歌舞伎の始祖。出雲阿国。五所川原・立佞武多

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桜を追いかけて車中泊大遠征5日目。平成31年4月30日

いよいよ平成最後の日です。これが平成の朝日です。戦争のないいい時代だったなあ。

平成最後の日の朝。さよなら平成

いつものように5時に起き、5時30分には跡形も残さずに仮の寝床(無料駐車場)を出発。誰もそこで人が車中泊していたとは思うまい。

五能線・国道101号線沿いには本当にコンビニが一軒もない。朝食は抜くことにする。コーヒーを飲めないことが痛い。

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絶景の朝散歩は車中泊スキルのおかげ

車中泊の旅における最大のよろこびのひとつ。朝絶景・朝散歩は、今日は世界遺産・白神山地トレッキングである。平成最後の日に白神山地をトレッキングできるのも車中泊スキルのおかげである。

なぜかこの池だけが青い。

アオーネ白神十二湖そばの駐車場まで車で行ってしまえば、青池まではほとんど歩きません。

青池もすてきでしたが、途中の「鶏頭場の池」もおすすめです。青池側の池岸からは地中から水がこんこんと湧き出ているのがはっきりとわかります。大量の水が湧き出しており、この湧水が大きな池をつくったのだなあということがわかります。

8時半からは有料になる駐車場も、早朝は無料で利用可能でした。こういうせこいところで賊の喜びを噛みしめましょう。

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五所川原。立佞武多の館

五能線に沿って101号を北上し、五所川原に向かいます。五所川原といえば立佞武多が有名です。

マンホール立佞武多

かつて私はお祭りを一回、立佞武多の館を一回見ていますが、もう3年以上前になります。

私が見たお祭りには、我が地元、鹿島神宮ゆかりのタケミカヅチの神が大鯰を抑え込んでいる山車でした。もちろん地震を封じるという祈りが込められたものです。

鹿島神宮のタケミカヅチが鯰封じ地震封じ

山車は3年ごとに解体してしまうので、現在の山車はすべてはじめて見るものになります。

でかい! 巨神兵のような立佞武多。美女は出雲阿国

でかい!!

ひさしぶりに見ましたが、とにかくでかい。大迫力です。

美女は歌舞伎の始祖、出雲阿国だということです。昨年のGW車中泊の旅では出雲地方に遠征して出雲阿国のお墓参りをしてきたところです。

出雲空港の阿国。愛されてるなあ

阿国さんとは1年ぶりの再会です。歴史に名前を残した人です。お墓は多くの芸能人が舞台などの成功を祈願して参拝していました。なにせ世界に冠たる歌舞伎の始祖ですから。歌舞伎と芸能は切っても切れない関係にあります。

出雲阿国の墓。歌舞伎のみならず多くの芸能人が参拝していました

青森のねぶたも同様ですが、このような山車や浮世絵には『神功皇后の三韓征伐』みたいなテーマが平気な顔して登場してきます。お化けの浮世絵なども児雷也とか佐倉宗吾とかお岩さんが何の説明もなく描かれているのです。神武天皇の金鵄とか、坂田の金太郎のお化け鯉退治とか、山車を楽しむためには能や歌舞伎や浮世絵や日本神話の知識が必要です。とくに日本人にとって歌舞伎、能というのは一種の教養として知っておいた方がいい。でないと他が楽しめない。

勇壮壮大立佞武多。神武天皇。金の鵄を得る

展示館の裏には、今年の夏に出陣する予定の立佞武多が鋭意製作中でした。作業しているのは五所川原市の職員とのこと。といっても山車職人を市が雇ったという意味だと思います。職人も生活が安定するし、五所川原市にとっても立佞武多は市の最大の売りなのだから、とてもいい採用システムだと思います。

ナイロンが多く含まれていて破れにくい特殊な立佞武多用の和紙は、体験で貼ることができます。

体験で和紙を張らせてもらいました

私たちも貼らせていただきました。立佞武多は大きすぎて、部品を張っているときには全体像がわかり難いのですが、職員の方が和紙を貼った場所は「ここです」と教えてくれます。

「紙貼り証明書」なるものをいただきました。2019年新作立佞武多「かぐや」のすそを貼ったのは私たちです。この山車が出陣する2019~2021年の間に立佞武多祭りを見に来ないわけにはいかなくなりました。そのときもまた車中泊で来ます。

ヤッテマレー! ヤッテマレー!

立佞武多の館 -たちねぷたのやかた- :: 立佞武多情報と五所川原周辺観光情報のポータルサイト
五所川原市で毎年8月4日~8日に開催される「立佞武多祭り」と、「立佞武多の館」の情報に加え、津軽の観光情報を提供する、奥津軽のポータルサイトです。
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ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと見知らぬ人が指をさす

阿久悠作詞『津軽海峡・冬景色』。この曲が無かったらわざわざ龍飛崎に来ることはなかったのではないだろうか。

だって北のはずれじゃないもん。龍飛崎。どうみても大間の方が本州最北端である。

さよならあなた。私は帰ります

大間の方が北にあるのに、作詞家の阿久悠が北の果てに龍飛を選んだのは語呂だろうな。大間だとマグロが食いたくなっちゃうもんなあ。

龍が飛ぶ岬の方が、旅立ちにふさわしい名前だもの。ここはおれでもあえて龍飛崎を選ぶと思う。恋に破れて故郷に帰る歌だが……。

龍飛崎には『津軽海峡・冬景色』の碑があった。ボタンを押すと2番から曲が流れる。「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」

それだよ。それが聞きたかったんだよ! という旅行者の心をよくわかった碑でした。

風の岬は本当に風が強かった。

これが幼い頃、おれの心を掴んだ黒神のため息なのか、と思ったものです。

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平成よ。さらば

いよいよ平成最後の日だ。平成が沈んでいくその瞬間をイロハと二人で見たかった。そのためには日本海側のいい場所で今夜は過ごそう。

ちょうど津軽半島に「チェスボロー号遭難慰霊碑」というスポットがあった。

チェスボロー号というのは、1889年にアメリカ船が津軽沖で座礁沈没。村民が23人中4人を助けたという遭難救助の碑である。

同様の事件にエルトゥールル号遭難事件がある。こちらは1890年和歌山県串本町でトルコの軍艦が座礁沈没したものをやはり村民が救助したという碑である。587名が死んで69名が助けられたという。

エルトゥールル号の方は映画にもなり有名だが、チェスボロー号の事件ははじめて聞いた。平成最後の夕日スポットを探して、偶然たどり着いた場所に、たまたまあった碑なのである。その場所で初めて知った事件だった。

チェスボロー号の方が先なのに、エルトゥールル号ばかり有名なのは、海難事故の規模が原因ではあるまい。やはり親日的なトルコ人がエルトゥールル号のことを恩として忘れていないのに対して、自国にしか興味がないアメリカ人がチェスボロー号のことを知らないことが最大の原因だと思う。

恩返しストーリーがないと美談になりにくいから、マスコミにも取り上げられないからだろう。

しかし困った人を放っておけない人々のやさしい気持ちは津軽も紀州も同じだなあ。

展望台もあるのだが、雨の中、平成最後の夕陽は見られず。

静かに暮れていく。

平成よ。さらば。

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プロフィール


温人ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のある物書き。サブスリーランナー。グランドスラム達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。西天取経の旅人

このサイトについて

はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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