「食用肉」じゃん。死体の筋肉や関節や血管を繋いで稲妻で命を吹き込んだ、という命のあたえかたではありません。

怪物が誕生する瞬間も、原作小説ではあっさりしたもの。謎の錬金術によっていつの間にか生命が誕生します。落雷によって生命が吹き込まれるというハデな誕生シーンではありません。

そしてフランケンシュタインは、気味の悪い怪物を見なかったこと(なかったこと)にして放り出してしまいます。絵物語では冒頭いきなり殺されてしまいますが、原作小説ではむしろ生みの親であるフランケンシュタインが語り部となって、自分の家族を殺した怪物を憎み、殺そうとするストーリー展開となっています。

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原作小説の怪物は、人間界でも指折りの賢さ

絵物語の怪物は、知能の低い、言葉もたどたどしい、動きの鈍い怪力男でした。フランケンの怪物といえばたどたどしい喋り方がトレードマークはないでしょうか。フンガーと言ったりね。

しかし原作小説の怪物は、とても流暢な喋りをします。弁士のように喋ります。そして『失楽園』『若きウェルテルの悩み』『プルターク英雄伝』を読んで文字を覚えます。『プルターク英雄伝』なんてよく読んだなあ。人間の中でも賢い部類に入るのではないでしょうか。

【寝る前に聞くお話し】ジョン・ミルトン『失楽園』。自由解放ゲリラ戦士のような悪魔サタン
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原作小説の怪物で、作者は超人をつくろうとした

わたしたちがフランケンシュタインの怪物にもっているイメージは「怪力だけど、のろま」ではないでしょうか。絵物語の怪物も、のっそりと歩くばかりで、一度も疾走するシーンはありません。

しかし原作小説の怪物は俊敏です。人間よりも素早く、鷲が飛ぶよりも速く山を駆け下り、あっというまに姿を消してしまいます。

しかも怪力です。足も速くて力も強い。強くて速い……原作小説の怪物はまるでアキレウスのようなスーパーマンなのです。

小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学

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恐怖よりも哀しみ。ホラーではなく、文学として読める原作小説

このように原作小説の怪物は、ひじょうに人間っぽいのです。「友達がいない」とか「恋人がいない」とか「軽んじられている」とか、普通の人間の悩みと同じことで怪物は悩んでいます。

悩みは深く、ホラーではなく文学としても読めるほどです。

原作小説ではヴィクター・フランケンシュタインは悲しみとストレスのあまり衰弱して死んでいきます。怪物はみずからの創造主であるフランケンシュタインの死を嘆き悲しみます。

徳を貴ぶ心をもち、幸福をもとめ、情愛をわかちあいたいと思っていたのに、創造主の死とともにすべての希望は消えました。怪物は北極でみずからの醜い体を燃やして灰になると言って北の海に消えていきました。自殺を予告して物語は終わるのです。

……うーん。クールだよね。そして大人だよね。原作小説の怪物。

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原作を超える二次創作もあるということです。

原作小説『フランケンシュタイン』は、怖いというよりも、哀しい小説でした。そしてやはり非常に怪物がキャラ立ちしています。キャラ立ちしているからこそ、怪物のキャラクターを利用した二次創作がたくさんできました。冒頭の絵物語もそのひとつでしょう。

吸血鬼ドラキュラ(バンパイア)も同じですが、怪物のキャラクターだけ借りて、他のストーリーを展開するという二次創作があります。作者が死んでも物語が続く「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」なんかも二次創作といえなくもありません。原作者とは違う人がキャラクターだけ借りてつくっていますからね。

フランケンシュタインも、原作は原作として面白いのですが、怪物があまりにもキャラ立ちしすぎていて、そのキャラクターだけを借りて、たくさん二次創作されています。

映画になったものもあります。やはりストーリーは原作通りではありません。そういった二次創作の中には、原作を超える二次創作もあります。

わたしが少年時代に読んだ絵物語のフランケンシュタインも、やはりそのような二次創作のひとつだったのだと思います。

大人の人間と同じような悩みをもっていた原作小説のフランケンシュタインの最後は「自殺」です。それにくらべると冒頭の絵物語の怪物は、あくまでも善悪の区別のつかない無垢な子どもです。そして「お花……」と呟きながら人間に殺されてしまいます。

そしてどちらが感動的かというと、やはり「お花」と呟いて死んでいった絵物語の方ではないかと今でも思うのです。

原作を超える二次創作もあります。だから作者はストーリーよりも、キャラクターづくりに全力を注ぐべきだ。今回のコラムのこれが結論です。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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