どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
このページではランニングライターである筆者が「関門突破ゲームはあっさりクリアできたら面白くない」ということについて書いています。
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※言葉のイメージ喚起力で速く走る新メソッドを提唱しています。
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『マラソンの走り方・サブスリー養成講座』
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関門突破ゲームは楽勝だったら面白くない
わたしは市民ランナーにとって「サブスリー」というのは「関門突破ゲーム」だと思っています。2時間台でゴールに駆け込むというゲームクリアの目的に向けて「磨き抜いた技」をつかったり「体力を回復」したりしながら関門を突破できるように駆け込むというリアルゲームです。
このゲームがどうすれば面白くて、どうなると面白くないのか、ゲーム『ドラゴンクエスト』をたとえに説明してみます。
先日、過去のドラゴンクエストをプレイしてクリアしたときのことです。正直いって失敗のゲーム展開でした。はっきりいえば面白くなかったのです。主人公たちを殺さないように大切にプレイしすぎました。
主人公を殺さないようにするには、ボス戦に突入する前に十分に経験値をためて強くなっておくことです。手堅いプレイに終始して、生きるか死ぬかの冒険をしませんでした。
そのようにプレイしたため主人公たちは死ななかったのですが、その反面、けっこうあっさりとラスボスを倒してゲームクリアしてしまいました。
……すると、なんだか面白くないんですよね。
「強かったなあ。あのラスボス。何回もやられたよ」とムカつきながらも楽しそうに話すというのが「忘れがたいラスボス」です。忘れられない大ボスは、大嫌いだけど大好きという敵です。どうでもいいやつでは決してありません。
しかし誰も死なずにあっさりと簡単に倒しちゃったから、ラスボスの強さを思い出せません。それどころかその容姿さえも忘れてしまいそうです。こっぴどくやられていないから、全然記憶に残らないのです。
途中で苦しめられた中ボスの方が、よほど印象に残っています。これってゲームとしてはラストのカタルシスを感じさせることに失敗しているのではないでしょうか。全滅しちゃって「くー。マジかー」みたいな衝撃があった方が「リアルな感情」をあじわえます。ギリギリまで、やられるんじゃないかとヒヤヒヤした方が、ゲームとしても面白い。
生きるか死ぬか岐路に立っている「わたし」が感じている感情こそが、この世界にリアルに生きている実感だとわたしは感じています。
それには恐怖を感じたり、ピンチになることが重要です。あっさり勝っちゃうと、面白くありません。
これはゲームだけではなく、実人生にも言えることなのではないでしょうか。
すばらしい人生のために、難しい関門が存在する
「マラソンで3時間切り(サブスリー)」という関門突破ゲームに、かつてわたしは挑戦していました。
過去、3時間数秒(あと6秒とか8秒とか)いうレースを2回経験しています。ゲームでいえば、あと一撃でラスボスを倒せたのに、ぎりぎりのところでこちらのHP(ヒットポイント)が尽きて負けたという状態です。
そのときは死ぬほど悔しかったです。勝負レースは年に1回と決めていましたので、これは3年にわたって悔しい思いをし続けたことを意味します。
月間600km走ったのもこの時期です。大雨の日や休養日もありますから一日30kmぐらい走らないと、この数字は達成できません。
まさに「走るために生きている」という時代でした。こうなるともはや仕事どころじゃありません。職場には「休みに行っている」という状態でした。
ああ、走るためにおれは生まれたんだなあ、と実感したのもこの頃です。
もう走ること以外は考えていない、という状態です。受験に失敗した浪人生のようなものです。すべてのことは後回し。まずは大学に合格してから。
私は何としても、このサブスリーという関門突破ゲームをクリアしたいと思いました。生きていることを実感するために。充実した人生を生きるために。
そのために編み出した「特技」「必殺技」が本書でご紹介している数々の走法なのです。
ゴール後に倒れてもいいから、わたしは何としてもサブスリーという関門を突破したいと思いました。ここまで熱中できたのは、わたしにとってやはりラスボスが強くて、倒せそうなのに倒せない。何度も何度も撃退された、というゲームになったからだと思います。
サブスリーのためならドーピングも辞さずと思っていたのもこの時期です。プロテインやサプリメントを常用していました。筋肉増強剤のようなものが手近に手に入っていたら、やっていたと思います。
食事も変えました。肉をやめて、ベジタリアンになったのです。ときどき癌から生還した人がベジタリアンになったりしますが、わたしはサブスリーのためにベジタリアンになりました。よほど思いつめてことです。
効率の良い走りを追求し、身体でクリアできないのならば、脳ミソをつかって、頭脳でクリアしてやろうと思っていました。カラダで勝てないのならアタマで、フィジカルで勝てないのならメンタルで、関門ゲームを突破すると決意したのです。
世の中にはわたしよりもマラソンが速く走れる人はたくさんいます。けれどわたしほどマラソンを速く走れるようになる方法論について語れる人はそうはいないと思っています。
その自信は、ギリギリで関門突破できなかった3年間の思いつめた日々がわたしにくれたものです。
はじめから痩せている人は、どうダイエットすればいいのか語る資格がありません。はじめから走るのが速い人は、記録が短縮していく過程と工夫と執念について、詳しく書くことはできません。
初マラソンであっさりサブスリーを達成しちゃうような人よりも、わたしは何かを知っているし、何かを語れると思っています。
だからこそこの書物には書く価値があると信じているのです。
それはサブスリーをほんの数秒で達成できなかった3年間があってこそなのです。
サブスリーを達成できなかった2回のレースは「敗戦」です。けれどもとてもよく覚えています。たくさんの「感情」をくれたから。悔しさという生きている実感をくれたから。
『敗戦が人生を深く味わいあるものにする』とさえ今は思えます。
敗戦もない人生なんて、面白くないと思いませんか?
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※言葉のイメージ喚起力で速く走る新メソッドを提唱しています。