ウルトラマラソンの前日にテントに泊った体験記【宿なし遠征】
ウルトラマラソンは旅。才能とか体質とかではなく「慣れ」で完走できる
このウルトラマラソンは四国で行われるため、千葉県在住の私は往復は飛行機を使用することにしました。車で四国に行くのは、有料道路を使わなければならないという大問題が横たわっています。
車で四国には有料道路を使わないと行けないのは、税金の使い道からいって問題があるのではないか?
日帰り参加は無理なので、どこかで泊らなければなりませんでした。これまで【サロマ湖】とか【チャレンジ富士五湖】などでエントリー受け付け会場ちかくにテントを設営しているランナーを見てきた経験から自分もやってみることにしました。ホテルの予約をしないで、テントだけを担いで高知県へと向かったのです。
わたしは海外放浪が趣味で宿の予約なしで外国に行くことは慣れていたのですが、真剣に走るつもりのマラソンレースで宿なし遠征をやったことははじめてでした。
バックパッカーの敗北。ホテル予約サイトの驚異的な実力のこと。安さを選ぶか、自由を選ぶか。決断を迫られる時代
体育館のような場所でレース前日にエントリー受付がありました。受付後、その建物の庇をかりてテントを広げました。もし自分が最初のテント設営者だったら躊躇したと思いますが、すでに一張テントが張られていたので思い切ってテントを広げることができました。
どのみちどこかにテントを広げなければ、明日のレースは台なしです。やるしかないのでした。庇を借りたのは雨をおそれてのことです。雨で睡眠不足になったらやはり明日のレースはまともに走れません。なにせ明日は100kmも走らなければならないのですから。
一般の部の女子の入賞者と並走。
わたしは富士登山競争を完走したサブスリーランナーでした。あとは100kmマラソンをサブテンで走れば市民ランナーの三冠王。グランドスラムの達成です。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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キロ6分を切るペースで順調の走りつづけました。ウルトラマラソンでは、設定ペースにあわせてわざとゆっくり走らないほうがいいと思います。
ウルトラマラソンの走り方『ばあちゃん走法』(内股高速ピッチ走法)
スタート前の混雑もなくなり、人もまばらになったあたりで、わたしはある女性と二人で喋りながら並走していました。彼女は立命館大学の女子大生。正式な大学の陸上部ではなく、陸上愛好会みたいなところで競技をしている選手だと聞きました。彼女とは走るペースもあったので、そうとう長い間並走していました。
走っているときには変な脳内モルヒネが出まくっています。
彼女も私を利用して走っていたと思います。お互いに励まし合いました。ウィンウィンの関係です。私はこのまま並走してゴールしたらその場で結婚を申し込まなければならないと思いこみました。よくホノルルマラソンのゴール地点で見るアレです。げに脳内モルヒネはおそろしい(笑)。
四万十川ウルトラマラソンには、大休止できるポイントがあります。そこでウェアを着替えたり、シューズを履き替えたりすることもできます。自分のザックを受け取ることができるので、栄養補給もできます。立命館彼女はそこにレースをサポートしてくれる友だちを待たせていました。そこで大休止する当初からのレースプランでした。
わたしはレース前から、大休止はしないと決意していました。大休止したら二度と走り出せないと思ったからです。これまで一緒に走ってきた立命館彼女と別れるのは残念無念だったのですが、彼女が「きっと追いつきます」というので、先に行くことにしました。
もう周囲にはまったく女性ランナーはいません。いるのは男性ランナーばかり。レースは急に花を失ってしまいました。
しばらくしてから彼女が追いついてきました。彼女が声をかけてくれたときには嬉しかったのですが、そのときにはもう彼女と並走する力が私には残っていませんでした。年下の足を引っ張るわけにはいかないので「追いつくから先に行って」と先に行かせました。しかしもう二度と追いつけないことは自分でも何となくわかっていました。
そのレースでサブテンを果たし、わたしは市民ランナーの三冠王・グランドスラムの達成者になります。
ゴール地点で彼女をさがしましたが、見つかりませんでした。後日、彼女は一般の部女子で三位になっていたことを知りました。お見事でした。彼女のおかげでいい成績が残せたと感謝しています(笑)。
自力で荷物を持ち帰れず、自宅に宅急便で送った機転
レース後に汗を流したかったので、レース当日は予約していたホテルに泊まってぐっすり眠りました。そしてレース翌日の午後、飛行機で羽田に戻る日程でした。
レース直後よりも、一晩明けた翌日の方が肉体はひどい状態になっていました。マラソンを2時間台で走ってもこれほどひどくはならないというぐらい脚が強ばり動けなくなっていました。
脚はまったく上がらなくなっていました。
間寛平さんのアースマラソンがすごいのは一日に50km走ることではなく、その翌日にもさらに次の日にも同じ距離を走ってしまうことだと思います。いったん休むと人間の肉体は回復モードに入ります。そしてまた筋肉をぶっ壊すこと(走ること)を拒否するモードになるのだとそのときはじめて知りました。
地球一周ランニング。間寛平アースマラソン(kanpei Earth marathon)
足があがらないので階段を登れません。手ぶらでその体たらくなので、テント装備一式が入った重たいザックを担いで千葉まで帰れるとは到底思えませんでした。
困ったわたしは人生で初めての決断をします。ホテルのフロントで宅急便に荷物をあずけて自宅に送ることにしたのです。たまたま宅急便の受付をレセプションで受けているホテルだったので助かりました。
そんな真似をするのは金持ちのゴルファーだけだと思っていました。しかし物理的に荷物を担いで帰れないのだからしかたがありません。往路の大荷物と違い、わたしは手ぶらで帰ることになりました。
帰路の飛行機でも、階段をあがれず、トイレに立つのも腕だけが頼りで、あまりのひどい状態にスチュワーデスが見かねて「車いすを用意しましょうか?」と言われたほどでした。
わたしのほかにも何人かそういう声掛けをした人がいたと言っていました。しかしつい昨日、市民ランナーの三冠王になった男が車椅子なんかに乗るわけにはいきません。ミスター健脚の勲章をもっている男が、車椅子なんて。意地でも申し出は断りました。そして何とか自分の足で自宅まで帰ったのです。
ザックがあったら無事に帰りつけなかったんじゃないかと思います。宅急便で荷物を自宅に送ることにした自分のナイス判断を褒めたくなりました。
必要は発明の母だといいますが、追いつめられていたからこそ、荷物を送っちゃうという発想が湧いたんだと思います。普段の自分からはありえない発想でした。
このようにピンチな場面に身を置くと、局面を打開するアイディアを生み出してくれるきっかけになるかもしれません。人間、自分がピンチにならないと、真剣に解決策を考えようとはしません。普段はのんびり眠ったように生きていたりするものなのです。
追いつめられたために、普段湧かない知恵が湧いて、普段やらないことができたという体験でした。
四万十川ウルトラマラソンは、ランナーとしてのわたしと、バックパッカー、登山者としてのわたしの集大成のような大会でした。違うように見えますが、根はひとつなのです。