ジャック・ロンドン『海の狼』。生きることはギャンブル。人間はみんな生きること中毒

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

ここではジャック・ロンドン『海の狼』の書評をしています。

いくら読書好きだからといって好きなタイプの小説とそうでない小説があります。小説には向き、不向きがあります。

いくら憧れの人がおすすめしている小説でも、向いていないものは向いていない。たとえば私の好きなロバート・ハリスがヘンリー・ミラーをオススメしているのですが、わたしには向いていませんでした。ヘンリー・ミラーの小説を続けて読みたいなあ、とは思いませんでした。

そういう意味で、わたくし、ジャック・ロンドンにハマってしまいました。こんなに特定の作家にハマったのはサマセット・モーム以来ではないかと思います。

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「人間よ、野性にかえれ」という野性の呼び声

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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あらすじ

語り部は、ハンフリー・ヴァン・ワイデン。三十五歳のインテリ文芸批評家です。しかしあくまでも語り部であり、映画にした場合、真の主人公はラーセン船長かな、と思います。

ジャック・ロンドンは『荒野の呼び声(野性の呼び声)』で犬を主人公にして、飼い犬が野性を取り戻し狼になるという小説を書いていますが、『海の狼』の主人公は人間です。オオカミではありません。狼というのはラーセン船長のあだ名です。

人間が主人公ですが、『荒野の呼び声(野性の呼び声)』のように、ひよわな文明人がオットセイ猟師船に乗り込むことで、野性の呼び声に目覚めてたくましくなる小説ではないかと予想して読んだところ、半分は予想通りでした。読書家で文芸批評しかできなかった語り部は、肉体にめざめてたくましくなっていきます。そして女性のハートをゲットします。

そしてもう半分は……

黄色は本文から、赤字はわたしの感想です。

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。

彼の眼は荒涼として、無表情で、灰色で、まるで海そのもののようだった。

こうして私は不本意にも狼ラーセンの奴隷になった。彼は私よりも強い——それだけの理由で。

『機動戦士ガンダム』の主人公アムロもそうでしたが、こういう成長物語の主人公は「不本意ながらも巻き込まれてしまった系」の方が話しがもりあがります。境遇に文句を言えるからです。自発的な兵士や船員だったら「自分で希望したんだから文句ばかり言ってんじゃねえよ」と言われて終わりです。『海の狼』の語り部も、船の事故で不本意ながらもオットセイ狩猟船に乗り込んで悪魔のような船長の下で働かざるを得なくなってしまいました。

そのとき海の非情さ、けわしさ、恐ろしさが、一挙に私に押し寄せてきた。

生命は価値のない卑しいもの、下劣で意味不明のもの、魂のない分泌物と粘液のうごめきにすぎなくなった。

オットセイ狩猟船ではオットセイも人間も同じく価値のない消耗品でした。

コックは人間が豹変した。私の地位の変化に合わせて彼の対応も変化したのである。以前は卑屈におもねっていた彼が、いまは横柄でケンカ腰の人間になった。私がこれまでどんな生活を送り、どんなことになじんできたかを考慮してはくれなかった。私の無知蒙昧ぶりに絶えず嫌味をこめて驚嘆してみせた。

上品なインテリ船客だった語り部は、いまや「何もできない」船員となってしまいました。最底辺の下積みからのスタートです。

彼らには同情心というものがまったくない。誰も話しかけてこないし、関心も示さなかった。

原始的な環境下では野蛮な忍耐が要求されている。未開人に似て、この男たちは重要なことには平然としているが、そのくせ些細なことにはじつに子供っぽい。

これは教訓だとおもえ。そのうちに自分の金の面倒は自分でみられるようになるだろう。自分で始末をつけろ。もう弁護士も代理人もいないから、自分だけが頼りだぞ。

そうはいっても肉体がすべて

人生を「買う」という行為だけで終わらせないために。『ロビンソン・クルーソー』

おまえは罪を犯した。仲間の目の前に誘惑するようなものを放り出しておく権利はおまえにはない。おまえが誘惑するから、あいつは誘惑に負けたのだ。

生きているという生命の自覚を読み取ったのだ。それ以上のものではない。永遠の生命などではない。

キリスト教の本質は、この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということ

ただ感覚として存在するもの、眠っているあいだに聞いた音楽のようなもの。表現を越えてしまうこの何かを、どう言い表せばいいのだろう。

生命などろくでもない。発酵をおこさせる酵母のようなものだ。けっきょく最後には動きを止める。彼らが動くのは、さらに動きつづけられるように食うためだ。大きなものが動き続けるために小さなものを食い、強いものが弱いものを食う。運のいいものがいちばん多く食い、いちばん長く動き続けるだけのことだ。連中はどこにも行きつけない。最後には停止する。動きを止めて、死ぬだけだ。

単細胞生物が寄せ集まってよくまあこんな精密な肉体ができたものだ

人は死ぬもの。死を隠す意味がわからない。

彼らには夢がある、明るく燃えるような——

食い物の夢だ。連中が見る夢は、要するに仲間を食い物にするのになるべく都合のいい地位につく夢、夜はずっと家にいられて、うまいものを食い、きたない仕事はほかの人間にやらせる夢だ。いいものを余計に食っているところが違うだけだ。おまえはやわらかいベッドに寝て、上等な服を着て、上等な食事をしていた。そのベッドや服や食事をつくったのは誰だ? おまえではない。おまえはほかの人間が食いたくて手に入れた食い物を横取りする。その服をつくった連中は、おまえの金を管理する法律家や代理人に仕事をくださいとお願いするのだ。

【富裕層の陰謀論】貧富の差、格差拡大を解消するのは財産税しかない。所得ではなく、財産に課税してはじめて貧富が是正される

バカ者にも汚れた人間にも罪人にも聖人にも同一。その同一のことというのは死であり、それは悪しきものだといっている。

メメント・モリ。死を忘れるな

這いずり回るのは豚に等しい。だが、這いずり回りもせず、土くれや岩のような存在でいるのは、考えるだけでもおぞましい。生命の本質は活動であり、活動する力であり、活動する力の自覚であるからだ。

BORN TO WALK 歩くために生まれた

このページの筆者の「走るために生まれた」という内容の書物です。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
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腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

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頼みもしないのにここへといずこから連れてこられ、頼みもしないのにここからいずこへと連れ去られる。無礼な。

人間、死を意識すると、子孫を残さなければいけないという無意識につきうごかされて性欲が強くなる

こうでなければ生命の本性に反する。いずれ生きるのをやめねばならないと知ったとき、生命は常に反逆する。それを抑えることはできない。

死ぬことに反逆した。おまえよりも大きな存在である生命が死にたくないと思ったからだ。生命の本質は生きることであり、死の影が身近に大きく立ちはだかれば、生命が不滅という概念まで屈服させて支配してしまう。

生きろ、生きろ! おまえはそう叫んでいる。未来ではなく。いまここで生きるために叫んでいる。おまえは不滅を確信していない。不滅に賭けることができない。だがこの生命だけは現実だ。

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生きることは賭場のギャンブルに似ている

人間、何かを選ぶということは何かを捨てるということです。A子との未来を選ぶということは、B子との未来を選ばないということです。海外で暮らそうと決断することは、日本で暮らす未来を捨てたことと同じです。

この世界は賭場のようなものです。生きることはギャンブルに似ています。就職先にIT企業を選ぶということは、消防士や軍人や農夫や銀行員や公務員として生きる未来には賭けずに、そちらに賭けたということです。

このような人生の決断の瞬間、生きている実感がわきあがります。いわば人間は生まれついてのギャンブラーなのでしょう。賭けることのない人生なんて自分で選び取った人生ではなく、他人の道を流されて生きただけ。何ら面白味もありません。

よくギャンブルには中毒性、依存性があるといいますが、あたりまえのことです。だって生きることはギャンブルなのだから。ギャンブル中毒は生きること中毒と同じです。人間はみんな生きること中毒なのです。

カジノは必ず勝てる。丁半博打の必勝法を教えます!

生命を危険にさらすということは、命にスリルをあたえるということだ。人間は生まれつきの博打うちで、人間が賭けられる最大の掛け金は自分の生命だ。不利であればあるほどスリルも大きい。なぜ狂ったように興奮させる楽しみを放棄する必要がある。リーチは自分では気づかずに誰よりも威厳を持って生きている。それはあいつが他のものにはないものを持っているからだ。つまり目的だ。実際あいつは深遠で高尚な生を生きているんだ。あいつが今ほど機敏に鋭利に生きたことはなかっただろう。あいつが感情と感覚の頂点で怒り狂っているのを見ると、ときどき本当にうらやましくなるほどだ。

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恐怖は生きることと不可分。恐怖のない人生なんて!

おまえとおれとどっちが卑怯だ? 気に入らない事態に直面しながらそれに加担しているおまえは、自分の良心を妥協しているわけだ。おまえは恐れている。怖いのだ。おまえは生きたいと思っている。おまえの体内の生命が、どんな犠牲を払っても生きねばならないと叫んでいるからだ。そこでおまえは自分を裏切って不名誉に生き、行動原理のすべてに背く。ざまあ見ろ! それならおれの方が勇敢だ。おれは内なる生命の声に背かず、忠実だからな。すくなくともおれは自分の魂には誠実だ。だが、おまえは違う。

このような人生の決断の瞬間、生きている実感がわきあがります。いわば人間は生まれついての怖がりなのでしょう。恐怖のない人生なんて自分で選び取った人生ではなく、他人の道を流されて生きただけ。何ら面白味もありません。だって生きることは恐怖なのだから。恐怖を感じることは生きることです。恐怖が生きている実感をくれるのです。

怪物をこの世から除去する殺人は極めて道徳的行為ではないだろうか。人類をより良く幸福にし、生命をいっそう美しく、甘美なものにする行為ではないのか。

肉体による証明。首を絞めて窒息させる。

自分の脚で立てるようになった。最初は独りで立つこともできなかった。その脚こそ自己実現に役立つと力説していた脚ではないか。

おびえて、途方に暮れていながら、勇敢にそれを隠そうとしている。

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人間は食うために生きている。

人は食うために、何らかの手段を持たなければならない。その理由でおれはこのスクーナーを走らせている。自分で生計を立てないという犯罪は浮浪罪と呼ばれる。生きるに値することを何もしていないのに、なんの権利があっているのかと尋ねるところだ。

自分の力で食っているのか? それとも他人に食わせてもらっているのか?

人生の大半は他の人に食べさせてもらったようですわ。

奴隷になったのです。僕がたたかっても力では勝てないからです。口をつぐんで屈辱にあまんじています。どんなにいとわしくてもいつもニコニコと友好的につき合わなくてはいけません。

ここでは人間や物事に関するあなたの経験はまったく無意味なのです。あなたは目で人を動かすのに慣れていますね。でもその手を狼ラーセンに試してはいけません。ライオンに試してみるようなものです。

血が凍る思いと血が湧きたつ思いを同時に感じた。

私のものではない、わたしを超えた力に動かされて、私の視線は意志に反してその瞳を覗き込んだ。

いずれ恋をするのは避けられない。モード・ブルースター女史。

幽かに震えている。怖い。肉体が怖がっている。知性も怖がっている。しかし精神が恐怖を克服している。あなたは恐れていない。あなたは危険を楽しむ。勇敢と呼ばれるにふさわしいのは僕の方だ。

欲求は、対象をみたり、魅惑的に叙述されたりすることによってあおられます。ここに誘惑があるのです。それは悪い方へもよい方へも誘惑するのです。

鬱積したエネルギーではちきれそうになり、はけ口を求めずにはいられない。

精神というものは知ることができず、ただ感じられ、推測されるにすぎない。純粋な精神がそれ自身の言葉で自らを表現することもない。エホバが神人同形になったのはユダヤ人が理解する言葉でしか語りかけられないからなのだ。それゆえに雲とか火の柱といった理解しうる表象、触知できる物質的なものとして認識されたのだ。

キリスト教が世界一の信者数を誇る不滅の宗教であるのはなぜなのか?

彼女の明るい茶色の髪を愛情をこめて見つめることによって、詩や歌のすべてが教えてくれたよりも多くのことを愛について学んだのである。

私たちと海の底を隔てているのは一インチ足らずの木材だけだ。

あんなに恐れた死を今は恐れていなかった。彼女が私を変えた。愛されるより愛する方が素晴らしく美しい。人を愛することにより死をも厭わぬほど人生の何かが大切になるのだから。ところが自分の命を軽視できる今ほど私は生きたいと思ったことがなかった。これほど大きな生きる理由をもったことがなかったからだ。

相手を撲殺しようという意図が恐怖のせいで曖昧になり、最後には相手に逃げてもらいたいという願望にすり替わってしまった。

おまえは撃てない。恐ろしいからではない。不能だからだ。因習的な道徳観に負けてしまうのだ。おまえは知り合いや活字を通して知った連中のあいだで信用されている意見の奴隷だ。舌も満足に回らないうちから連中の倫理を頭に叩き込まれたために、おまえ自身の哲学や、おれが教えた哲学があるにもかかわらず、おまえにはおれを殺すことができないのだ。

ホーボーだったジャック・ロンドンの放浪哲学がここに開陳されています。いわばドロップアウトの美学です。「肉屋の営業を心配する豚」になるなということです。

放浪の大先輩。山下清のルンペン旅。天才画家の乞食行脚

人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』リアル・ドラゴンクエスト・ガイドブック

おまえはおれを世俗的基準ではかった。蛇だ、サメだ、怪物だ、と。ぼろでできた操り人形のおまえは、オウム返ししかできないあわれな機械に過ぎないおまえは、おれを殺すことができない。

ラーセンが私と似たような手と足と身体をもっているというだけで、わたしには見過ごすことができない。

不安が顔に出てしまったのを自覚していた。

頑強な人間が衰え失意のどん底に落ちた姿ほど恐ろしい光景はない。

この船は自分の船だとまるで倫理にもとづく権利を主張するような口ぶりではないか。他人の権利のことなど考えたこともないくせに。そんなあんたの権利を僕が尊重するとでも思っているのか。

あんたはもう一番大きな酵母ではないんだ。いまでは僕の方が食おうと思えばあんたを食えるんだぞ。

残された最後の更新手段も断たれた。この肉体の墓場のどこかでまだ彼の魂は生きている。肉の壁に封じ込められて、音のない暗闇の中で燃え続けている。肉体から分離してあの治世は自分の肉体の存在を知覚してはいないだろう。ただそれ自身と、静寂と暗闇が無限に広がる深淵を知っているだけにすぎない。

『海の狼』のひとつの側面は、ひよわなインテリ文芸批評家だった語り部が、狩猟船での経験を通じてたくましくワイルドになっていくところにありますが、もう一つの側面はラーセン船長が病気にかかり、たくましい肉体はよわり、とうとう視覚、聴覚を失って弱い酵母(生き物)になってしまうところにあります。

強いものに限って「弱肉強食」をとなえがちですが、盛者必衰、強いものもいつまでも強くあり続けることはできません。真理とは、自分が強かろうが弱かろうが関係なく通用するものだと語り部は思っていますが、海の狼ラーセン船長は自分が弱くなって食う側から食われる側になっても「弱肉強食」の理屈は変わらないと思ったまま死にました。

わたしもラーセン船長のように世の中を見ています。この世界を感じるには肉体をつかわなければならないし、肉体を使ってこその生きがい、生きている実感だと思っています。そしてこの肉体が動かなくなった時には、この世界を去るときが来たということです。

サマセット・モームや、ジャック・ロンドンのように、作家として惚れる人とまた出会いたいものです。そういう出会いこそが読書の醍醐味ではないでしょうか。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Amazon.co.jp

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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