どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
我々バックパッカーが宿の予約はせずに、現地で探すのには、いろいろな理由があります。
最大の理由は『自由』と『冒険』そして『出会い』。
実際のところ、宿の予約をしてしまったら、その日はその町にいなければなりません。
楽しすぎて延泊したいと思っても、翌日の宿の予約をしてしまっていたら、移動しないわけにはいきません。それは『不自由』です。
つまらない町から、次の新しい町へはやく旅立ちたくても、宿の予約がしてあると、それもできません。
またホテルの場所も重要です。安くてよさそうなホテルが目の前に空いているのに、わざわざ予約したホテルまで行かなければならないというのは『不自由』なことです。そのホテルが期待外れのグレードだったとしたら、失敗したなという気持ちで満たされますし、予約ホテルの場所がわかりにくかったりした場合には、ますます目の前の安くてよさそうなホテルに泊まりたくなります。市場や屋台街の近くのホテルがスカスカに空いているのに、わざわざ予約したホテルまで帰らなければならないのは不自由なことです。
予約してあるから確実に泊まれる、という安心感も実は旅の冒険心を損ないます。放浪の旅というのは今夜どこに泊まるのかわからない。明日はどの町をさまよっているのかわからないからこそ面白いのです。今夜はこのホテル、明日はあのホテル、と決まっていては、冒険心が満たされません。スケジュールをこなしているだけのような気がしてしまいます。
今夜泊まれるのかというドキドキ感。ホテルが見つかったときの安心感は旅の大きな要素です。新しい町に着くたびにホテル探しに毎回1時間は使うでしょうか。それは決して無駄な時間ではなく、偶然の出会いに身を任せる貴重な冒険の時間になっています。
また冒険した結果、個性的な宿と出会える喜びというものもあります。個性的というのは「ひどい目に遭った」という場合がほとんどですが(笑)。日本人で予約できるようなホテルは一定の基準をクリアした清潔だけど似たようなホテルばかりです。似たようなつくりで安心・安全、そして記憶に残らない、というホテルばかりです。
香港の監獄のようだったサクラホテルや、婦人科の分娩台のようだったチョンキンマンション。ホーチミンはデタム通りの鉛筆ビルの自宅かホテルかわからない部屋や、リッチなのにバイク音のうるさすぎるハノイのホテルとか。韓国ソウルでは部屋は寒すぎるのにオンドルは熱すぎて、寒さと熱さの両方で苦しみました。
とどのつまり、思い出に残るホテルはすべて出会い、とびこみです。
宿泊予約のない放浪の旅の魅力を語りだしたらキリがありません。
しかし、実際のところホテルは日本から予約して行くよりも『現地で探した方がずっと安い』ということも大きな魅力だったことは間違いありません。
たいてい放浪の旅をしている者は貧乏人です。出費をできるだけ削ろうと考えたら、まずは宿泊代から削ろうということになります。アポ無しの方が安く泊まれたのです。
アジアなどはホテルが過剰気味にあります。まあ宿に困ることはありません。
しかしヨーロッパなど、一流ホテル以外には探すのが難しいような国もあります。
最近のホテル検索サイトの力をみなさんはご存知でしょうか。
とにかく様々な場所の、とにかく安いホテルを表示してきます。しかも地元の人しか知らないだろうというようなマイナーな一軒ホテルを地図表示してきます。
はっきりいって現地で探すよりも安いところを出してきます。飛び込みで、こんなに安いホテルを探せる自信はハルトにはありません。ドミトリーなら別ですが。
こうなると、バックパッカーとしては、決断を迫られる時代が来るかもしれません。
『安さ』と『安全』を選んで、ホテルを予約して行くか。
あくまでも『自由』と『冒険』を選んで、現地でのホテル探しをつづけるか?
これは仕事論、人生論にも通じそうな話ですね。
お金と生活の安定を選んで、サラリーマン生活を続けるか?
自由と冒険を選んで、退職したり、起業したりするか?
どっちとも容易には結論を出せそうもない問題です。
行き先にもよるかもしれませんね。よく知った場所ならいいが、安宿街なんてない、よく知らない町ともなると、もはやホテル予約サイトには勝ち目がありません。
安いからこそ現地で探していたホテルですが、これからはスマホ片手にスマートにホテルを探す人たちの時代かもしれません。
安定と冒険。
もちろん『自由』『冒険』が勝ってほしいと、私は願っています。