ピラミッドは墓! 吉村作治先生の「ピラミッド神社説」は大間違い!

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ワセダの価値観「マスコミ一流、他は三流」就職論

私は早稲田大学出身。これから語る吉村作治先生の教え子の系統にいる者です。しかしこの稿では吉村先生にモノ申したい。「ピラミッドはお墓じゃないと言っているが、間違い。お墓!」という主張です。

昔『就職戦線異状なし』という映画がありました。

この映画は早稲田大学が舞台です。「東大が官僚なら、ワセダといえばマスコミ。就職先はマスコミ一流、他は三流」だとして主人公(織田裕二)が、マスメディアの就職試験を受けていく、という映画でした。

映画のオチは、他人がいいというマスコミに就職するのではなく、自分の好きなスポーツ系会社に就職するという「自分の価値観を大切に生きよう」という映画でした。「マスコミ一流、他は三流」というのは、周囲の価値基準であって、主人公の価値観ではなかったからです。

でもこの映画が面白かったのは「マスコミ一流、他は三流」というワセダの価値観です。今はどうか知らないが、私の時代には確かにそういった雰囲気がありました。

在野精神というのは、放浪のバックパッカーになって権力(政治)から隠遁することではなく、もうひとつの権力(マスメディア)によって「東大閥なにするものぞ」というスピリッツだと思います。

正直、ワセダの功労者というのは芸能、スポーツ関係者ばかりです。

マスコミに乗って有名になるだけでなく「さすがワセダの出身者は違うな」と大学の名を上げるような卒業生は、ほぼ芸能、スポーツ関係者だといってもいい。

江戸川乱歩とか、村上春樹とか、瀬古利彦とか、荻原健司とか、タモリなど、ワセダの名前を圧倒的に高めて、自分も早稲田大学に行きたいと若者たちに思わせている人物は、ほぼ芸能、スポーツ関係者。

世界的なエジプト研究者。早稲田大学の大功労者・吉村作治。ピラミッドは墓じゃないと主張

そんな中でエジプト研究で有名な吉村作治先生は、唯一の例外といってもいいぐらい、学究・学問の面でワセダの名前を高めた人物だった。

しかしワセダは異端のこの人物をあまり大切にしなかったと思う。著名な研究者は、サイバー大学初代学長、東日本国際大学学長といった経歴で、あまりワセダとは無関係のところで将来は語られるかもしれない。

学究面でワセダの名前を高めるという珍しい存在である吉村先生であるが、私はこの人のエジプト研究で「どうなのよ? 人の言わないことを言いたい気持ちはわかるけど、ちょっと口が滑っちゃったんじゃないの?」と思うことがある。

吉村先生は「ピラミッドは墓じゃない」と言っているのだ。いや、墓だろう。とわたしは思う。これは教え子の反乱である。

メキシコのピラミッドは確かに神殿

私はエジプトに行ってピラミッドをこの目で見たことがある。メキシコに行ってメキシカン・ピラミッドをこの目で見たこともある。堺に行ってこの目で仁徳天皇陵を見たこともある。

見たことはあるが、掘ったことはない。だからこれからの主張は古代ギリシアの哲学者のように理性を働かせたうえでの主張です。

掘った証拠があってのことではないが、エジプトのピラミッドは墓だと思う。

たしかにメキシコのピラミッドはお墓ではありません。なぜなら頂上に祭壇があるから。頂上の祭壇は、イケニエの心臓を取り出して太陽に捧げた場所です。なるべく太陽神の近くで心臓を捧げるために高い場所に祭壇をつくったというわけです。

バベルの塔のモデルであるジッグラトがお墓でないように、メキシコのピラミッドはお墓でありません。

でもエジプトのピラミッドはお墓じゃない? だって階段ないじゃん。頂上に祭壇ないじゃん。

「ピラミッド神社説」の根拠

昔のピラミッドは階段どころか化粧石でツルツルしていたそうです。今はゴツゴツして階段みたいですが、それは表皮を剥されてしまったからです。そもそも上に登る階段はありません。どちらかというとお城の石垣に近いものだったのです。頂上にはキャップストーンという尖った頂上石がありました。神官たちが頂上に立てるような設計ではないのです。

吉村先生はピラミッドを「お墓ではなく、神様の居場所」と主張されています。日本人風にいうと神の居場所だから「神社」ってことだよね。「ピラミッド神社説」です。

そう考える根拠はいろいろあるようです。

お墓だとしたら、ミイラがあるはずなのに、肝心のミイラがどのピラミッドにも存在しない、とか。

太陽の船のような、明らかにお墓用というよりは祭祀用と考えられる副葬品が見つかっている、とか。

人間用とは思えない複雑な通路がピラミッド内部にある、とか。

仁徳天皇陵古墳はお墓ですが、現地では明らかに神社あつかいされています。鳥居もあります。

吉村先生はお墓でないと言っている以上、ただの宗教施設だと言っているのです。

この際、お墓だとか、宗教施設だとか、神社(神の居場所)とか、葬祭装置とか、定義が被っている部分があってまぎらわしいので、論点を一点に絞ります。

お墓か、お墓じゃないか。つまり遺体があるか、ないか。という一点です。

理性で考えれば、ピラミッドはお墓。

遺体がないからお墓じゃないというのは間違っていると思います。いかにエジプト学の権威の吉村先生が神社説をとなえようとも。

遺体は盗まれたんでしょう。墓泥棒に。金銀財宝と一緒に。

かつてミイラは漢方のように薬として扱われたそうです。ファラオのミイラからできた薬となれば、ヨーロッパの貴族が「不老不死の薬」ぐらいの感覚で大金で買ったのではないでしょうか。

盗掘された副葬品ですが、王冠なども「そのまま流通」していれば現在でも残っているはずだし、鑑定すれば、古王国時代のエジプトのものだとわかるはず。

そういうものがないということは盗掘された金は、鋳なおして、ただの金として流通しているのでしょう。ミイラも同じように解体されて薬になってウンコになったのではありませんか。

ピラミッドの中身は、4500年のあいだに全部、盗まれたんでしょ。王家の墓だって、たいしたファラオじゃないツタンカーメンの小さなお墓以外は、ぜんぶ盗掘されていたわけだから。

そしてツタンカーメンの遺体は有名な黄金のマスクを被っていました。

理性を働かせましょう。

ひとりの王様に一個というのは、どう考えても墓でしょう。日本の古墳も同じです。ひとり一個というのは墓じゃん。古墳は一天皇一個じゃん。墓だからじゃん。

遺体のミイラがないのは、みんなツタンカーメンの黄金マスクのような金銀財宝を身にまとっていたからでしょう。棺はマトリョーシカのように重ねた構造になっているから、狭いピラミッド最深部で開封するよりも、そのまんま丸ごと外に運んじゃった方が楽だもの。

そもそもミイラというのは死後、またこの世に再生するためにつくったのだから、人間が通るとは思えない「魂の再生の道」があって当然でしょう。

応神天皇が八幡大菩薩になったように、ファラオが神格化したら、そこには神が来るのだから、お墓が神社になって当然じゃん。

そもそも「玄室」があります。玄室というのは棺を納める部屋のこと。要するに、お墓ってことじゃん。

以上、どう考えてもお墓じゃん。

新奇な説を打ち立ててこそ、学者として名が上がる

しかしピラミッドがお墓だというのはヘロドトスの時代から定説であり、今日の学者が「ピラミッドはお墓だ」といっても何の学術的価値も新発見もありません。「ピラミッドはお墓じゃない」と言ってこそ新奇であり、注目を集めることができるのです。

だから吉村先生、そっちに走っちゃったんだと思うなあ。

ギリシアの哲学者のように理性で考えれば、「ピラミッドはお墓」そう考えざるを得ないのです。

高野山のお墓は墓石・供養塔。ピラミッドも同じ

※「これまで一度も遺体が発見されたことがないからお墓じゃない」と主張する人がときどきいます。そういう人にはこう答えましょう。高野山には織田信長や上杉謙信の「お墓」があります。しかしその下に遺体・遺骨はありません。要するにあれは墓石・供養塔です。

墓石は「お墓」です。そういう意味でもピラミッドは「お墓」なのです。

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(本文より)

カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。

「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。

あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。

あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。

人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。

むしろ、こういうべきだった。

その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

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