24時間テレビチャリティーマラソン(トライアスロン)の難易度

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どうもハルトです。みなさん今日も元気に走っていますか?

2018年8月26日、日本テレビ系「24時間テレビ41」(25、26日放送)でチャリティーランナーを務めたお笑いコンビ、ANZEN漫才の「みやぞん」が、史上初のトライアスロン形式で、無事ゴールされたそうです。おめでとうございます! がんばりました。視聴者から大絶賛されていますね。

※このブログの「難易度」系記事

『サブスリーの難易度』(ランニングの技術まとめ)

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24時間テレビチャリティーマラソン(トライアスロン)の難易度

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やったことがあるかどうかで感想が変わる

ところで、こういう企画は「やったことない人」と「やったことある人」で感想が変わるのが常です。

トライアスロンを「やったことない人」は「スゲー」「ハンパない」とかの感想になるのですが、「やったことある人」は「そうでもないなあ」と率直な感想をつい漏らしてしまいます。

トライアスリートとしても有名なホリエモンこと堀江貴文さんが、Twitterで「意外と短い。これ普通に12時間もかからんぞ」と呟いたとか。やったことがあるからこそ、このようなつぶやきができるのです。

たとえばわたしは市民ランナーのグランドスラム(「マラソン・サブスリー」「100km・サブテン」「富士登山競争・制限時間内登頂成功」)を達成していますが、自分がグランドスラム・ランナーになるまでは、達成者のことを「この世の超人」かと思っていました。しかし自分が達成した今、達成者を「この世の超人」と思っているかというととんでもない。「ただの人」です。

しかしおかげさまで「みやぞんのトライアスロン」については、「やったことない人」側よりは「やったことある人」側で意見を言うことができます。

それではわたくしハルト流に、みやぞんトライアスロンの難易度について、語りたいと思います。

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みやぞんトライアスロンの内容は

みやぞんトライアスロンの内容ですが、スイム1.55キロ、バイク60キロ、ラン100キロの合計161.55キロメートルだそうです。

この数字を見て、どう思いますか?

「あれっ?」と私は思いました。「バイク60km? 少なっ!! 自転車の距離をもっと伸ばせば、もっともっと賞賛を受けることができるのに。作戦ミスか?」

わたしはロードバイクレースで160km(100マイル)走ったことがありますが、走り終わってもケロッとしていました。100kmウルトラマラソンしたときには「車椅子をご用意しましょうか?」とキャビンアテンダントに心配されたのに……。

自転車というのは体重処理をフレームが行い、着地の衝撃をペダルの回転が吸収してくれるので、筋肉がダメージを受けないので、走るよりもずっと長い距離を走ることができます。

大きな数字を見せてシロウトから賞賛を浴びるのならば、ランの距離をもうすこし短くして、バイクの距離を長くすればいいのです。たとえばランを50kmにしてバイクを300kmにするとか。こうすれば合計350kmです。みやぞんの記録がもっとずっと凄いものに見えませんか?

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歴代のチャリティーランナーを振り返る

「24時間テレビ・愛は地球を救う」ですが、これまでに多くのチャリティーランナーが必死の走りを見せてくれています。そして、意外と過去100km走っている人が多いことに気づきます。

林家たい平さんも、DAIGOさんも、城島 茂さんも、イモトアヤコさんも、エド・はるみさんも、アンガールズも、丸山和也さんも、杉田かおるさんも、山田花子さんも、赤井英和さんも、山口達也さんも、森田剛さんも、にしきのあきらさんも、トミーズ雅さんも、西村知美さんも、みんな100km以上の距離を走り切っています。

世界有数の女子登山家イモトアヤコさんは126km走っていますので、そういう人たちと比べると、みやぞんのトライアスロンのディスタンスには、もうすこし工夫ができなかったのかなと思ってしまうのです。

これまでの人たちより、スイム1.55キロ、バイク60キロが多いだけです。過去の人たちに上乗せする部分が、若干小さい気がします。もうすこし数字を大きくしてインパクトを大きくすることはできないのでしょうか。

たとえば「バイク300km、ラン50km」にすれば、合計351.55キロになります。161.55とくらべてだいぶインパクトが違うのではないでしょうか。

そうすれば「みやぞんスゲー」「ハンパない」と「やったことない人」から今よりもっと賞賛を浴びて、もっとセンセーショナルなチャリティーランになったのではないでしょうか。

「161.55kmと351.55kmじゃあ、難易度が全然違うもん。インパクトが違って当然だよ!」

やったことのない人はそう見えるかもしれません。ところがそうではないのです。

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主催者サイドの作戦ミスか?

これまでに私が走った最長距離はバイク161km(100マイル)、ラン100kmです。

両者が同じぐらいのダメージだったかって? とんでもありません。

バイクの161kmは4時間ちょっとでゴールしました。ゴール後もピンピンしており、まだまだ幾らでも自転車に乗れました。翌日もノーダメージで観光を楽しむことができました。前日に生涯最長のレースがあったなんて嘘のようでした。

ところがランニングの100kmは9時間ちょっと掛かりましたが、脚の筋肉がズタボロで、人生最高のダメージでした。特にひどかったのが翌日です。寝たことでわずかでもダメージが回復しているどころか、休んだことでランナーズハイの脳内モルヒネが切れて前日よりも痛みがひどくなりました。レース直後は歩くことは苦にならなかったのに、翌日は歩くだけで大腿四頭筋(着地筋)に激痛が走ります。レース後の観光どころではなく、バックパックを背負って帰ることをあきらめました。荷物は宅急便で自宅に送り、ほとんど手ぶらだったのに飛行機のタラップが登れず、スチュワーデスに「車いすをご利用になりますか?」と真顔で言われました。昨日、グランドスラムを達成し「この世の超人(だと思っていた)」になったばかりだというのに「車椅子なんか」と意地でも乗りませんでした。

このようにランニングと自転車とでは全然ダメージが違います。

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自転車はコンセントリック収縮。ランニングはエキセントリック収縮

腕の力こぶを見てもらえばわかると思いますが、普通、筋肉は縮みながら力を発揮します。

ところがランニングでは、とりわけ着地筋と呼ばれる太腿前面の大腿四頭筋が、外からの負荷に抵抗して伸ばされながら力を発揮するエキセントリック収縮をするために、簡単に言うと筋繊維が切れてズタボロになってしまうのです。

べダルが力を変換してくれるためにコンセントリック収縮のみですむ自転車にはこの「ズタボロ効果」はありません。

だからこそ私は言うのです。161.55kmと351.55kmの肉体へのダメージは、むしろ161.55kmの方がダメージは大きい、と。だったらバイク60キロ、ラン100キロよりも、バイク300km、ラン50kmにすれば、インパクトも大きく、世間へのインパクトも大きかったんじゃないの? と。

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トライアスロンはバイクの距離が長いのが普通

そもそも普通、トライアスロンというのは、バイクの距離が長いのが普通です。オリンピックディスタンスと呼ばれる距離で、スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmで合計51.5kmです。

ホリエモンこと堀江貴文さんが挑戦した最長の鉄人レースは、スイム3.8km約2時間、バイク180km約7時間、ラン42.195km約5時間。合計226kmで14時間20分かかったそうです。堀江さんが完走したトライアスロンに比べたら、みやぞんトライアスロンのスイム1.55km、バイク60km、ラン100kmの合計161.55kmは一見「たいしたことない」ように見えます。堀江さんからすると、226kmが14時間だったのだから、161.55kmなんて「意外と短い。これ普通に12時間もかからんぞ」と呟きたくなる気持ちもわからなくはありません。

堀江さんのことは尊敬していますが、しかし今回はちょっと口が滑っちゃったかな。

問題はやはりランの100kmです。おそらく堀江さんはバイクの60kmと180kmがたいして違わないように、ランの42.195kmと100kmはたいして違わないと判断したのでしょう。

しかし実際はランの42.195kmと100kmは全然違います。

みやぞんは学生時代にテニスや野球で鳴らした人物で運動神経抜群だそうですが、100kmラン10時間、60kmバイク1.5時間(常人よりもかなり速いペース)としても、残ったスイムの時間は30分しかありません。「普通に12時間を切るのは、無理」ということになるのです。みやぞんのスイム1.55キロですが、実際には55分かかったそうです。

ホリエモンだったら、おそらくランの100kmを走破するだけで12時間かかるでしょう。

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スイムは表情が映らない。ロードバイクは危険。いちばんテレビ向きなのはランニング。

このようなランニング、バイクへの認識をもっているから「大会主催者側の作戦ミスか」と思ったのです。もっと長い距離を走ることもできただろうに、と。

たぶんそうしなかったのは、ブルベのようにバイクを路上で走らせるのが危険なので「競技場」でやったため「見た目に派手さがなく視聴者に飽きられる」ためだと思います。ランならば観客の声援に応えてハイタッチしながら走ることもできます。テレビ向きなのがランニングだったということでしょう。

また、みやぞんトライアスロンがチャリティーランナーだったことも忘れてはなりません。頑張っているみやぞんを見て「私も頑張ろう」「チャリティーしよう」そういう気持ちになってもらうことが番組上必要だからです。チャリティーランナーは寄付金を集めるための「客寄せパンダ」的な役目を果たさなければならないのです。

そういう意味では自転車はあまり向いていないという判断があったのかもしれません。みやぞんが乗ったのはメリダの100万円ぐらいするロードバイクです。スイーッと飛ぶように前に進むロードバイクでは「必死に耐えて頑張っている姿」はランニングよりは画面に出にくいと思います。

ロードバイク天国になるか? 伊豆半島

スイムはもともと苦悶の表情が映りません……。

「多くの人に走っている姿を見てもらう」という意味ではロードバイクも公道を走った方がよかったと思いますが、ファンが駆け寄ってきたりして危険だという判断があったのでしょう。自転車は下手をすると死人がでます。事故になったらチャリティーランはそこで終了してしまいます。番組としても企画の責任をとらなければならないでしょう。しかたなく競技場で走ったものと思います。

またバイクは止まれないために時間調整が難しいというテレビ演出上の問題もあったかもしれません。できれば演出家としては、番組終了間際「サライ」を歌っている時にゴールして欲しいわけですから。自転車は止まれませんので、そう都合のいいタイミングでゴールできません。実際にテレビ中継とバイクパート終了の瞬間の中継はうまくいきませんでした。

そう考えると、やっぱりチャリティーに向いているのはランニングということになります。疲れた顔して、歩いたりストレッチしたりすれば、いくらでもゴールの時間を調節できます。

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本当にハンパないのは間寛平さん

24時間テレビのチャリティーランでは、過去、間寛平さんが200km走っています。この人こそ真の超人です。本当にハンパないのは間寛平さんです。

間寛平さんのすごいところは距離が長くなればなるほど偏差値(相対的な順位)があがるところです。

わたしとくらべた場合、マラソンのベストタイムこそわたしの方がまさっていますが、100kmを超すようなウルトラディスタンスでは、寛平さんには全くかないません。

ランの42.195kmと100kmが全然違うように、100kmと200kmとは全然違います。勝負するポイントが違ってきます。着地筋がエキセントリック収縮で切れないような走りをしなければならないはずです。

サブスリー走法で走って通用するディスタンスではありません。

その果てにアースマラソンがあったのでしょう。アースマラソンのことはいつか書きたいと思っていますが、ここでは間寛平がいたからこそ24時間テレビのチャリティーランがあって、みやぞんのトライアスロンがあったのだということを、書いておきます。

※書きました。間寛平アースマラソン

地球一周ランニング。間寛平アースマラソン(kanpei Earth marathon)

みやぞんのトライアスロンは、ランを短く、バイクの距離を伸ばして「やったことのない人」を驚かすようなロングディスタンスにすることも可能だったはずですが、チャリティーでお金を集めるという番組の本質を考えた時に、妥当な選択だったのかもしれませんね。

※関連記事(ロードバイク×ランニング)です。こちらもお読みください。

・ロードバイクとランニングの両立は可能か?

・鳥人間コンテストはチャリダーの祭典

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
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×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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マラソン・ランニング
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ドラクエ的な人生
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