ここではロバート・ハリス著『ワイルドサイトを歩け』についての書評をしています。
作者は放浪の旅人としての私の師匠のような存在。
黄色は作品から。赤色はわたしの感想です。
物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
作品の概要。ドロップアウトとは、自分の意志で人生を選び取ること
なぜここにいてはいけないのか。なぜ旅に出るのか。旅先で何を探すのか。そんなことが知りたくなったら読むべき本です。
自分独自のシナリオ。親とか社会の意志とは関係ないところで、自分の欲望と向かい合った。自分が人生にどんなことを求め、どんな道を歩んでいきたいのか。あやしげな裏道や路地を歩きながら世界を旅し、快楽と冒険を追い求め、ものを書き、恋をし、波乱万丈な人生を生きる。
親に言われるままに人は学校に通い始めます。小学校へ、中学校へ、そして高校、大学へ。ところでどこから自分の意志で進路を選んだといえるでしょう。就職するときには「自分の意志で進路を決めた」といえるでしょうか。しかし「公務員・サラリーマンになってほしい」という親の期待の大きな枠の中で進路を決めたのではないでしょうか。理学部か経済学部かといった大学の学部選びぐらいしか自分の意志を発揮していないのではありませんか?
いつ人は本当の自分の意志で人生を選択したといえるのでしょう。親や社会が決めた大きな枠をぶち破るような自分ならではの選択はありえなかったのでしょうか? ドロップアウトの本質はここにあります。
仕事をし、遊び、語り合い、自分をさらけ出して生きていきたい。
まっとうな人生なんてクソくらえ。死神にミドルフィンガーを突き上げる
管理的な教育システム、確立されたライフスタイル、画一的な価値観、オルタナティブな道はひらかれていない。詰め込み型の教育を受けてきた若者が、大人の決断ができる方が不思議だ。それまでないがしろにしてきた自分というものを見つめるために費やすべきだ。
しっかり勉強して、いい大学へ行って、リスペクタブルな職に就いて、社会の責任ある一員になって……このまま日本にいると自分がダメになってしまうのではないか。
まっとうな人生なんてクソくらえ。生ぬるい世界を捨て、危険な匂いのする裏道を歩いていこう。道徳や秩序に唾を吐いて、快楽を貪り食おう。聖人になるよりは、砂漠をさまよう堕天使になろう。心を揺さぶられるのは夜のハイウェイを暴走して、死神にミドルフィンガーを突き上げるような勇ましいやつだった。反逆の呪文、歌というよりは魂の遠吠えのようなものとして僕の心の中に飛び込んできた。本物のフィーリングを感じていられる人間。
反逆的で、快楽や情熱やギャンブルや女に溺れがちで、放浪癖があり、地の果てまでずいずい行ってしまうような自己破滅、自己陶酔系。そしてスタイルとか文学的なこだわりよりは、自分の歌を高らかに歌い上げることに生きがいを感じる。
『この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と。
だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。』
この稿の作者アリクラハルトの小説『結婚』からの一節です。同じことを言おうとしている(一歩進んだことを言おうとしている)ことがわかるでしょうか?
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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ビッグ・クエスチョン。どんな生き方をすればいいのか? どんな人間になればいいのか?
どんな生き方をすればいいのか。どんな人間になればいいのか。そういったビッグ・クエスチョンへの解答。何に反逆し、何を理想として追い求めていけばいいのか。自分がこの人生で何をしたいのか?
日本に住んでいて小さく縮こまってしまっている自分。外国にくらべると日本はドラマ性が乏しい。外国は何が起こるかわからない。
ヘルマン・ヘッセ『郷愁』個人には自分を完成する責任がある。地域や先祖のせいにはできない。
生きている歓びと虚しさと、情熱と絶望を胸いっぱい感じたい。天国も地獄も、エクスタシーも心の闇も、すべて経験したい。
人生に貪欲な人は、このように経験値の狩人になってしまいかちです。ドラクエの主人公のように。
自分らしい充実した人生。自分のペースで、自分の基準で、自分の価値観で生きていけばいいのだ。
自分の発想をもっているか。それがないと社会がつくりあげたシナリオにしたがって生きることになる。自分の発想、独自のシナリオがあれば自分のやりたいことを自分のスタイルでやっていける。
おもしろい人生を歩んできた。いつかこの僕だけが持っている財産をフルにいかせる役割が必ず回ってくるだろう。理想的には作家になりたかったが、旅をして、毎日面白おかしく生きていければよかった。自分のスタイルでワイルドサイドを歩いていきたい。言いたいこと、書きたい話しは、ぼくの中にぎっしりと詰まっている。
人生に必要なのは感動。感動とはすなわち物語のことです。あなたの人生には物語がありますか?
このブログの筆者の物語です。ぜひお読みください。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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旅先にも日常があり、人生がある。
何に反逆? 社会の方にはまらない人生。寝る時間を削って、やりたい放題のことをやった。ドロップアウトするということはその一歩だった。
FIRE! 隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを望まないということ
何かしなくてはいけないという強迫観念。もう一度トライしてやはりできないんだと思いたくなかった。
音楽を聴いたり、本を読んで過ごした。腹をすかしているときは感性が研ぎ澄まされる。一番繊細で、オープンで、自然で、はつらつとしていた幼年期に見た風景。
生まれてきた理由は、ここで子供のように思い切り遊ぶためだ。この楽園で思いっきり遊ぶために生まれてきた天使なのだ。この人生を全うしなければ何も意味がない。どうやって全うするかは一人ひとりの志と運命の問題だ。
ジョン・ミルトン『失楽園』を、現代サラリーマン劇に書き換えてみた
物語のある人生を選ぶ。
人間はある程度誰もが洗脳されている。こんな夢を持て、こんな服を着ろ、これを買え、あれを食べろ、こう考えろ、ああしろ、こうするな、と洗脳され続けている。そして洗脳される権利もある。
放浪の旅人を選ぶとテレビのCMからドロップアウトすることができます。買うという行為だけで人生を終わらせない人生を選ぶのです。
人生を「買う」という行為だけで終わらせないために。『ロビンソン・クルーソー』
ひとつの道を選ぶために、別の道を捨てなければならない。自分の道は自分で行く以外ない。
開眼への道は競争ではない。前にいるものが後ろを行くものより偉いわけではない。
どうやってサバイブしていけばいいのか。とにかく好きなことを毎日すること。今いるところでそれができていないのなら、どんな楽園的なところへ行っても、素晴らしい生活は実現しないだろう。
悲劇はシェイクスピアで書かれている。サンプリング文化。昔のものをアレンジして、そこに自分なりのアレンジを加える。
快楽は人間の理性を失わせる効力を持っているが、その自己喪失の中で人間は自由の源をつかみ取るのだと思う。
何が彼らを世間一般とは違う方向へと駆り立てたのか。本の中に、ぼくと同じような欲望や願望を抱えながら、それに向かって突き進んでいる人たちを発見した。
想像力と空っぽになれる心。子どもの頃の自分からあまり遠ざかってはいけない。過去のトラウマからエゴを解放し、感受性の豊かな人間になろう。
聞いているうちに映像が浮かんでくるし、思わず感情移入してしまう物語。頭で考えだした理屈よりも、心の声に耳をかたむける。
物語は、演出法は、進化する。思想は深まっているし、作劇術は進化している
ギャンブルから人生を学んだ男
ギャンブル・ゲームの根底にある「楽しく遊ぶ」という趣旨。ブラフのかまし方、主導権を握る方法、いかに潔く負け、クールに勝つか。勝負事のエチケットとは感情をいかに腹にしまい、外に露骨に出さないかということだ
闘鶏コックファイティング。暑さと湿気が渦巻く熱帯の凶暴性。
ビート、ピッピー文化の後継者
ロバート・ハリスはアメリカでヒッピー文化をじかに体験しています。そのことが作品にも多くの影響を与えています。もちろん生き方にも。
ヒッピー・バイク映画の最高傑作『イージー・ライダー』ワイルドにトリップする映画
大気に流れていたお祭り的なワクワクした気持ち。何か素晴らしいことが今すぐ起こる、いや今この瞬間に起こっているというエキサイトメントがあった。何かが変わるんだ、我々若者が世界を変えるんだ。そんな高揚感。スクエアやストレートはダサいやつら。髪の長いやつはみんな兄弟なんだという連帯感。あの時の高揚感や浮遊感、胸が張り裂けるぐらいの感動や興奮。
ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう
今の時代のわびしさ、もりあがりのなさ、若者の孤独。またあのときのようなクレイジーでとんでもなくハイな嵐が吹き荒れてほしい。
若い世代には昔のチョッパーを追い求めるのではなく、新しい伝説、新しい可能性を生み出してほしい。
宇宙的な意識に波長を合わせる。神や自由という概念も、気持ちを捨てたときにやってくる風のようなものではないだろうか。
仏陀のいう悟りとは、富や名誉といった外的要因にも、よろこびや満足といった内的要因にも、いちいち影響されないこと
ワイルドサイドを歩け。
オーバーランドの旅。行商して世界を放浪しているもの。神、そして自分を探しているもの。
日本人は話しかけるのが難しいし、そうしたとしてもなかなか会話が弾まない。いくら世界を旅してまわっても、自国のファミリーメンバーと仲良くやっていけなれれば、何にもならないではないか。
西欧人は神の教えによって支配されている。これを破ると罪の意識にさいなまれ、懺悔をし、許しを乞う。魂の救済を求める旅を強いられる。日本人は神に支配されていない。
一日でいい。別人になってみたい。自分とは違う眼で、違う意識で、違うハートでこの世を見てみたい。自分を探すために旅をするのではなく、自分をなくすために自分ではない誰かになるために旅をしているのかもしれない。
好きな道を歩んでいるんだから、楽しく行こうぜ。鼻歌を歌いながら、軽い足取りで歩いていくのだ。ワイルドサイドは場所ではなく心の領域、心の状態だから。本能と欲望の声がはっきりと聞こえるところ。
ほんとうに読んでいるとこころがさわやかになります。世界をこんな軽やかな心で歩いていきたいとわたしも思ったものです。
Web3.0の未来なんて「ありえない」。人間も動物たちのように生きるべきだ。
Web3.0になって、仮想空間が現実を凌駕していくという未来予想図がありますが「そんなことありえないんじゃないか」とわたしは思います。
メタバース空間でアバターを操って、自室に居ながら世界を冒険する時代が来るというのですが、わたしには信じられません。
かつてわたしはゲーマーでした。ゲームばっかりやっていました。でもこんな暮らしをしていたら恋人のひとりもできないと気づいてゲームの世界に没頭することをやめたのです。
日本昔ばなし『赤神と黒神』。勉強ができるよりも、出世するよりも、女にモテる方がいい。
勉強ができるよりも、異性にモテる方が、よっぽど人生を幸せにする
その後、わたしは登山とマラソンをはじめました。山の上で見た景色はこれまで見たどんな景色よりも雄大で世界を、宇宙を感じました。
悪夢を見て、自殺を考えた夜(ダイヤモンドヘッド232mに登れなかった女のキナバル山4095m登山挑戦記)
死ぬ気で走ってゴールに走り込むマラソンは、生きている実感を感じさせてくれました。肉体をつかわなければ、何も実感できないという「肉体主義」の哲学は、登山やマラソンから得たものです。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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しかしメタバースの未来予想図は、オタクがゲームに没頭する世界です。わたしが歩んできた人生と真逆のベクトルです。
メタバースの世界がどんなにリアルになっても、セックスの快楽に勝るでしょうか?
うまい酒を飲み、おいしいものをたらふく食べる以上の快楽がバーチャルの世界にあるとは思えません。
問題はいっさいの危険がないことです。交通事故に遭うことすらなく、バーチャルの世界の事故・事件はシューティングゲームで愛機が撃墜された程度のことにすぎません。命がおびやかされなければ生きている実感を感じられない世界観からすると、Web3.0の世界観なんてなんら魅力が感じられないものなのです。
おのれの肉体を使って、二本の足で世界を旅する以上のことが、バーチャルの世界に待っているなんてことはインポッシブルなことだと思います。走っても汗も出ないし熱くもならない。寒さも痛みも感じない世界に、どれほどの生きている実感があるでしょうか。
動物たちがやっているように生きることが正しいのだと確信しています。わたしたち人間もまた動物なのだから。