目次
- 1 桜を追いかけて車中泊大遠征1日目。冬と春の境界線を越えて
- 2 平成31年4月26日(金)車中泊1日目
- 3 ゴールデンウィークの大渋滞に巻き込まれない方法=登山のノウハウを活用する
- 4 登山用のザックは車中泊の旅に向いていない
- 5 上杉謙信の関東遠征は豪雪・避寒のため(私の新説)
- 6 冬と春の境界線はココ!
- 7 日本三大渓谷=清津峡。インスタ映えする景色
- 8 新潟県立歴史博物館。縄文文化旅のはじまり
- 9 とうとう日本海へ。
- 10 平成31年4月27日(土)桜を追いかけて車中泊大遠征2日目
- 11 JAL陸マイラーに最適なコンビニはファミリーマート
- 12 鶴岡市加茂水族館。通称くらげ水族館
- 13 地方空港フェチが訪れる。おいしい庄内空港
- 14 酒田市。山居倉庫
- 15 ヒョウが降る夜。同じ日本でも全然温度が違う
- 16 平成31年4月28日(日)桜を追いかけて車中泊大遠征3日目
- 17 鳥海ブルーラインで鳥海山に登るが、雪のため通行止め
- 18 秋田名物ババヘラアイス。ババとはババアのこと(そのまんま)
- 19 白瀬南極探検隊記念館。放浪の旅人の英雄、白瀬矗
- 20 ドライブ旅行にJAFカードのすすめ
- 21 桜を追いかけて車中泊大遠征4日目。平成31年4月29日(月)
- 22 日本昔ばなし『赤神と黒神』。大切なのは勝つことではなく心を掴むこと
- 23 ゴジラ岩。会社の同僚の不倫カップルに遭遇。愛された奴が一番の勝利者なんだ
- 24 男鹿真山伝承館、なまはげ館
- 25 五能線ミステリー。お岩木山は二度現れる
- 26 黄金崎不老ふ死温泉。
- 27 コンビニや食事処がないときはホテルのレストランを利用する
- 28 平成最後の日。戦争のないいい時代だった。
- 29 絶景の朝散歩は車中泊スキルのおかげ
- 30 五所川原。立佞武多の館
- 31 ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと見知らぬ人が指をさす
- 32 平成よ。さらば
- 33 令和元年5月1日(水)令和よ、こんにちわ
- 34 芦野公園。とうとう桜前線に追いついた
- 35 斜陽。人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。
- 36 縄文遺跡の泰斗。三内丸山遺跡。縄文文化は世界遺産登録間違いない
- 37 縄文文化はキャンパー向き。明日からでも始められそうだから
- 38 季節感が狂う車中泊大遠征。日本語で文章を書くのって難しい
- 39 日本三大霊山・恐山
- 40 薬研温泉かっぱの湯。ぬるめで長風呂できる名湯
- 41 日本最北端・大間崎に到着
- 42 桜を追いかけて車中泊大遠征7日目。令和元年5月2日(木)
- 43 車泊賊にとってコインランドリーは砂漠を行くキャラバンのオアシスのようなところ
- 44 十和田バラ焼き。女性とは不思議な生き物
- 45 鹿角のストーンサークル。縄文遺跡ふたたび
- 46 桜を追いかけて車中泊大遠征8日目。令和元年5月3日(金)
- 47 玉川温泉。地球は生きている
- 48 田沢湖で味噌きりたんぽ
- 49 咲くもよし、散るもまたよし桜花
- 50 真室川。花が咲くのを待ちかねて、蕾のうちから通ってくる
- 51 桜を追いかけて車中泊大遠征9日目。令和元年5月4日(土)
- 52 趣味は地方空港めぐり(観光)
- 53 将棋の天童。写真不可なのは何でだろう?
- 54 なせば成る。なせねば成らぬ何事も。成らぬは人のなさぬなりけり
- 55 小野川温泉
- 56 道の駅「喜多の郷」で宿泊。明日には帰れちゃうかも
- 57 桜を追いかけて車中泊大遠征10日目。令和元年5月5日(日)
- 58 大内宿。結婚相手に求める条件とは?
- 59 塔のへつり。東北10回クイズに騙された
- 60 上三依水生植物園。カエル天国
- 61 川俣温泉。サンドウィッチマン伊達ちゃんに話しかけられる
- 62 桜を追いかけて車中泊大遠征11日目。令和元年5月6日(月)
このページでは平成が令和に変わる平成31年4月26日から令和元年5月6日にかけてのゴールデンウィークに桜前線を追いかけて東北地方桜旅を車中泊大遠征10泊11日した時の記録をまとめたものです。
メチャクチャ長い記事になります。最後まで読み切れたら、あなたはすごい!!
(結論)「桜前線なんてものはテレビの中にしか存在しない」
みなさんもこの記事で同じ体感をしてもらえたらと思い、たくさんの桜写真をアップしています。
また、車中泊の長期遠征というものがどういうものなのか。参考になればと思っています。
読んでいただきたいネタは、
・ゴールデンウィークの大渋滞に巻き込まれない方法
・上杉謙信の関東遠征に雑兵が従ったのは豪雪・避寒のため(新説)
・五能線ミステリー。お岩木山は二度あらわれる。
・三内丸山縄文遺跡は世界遺産間違いなし。
・玉川温泉はもっと世界的に有名な場所になることができる。
などでございます。
さあ、出発しましょう。忘れ物はありませんか?

【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。ボストンマラソン、ニューヨークシティマラソン、バンクーバーマラソン、ユングフラウマラソン、ロトルアニュージーランドマラソン、ニューカレドニアヌメアマラソン、ホノルルマラソンなど海外マラソン歴も豊富。月間走行距離MAX600km。雑誌『ランナーズ』で数々の記事を執筆していた物書きです。「頭のよさで走り勝つことはできるか?」その答えを書いたハルトの【サブスリー養成講座】を展開しています。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。インドネシア。マレーシア。ニュージーランド。タイ。ベトナム。カンボジア。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の27ケ国。パリとニューカレドニアを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
夢は海外移住。希望移住先はもう決まっています!!
※この稿の内容は以下のとおりです。
桜を追いかけて車中泊大遠征1日目。冬と春の境界線を越えて
昭和の終焉にも立ち会った私ですが、いよいよ平成が終わろうとしています。
ゴールデンウィークの車中泊大遠征は3年連続です。
ずっと続けてきたゴールデンウィークの海外旅行をこのところずっとしていません。
それほどこの車中泊の旅が面白いということです。
ある意味、海外旅行以上に面白いと感じます。
いいね。車中泊。
1年目は山陽地方。2年目は山陰地方でした。
今年は桜前線を追いかけて東北地方を北上していきます。
旅先で本ブログをリアルタイムに更新していきます。
その後、家に戻ってから詳細を書き込んで完成させる手はずです。
しかし今回は国内です。auが圏内である限り問題ありません。
平成31年4月26日(金)車中泊1日目
明日から史上初の10連休で心をときめかせていると思いますが、私たち夫婦(ハルトとイロハ)は有給休暇をいただいて、一日お先に出発です。
一日早く出発するのはもちろん連休の渋滞を避けるためです。
大都市圏さえ抜けてしまえばゴールデンウィークGWといえどもさほど渋滞しないのは過去2年の経験から感じているところです。
ゴールデンウィークの大渋滞に巻き込まれない方法=登山のノウハウを活用する
千葉県の自宅を午前3時に出発します。
渋滞に巻き込まれたらそこで時間を取られてしまいますので、出発と帰宅の朝は思い切り早起きして行動しましょう。
快適なGW旅のためにはここが踏ん張りどころです。
ゴールデンウィークの車の大渋滞を避けるためには、登山のノウハウを活用します。
たとえば北アルプスの山々を縦走するとき、ほとんどの人は休暇日が同じで、同じ早朝バスでアクセスポイントに移動して、同じルートを同じペースで登るため、自然を味わいに来たのに周囲には同じ人ばかりということがあります。
山小屋などは大渋滞。いびきのうるさいオッサンと肩が触れ合うようにして寝ないとならないことも珍しくありません。
GWの大渋滞と実は同じ状況です。
これを避けるコツは初日に大多数の人が行けない『次の山小屋』まで登ってしまうことです。
早朝のバスが上高地のようなアクセスポイントにたどり着いたら、ヨーイドンでスタートダッシュをかけて大多数の人の泊まる山小屋の『次の山小屋』まで行ってしまうのです。
みんながトイレに行ったりストレッチしたりしているすきに、予め準備をすませて先に先にと登ってしまいましょう。どんな人間の集団も先頭は空いています。
みんなが泊まる山小屋よりも先にある『次の山小屋』まで歩いてしまいましょう。
『次の山小屋』は空いています。
頑張るのは初日だけ。
次の日からはみんなと同じペースで歩いて構いません。
みんなが同じペースで移動すれば、混んでいる人はずっと混んでいるし、空いている人はずっと空いているのです。
ゴールデンウィークの旅も同じです。
朝にスタートダッシュをかけて大都市圏を抜けてしまえば、後はずっと空いているのです。
登山の縦走の場合は健脚にものを言わせて渋滞を抜けるのですが、車の場合は早起き早立ちがものをいいます。
登山用のザックは車中泊の旅に向いていない

後部座席の様子。乱雑に積んであります。寝るときは前のシートに移動させます
今回の車中泊の装備はこちらです。
左下に見えるのは登山用のアタックザックです。
これは大失敗でした。寸胴の登山用ザックはずっと背負っていることを前提に設計されています。
重たい荷物を長時間快適に背負うための設計なので、それ以外のことは犠牲にされているのです。
具体的には「荷物の中身が見えない」「必要なものが取り出しにくい」という大欠点があります。
車中泊の旅のザックはボストンバックのような開いて中身が確認できるタイプのカバンが向いています。
ボストンバックは登山には全く使えませんが、車中泊の旅では鞄を持ち上げる場面はほとんどありませんし、むしろ荷物の中身が見えるため取り出しやすいメリットの方が大です。
登山用ザックは必要なものがザックの最下部に入っていたりすると、取り出すために中身を全部ぶちまけなければならないことがあります。非常に不便です。車泊には向いていません。
上杉謙信の関東遠征は豪雪・避寒のため(私の新説)
千葉県を出て、利根川の源流を追いかけるルートを選びました。上
越線に沿う形で、一般道を使い、移動します。
五時には明るくなりました。
太田市の山岡屋で朝からラーメン朝食。

コンビニに頼るのは簡単だ。選べる時にはコンビニ以外を選びたい
太田市、前橋市、道の駅こもちで小休止。
沼田市。沼田で電車は谷川岳方面に向かいますが、車は国道17号でドラゴンドラのある苗場スキー場方面に向かいます。国道17号は昔でいう三国街道、三国峠です。
上越を結ぶ最大の難所・三国峠は、東海道の箱根の険のようなものです。現在は三国トンネルのおかけで山越えはないが、昔は難所だったようで、それゆえに三国峠越えをした著名人の石碑が存在します。
川端康成とか与謝野晶子の名前が刻まれているのですが、なにせ圧倒的にこの道を利用した有名人は上杉謙信です。

越後から関東に行ったり来たり。いったい何往復したことか。越後じゃ豪雪でジョギングもできない。。。
新潟県の春日山城(本拠地)から、敵の北条氏がいた小田原城の方まで「遠征しては勝ち、帰国しては元の木阿弥」を繰り返した残念な戦国武将です。
兵農分離ができていない時代の将なので稲の刈り取り(9月末)から翌年の田起こし(4月頭)の間の6か月間しか配下の農民兵が出兵できなかったために、越後に戻っている半年の間に奪った領土は常に奪い返されるというある意味「シーシュポスの神話」状態を繰り返した将でありました。
上杉謙信の凄いところは、遠征するたびに勝ってしまうところにあります。
孫子のいう「逸を以て労を待つ」(遠征して疲れている兵を、元気な兵で待ち伏せて叩けば必ず勝つ)で普通は何回か戦っているうちにいつかは負けてしまうものなのですが、軍神と呼ばれるまでに勝ち続けた戦国武将です。
その上杉謙信が名付けたという「猿ケ京」あたりから桜を見かけるようになってきました。
ピンクの桜よ、久しぶりだね。千葉では4月の半ばにはもう散っていましたから、2週間ぶりに桜と再会です。猿ヶ京の由来は「京の人々のように猿がいる」という命名ではないそうですが、国道の路肩には本当に猿の家族がいました。轢かれないように気ぃつけや!
苗場には雪がまだかなり残っていました。やはり千葉とは天候が全然違います。
5月上旬のゴールデンウィークに関東から上越・東北方面に旅をすると、桜も見られますが、雪も見ることができます。「同じ日本。そう遠くない」と思って防寒装備をろくにしてきませんでしたが、大誤算でした。三国峠から北はまだ寒かったです。車内はいいのですが、外に出ると寒くてたまりません。
上杉謙信が毎年にように行った関東遠征。
いくさというのは大将にとっては将棋を指すみたいなところもありますから謙信本人はきっと「いくさ好き」だったのだろうと思います。
いくさが楽しくていくさが生きがいだったから毎年関東に遠征して戦争をしたのでしょう。
いくさはお祭りやスポーツに似ています。(正確にはお祭りやスポーツがいくさに似ているというべきでしょう)
精悍な越後兵はどうして毎年謙信に付き従って関東遠征したのでしょうか?
強制された兵役の為?
お手当がもらえたから?
それもあるのでしょうが、雑兵が毎年の関東遠征に付き従ったのは実は越後の豪雪が原因だったのではないかという気がします。
越後の冬は寒くて身動きが取れず不便で仕方がない。
関東はもっとずっと暖かいです。
すくなくともメートル単位で雪が降り積もったりしません。
雪国では冬はジョギングもできないのです。
避暑地という言葉はポピュラーですが、その逆を避寒地といいます。
豪雪越後の雑兵が三国峠を越えて上杉謙信に毎年つき従ったのは、関東で冬を越せれば雪に閉じ込められるのを避けられるという期待もあったのではないでしょうか。
いわば謙信の関東遠征豪雪・避寒説です。私の新説ですけど(笑)。
こういう新説を発想できるのも、車中泊大遠征のだいご味です。
雪や気温の変化を一日のうちに肌で感じることができるからこそ新説を思いつくことができたのです。

もうすぐこどもの日なので川を渡るように鯉のぼりがゆらめいていました
冬と春の境界線はココ!
この日は雨でした。車で雨雲の中に突入します。
千葉と気温は4℃ほども違います。
その差のゆえか山上には桜が咲いています。
テレビでよく言う桜前線というやつにそろそろ突入したのでしょう。
千葉ではありえないこの時期の桜も遠征初日から見慣れたものになってきました。
ただし咲いている木もあれば、散っている木もあり、木によって違います。
まばらにちらほら咲いています。
関東では桜は一斉に咲いて一斉に散るというイメージですが、どうもそのイメージを日本全国で通用させるのは無理があるかもしれません。
道の駅南魚沼で「コシヒカリのおにぎり」を食べようと寄りますが、そんなものはありませんでした。
魚沼産のコシヒカリといえば全国的に有名です。しかし魚沼の人にとっては地元産の「ただの米」なのです。
ニューヨークのコーヒーショップでアメリカンコーヒーを頼んで店員に失笑されたことがあります。アメリカにアメリカンコーヒーは売っていません。ただのコーヒーが売っているだけです。
魚沼では魚沼産コシヒカリは何ら特別感がないのです。どうせコメは全部魚沼のコシヒカリに決まっています。ただのお米が売っているだけです。

特に表記はないが地元じゃ魚沼産コシヒカリはあたりまえ
おにぎりは食べられませんでしたが、車中泊賊にとって道の駅とはトイレ、ごみ捨て、飲食、そして情報収集の場です。
そこで仕入れた情報によって、日本三大渓谷に数えられているという清津峡に予定なしで訪問することになりました。
車中泊の旅は宿泊地に縛りがないため、自分のいる場所と時間で予定が変わってきます。
観光地にも営業時間というものがあるために、詳細の予定を立ててもあまり意味がありません。
9時に開園する美術館の前を6時に車で通ったときには、見るのはあきらめざるを得ません。
自由こそが最高。自由こそ車中泊のだいご味でもあります。
今晩、どこに寝るかわからない。どこにいるか、どこに行くか、行ってみなければわからない。
だからあまり詳しく予定を立てないのです。
海外放浪するバックパッカーに、車中泊は似ています。
道の駅で情報収集し、即興で旅をプランします。清津峡もノーチェックでした。現地で道の駅で知ったのです。
日本三大××のワードを信じて、清津峡に寄ることにしました。

根本は咲いていますが、枝の先はまだ蕾。ここが春と冬の境界線です。
清津峡にも桜がちらほら咲いていましたが、決定的な桜をここで発見しました。
桜の根元は花が咲いていますが枝の先はまだ蕾です。
桜の花と蕾の境界線です。
ここが冬と春の境界線です。
日本三大渓谷=清津峡。インスタ映えする景色

近未来的なトンネル遊歩道
清津峡は落石によって遊歩道がたびたび崩壊する歴史を繰り返した挙句、現在はトンネル状になっています。
ところどころ景勝地には観覧口があってそこから写真を撮ることができます。
実はここは有名なインスタ映えのスポットらしくイロハが写真で見たことのある場所でした。
ウユニ塩湖のように映る清津峡
清津峡は激流でした。
アメリカ人が日本の川を見ると「これは滝だ」というそうです。
それほど流れが速い場所でした。
早朝なので誰もいませんでした。思う存分写真が取れました。

新潟県立歴史博物館。縄文文化旅のはじまり
地元千葉の国立歴史民俗博物館(れきはく)に親しんでいる私です。
新潟県立歴史博物館にふいっと引き寄せられて立ち寄りました。
司馬遼太郎『峠』で有名な河合継之助の長岡にある歴史民俗博物館で、幽霊モノノケの浮世絵展がやっていました。
企画展「浮世絵で見る! お化け図鑑」をやっていました。
忍者・児雷也(ジライヤ)のような架空のキャラクターも出てきて非常に面白かったです。
青森ねぶたのモデルになるような浮世絵や歌舞伎の上での物語を知ることができます。
中には地元千葉の佐倉宗吾さまが幽霊になっている浮世絵もありました。
また縄文文化の常設展示もあり非常に面白かったです。縄文人はウリボウを食用に飼っていたのか!
火焔土器のレプリカがこれでもかと並んでいます。
触れるような展示で火焔土器はレプリカだとすぐに分かったのですが、ガラスケースの中に遮光器土偶や合掌土偶があり本物かと思いました。
よく考えてみたら世界にただ一点の土偶がこんなところに多数あるはずがないのだが、だとしたらどうしてガラスケースの中に入っているのだろうか?
火焔土器と同様、レプリカをガラスケースにしまう必要はないのではないでしょうか?
縄文人の生活というのは、明日からでも私たちにも実践できそうなレベルなので見ていてとても共感できます。
アウトドアと縄文時代は親和性が高いのです。

とうとう日本海へ。
ゴールデンウィークの大渋滞を早立ちによって避けられたので、一日で日本海へとたどり着きました。
千葉からだと日本列島を縦断したようなものです。
千葉に住んでいるので東京湾と太平洋は見慣れているが、日本海はなじみがありません。
ちなみに今回の大遠征では日本海と津軽海峡しか見ない予定です。
見飽きた太平洋を見る気はありません。
海沿いを走り寺泊港に着いた。「きんぱちの湯」で入浴して一日の汚れを落とします。
5時以降は500円で入浴できます。
海洋深層水をつかっているというお湯はトロトロでした。
熱すぎることもなく、浴槽もひろくて、満足できるお湯でした。
大勢の有名人のサインが飾ってありましたが、金八先生武田鉄矢さんのサインはなかったな~
食事もできます。
寺泊港では刺身を食べられる居酒屋のようなものがたくさんあるかと想像していたのですが、食事する場所は限られています。
夜はほとんど閉店してしまっています。
きんぱちの湯で食事するのが一番無難な選択でしょう。もちろんお刺身を食べられます。

寺泊では刺身を食べないとイロハにへそを曲げられる
本日は日本海沿いの無料駐車場で車中泊します。おやすみなさい。
平成31年4月27日(土)桜を追いかけて車中泊大遠征2日目
寺泊港の朝の気温は11℃。千葉の肌感覚だと寒い。

寺泊の夜は静かだ
昨夜の宿泊地、寺泊港。昨夜はお世話になりました。ペコリ。

日本海は太平洋に比べると暗い海だ。
千葉県在住なので太平洋は馴染み深い私たちですが、日本海は生涯数えるほどしか見たことがありません。
今回は日本海を味わいながら新潟から青森へと北上していくつもりです。
寝間着を着替えて、車中泊の目張りを外し、運転席の荷物を後部座席に移動して、寝息で濡れたガラス窓を拭いて出発します。
午前5時には明るくなるので、5時半には行動開始。
旅の間はずっと朝は5時起きでした。
逆に夜は何もやることがないため食後9時には就寝です。
太陽とともに生活する縄文人のような日々でした。
縄文人とアウトドア生活の親和性については、この旅の後半、三台丸山縄文遺跡で実感することになります。
JAL陸マイラーに最適なコンビニはファミリーマート
ファミリーマートでコーヒーと朝食です。
陸マイラーとしてJALマイルをためている私はWAONで支払いをすませました。
しかしよく見たらJALカード2倍の特約店でした。
私のようにショッピングマイルプレミアム会員の場合、こういうときはWAONではなくJALカードで払うべきなのである。
くっそー、マイル損した!
JALでマイルをためている陸マイラーはコンビニはファミマがベスト。そう覚えておこう。(ただしショッピングマイルプレミアム会員の場合)
ローソンでもWAONが使えるのでJAL MILEAGE BANK WAONが使える。
ショッピングマイルプレミアムに加入していないのならばローソンでもいいが、ただで海外旅行に行きたいと思ったら現金は使わずにとにかくJALカードで支払いを済ませることだ。
カードが使えない店で私は「えー! 今時カード使えないんですかあ?」と嫌味を言うことを日課にしている(笑)。

JAL陸マイラーならショッピングマイルプレミアムに加入してファミマで買い物をしよう
どのみち朝の6時にドリップコーヒーを飲ませてくれるのはコンビニだけだから、車中泊の旅ではやたらとコンビニのお世話になります。
左手に日本海を見て北上します。
海の向こうに佐渡島が見える。
ついでに映画『アルマゲドン』の石油掘削業の人が働いていそうな油田が見える。
岩船沖油ガス田というらしい。
千葉の海にはこんなものはないぞ~。

アルマゲドンの掘削職人がいそうな石油採掘場
道の駅あつみにて小休止。
鶴岡市加茂水族館。通称くらげ水族館
今回の目的地のひとつ。鶴岡市立加茂水族館に向かう。
この水族館はくらげに特化した展示でギネスブックにも登録されているそうだ。

プカプカ漂う姿に癒される
なるほど展示はクラゲが素晴らしく非常に癒される。
私としてはギネスブックよりも、むしろ市立水族館がくらげに特化したことをほめたたえたい。
通常、市営の水族館で何かに特化することは難しい。
市民の中には必ず「おれの税金で何やってんだ? おれはマンボウが見たいのにクラゲばっかり展示しやがって」と苦情をいうやつが必ずいるからだ。
だから市営の水族館はあたりさわりのない平均の展示になってしまうものなのである。
それがどうでしょう。ここまでクラゲに特化したことは立派だ。英断だと思う。
俺の税金でクラゲなんか飼いやがって、という市民が必ずいるはずだ。
何かに特化するのは市営水族館では難しいはず。それをここまでやったのは立派だ。

いるわいるわクラゲの集団行動
クラゲの中にはネオンのように光るクラゲもいる。
しかし光っているのはライトに当たっている場所だけで影では光っていないから、おそらく発光クラゲではないのだろう。
自ら発光するのではなく、移動のために小さく運動している部分が光を通してプリズム効果で七色に見えているだけかもしれない。
それにしてもクラゲは美しい。飽きない。癒される。
行ってよかった水族館である。みなさんも一度、行ってみてください。
地方空港フェチが訪れる。おいしい庄内空港
続いて庄内空港を観光する。
ゴールデンウィーク中のことであり駐車場は満車だったが「買い物してすぐに帰る」と告げたら空港の真ん前に駐車させてくれた。
観光地として地方空港を訪れる人も少ないのではないだろうか。
バスツアーではまず訪れないところである。
私が地方空港好きなのは何よりも自由への旅立ち、旅情を空港はかきたてるからである。
(自分も旅の途中であるが)自分が旅立たなくても、これから旅立とうとする人を見るのは楽しい。
みんな明るい顔をしている。
電車の駅だとこうはいかない。
空港には旅感、リゾート感があるのだ。
ここはおいしい庄内空港という別名がある。
せっかくなのでサクランボを買ってその場で食べた。
空港もなんだか公民館のような使い方をしている。飛行機が来ない間はちょっとしたイベントスペースのようになっているのだ。
私たち最寄りの成田空港とは全然違う。
ANA系の空港だが、チャーター便が台北まで直行していた。お客のほとんどが台湾人だった。
どこを観光したのかな? 鳥海山の雪を見たのだろうか。それとも羽黒山かな?
酒田市。山居倉庫
酒田市の黒倉庫街、山居倉庫を訪問する。吉永小百合さんのポスターの背景で有名なところである。
江戸時代、北前船という帆船が日本海を通じて北海道の北の幸を敦賀(京都)まで運んでいたのである。
その中継地点として酒田市は栄えたらしい。山居倉庫はその名残りである。
北前船は今でいうクロネコヤマト宅急便やペリカン便である。運送業というものが江戸時代にちゃんとあったということである。
モノを生産しないため身分は低かったと思うが、百姓よりも運送業に憧れるのが放浪の旅人なのである。

ハルトには無理じゃない。船酔いするじゃん!

そうだった。クジラウォッチングで吐きそうになったのを忘れてた
ヒョウが降る夜。同じ日本でも全然温度が違う
ドラマ「ビーチ・ボーイズ」では、主人公が時計を投げ捨てるところから物語が動き始めます。
リゾートに時計はいらん!!
その影響で持ってこなかった腕時計であるが、やはり持ってくるべきでした(泣)。
車中泊の旅ではやはり日没時間が気になります。睡眠時間の確保は車泊の重要課題です。
今夜の温泉は、鶴岡市湯野浜温泉上区公衆浴場。
銭湯なので200円。
安くて、熱い。とても長居はできない熱さである。回転を早くする銭湯の知恵か♨️
地元の人しかいない。湯べりに座り込んでしまっている。
おれが熱くて入れないお風呂に「冷たいなあ」と言って爺さんが全身使っている。湯温43度もあるのに。肌の熱感覚まで年取ると鈍くなるのだろうか。
「兄ちゃん。どこから来た?」と話しかけられた。
夜はまたしてもコンビニで。この旅で何回お世話になるだろうか?
車で食事している間、窓にヒョウが降る。
この寒さは想定外、2年前の厳島では真っ黒に日焼けしたのに。
道の駅しょうないで車中泊。
思ったよりも駐車スペースは空いていた。これも一日早く出立したおかげかもしれない。
夜は寒すぎて、毛布とタオルケットだけでは足りない。あまりにも寒くて、ありったけの服を着こんで眠った。
平成31年4月28日(日)桜を追いかけて車中泊大遠征3日目
『車中泊族は車中泊賊』を提唱する私ですが、賊たるゆえんのひとつは人生の快楽に貪欲であるところにあります。
車中泊の快楽は沢山ありますが、朝の散歩もその中のひとつです。
ホテルに泊まるとなかなか朝の散歩ということにはならないと思います。
私も昔はホテルに泊まって旅をしていましたので、その辺の事情はよくわかっています。
温泉宿などに泊まると起きたらまずは温泉入浴が定番です。
また、たいてい朝食がついているので、宿の朝食を7時ぐらいに済ませて、朝8時ぐらいから行動開始するというのがルーティーンではないでしょうか。
ところが車中泊賊の場合は早朝5時の太陽にたたき起こされて、5時半には行動開始です。
さて、朝の6時前に何をしましょうか? ほとんどの人はまだ眠りの中です。
どこの有料観光施設もまだ開園していません。
施設入園料がかかるような場所は朝の6時からやってはいないのです。
答えは散歩です。散歩。朝の散歩は車中泊賊最大の快楽のひとつです。
なあんだ、朝の散歩なら自宅でもできるじゃないかと思うなかれ。
散歩する場所が違います。
車中泊賊は国立公園レベルのハンパない風光明媚な場所を散歩しているのです。
今日の朝もそのような贅沢な朝散歩のひとつ。
出羽三山、羽黒山の朝散歩(朝登山)です。
自然の中の散歩は早朝派の特権です。
まだ誰もいませんし、たいてい景色というのは早朝が一番美しいのです。
仏教寺院は入場料を取るところが多く、早朝はクローズされている場合が多いので注意が必要です。
その点、神社は空いていることが多い。
月山道路は厚雪により夏タイヤでの通行不可という表示が出ています。
羽黒山に行けないのかと焦りましたが、羽黒山に登るには、月山道路は使いません。
私は出羽三山の標高は三山ともだいたい同じだと思っていました。
千葉の人間なのでよく知らなかったのです。
ところが羽黒山414mに対して、月山1,984m、湯殿山1,504mです。
標高が全然違います。
登山靴程度の軽い装備で来てしまいました。
これではとても月山など登れません。
見ると月山山頂はまだ真っ白です。
真夏なら別ですが、これでは本格的な登山のつもりで来ないととても登れません。
手袋なしでは凍傷・指切断コースではないでしょうか。
時間の都合で最初から羽黒山だけを登るつもりで来ているので大丈夫でしたが、出羽三山は残りの二山はそう容易ではありません。
登ろうという方は注意が必要です。

地・水・火・風・空の五輪からなる塔は国宝です
出羽三山の顔、一番有名な国宝の五重塔は羽黒山を登り始めてすぐの低いところにあります。
パンプスでも行けるような場所にありますので、登山装備のない女性観光客でも五重塔までは行けます。
ただし靴は汚れるでしょう。やはりおすすめなのは登山靴です。
万里の長城を思い出すような階段を上っていきます。
すこし似てませんか(笑)?
延々と続くように見えますが、たかが標高414mです。
羽黒山は修験道の道場だったということでした。
宗教施設である以上、「誰でも登れる」ということは重要なことです。
誰にでも門戸が開かれていなければ、宗教として大きくなれませんからね。

祭殿の豪華さよりも、手前の雪の高さにびっくり
羽黒山の三神合祭殿です。
修験道というのは日本古来の「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」山岳宗教と仏教・真言密教が結びついた宗教なのですが、現在では神社に寄せている感じがします。
その証拠に羽黒山には鳥居がありました。鳥居というのは神道のものです。
明治時代の廃仏毀釈や修験禁止令の影響だと思いますが、私は修験道の本質は登山だと思っていますので、どんな政令があろうとも修験道はこの山国から滅びることはないと思っています。
朝の散歩というにはややハードな羽黒山登山コースを下山して、やっと今回の車中泊の秘密兵器、携帯コンロの出番です。
私は登山家なので登山用のもっと軽いバーナーも持っているのですが、今回は重量を気にしなくてもいい車中泊の旅です。
卓上コンロの火力で熱いお湯を沸かしてブルックスのドリップコーヒーを淹れます。


たぶん月山。同じ出羽三山なのに向こうは真っ白
同じコーヒーを飲むのでも、大自然の中で飲むと味が違います。これもまた車中泊賊のだいご味です。
室内で飲むだけがコーヒーじゃありません。
鳥海ブルーラインで鳥海山に登るが、雪のため通行止め
途中、休みながら北へ北へと向かいます。
桜はまばらです。そもそもテレビでよくいう「桜前線」なんてものがあるのか疑問に思えてきました。
桜前線なんてものは心の中の観念だけに存在するもので、実際にはそんなものはないのではないだろうか?

ちょっとした雪の大谷
鳥海ブルーラインで鳥海山を登っていきます。
途中の雪の回廊はちょっとした『雪の大谷(立山黒部アルペンルート)』のようでした。
過去、私は真夏に鳥海山の山頂まで登っていますが、その時に雪は見ませんでしたから、これらの雪も夏までには全部溶けてしまうということです。
しかし4月下旬にはまだ溶け切らない雪が道の左右に崖のようになっています。
鳥海ブルーラインそのものが雪のため通行不能でした。むなしく折り返します。
鳥海山。名山です。あきらかに周囲の山と風格が違います。
私は東京・八王子で、電車の車窓にあまりにも美しい山を見つけて思わず乗客のひとりに「あの山、なんていう山ですか?」と聞いてしまった幼少体験を持っています。(「あれが富士山ですよ」と見知らぬ乗客はやさしく教えてくれました)、鳥海山はあきらかに名山の風格で、知らなかったら地元の人に思わず名前を尋ねたくなるような威厳を備えています。
ちなみにこの旅でもう一座、そのような名山を見かけますが、それは「岩木山」でした。
秋田名物ババヘラアイス。ババとはババアのこと(そのまんま)
休憩しながら北へと進みます。
ゴールデンウィークほど、道の駅に泊まっている車のナンバーを眺めるのが面白い時はありません。

ババヘラアイス。ババとはババアのこと。直球である。
大型連休のため、とても遠い所のナンバー車を見かけます。
山形県で見た最高に遠いナンバーの車は「佐賀」でした。遠っ!
山形県から秋田県に入ると名物ババヘラアイスがわれら旅人を出迎えてくれます。
ババヘラアイスというのはパラソルの下でばあちゃんがアイスクリームを花のようにコーンに乗せてくれる路上販売のことです。
車のスピード次第で通り過ぎてしまい結構ゲットできないことの多いババヘラアイスですが、この旅ではゲットできました。
ちなみにババヘラのババはババアのババである。案外直球のネーミングだ。
「こんな商品名で売り子さんは嫌だろうに」とイロハは心配していう。
今回アイスクリームをよそってくれた女性も中年ではあったがババアというほどではないと私は思った。
ババアと思ってみると「それほど婆あでもないじゃん」と人は思うものなのである。
婆あだと謙遜すればそうでもないと褒めてもらえると聖書にたしか書いてあるはず。
ババヘラアイスなど寄り道しながら北へ進むと路上の看板に「白瀬南極探検隊記念館」の文字を発見。
急遽、予定を変更して寄ることにする。
白瀬を全然知らなかったイロハはびっくりしていたが、私は白瀬を知っていた。
というよりもむしろ敬愛していたと言っていい。
これは他の予定はキャンセルしてでも「白瀬南極探検隊記念館」には行かなくてはなるまい。
白瀬南極探検隊記念館。放浪の旅人の英雄、白瀬矗
幼い頃『アムンゼンとスコット』という少年少女向けの偉人伝のようなものを読んだことがある。
人類初の南極点到達を競争する二人の男の物語だった。
ノルウェーのアムンゼンが犬ぞりで、イギリスのスコットが馬車で南極点を目指すが、アムンゼンは成功し、スコットは敗れた上に遭難死してしまうというはっきりと二人の明暗がわかれた物語だった。
ところが大人になって聞いたところによると、本当はこの物語は三つ巴であり、実は第三の男がいたというではないか。
しかもその男は日本人だという。その男こそが白瀬矗(のぶ)。

放浪者の英雄
私が白瀬矗を大好きなのは、そのぶっ飛んだ「先取り精神」である。
生まれは江戸時代。1861年。学んだ場所は寺小屋である。寺子屋で北極点の話を聞いて探検家を志したという。最初は南極点ではなくて北極点を志したようである。
いやいやいや。。。ちょっと待て。ここはスルーしていいところじゃない。
寺小屋なんて「読み書きそろばん」の世界だ。写真なんてない世界である。
そんな中でよくまあ北極点なんて志せたものだ。
北極点どころかオランダだって行けないと思うのが常人だと思う。
1872年の夢なのだ。北前船しかなかった江戸日本が黒船に驚いたのが1853年のことなのである。
アメリカだって行けないと思うのが普通じゃないのか?
それが北極を夢見るなんて。それも「ただ行く」だけではない。「人類初到達」を夢見たのだ。
江戸時代生まれの少年が。
しかも夢見るだけでなく、白瀬は実際に行動もしている。
白瀬が南極点初到を目指して出航したのが1910年。
アムンゼンの出航も、スコットの出港も1910年のことである。
白人たちが世界を征服していく時代に、ひとりの東洋人が同じ年に地球の極点を目指して出発したということはそれだけで偉大なことではないだろうか。
すくなくとも志において負けてはいなかったのである。
人工衛星などないこの時代は新しい領土を発見して「この領土は我が国のもの」と宣言したものが先占領有することができた。
南極も同様で、南極条約以前は、国の旗を立てて「ここは我が国のモノ」と最初に宣言した国のものになったのである。だから国や軍も白瀬の夢に力を貸してくれたわけである。
結局、アムンゼンは1911年12月14日に人類初の南極点に到達し無事帰還する。
そしてスコットは1912年1月17日南極点に到達するが帰路に全滅する。
一方、白瀬は1912年1月16日に南極大陸に上陸するも、南極点を踏破することはなく、一帯の雪原を「大和雪原」と命名し、日章旗を掲げて先占領有の宣言(日本の領土宣言)をして帰国したのである。
白瀬が南極大陸に上陸した頃にはもうアムンゼンの南極到達は終わっていた。
領土宣言して命名した大和雪原も実は大陸ではなく雪棚だったそうだ。
しかし白瀬が領土宣言したのはスポンサーへの義理のためであり、領土のために冒険したのではない。
人類初到達という純粋なおのれの夢のために旅立ったのである。
世界を白人が征服する時代に、白瀬はアジア人の意地を見せた英雄だと思う。
植村直己のような冒険家の大・大・大先輩なのだ。
江戸時代の寺小屋で北極点の人類初到達を目指すなんて、ハンパじゃねえぜ。

今でいうグラビア写真を船室に貼って男たちは頑張ったのです。これが本当の初代・南極一号である。
白瀬のような人間は、忘れ去られるものではありません。
アメリカの南極点観測基地の名前は「アムンゼン・スコット基地」と言って彼らの物語を讃えていますし、日本の南極観測船「しらせ」は白瀬矗の名前が由来だと言います。
白瀬の魂は現在もちゃんと引き継がれているのです。
ドライブ旅行にJAFカードのすすめ
秋田市では、ドーミーイン秋田がホテルに併設している温泉「中通温泉こまちの湯」に入りました。
ここでもJAFカードの割引が使えました。
おそるべしJAFカード。
この旅、何度目の割引であろうか。
「白瀬南極探検隊記念館」でも使えた。
この車中泊ドライブ旅行の間、美術館や博物館など至る所で、JAFカード割引が使えた。
JAFカードは車中泊の旅にものすごく使えるカードである。
車中泊賊にはいざという時に対応も含めてJAF加入をオススメしたい。
2人で200円の割引でも、施設利用の度に200円のお得となれば、年会費などあっという間に回収できてしまう。
われら車中泊賊ならば、確実に元が取れるカードです。
さて、本日も日本海そばの道の駅「道の駅あきた港」の駐車場にて宿泊です。
おやすみなさい。
桜を追いかけて車中泊大遠征4日目。平成31年4月29日(月)
道の駅あきた港はポートタワーもあり、なんとなく千葉港に似ていて安心して眠ることができました。
早朝5時半には一切の痕跡を残さずに次の目的地へと出発します。
男鹿半島。赤神神社・五社堂。
男鹿半島に向かいます。
鳥海山あたりの国道7号から島に見えたのが男鹿半島でした。
半島っていうのは海岸道路から見るとリアルに「島」に見えるものなのですね。
地図で島の名前を探してしまった(汗)

神社に見せているが修験道の道場でした
さて本日の朝散歩は「赤神神社・五社堂」です。慈覚大師・円仁さんが創建した寺社だということである。
円仁さんというのはこの「桜を追いかけてゴールデンウィーク車中泊東北大遠征」にたびたび登場してくる人物である。
恐山も、山寺・立石寺も、薬研温泉かっぱの湯も、この赤神神社・五社堂も、創建の逸話に出てくるのは円仁さんである。
大師というからには仏者のはずだが、神社を創建して違和感ないのがいかにも日本だよね。
「赤神神社・五社堂」が修験道の霊山だったのは出羽三山と同じである。もともとは修験道なのだ。五社堂はそのシンボルである。
五社堂へと向かう階段には伝説がある。
「なまはげ」の原型である鬼がこの山から里に降りてきて村人たちに乱暴狼藉を働いていたというのだ。
「一晩に千段の石段を作れたら娘を差し出す、できなければ去れ」という賭けをしたところ鬼神の力で階段が完成しそうになったので、村人の一人がニワトリの鳴きまねをして騙して去らせたという鬼伝説である。
五社堂への階段は鬼が作ったというのである。そんな伝説を知りながら歩くと階段を登るのも楽しい。空気は澄んでいて、まだ誰もいない。
朝の散歩は最高である。
日本昔ばなし『赤神と黒神』。大切なのは勝つことではなく心を掴むこと
また日本昔ばなし「赤神と黒神」の赤神は当地の神様だという。
私が幼い頃に聞いたたくさんの日本昔話しの中でも忘れられない物語のひとつである。その物語と偶然、再会することになろうとは。
知らない人のために「赤神と黒神」のお話のあらすじです。
「美しい女神」に惚れた「赤神」と「黒神」が女神の愛をめぐって決闘する。
「赤神は笛を吹きならす痩せた美青年」。「黒神は髭面マッチョ&ワイルドな大男」である。
正々堂々の男の決闘は、黒神が勝利して雄たけびをあげる。
しかし女神は傷つき敗れた赤髪を選ぶのだ。
男の勝負に勝ったはずの黒神は恋に破れ、敗者のように去っていく……。
そんな話であった。もちろん私は自分の気持ちを黒神に投影して同情したのである。
だから『赤神と黒神』が忘れられない昔ばなしとして記憶されているのだ。
世の中、モテる奴が最強なんだな、と子供の私は思ったものである。
その後、生きていく中で「赤神と黒神」のような話しには、たくさん出会った。
勉強ができるよりも、出世するよりも、女にモテる方がいい。ひらたく言えばそういうことである。
みなさんもそういう経験があるんじゃないかと思う。
一流大学を出て女にフラれるよりも、三流大学出でもいいから好きな女に好かれた方がいい。
これが世の中の真理だと思う。しかし決してこういうことは学校では教えてくれない。
その幼い私の心を釘付けにした物語「赤神と黒神」の赤神が男鹿の赤神神社の神だというのである。
なんという再会。ちなみに黒神は竜飛崎の神、女神は十和田湖の女神なのだという。
私のこの「桜を追いかけて車中泊・東北大遠征」では今後、竜飛崎に行った後、大間崎から十和田湖へと戻ってくる予定なのだ。
「桜を追いかけて車中泊・東北大遠征」は別名「赤神と黒神」をたどる旅になりそうである。
ゴジラ岩。会社の同僚の不倫カップルに遭遇。愛された奴が一番の勝利者なんだ
いろいろ考えさせられた赤神神社・五社堂の朝散歩から戻ってきた。
男鹿真山伝承館、なまはげ館の開館が8時30分のため、それまでの時間を海辺で過ごすべく、ゴジラ岩に向かった。
このポイントは長年の潮風で風化した岩がゴジラに見えるというものである。
夕日にたなびく雲をゴジラの口に合わせて放射火炎に見立てた写真がポスターなどに使われている。
最初、ゴジラ岩がどこにあるのかわからず、灯台の方まで素通りしてしまった。
他にたくさんの観光客がいたので、その人たちに場所を聞いて、戻ってやっとゴジラを見つけることができた。

背中に甲羅があるからガメラ岩と名付けたほうがいい
ゴジラ岩。背中に甲羅があるように見えるのでガメラ岩と名付けた方がいいのではないか。
でも世界的にはやっぱりゴジラか。

反対側から見てもちゃんとゴジラに見える
ゴジラ側。というよりも私にはタイのナーガに見える。

タイのナーガ。日本では竜王になる蛇神さまである
ナーガのシルエットに見えませんか?
このゴジラ岩の前で大事件が起こった。
なんと千葉の会社の同僚と遭遇。GW中に秋田の男鹿半島のゴジラ岩の前で会うなんて想像もしないから20秒ぐらい互いの顔をまじまじと見ちゃった。
しかもなんと同じ職場の人妻と一緒にいるではありませんか。
その同僚は何も言わず何も見なかった振りでくるっとUターンをして車に戻っていきます。
不倫です。不倫旅行。見てはいけないものを見てしまった。
いやあ。知らなかったよ。不倫してたなんて。
旦那さんは女房が不倫してるなんて想像もしていないんだろうなあ。企業戦士が大型連休で体を休めて鼻毛を抜いている間に女房は不倫か。
黒神みたいだな。いくら男の勝負に勝っても女房を寝取られちゃアしょうがないよ。赤神の勝ちだよなあ。やっぱり。愛された奴が一番の勝利者なんだ。
いやあ。そうか。二人は誰にも内緒でしっぽりと「さざんかの宿」に泊まったんやろなあ。
こっちは車中泊なのに。ふっふう~。
男鹿真山伝承館、なまはげ館
そして男鹿真山伝承館、なまはげ館へと向かう。
ここで初めて知ったのだが、なまはげって鬼じゃないのね!?
来訪神という人間界に福をもたらす神様の一種らしい。
「来訪神、仮面、仮想の神々」としてユネスコの無形文化遺産に登録されている。
無形文化遺産というのは、ブツとしては残るものは無いが、人間が生きることの象徴的な祭祀のような文化的ものを残していこうという世界遺産の一種である。

役者がなまはげに扮する。無形文化遺産は仮面や扮装の展示を見ても仕方がないのだ。
真山伝承館にてナマハゲ体験。役者がなまはげに扮している。
本来は大みそかに年一回行われる神事であるが、一日に13公演も行い、人々になまはげを見せている。
ユネスコの無形文化遺産は仮面や扮装の展示だけを見ても意味がない。
仮面や扮装が評価されたわけではないのだから。
人間が生きていることの祭祀のような「行動そのもの」が後世に残すべきものと評価されたのであるから、たとえ役者の演技でもリアルな動きを見なければ意味がない。
なまはげは子供を脅す。「怠け者はいねがー」と。それが公認人さらいみたいで楽しい。
赤ちゃんが泣き叫ぶのが楽しい。子供は生涯忘れない恐怖だろうし、大人は笑える(笑)。
紙と稲わらと木でできている来訪神。後世にブツは何も残らないけど生きてる神事というやつだ。小学生の手作りのような造形が多く、なまはげは愛嬌がある顔をしている。
しかし雪の夜にかがり火とともに現れたら、子供は恐怖におののくに違いない。
五能線ミステリー。お岩木山は二度現れる
男鹿半島にお別れをし、さらに北上する。
五所川原と能代を結ぶ五能線。五能線に沿って国道101号線は走っている。
ところどころに桜を見ながら101号線を北上してくと右手に白い美しい山が現れる。
数々の演歌で歌われた名山、岩木山である。
この地方に暮らしていたらお岩木山を意識せずにはいられないというのが非常によくわかる。
鹿児島市民が桜島を意識せずにはいられないようなものだ。
岩木山はぽつんと独立峰で、白く、高い。神が住んでいるとしたら、あの白い山の上だろう。
五能線を北上すると、他とは比較にならない名山が右手に迫ってくる。市街地や、手前の森に視界を遮られたりしながら、岩木山はやがて後ろに消えていく。
ミステリーはこれからである。
岩木山にサヨナラをしてさらに五能線を北上すると、また他とは比較にならない名山がまた目の前に迫ってくるのだ。
ん? なんだこの風格ただよう名山は?
さっき岩木山は後方に去っていったはずなのに、目の前から迫ってくるこの名山はいったい何という山だろう?
しかもなんか見たことのあるような山がまた近づいてくるのだ。巨大な山塊が移動したとでもいうのだろうか。
これが私の世界七不思議のひとつ『五能線ミステリー。お岩木山は二度現れる』である。
これには驚く。これまでに、これ以上に驚いたのは東京・新島の水に浮く石だけだ。

俺的世界七不思議。ここは宇宙ですか? 石が水に浮いてますけど(汗)

五能線がグニャグニャであるために、左にカーブしていったん後ろに消えた岩木山が、右にカーブすると再び現れてくるという壮大なドッキリである。
現れた二つの名山はどちらも岩木山である。
五能線ミステリーは電車でも堪能できます。
いやあ。本当に驚きますよ。
ぜひあじわってみてください。
黄金崎不老ふ死温泉。
五能線ミステリーでかいた不吉な汗を(笑)、黄金崎不老ふ死温泉にて洗い流します。
ひょうたん型の露天風呂で有名な、鉄のにおいのする鉱泉です。
私は以前、冬の時期にこの温泉で骨折の湯治をしていたことがあります。
露天風呂の頭上おそろしく高い高度を何百羽もの渡り鳥が飛んでいきました。
湯温はぬるくいつまでの入っていられました。本当に幻想的な入浴でした。
ところが夏に行くとお湯は熱いし幻想を演出した渡り鳥はいないし、同じ場所に行っても同じ素晴らしい気持ちになれるとは限らないと思い知りました。
4月下旬のお湯は熱くもぬるくもなくちょうどよかったです。足をすべらせないように注意してください。
日帰り温泉の後は夕日を鑑賞します。黄金崎不老ふ死温泉は夕日のスポットとしても有名です。

黄金崎不老ふ死温泉の夕日。明日で平成も終わり
平成最後の大型連休に日本各地から来た人たちが東北の名湯につかり、夕日の写真を撮っていました。
明日で平成も終わりです。日本海に沈む平成最後の夕日を眺めるつもりですが、明日の天気予報は雨。
これが平成で見る最後の夕日になるかもしれません。
コンビニや食事処がないときはホテルのレストランを利用する
海沿いの国道101号線。このあたりにはコンビニは一切ありません。それどころか食事できるところもないので、私たちとしては珍しくホテルのレストランを利用することにしました。
ウェスパ椿山のレストランで食事です。食事する人の大半は宿泊客のようでしたが、別に食事だけ利用したっていいのです。
五能線のような何もない海辺ではホテルを活用することも選択肢に入れてください。
日本海沿いのゆとりの駐車場にて本日は宿泊です。おやすみなさい。
平成最後の日。戦争のないいい時代だった。
いよいよ平成最後の日です。これが平成の朝日です。戦争のないいい時代だったなあ。

平成最後の日の朝。さよなら平成
いつものように5時に起き、5時30分には跡形も残さずに仮の寝床(無料駐車場)を出発。
誰もそこで人が車中泊していたとは思うまい。
五能線・国道101号線沿いには本当にコンビニが一軒もない。
しかたがないので朝食は抜くことにする。
コーヒーを飲めないことが痛い。
絶景の朝散歩は車中泊スキルのおかげ
車中泊の旅における最大のよろこびのひとつ。
朝絶景・朝散歩は、今日は世界遺産・白神山地トレッキングである。
平成最後の日に白神山地をトレッキングできるのも車中泊スキルのおかげである。

なぜかこの池だけが青い。
アオーネ白神十二湖そばの駐車場まで車で行ってしまえば、青池まではほとんど歩きません。
青池もすてきでしたが、途中の「鶏頭場の池」もおすすめです。青池側の池岸からは地中から水がこんこんと湧き出ているのがはっきりとわかります。
大量の水が湧き出しており、この湧水が大きな池をつくったのだなあということがわかります。
8時半からは有料になる駐車場も、早朝は無料で利用可能でした。こういうせこいところで賊の喜びを噛みしめましょう。
五所川原。立佞武多の館
五能線に沿って101号を北上し、五所川原に向かいます。
五所川原といえば立佞武多が有名です。

マンホール立佞武多
かつて私はお祭りを一回、立佞武多の館を一回見ていますが、もう3年以上前になります。
私が見たお祭りには、鹿島神宮ゆかりのタケミカヅチの神が大鯰を抑え込んでいる山車でした。
もちろん東北大震災の地震を封じるという祈りが込められたものです。

鹿島神宮のタケミカヅチが鯰封じ地震封じ
山車は3年ごとに解体してしまうので、現在の山車はすべてはじめて見るものになります。

でかい! 巨神兵のような立佞武多。美女は出雲阿国
でかい!!
ひさしぶりに見ましたが、とにかくでかい。大迫力です。
美女は歌舞伎の始祖、出雲阿国だということです。
昨年のGW車中泊の旅では出雲地方に遠征して出雲阿国のお墓参りをしてきたところです。

出雲空港の阿国。愛されてるなあ
阿国さんとは1年ぶりの再会です。
歴史に名前を残した人です。
お墓は多くの芸能人が舞台などの成功を祈願して参拝していました。
なにせ世界に冠たる歌舞伎の始祖ですから。
歌舞伎と芸能は切っても切れない関係にあります。

出雲阿国の墓。歌舞伎のみならず多くの芸能人が参拝していました
青森のねぶたも同様ですが、このような山車や浮世絵には『神功皇后の三韓征伐』みたいなテーマが平気な顔して登場してきます。
お化けの浮世絵なども児雷也とか佐倉宗吾とかお岩さんが何の説明もなく描かれているのです。
神武天皇の金鵄とか、坂田の金太郎のお化け鯉退治とか、山車を楽しむためには能や歌舞伎や浮世絵や日本神話の知識が必要です。
とくに日本人にとって歌舞伎、能というのは一種の教養として知っておいた方がいい。
でないとお祭りが楽しめません。

勇壮壮大立佞武多。神武天皇。金の鵄を得る
展示館の裏には、今年の夏に出陣する予定の立佞武多が鋭意製作中でした。
作業しているのは五所川原市の職員とのこと。
といっても山車職人を市が雇ったという意味だと思います。
職人も生活が安定するし、五所川原市にとっても立佞武多は市の最大の売りなのだから、とてもいい採用システムだと思います。
ナイロンが多く含まれていて破れにくい特殊な立佞武多用の和紙は、体験で貼ることができます。

体験で和紙を張らせてもらいました
私たちも貼らせていただきました。
立佞武多は大きすぎて、部品を張っているときには全体像がわかり難いのですが、職員の方が和紙を貼った場所は「ここです」と教えてくれます。
「紙貼り証明書」なるものをいただきました。2019年新作立佞武多「かぐや」のすそを貼ったのは私たちです。この山車が出陣する2019~2021年の間に立佞武多祭りを見に来ないわけにはいかなくなりました。そのときもまた車中泊で来ます。
ヤッテマレー! ヤッテマレー!
ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと見知らぬ人が指をさす
阿久悠作詞『津軽海峡・冬景色』。この曲が無かったらわざわざ龍飛崎に来ることはなかったのではないだろうか。
だって北のはずれじゃないもん。龍飛崎。どうみても大間の方が本州最北端である。

さよならあなた。私は帰ります
大間の方が北にあるのに、作詞家の阿久悠が北の果てに龍飛を選んだのは語呂だろうな。大間だとマグロが食いたくなっちゃうもんなあ。
龍が飛ぶ岬の方が、旅立ちにふさわしい名前だもの。
ここはおれでもあえて龍飛崎を選ぶと思う。
恋に破れて故郷に帰る歌だが……。
龍飛崎には『津軽海峡・冬景色』の碑があった。
ボタンを押すと2番から曲が流れる。
「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」
それだよ。それが聞きたかったんだよ! という旅行者の心をよくわかった「できた碑」でした。
風の岬は本当に風が強かった。
これが幼い頃、おれの心を掴んだ黒神のため息なのか、と思ったものです。
平成よ。さらば
いよいよ平成最後の日だ。平成が沈んでいくその瞬間をイロハと二人で見たかった。
そのためには日本海側のいい場所で今夜は過ごそう。
ちょうど津軽半島に「チェスボロー号遭難慰霊碑」というスポットがあった。
チェスボロー号というのは、1889年にアメリカ船が津軽沖で座礁沈没。村民が23人中4人を助けたという遭難救助の碑である。
同様の事件にエルトゥールル号遭難事件がある。
こちらは1890年和歌山県串本町でトルコの軍艦が座礁沈没したものをやはり村民が救助したという碑である。
587名が死んで69名が助けられたという。
エルトゥールル号の方は映画にもなり有名だが、チェスボロー号の事件ははじめて聞いた。
平成最後の夕日スポットを探して、偶然たどり着いた場所に、たまたまあった碑なのである。
その場所で初めて知った事件だった。
チェスボロー号の方が先なのに、エルトゥールル号ばかり有名なのは、海難事故の規模が原因ではあるまい。
やはり親日的なトルコ人がエルトゥールル号のことを恩として忘れていないのに対して、自国にしか興味がないアメリカ人がチェスボロー号のことを知らないことが最大の原因だと思う。
恩返しストーリーがないと美談になりにくいから、マスコミにも取り上げられないからだろう。
しかし困った人を放っておけない人々のやさしい気持ちは津軽も紀州も同じだなあ。
展望台もあるのだが、雨の中、平成最後の夕陽は見られず。
静かに暮れていく。
平成よ。さらば。
令和元年5月1日(水)令和よ、こんにちわ
桜を追いかけて車中泊大遠征も6日目になります。
雨の東北です。
平成最後の夕陽も見らせませんでしたが、令和最初の朝日も雨のため眺めることはできませんでした。
この旅恒例の5時半出発です。
本州最北端の大間を目指す途中、とうとう全国レベルの桜の名所の前を偶然通りかかりました。
芦野公園。とうとう桜前線に追いついた
青森県立芦野公園。
日本の桜100選にも選ばれており、昨日も車内の全国テレビで見たばかりです。
ゴールデンウィークの各地の込み具合を中継した全国版で「桜祭り」真っ最中の込み具合だと放送されていました。
テレビで見たときは満開の桜で大混雑だったのですが、まだ6時すぎです。
ほとんど人はおらず、昼間は有料でも大混雑する駐車場に大雑把に車を止めます。
他に誰もいません。
早起きは三文の得とはよく言ったものです。
満開です。
旅の途中、これまでに桜は何百本と見てきました。
満開の桜もあり、散った桜もありました。
同じ地域でも咲いている桜と散っている桜があり、関東の「一斉に咲いて一斉に散る」イメージはいかにも地域限定の感受性なのだと知りました。
だから「桜前線においついたなあ」という実感はなかったのです。
しかし芦野公園でやっと桜前線に追いついたと実感できました。
ぽつぽつ咲いている桜はいくらでもありましたが、ついに全国レベルの桜祭りの会場です。
関東では半月前に終了している桜まつりが今花盛りです。満開です。

花盛りの公園
芦野公園の桜はまさに満開でした。
昨日テレビでやっていたのは、満開の桜のトンネルを電車が通る写真がインスタ映えするという内容でした。
これほど桜と電車が近いのは「全国でも珍しい」と撮り鉄さんが喋っていたのですが、しばらく待っていると電車の音がします。
ラッキーでした。タイミングよく電車が来てくれたのでほとんど待たずに桜トンネルを獲ることができました。駅舎には撮り鉄さんが沢山います。

アッラーアクバル、アッラーアクバル。このポーズはとても気持ちがいい。やってみなはれ
撮り鉄の凄い格好ですな。
アッラーの神に祈りを捧げるポーズと同じです。
桜を追いかけて車中泊・東北大遠征の旅も、どうやら目的を達成することができたようです。
斜陽。人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。
車中泊の旅に目的地はありません。
なぜならどこにでも寝ることができるからです。
それがホテルの旅との大きな違いではないかと思います。
ホテル旅行の場合は寝る場所を決まっています。夜にはそこにいなければなりません。
なので目的地を決めて、目的地付近の宿をとり、すべては最終目的地から逆算して旅のプランをつくります。
いわば出発前に「おおよそどこに行くかもうわかっている」旅になるわけです。
宿の都合上、大きく方向転換するわけにはいきません。
ところが車中泊はどちらかといえば「ふらっと世界一周してくる」バックパッカースタイルの旅に近いと思います。
世界一周バックパッカーは三か月後の今日、どこの国のどこの町で何をしているかなんて想像することもできません。
出発前には想像もしていなかった国にいる場合もあるでしょう。
そういう偶然の出会いに身をまかせるのが楽しいのです。
車中泊の旅もそれに近いものがあります。
ざっと「本州最北端の大間でマグロを食べて帰る」と目標を立てましたが、イレギュラーな出会いは沢山ありました。白瀬南極探検隊記念館やチェスボロー号遭難慰霊碑などは出発する前には想像もしていなかった場所です。
今日もまた二つの大きな偶然の出会いがありました。
ひとつ目はこちら。太宰治の生家、斜陽館です。

共産主義者なのに実家は大資本家の太宰治
学生時代に何冊か読んだっけなあ太宰治。
津軽ではいまでも太宰治はスターです。
ユーミンのCDが懐メロコーナーに収蔵されていくっていうのに、いまだに忘れられていないっていうのはもの凄いことです。
狙って行ったわけではなく、通っていたらたまたま出会う。
偶然の出会いというのは『運命』な感じがします。
こうして太宰と再会したのも何かの運命かもしれません。
これを機会にいつか読み直してみたいと思います。
いつ読むか? 退職後でしょう! 今は無理……
人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。
縄文遺跡の泰斗。三内丸山遺跡。縄文文化は世界遺産登録間違いない
三内丸山遺跡も大間を目指す途中で偶然に出会った遺跡でした。
五所川原から青森を経由して下北半島に向かう途中、青看板に「三内丸山」という表記を見つけて、思い切ってハンドルをそちらに切ったものです。
初日の新潟県立歴史博物館で縄文文化のジオラマを見ているので、ちょっと面白そうかなと思ったものでした。
行ってみて驚きました。これは凄い。
文字が残っていないのが惜しいところですが、ほぼ世界遺産登録間違いないと思いました。
こういうのを見てきた私が言うのですから間違いありません。
逆の意味で私の世界遺産の登録予測はよく外れるのですが。
世界の凄い一級遺跡を見すぎてきたせいで「こんなもの」と低く見ていたものがよく登録されるので、予想が外れてしまうのです。
世界遺産は超級、A級、B級ぐらいに分けて登録すべきではないでしょうか。
私のいう世界遺産というのは「超級」のみを差します。「超級」というのは、アブシンベル神殿や、ミラノ大聖堂や、ペトラ遺跡や、万里の長城などを差していいます。
それに比べると国立西洋美術館などは「B級」です。感動がないもの。歴史的な意義とか言葉で説明されてようやく納得できるレベルのものです。
しかし、しかーし。この縄文遺跡は間違いなく世界遺産に登録されると思います。しかも「超級」で。
文字が残っていないのが残念ですが、世界五大遺産に入れてもいいくらいのものだと思います。
縄文文化はキャンパー向き。明日からでも始められそうだから
車中泊賊というのはオートキャンパーの一種です。
テントに寝るか車に寝るかぐらいの違いしかなく、本質的にはキャンパーなのです。
キャンパーというのは「大自然の中、限られた文明の利器のみを使用して不便さの中で生活することを楽しむ人たち」と定義することができます。
あれ? これって縄文人と同じじゃね??

縄文ポシェット。ごみ場に捨てられていたもの。よく残ったなあ
釣り針とか縫い針とか生活感あふれる遺物がたくさん掘り出されています。
縄文人の生活はキャンパーが明日からでも始められそうなものなので見ていてワクワクしてきます。
実際、縄文ポシェットをつくろう体験コーナーなどもあります。
縄文ポシェット、作り方さえ教わればそんなに難しくありません。しょせんは縄文人が手でつくったものです。
そういうところがアウトドア派のキャンパーを刺激するんだよなあ。大好き縄文文化。
これが弥生文化だと稲作の展示がメインになってきますので、キャンパーが明日からでも始められるというわけにはいきません。
土地はどうするのか。道具はどうするのか。
収穫という成果がでるのは半年後です。
稲作文化が村社会と指導者をつくったと言われているぐらいです。
集団で協力して行っていくのが稲作であり、稲作というのは放浪のバックパッカーが背を向けようとする文化そのものなのです。
弥生文化は西に。縄文文化は東に。いいね。東北。
ピラミッドはカイロの街のすぐそばにあるのですが、意外なことに三内丸山遺跡も青森市のすぐそばにあります。
遺跡は県営野球場を建設する予定地だったのだとか。
青森市民が簡単に行けるような場所にあるのです。ところが、建築前の発掘調査により想像以上の大遺跡であることがわかり、野球場や都市計画道路など一切を中止したということです。
当時の首長さんの大英断でしたね。
野球場は他の場所でも作れますが、世界遺産間違いなしの三内丸山遺跡はここにしかありません。
六本柱建物や大型竪穴式住居など、復元建物がたくさんあるところも評価できます。
やっぱり現在生きている人間には遺構(穴)だけ見せられたって面白くありませんから。
想像による再現だということですが、いいんです。それで。
むしろ原始の祭祀(お祭り)も再現したらいいんじゃないかと思います。
男鹿真山伝承館で毎日なまはげを見せているように扮装する専門の役者を雇って。
晴れた夏の月夜に、縄文料理と縄文酒だけで縄文の衣装を着てお祭りを再現すれば観光客が入りきらないほど人気になること間違いありません。
それが歴史ロマンというものです。
青森には「ねぶた祭り」しか行ったことがないという人は、三内丸山遺跡にも行くことを強力におすすめいたします。
将来、世界遺産登録される前に。
今なら空いていますよ。
季節感が狂う車中泊大遠征。日本語で文章を書くのって難しい
下北沢半島に向かう。途中、横浜町という中華街がありそうな名前の町を通った。
道の駅よこはま「菜の花プラザ」というところで小休止。
トイレを済ませ、食事をしていると、びっくりするようなポスターに出会った。
下北半島横浜町は本州一の菜の花の面積を誇るのだという。
こちとら菜の花のメッカ千葉県から来ているのだ。
なぜかライバル心がむくむくと頭をもたげる(笑)。
それでポスターをよく読んでみると
「菜の花フェスティバルinよこはまは5月18、19日に開催」だと書いてある。
今日は5月1日。令和最初の日だ。まだ先か。なんだ、見られないじゃないか、残念。
えっ? ……何かおかしくないか?
ええっ? おれはとんでもないことに気づいてしまった。
ええええ? なんだと? わかりますか? おれの驚きが。
千葉では菜の花は桜の花よりも先に咲きます。3月が盛り。
桜よりも菜の花の方が先、というのがイメージです。
ところが下北半島ではどうでしょうか。桜はすっかり咲いているというのに、まだ菜の花が満開じゃないってドウイウコト? 5月の第3週に菜の花は満開だという。もうその頃には桜は散っちゃってるじゃん。
下北では桜のあとに菜の花なのか。カルチャーショックだ。
こう考えると昔の園芸ライターの人はたいへんだっただろうなあ、と思う。
日本全国で場所によって開花シーズンが違うんだから。
播種とか収穫の時期が全国一律には書けないってことだもんな。
全国版として書籍化するのは難しかっただろうなあ。
コンピューターのハウツー記事でも同じだが、読者の汎用性を高めようとすればするほど記事はわかりにくくなるものなのである。場合分けという迷路に迷い込んでしまうからね。
私のブログもいちおう日本全国誰でも読めます。
全世界の誰でも見られるが日本語で書いてあるからスペイン人でこのブログを読む人はいない。
それでもこの記事を読んでいる人はもしかして青森県の人かもしれないし、沖縄県の人かもしれない。
最北の地・大間まで車中泊大遠征なんて称しているが、岩手県の人から見ればそこらへんの近場だ。
決して大遠征などではない。
そういうことは頭の片隅には置いておきたいと思う。
外国の記事を書くときはあまり気にしないで済むが、国内の記事を書くときは難しいなあ。
遙か彼方のサハラ砂漠と日本語で書いても問題ないけど、鳥取砂丘を遙か彼方と書くのは千葉県人には通用しても鳥取県人には通用しない表現である。
文章を書くのって難しいね。太宰治先生。
もしかして人は汎用性のある文章なんて書けないのかもしれない。
だから太宰治は津軽の人間で、その時代の津軽人の感受性で文章を書いているのだろう。
そのスタンスを前提にしなければ、きっと文章なんて書けやしないのだろうとおれは思う。
あくまでもこのブログは千葉県の人が千葉県っぽい感受性で書いています。
日本三大霊山・恐山
日本三大渓谷のひとつ清津峡が大当たりだったので、今度は日本三霊場のひとつ恐山に寄ることにした。
恐山。
名前は凄いが、恐れるほどのことはない。
山というか川原でありサンダルでも行ける。
上高地の焼岳など本当の活火山を登山してきた者にとっては箱庭みたいで物足りないところだ。
この辺の事情は鹿島神宮なんて南アルプスに比べると物足りないと言うようなものであるから個人の感受性の問題である。
基本的に宗教施設という認識で訪問していないからなんだろうな。やっぱり。

さほど地獄でもない地獄。サンダルで行ける
おれは修験道の修験者は昔の登山者だという認識だから。
死者が乗り移って喋るというので有名な「イタコ」も常時やっているわけではない。
硫化水素の臭いはキツイ。
薬研温泉かっぱの湯。ぬるめで長風呂できる名湯
恐山を後にして本州最北端・大間を目指す。
大間で温泉は期待できないと想像したので山の中で温泉を探すと近くに薬研温泉というのがあった。
途中でカモシカに会う。
カモシカはシカではなくウシである。
薬研温泉「かっぱの湯」というのは恐山を開山した慈覚大師円仁さんが発見した温泉らしい。
この円仁さんというのは松島瑞巌寺や山寺・立石寺なども開山している空海さんクラスのスーパー僧ですな。
旅が好きだったんだろうなあ、と思う。どうやら中国(唐)にも行っているようだ。私たちの大大代先輩だなあ。

カッパ・ダンシング
「かっぱの湯」は男女入れ替え制の無料露天風呂と、奥薬研温泉「夫婦かっぱの湯」とがある。
「かっぱの湯」は川沿いの露天風呂で、ぬるくていい温泉であった。
長風呂したいところだが、男女入れ替え制のためカップルではどちらかしか入れない。
パートナーを待たせて長風呂できる人はいいだろう。
私は汗を流しただけでそそくさと出ました。イロハが待ってるからね。
夫婦かっぱの湯ではなぜかカッパが踊っている。
「かっぱの湯」と「夫婦かっぱの湯」を同一視したためにイロハのみ入浴。
私は「かっぱの湯」で済ませてしまった。
日本最北端・大間崎に到着
本州最北端の大間に向かう。
ゴールデンウィークでマグロが食べ尽くされてなければいいが。
それだけが唯一の心配である。
いやそれだけではない。
そもそも日本最北端の地に暗くなってからマグロを食べさせるようなお店があるかどうか?
根本的な不安があることは確かだ。
かつて富山県の氷見市で名物「ひみブリ」を食べようとしたら、全く食べられなかった。
いいブリはすべて東京・築地送りだと聞いた。
地元の漁師にとって、いい魚は外貨(現金)を稼ぐための手段だからやむを得ない。
江戸時代の昔に「いいもの」を食べたければ、その地に行かなければ食べられなかったが、保存と流通の発達した現代ではそうではない。
いいものは大阪や東京に送られてしまい、地元には残っていないことがある。
大間のまぐろもそういうことになっていなければいいが。。。不安だ。
日が沈む前に本州最北端、大間岬に到着。
この本州最北端にロードバイクで来ていた男の子がいたので愛車と一緒に写真を撮ってあげた。おれも自転車に乗るのでその大変さが手に取るようにわかる。
埼玉の子だったが、走り始めたのは盛岡からだと聞いた。
大宮から盛岡までは輪行したのであろう。
盛岡から大間まではテント一式をロードバイクにくくりつけての旅である。
車中泊と違ってテント泊は泊まる場所を選ぶのが難しい。
道の駅で寝るにもテントは結構目立つし「キャンプ禁止」と書いてあると難しい。
その子は有料キャンプ場に泊まったと言う。
そこならテント設営して問題ないが、問題はキャンプ場って高いんだよなあ。
とくに設備が整ったオートキャンプ場などは一泊の価格がロードバイクのチューブが4本ぐらい買える値段だったりする。
金をかけないための自転車旅行なのに、これではお金がかかりすぎる。

ロードバイクでよく来たなあ。たいへんさが手に取るようにわかった
恐山から大間のあたりはほぼ車泊賊ばかりでした。
こんなに遠方には賊じゃないと来られないもんなあと納得です。
車中泊以外の人が大間に来ても、そもそも宿泊施設がありません。
大間崎の前にはお土産屋はあるが、マグロを食べさせる店はもうすでに閉まっていました。
スマホで「居酒屋」という名前の付くお店を探してそこで夕食をとる。そこでマグロを注文すれば、それは大間のマグロである。魚沼の米がすべて魚沼産コシヒカリであるように。

大間のマグロも食べられた
こうして令和初日に極北の地にたどり着くことができました、白瀬隊長!
大間の海岸ぎわの無料駐車場にて宿泊。
よろしく令和ピリオド!
桜を追いかけて車中泊大遠征7日目。令和元年5月2日(木)
令和時代になって2日目であるが、車中泊は7日目である。
ちょうど一週間車で夜を過ごしたことになります。
昼間はほとんど車外で過ごしているため、ステーションワゴンの車の狭さも気になりません。
人間、立って半畳、寝て一畳とはよくいったものです。車中泊のためにある言葉ではないでしょうか。
本州最北の地、下北半島から折り返します。
私たちの旅はとうとう折り返しです。
帰途に着いたのです。残念ですが仕方がありません。
今朝の絶景散歩は仏ヶ浦になりました。
仏ケ浦は階段から下に降りていくことができます。

朝散歩するにはいい場所でした
絶景散歩で早起きした後は、今日のノルマを果たさなければなりません。
今日ばかりは観光よりも優先すべき事項があります。それは洗濯です。
車泊賊にとってコインランドリーは砂漠を行くキャラバンのオアシスのようなところ
むつ市は想像以上に大きな町でした。
この町ならばコンビニ以外で食料が調達できそうです。
狙ったのは地元のスーパー。車泊賊は地元スーパーを狙います。

メロスってギリシア人だったんだなあ。マラソンぽいもんな
津軽ならではの太宰治にちなんだ「走れメロンパン」など地元の朝食を買い込みます。
そしてコインランドリーを探します。
洗濯から脱水まで小一時間かかりますので、朝食はコインランドリーで洗濯中に食べます。

車泊賊のオアシス。コインランドリー。何もしない贅沢をかみしめます
コインランドリーを見つけ、とうとう洗濯ができました。
乾燥までの小一時間は貴重な何もしない時間。
これまでずっと観光するか次の目的地に進むかというハードな暮らしを一週間続けて疲労が溜まってきています。コインランドリーでの休憩は本当に何もしない時間。
備え付けの雑誌を読んだりして旅はしばし休憩です。
これで明日もパンツをはきかえられるよ~。
コインランドリーは砂漠を行くキャラバンのオアシスのようなところです。
十和田バラ焼き。女性とは不思議な生き物
下北半島からは内陸部に入っていきます。
宣言通り、太平洋は見ない旅にします。
奥入瀬渓流に沿って十和田湖を目指します。
名作日本むかし話『赤神と黒神』が惚れた女神が十和田湖の女神でしたね。
清流で有名な「奥入瀬」は十和田湖に流れ込む川と思い込んでいました。
行ってみたら逆で驚きました。
逆に十和田湖から流れ出す川だったのね奥入瀬って。
死海に注ぎ込むヨルダン川のようなものかと思っていました。
流れ出す川なら枯れる心配はないわな。水質は心配だけど。
雨がちのゴールデンウィークだったため、奥入瀬渓流は水が多く、美しかったです。
大間にはあまりいなかった観光客もたくさんいました。
下流の方に星野リゾートがあるためらしい。
みなさん、お金持ちですこと。
でも私たち、みなさんよりもいいもの沢山見てるのよオホホ。貧乏人ですけど。

B1グランプリ1位になったという十和田バラ焼き
十和田湖ではイロハがどうしてもバラ焼きを食べたいというので、並んで食べました。
B-1グランプリで全国1位になったご当地グルメだそうです。
そんな情報どこで仕入れてくるのでしょうか。
私は知りませんでした。
食べてみたら十和田バラ焼きは韓国のプルコギのような味でした。
肉と玉ねぎとタレだけの素朴な料理です。
不味くはないが、B1グランプリ全国一位の味かなあ?
イロハはこの「桜を追いかけて車中泊大遠征」に桜前線を追いかけて追い抜くという目的のほかにもう一つ独自の目標を定めています。
それは地方の美味しい料理を食べること。
女性というのは不思議です。
ダイエットしまくるくせに、美味しいものを食べるのが大好き。
食欲のとりこ状態から離れることが根本的なダイエット法のはずですが、そういう発想には絶対になりませんね。
訪問した地名とか名前とか全然覚えないくせに、食べた美味しいものはやたらと鮮明に覚えていたりします。
記憶を回想するときも、食べ物をきっかけに思い出したりします。
三内丸山遺跡とか立佞武多よりも十和田バラ焼きとか山形牛なのが女性です。
そういう女性と一緒に旅していることを男性諸氏は忘れてはいけません。
縄文文化よりもB1グランプリです!
もっともそういうイロハのおかげで私もいい思いができるわけです。
全国1位の味かどうかは別として、十和田バラ焼き、美味しかったです。
ごちそうさまでした。
鹿角のストーンサークル。縄文遺跡ふたたび
十和田湖を過ぎて鹿角に向かいます。
そこでストーンサークルと出会いました。
縄文時代の祭祀の名残です。また縄文遺跡です。凄いぜ東北。
鹿角にはストーンサークルがありました。
イギリスのストーンヘンジなど世界のストーンサークルを紹介する展示館が併設されています。
遠巻きにしか眺められないストーンサークルのみだと「十和田バラ焼き派の女性」の関心を掴むことは難しいかもしれません。
展示館、必要です。
縄文遺跡は世界遺産間違いありません。
世界五大文明といってもいいぐらいです。
間違いなく世界遺産に登録されます。
そのレベルです。
こういう本物の世界遺産(ヨルダンのペトラ遺跡)を見てきた私が保証します。
今夜の温泉はホテル鹿角です。
このレベルのホテル温泉は南房総だと1000円ぐらいが相場ですがタオル込みで600円とは安い。
露店もぬるめで長湯できて生き返ります。
しかもまたしてもJAFカードが使えました。どれだけ使えるんだJAFカード。
夕飯はホルモン幸楽花輪本店にて。
ホルモンは臭い。臭いがうまい。そして噛み切れない。
よく外国人が日本のおもちをいつ飲み込んでいいかわからないと聞くが、私もホルモンをいつ飲み込んでいいのかわからなかった。まるでガムみたいだ。
「日本全国、他県からなぜか? 客が集まる大人気ローカル食堂ベスト3」に選ばれてテレビで紹介されたことがあるらしい。
サンドウィッチマンが取材に来ていた。
実はこの旅のラストでこの二人に会うことになるのだが、この時はまだそれを知らない……。そして「道の駅かづの」にて宿泊。
今日もいい一日だったなあ。
昨日とは違う場所で眠るのは楽しいよ。
非日常な感じがするもの。
いつも同じ場所で寝るのは飽きちゃうぜ。
おやすみなさい。
桜を追いかけて車中泊大遠征8日目。令和元年5月3日(金)
日本は狭いとよくいうが、そんなに狭くありません。
車でもう8日もドライブしていますが、千葉を出発して長岡から龍飛崎、大間崎で折り返して現在まだ鹿角です。
インドで、某大学教授と「日本は狭くない議論」をしたことを思い出します。
その時、私は「日本は広い」某大学教授は「日本は狭い」立場での議論だったのですが、結局、議論は「日本は狭くはないが、森林山岳地帯が多く有効活用できる面積は狭い」という引き分けのような議論でした。
しかし利用できる面積で議論するならばサウジアラビアなんか国土は広いがほとんど砂漠だし非常に狭いということになるのではないでしょうか。
いずれにしても車で移動する限りにおいては山岳地帯は障害にしかなりませんから「日本はとても広い」ということでいいのではないかと思います。
国土面積ランキングで日本は世界第60位。ドイツとかマレーシアとかニュージーランドよりも広いのです。
ちなみに海(排他的経済水域)を含んだ面積だと、世界第6位です。中国よりも広いのだ。
玉川温泉。地球は生きている
この日の朝散歩は、玉川温泉です。
温泉の噴き出しは勢いがあるし、ガスの噴出もものすごいものがありました。
ここに来れば地球は生きているということを実感することができます。
恐山なんかよりもよっぽど地獄のイメージでした。
火山のない国の外国人が来ると驚くと思います。もっと世界に知られていい場所ではないでしょうか。
しかし早朝だったせいでしょう。
まだお客さんはまばらでした。
地面が地熱で暖かいため岩盤浴のような効果を狙っているのだと思いますが、隣の小屋は閉鎖されており次のような看板が掲出されています。
だめじゃん。すぐとなりでこんな看板でてるのに寝てちゃ。
岩盤浴の健康と毒ガスの不健康とで差し引きマイナスな気がする。大丈夫か(汗)
なにせこのガス噴出量です。
ものすごい勢いで噴出している。
足元から全部、いつ水蒸気爆発してもおかしくないんじゃないかと不安になります。
毒ガスが結晶化しちゃってるよ。ガクガクブルブル。
フリースタイルで岩盤浴しているんでしょうが、もはや行き倒れにしか見えません。ガクガクブルブル。
恐山はこっちに創建すりゃもっと地獄ぽかったのに。凄い迫力です。
泥水までもが吹きあがっています。
台湾の北投(ペイトー)温泉にも実際に私は行ったことがあります。
しかし温泉としての迫力では玉川温泉の圧勝です。
何でも日本の方が優れているわけではなく、何でも外国の方が優れているわけでもありません。
しかし温泉に関しては本当に日本こそが世界一充実している国なのではないかと思います。
その中でも温泉地としての迫力ではこの玉川温泉は世界随一なのではないでしょうか。
人口噴水のような別府温泉の間欠泉よりも、おとなしくじわじわと湧き出すような草津温泉よりも、玉川温泉の迫力は勝っています。
ニュージーランドのロトルアだって玉川温泉の迫力にはかないません。
北海道ニセコのように、もっと世界的に有名になっていい場所だと思います。
玉川温泉に来ると地球は生きているということを実感することができます。
田沢湖で味噌きりたんぽ
昨日はものすごい風だったのですが、今日の田沢湖は静かです。
味噌きりたんぽのご主人が「お客さん昨日じゃなくてよかったね」と言ってくれました。
「昨日はそんなにすごかったんですか?」と聞くと「あの風じゃ生活できねえ」とのことでした。
田舎のおっさんのくせに弱っちいな。
風ぐらいで生活できねえのかよ! と心の中でツッコミを入れておきました。
田沢湖で味噌きりたんぽ。秋田杉でできた立派な串でした。
咲くもよし、散るもまたよし桜花
みなさん、桜が好きですよね。
千葉では4月に咲く桜です。
満開の時期には大勢の人が花見にでかけます。名所と呼ばれる場所では、桜の木の下にレジャーシートなどを敷いてビールを飲んでお弁当を食べたりしています。
その満開の桜を東北地方に旅をすれば5月のゴールデンウィークに見ることができます。
青森の芦野公園ではまさに桜まつりの真っ最中でした。
ところが折り返し南下してきて、ここ角館ではもう花は盛りをすぎています。
本当はこの角館も桜並木で有名な場所なのです。
「ああ。すこし遅かったか」イロハはすこしガッカリしています。
ところが私は最高の時期に来たと思いました。
私は桜は散っている瞬間が好きです。風に舞う桜吹雪が好きなのです。
満開の時よりも散っているときの方が「瞬間」な感じがして好きなのです。
角館では桜がはらはらと散っていました。
これほど多くの桜吹雪を見ることが出来て本当に満足しました。
満開も、桜吹雪も、散った桜も、蕾の桜も、すべて見ることが出来たのです。
ものすごい桜吹雪でした。どれだけ散っていたかお察しください。
ほとんど散っていますが、咲いている桜もちらほら。
やっと暖かくなったので携帯コンロでアウトドアダッカルビをいただきました。
こんなに桜吹雪に振られたのは人生初かもしれません。
ノンアルコールビールで乾杯です。
満開の時は人でいっぱいだっただろう角館の桜、散るのも見事でした。
真室川。花が咲くのを待ちかねて、蕾のうちから通ってくる
今回の旅で、太平洋側から帰らず、内陸部で帰ることにした最大の理由のひとつはここ真室川町です。
イロハの出身地であるためです。
イロハはあまり思い出がないと言っていますが、それでも故郷は故郷。
私はこの真室川音頭の詞が非常に気に入っています。
私は真室川の梅の花、あなたまたこのまちの鶯よ。花の咲くのを待ちかねて、蕾のうちから通ってくる。
イカス〜!!
イカス歌詞だなあ。
明日は梅祭りだそうです。
しかし会場に行ってみたら梅はほとんど散っていました。
だいたい千葉では梅は3月に咲く花です。
それを5月上旬にやろうというのは、いくら山形でも無理があるんじゃないかな。
ここは外国か? (うちのイロハは外国人か?)
梅の里マラソンを梅の花の咲くコースで走らせてあげてください。
もうすこしお祭りは早くやった方がいいですよ。もう散ってましたから。
そもそもなんで5月上旬にやるんだろうか。
もしかして旧暦の日付のままで行事が行われているのではないかと真室川出身のイロハさんが言っていました。
もし本当にそうだとしたら、出身者のカンってすごいね。
桜とか他の花を全部捨てて、梅に特化してもっと梅の里マムロガワで売り出せば、すばらしい真室川音頭もあるんだから惜しいなあと真室川出身者をヨメにもらったハルトは申しておりました。
この旅の途中で見たクラゲに特化した水族館のように。

あたしゃ真室川の梅の花、あなたウグイスよ
真室川町は林業が盛んなようです。
いたるところに切り倒した木材がありました。
ずっと東北を旅してきましたが林業がさかんな村なんて珍しいと思います。
今夜は道の駅「尾花沢」にて宿泊。おやすみなさい。
桜を追いかけて車中泊大遠征9日目。令和元年5月4日(土)
真室川から新庄、尾花沢市と南下を続けます。今朝の朝散歩は銀山温泉。
道の駅尾花沢から銀山温泉はすぐそばでした。
銀山温泉にはかつて宿泊したこともありますが、今回は写真を撮って足湯のみ。
なにせまだ朝の七時前です(汗)
こんな観光明媚な場所を朝から散歩できるなんて幸せです。
趣味は地方空港めぐり(観光)
いろんな人がいて、いろんな趣味がある。
でも人間なんて似通っていて、同じ趣味を持っている人は結構いる。
たとえば囲碁が趣味で身近に誰もそんな人はいなくても、全国探せばそれなりの同好の士がいるはずだ。
私の趣味のランニングは今や空前の大ブームだし、海外放浪バックパック旅行も同好の士はいくらでもいる。
実際、「同好の士」はほとんどいないと思う、という趣味を持っている人はあまりいないのではないだろうか。
私の場合はひとつそれがある。それは「地方空港めぐり」である。
飛び立つ用がなくても地方空港があったらぜひ立ち寄りたい。
山形空港のそばを通ったので、寄ることにした。
山形さくらんぼ空港は日本航空JALが発着している。
旅の前半、庄内空港は全日空ANA発着であった。
法令を詳しく調べたことはないが、地方空港は明らかに二大巨頭が棲み分けして生息している。
最高に幸せなことに残念ながら私の最寄りの空港は成田空港なので、そう簡単に寄ることが出来ないのだ。
セキュリティは厳しいし、駐車場は有料だ。
地方空港の何が好きなのか? なんといっても空港の持つ旅情が好きなのだ。
地方空港の駐車場は無料で止められるし、ノーチェックで入れるし、地元の名産を売る売店がある。
トイレもあるし、観光案内パンフレットもあるし、Wi-Fiも入る。そして旅客がいる。

空港で寝れるようになって旅人は一人前だと思う
旅情を誘う空港が大好きだ。
気軽に立ち寄れる地方空港が大好きだ。
自分がいつも外国でやっていることをホストカントリーの側から眺めるのも面白い。
旅人は空港で寝れるようになって一人前だと思う。
将棋の天童。写真不可なのは何でだろう?
天童市は伝統工芸品として将棋の駒の生産が日本の9割を超えるという将棋の町である。
町のいたるところに将棋っぽいものがある。

橋に将棋の駒の名前がついている

人間将棋の観覧台。まだ桜は咲いていた
人間が将棋の駒に扮した「人間将棋」が行われることで有名であるが、4月下旬に桜まつりと同時期開催であり、残念ながらもう終わっていた。
千葉を出発し、青森で満開だった桜前線を下北半島で追い越して蕾を眺め、再び桜前線をくぐりぬけて「桜は終わり」地帯に戻ってきたというわけである。
超大型ゴールデンウィークの真っ最中だというのに観光客はほとんどいない。
将棋で町おこしなんて無理なんじゃないか? そこに天童市将棋資料館というところがあった。
中に入ってみると、わずかに観光客がいる。

写真撮影禁止の昨日とは別れを告げて、撮影許可すべきじゃないのかね
将棋会館の中の展示は面白かったのだが「写真撮影禁止」。
どうして写真撮影禁止なんだろう。
著名な絵画がストロボで痛むから写真禁止というのなら理解できるが、木製の将棋盤の撮影がどうしてダメなのかさっぱりわからない。
特定のマスコミにだけ許可して撮影料を取るためか?
たいへんな混雑のため写真撮影が観覧の邪魔になるというから禁止というのなら理解できるが、超大型ゴールデンウィーク10連休の真っ盛りだというのに、観光客なんてほとんどいないのだ。
おれのようなブログやインスタグラムに写真を投稿してもらって情報が拡散してこそ観光客が集まるというのにどうして写真撮影禁止なのだろうか。さっぱりその意図がわからない。

そうか(笑)。だったら写真許可して拡散してもらえ
私の興味をそそったのは、泰将棋という駒の種類93種類というスケールを大きくした将棋である。
駒に「猛鷲」とか「鳳凰」とか「毒蛇」とか「白象」とか、ゲーマーのファンタジー心をくすぐる駒の名前がついている。
現行将棋でも、強い駒は「龍王」とか「龍馬」などいかにも強そうな名前がついているが、この泰将棋の「臥龍」とか「麒麟」とか「金鹿」とか「古猿」はどんな動きをするのであろうか?
三国志のゲームみたいなもんだ。たとえれば呂布や関羽は凄く動き回れる強い駒だけれど、華雄や夏侯淵は動き回れない弱い駒。そんな気がして面白い。
「鳳凰」なんてチェスのクイーンぐらいの動きをしそうな名前だもんな。
ほら、写真がないから拡散力が弱いでしょうが。写真撮ってブログにアップしてもらった方が絶対集客できるんだから。写真禁止なんて何かおかしい。禁止にする理由がわからん。
台湾の太魯閣渓谷で、中国人、韓国人、日本人の混成現地ツアーとなり、それぞれの国の将棋での駒の動かし方を語り合ったことを思い出しました。もとは将棋はインドが起源のゲームらしい。
将棋会館では、坂田三吉よりも羽生善治の事績が大きく書かれていましたし、特異な才能を発揮し一時代を築いたはずの林葉直子など完全に黒歴史にされています。何かの意図を感じてしまうのですが、天童に他に行く場所はありません。
誰も観光客がいない現状を認識して、インスタグラムなんかを活用すればいいのでは天童市?
それには写真許可!
なせば成る。なせねば成らぬ何事も。成らぬは人のなさぬなりけり
伊達家の米沢に到着。
上杉謙信と上杉鷹山の二大スターの町である。
車中泊だって「なせば成る」精神が大事だと思う。
ゴールデンウィークの10連休の間、様々な車中泊の人を見てきた。
軽トラの荷台の上にテントをひろげている人もいた。
大地にテント設営だとキャンプ禁止条項にひっかかってしまうが、荷台の上ならぎりぎり駐停車の範疇でセーフになる。荷台の上なら轢き殺される心配もない。っていうところかな?
またセダン車の椅子を倒して寝るだけの人もいた。文字通りの仮眠である。
その仮眠で何泊したんだ? 目隠しもなく、布団の準備もなく、寒いのでエンジンをかけて暖房で夜をしのいでいた。徒手空拳にもほどがある(笑)。
しかし「なせば成る」のである。鷹山公の教えは普遍的だなあ。
小野川温泉
白布温泉は満員で入れなかった。宿泊客優先のため日帰り温泉は四時までだそうである。さらに桧原湖までの道は夜間通行止め。よく調べずに行ったので、Uターンして引き返すことになった。
スマホでイロハが探した小野川温泉・扇谷旅館にて入浴♨️
評価は『熱ッ』。いやとても熱い。とても長湯できる温度ではありません。
しかし温泉宿は非常に風情があってよかった。
日帰り入浴のよさは宿泊すると非常に値段の張る高級旅館を、ワンコイン500円で泊まったような気持ちになれることだね。
司馬遼太郎さんも泊まったほどの由緒ある旅館である。温泉だけ利用させてもらった。

ま、まじですか? ちょっと恥ずかしいけど、ドン!
道の駅「喜多の郷」で宿泊。明日には帰れちゃうかも
また道の駅で宿泊。道の駅「喜多の郷」。
大型連休の大混雑で道の駅が混んでいれば、これまでの経験値を発揮して別の場所に泊まるのだが、拍子抜けするぐらい空いている。
みんな、どこに行っているんだこのゴールデンウィーク。
もしかしてどこにも行っていないのか? まさかみんな海外か?
だんだん地元・千葉が近づいてきた。
もしかしたら明日には帰宅できちゃうかもしれない。
桜を追いかけて車中泊大遠征10日目。令和元年5月5日(日)
今朝の朝食はまたしてもコンビニであった。
コンビニ評論家になれそうな勢いでコンビニ暮らしをしてきた。
毎朝太陽と一緒に5時起床なのでコンビニ以外に選択肢がないのです。
思えば老人のように9時に寝て5時に起きるという太陽とともに暮らす生活をしてきた。
このゴールデンウィーク、レシートでコーヒーが割引にならないのはセブンイレブンだけだった。
ファミマやローソンは前回のレシートでコーヒーが割引になるため、両方あればそちらに寄ることが多かった。
大内宿。結婚相手に求める条件とは?
さて今朝の朝散歩は大内宿である。
国選定重要伝統的建物群保存地区に指定されている。
江戸時代の街道の宿場の雰囲気がそのままのこっている。
このような場所はもはや日本中でも珍しいのではないか。
そのまま『ラストサムライ』のような映画が撮影されてもおかしくない雰囲気を現在も備えている。

車中泊賊の最大の快楽のひとつ朝散歩。今日は大内宿です
メインストリートには売店が並んでいますが、いわゆる雰囲気を出している商店街ではなく、現在も実際の住居として活用されているそうです。
自宅の「のれん先」で商売をやっているわけです。
実は独身時代にイロハとふたりで大内宿には来たことがある。
サクランボ狩りと絡めた大内宿観光は都心から日帰りバスツアーの定番コースであり、私たちもバスでここに来たのだ。
あの頃は付き合い始めたばかりで、たわいもないことでよくケンカしたものだった。
ところが今は結婚し、ケンカもしなくなった。
映画『マイフェアレディー』のように結婚相手を自分好みに変えてみせようなどと思わないほうがいい。
そんな無駄な労力を費やすよりは、はじめから自分と相性の合う相手を探す努力に時間を費やすべきである。
人間、それほど変われるものではない。
現にイロハも私も、よくケンカした付き合い始めの頃とあまり変わっていない。
ケンカしなくなったのは、かつてケンカしたカンにさわる部分を「いつものあれか」とスルーできるようになったためである。
カンにさわる部分を流せるようになったからケンカしなくなっただけだ。
相手を変えようと思っていたら、いまでもケンカしているだろうと思う。

そんなかたいこというなよ会津藩
ケンカばかりだった付き合い始めの頃に来た大内宿であったが、ここがいい場所だってことだけは記憶に残っていたので今回再訪したのである。
イロハのおかげで今日もまた朝からいい散歩ができた。
塔のへつり。東北10回クイズに騙された
会津線会津線そして鬼怒川線に沿って南下していく。私たちの場合、日光まで行けばほぼ「ホーム」、見慣れて風景になってしまうので旅情を楽しむとすれば日光より北ということになる。
途中「塔のへつり」という観光地らしいものがカーナビに表示されたので寄ってみることにした。

崖の抉れを人が通行しています
おおっ。なんだこれは。
川岸の岸壁がまるで『三国志』の蜀の桟道のように抉れているじゃないか。
これまで三内丸山遺跡や鹿角サークルストーンなど東北地方の縄文遺跡を見まくってきたせいで「塔のへつり」も完全に縄文人の遺跡かと私は思った。
ところがイロハは天然じゃないの? という。
いやだって白くきれいに研磨されてるし人口の道でしょうよ。
きっとあの桟道の奥に洞窟があってそこで縄文人が暮らしていたんだよ。
漁労だよ。川魚を食べて暮らしていたんだろう。

おおっ。あの先が蜀の国か(劉備玄徳)
ところが「塔のへつり」は「天然記念物」と書いてあっても「縄文遺跡」だとはどこにも書いていない。
どうやら塔のへつりは人口通路ではなく川が削った奇岩のようである。
「10回言ってみて」クイズか!?
縄文遺跡・縄文遺跡・縄文遺跡……さて塔のへつり、これはなんでしょう?
「縄文遺跡?」
「ブッブー! 天然記念物でした」
ズゴーッ。すっかり東北地方に騙されたよ。
本当に人口の通路に見えた。奇岩である。
上三依水生植物園。カエル天国
日光市上三依水生植物園というのがあったので、散歩のつもりで寄ってみることにする。
私は登山をするが、指先ぐらいの小さな高山植物を重たい一眼レフで接写している人の気持ちがさっぱり理解できない。しかしイロハは植物を見るのをことのほかよろこぶのだ。

彼の者の労苦の果は神の怒りを被る。その墓を飾るべき球体を探し求めよ
万有引力の法則で有名なニュートンのリンゴ(の子孫)がありました。
杉なんて千年も生きるのに、林檎って短命なんですね。同じ木だというのに、差別だ!
致死マウス雪草かと思った。
全部カタカナじゃわからんよ。
漢字を排除して全部ハングル文字にしてしまった韓国語がこのような状況らしい。
日本語が漢字を残したのはいい判断だったと思います。
ものすごい数のアズマヒキガエルの卵が池に産卵されていた。
寒天のようなものに包まれているが、親のカエルの大きさからいっても卵およびゼリー質のものの容積が大きすぎる。体の中からこんなにたくさんのものが出てくるはずがない。
体積よりも大きな大便をする生き物がいるはずがないのだ。
ゼリーは水を吸って膨らみ、卵は成長して大きくなったものと思われる。いやすごい卵の数であった。
この卵1000個の内1個しか成蛙にならないとすれば壮大なロマンである。
ファーブルじゃないがこの卵のドラマを追って一生を終える人がいてもおかしくないと思える。
NASAが宇宙に行かなくてもドラマは地球上にいくらでも転がっている。
川俣温泉。サンドウィッチマン伊達ちゃんに話しかけられる
昼食は道の駅「湯西川」のダムカレー。
名物らしい。具だくさんでうまかった。湯西川ダムをモチーフにしている。
これまで『登山道で渋滞に巻き込まれないメソッド』にのっとり超大型10連休だというのにほとんど渋滞に遭わなかった我々ですが、さすがに世界遺産日光は超混みだろうと予想。
見慣れたホームの日光は避けて川俣温泉に行くことにしました。
そこでサンドウィッチマンとオードリー春日&鈴木杏樹に遭遇。

黄色い服が鈴木杏樹、一番右がオードリー春日
最初大名行列のようだと思った人たちはツアー客ではなく撮影隊であった。
数えると33人もいた。
そのスタッフから「写真撮影はやめてください。ツイッター等にあげないでください」とアナウンスがあったが、ちょっと何言ってるのかわからない。
ここは撮影スタジオじゃなくて天下の公道だぜ? こちらが追いかけて無理に写真を撮ったのなら肖像権も発生しようが、そっちから勝手に俺たちに近づいてきてフレームインしてきたのである。
その写真を使うななんでチャンチャラおかしい。
俺は(車中泊)賊だから自由に使わせてもらう。
使われたくないなら近づいてこなきゃいいじゃん。(先頭からサンドウィッチマン。黄色い服が鈴木杏樹。一番右がオードリー春日)。
川俣温泉の間欠泉。
サンドウィッチマンはこれを見に近づいてきた。
しかしコンクリートの覆いから噴出するため、人口の噴水のようでした。
ガッカリ名所レベルです。玉川温泉の大迫力には遠く及ばず。
通行止めが怖かったが山間の道を抜けて戦場ヶ原から中禅寺湖へ向かう。とうとう慣れ親しんだ「夏でも寒い中禅寺湖」に来ました。もう冒険ではありません。スーパーの場所もお風呂の場所も知っています。
お風呂は湯本温泉源泉「ゆの香」700円だったが、またもやJAFカードで割引に。JAFおそるべし。
スーパーで食材を仕込んで、中禅寺湖畔でしばしくつろぎます。
大多数は日光市どまりなのであろう。
中禅寺湖にほとんど人はいなかった。史上最大の10連休も明日で終わりのためみんなもう家に帰ったのかもしれない。
そしてこの旅最後の大宴会です。
ランタンを持ってこなかったため闇鍋になってしまいました。
iPhoneのライトで照らしながらなんとか食事します。
闇鍋もまた楽し!
桜を追いかけて車中泊大遠征11日目。令和元年5月6日(月)
南下に南下を重ねてついに帰宅の日です。
日光からはもう慣れ親しんだ道であり、はじめてのドキドキ感はもうありません。
史上最大の大型10連休でした。最初は北海道を車中泊で巡ろうと考えていたのですが、フェリーが高額だったために諦めて本州を回ることにしました。
5月上旬のゴールデンウィークに東北地方を旅すれば、桜前線に追いついて、やがて追い抜くことができます。
葉桜→散った桜→桜吹雪→満開の桜→蕾→満開の桜→桜吹雪→散った桜→葉桜
と桜の変化を見ることができました。
こう書くと桜前線というものがあったかのように聞こえますが、実際には桜前線なんてものは存在しません。
マスコミが天気予報の時に桜前線というものを捏造して、それが全国的にひろまったものです。
桜が咲いているかどうかは木によります。
同じ場所でも咲いていたり散っていたり。
とくに東北地方は日当たりの影響が大きいようです。
関東ほど一斉に咲いて一斉に散るイメージではありません。
11日間の旅で桜は千本以上は見たと思います。文字通り桜旅でした。
東北桜旅はGW期ならではの贅沢な楽しみと言えるでしょう。
実はこの旅に出る前から首を寝違えていました。
運転が辛かったのも思い出です。
首を寝違えている時はドライブは辛いものがありました(笑)。
車窓からの観光も、車線変更も、首が寝違えているといちいち痛いのです。
蛙の生態研究や、修験道のことなど、この旅からインスパイアされたものは別コラムにて書いていくつもりです。よろしければそちらの方もご覧ください。
平成から令和をまたいだ10泊11日の車中泊大遠征。これにて終焉。
旅路はどこまでもつづく……
忘れ物は、ありませんか?

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