「南洋もの」と呼ばれるオリエンタル趣味の作品。旅人にとって避けて通れない作家モーム
旅人にとって避けて通れない作家の一人が文豪サマセット・モームです。「南洋もの」と呼ばれるオリエンタル趣味の作品をたくさん書いた作家です。旅情をそそる作家です。読むと旅に出たくなる作家なのです。
ここではそのサマセット・モームの長編『魔術師』について書いています。
わたしたち現代人が錬金術に心惹かれるのは、それが現代にも通じる普遍的なテーマだからにほかなりません。
現代人はそれを「錬金術」とは呼びませんが、昔の人たちと同じことを望み、同じことを日々追求しているのではないでしょうか?
あるとはいえない。でもないとはいいたくない。それが錬金術、人の希望なのです。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
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原題は『The Magician』。名訳タイトルは引き継がれる
原題は『The Magician』。マジシャンです。「手品師」と訳さなかったところが偉いですね。手品師だと違う作品になってしまいます。
『星の王子さま』の原題が『小さな王子さま』なのを知っていますか? 『星の王子さま』と誰かが訳した名訳が連綿と引き継がれるように、いい訳のタイトルは連綿と引き継がれるものなのですね。
『魔術師』は作品自体や、書き手のサマセット・モームよりも、魔術師オリヴァ・ハドゥーのモデルになったアレイスター・クロウリーを中心に語られることが多いのが特徴です。
太田牛一が『信長公記』を書いているというのに、書かれている織田信長ばかり注目されてしまうようなものです。司馬遼太郎『竜馬がゆく』の坂本龍馬とか。主役のモデルが強烈だと、その方面から読者がついたりします。
オウム真理教の麻原彰晃がモデルの小説だったら、作家が誰でも読んでみたくなりませんか?
オカルトというカルトの、教祖的存在だったアレイスター・クロウリーは謎に満ちた実在の人物です。実在した黒魔道士として知られています。
アレイスター・クロウリーにすこしでも触れたい人が読み漁る書物の中にサマセット・モームの『魔術師』が必ず入っているようです。
わたしはサマセット・モームの線からこの本にたどり着きましたが、『魔術師』にたどり着くには、モーム・ラインとクロウリー・ラインの二つのラインがあるということです。
あなたはどちらのラインからこの本にたどりついたのですか?
『魔術師』のあらすじ
ストーリーもそんなに複雑ではなく、主要登場人物は5人しかいないのでわりと読みやすいものです。
理知的な医者であるアーサーに恨みをもった魔術師ハドゥーが婚約者マーガレットを奪い取ってしまいます。復讐に燃えるアーサーは魔術師を絞め殺しますが死体は影のように消えてしまいました。魔術師の研究室(絞殺とは別の場所)で見たものは人造人間ホムンクルス(醜悪な人間のできそこない)と絞殺された魔術師の遺体でした。
謎に満ちた作品です。
寝取られ系? 性癖? 嗜好? お家芸? 予想通り? 期待通り
アーサーに恨みをもったハドゥーが美女マーガレットにちょっかいを出しはじめたあたりで、きっとマーガレットはハドゥーの悪の魅力に虜になって、アーサーを捨てて魔術師に走ってしまうのだろうなあ、と思いました。
モームの『月と六ペンス』のことを思い出したからです。あの作品でもヒロインの人妻は、お世話をするために家にあげたストリックランド(ポール・ゴーギャンがモデル)に身も心も奪われて夫を捨ててしまう展開でした。そして最後には悪魔のような芸術家の主人公にボロボロにされて捨てられてしまうところも共通しています。
同じ作家だから同じような展開になるのはしょうがありません。性癖というか、嗜好というか、お家芸というか、予想通りというか、期待通りというか……。
NTR・ネトラレ系というか、予想したとおりの展開をしてくれます。ちなみにわたしは期待に応えてくれて満足しました。
『魔術師』は1908の年出版です。『月と六ペンス』は1919年に出版されているので「芸術家が他人の女を奪っちゃう展開」は魔術師の方が先ということになります。
女が男を嫌悪しつつ愛するという変態チックな恋のムードがモームは好きなのだろうと思います。
オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』に似た雰囲気・展開
「闇の中、無音で格闘する何か(ハドゥー)を絞め殺したはずだが遺体が消えていた。ハドゥーの研究室に場所を移動するとそこでは魔術師が死んでいた」
というラストシーンはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を想起させます。老けない美貌の芸術家が、老けていく無気味な肖像画にナイフを突き立てると、ドリアン・グレイ本人が老け衰えて死んでしまうというファンタジーでした。1890年の作品ですから、こちらの方が先行作品ですね。
『魔術師』でも闇の何かを絞め殺すと、別の場所にいたハドゥーが死んでいます。そしてその場所には人造人間ホムンクルスがあるのです。
理知的な医者であるアーサーが真っ向から否定していた宿敵オリヴァ・ハドゥーは「本物の魔術師だった」というのが本作のオチです。一般に、文芸作品や推理小説だったら魔術師のトリックを暴いて「錬金術なんてものは存在しない」ことをオチにしそうですが、本作では「黒魔術は存在する」というのがオチです。謎は謎のままに、そのままエンディングを迎えます。『ドリアングレイ』と同じですね。
アニメ『鋼の錬金術師』を思い起こす人がいるかもしれません。アーサーが絞め殺す闇の影はホムンクルス・プライドのようですし、ハドゥーの秘密の研究とはまさにフラスコの中の小人ホムンクルスそのものでした。
錬金術、賢者の石とは? 世界のすべて。人の希望
サマセット・モーム『魔術師』は黒魔術師アレイスター・クロウリーに興味がある方のみならず、『鋼の錬金術師』ファンの方にもおすすめできる本です。
アニメのように派手な格闘シーンはありませんが、そのかわりに錬金術についての詳しい解説が書いてあります。
ホーエンハイムことパラケルススなど錬金術師のことが頻繁に解説されています。
『竜馬がゆく』坂本竜馬の生涯を知ることで明治維新の知識を得ることができるように、『魔術師』ハドゥーの物語を追うことで錬金術の知識を得ることができるようになっています。
モームはこの錬金術の資料集め、研究に苦労したということです。
錬金術の研究てって、燃えるんですよね。どうして近代科学の時代を生きる私たちでさえも錬金術に魅力を感じてしまうのでしょうか?
錬金術とは「卑金属を金に変える」現代でいうところの化学のことでした。この金を精製する物質のことを「賢者の石」といいました。また「賢者の石」は、人間を不老不死にすることができる究極の物質だとも考えられていました。この世界の神秘のすべてを一言で表現したものが「賢者の石」だったのです。
わたしたち現代人が錬金術に心惹かれるのは、それが現代にも通じる普遍的なテーマだからにほかなりません。
現代人もそれを「錬金術」とは呼びませんが、昔の人たちと同じことを望み、同じことを日々追求しているのではないでしょうか?
わたしたちは「お金持ちになりたい」と商売や投資の知識を勉強しますが、錬金術で金をつくりだすことができれば、お金持ちになることができます。
わたしたちは「長生きしたい」と健康に留意したり病院に通ったりしますが、錬金術で不老不死の法が見つかれば、長生きすることができるのです。
方法は違いますが、願いは同じです。錬金術には人間の普遍的な願いが込められていました。
その人類の夢や希望を体現した「錬金術」を「そんなものはない」と否定し去るか「あるかもしれない(謎だけど)」とするか、どちらのオチをあなただったら選びますか?
文豪サマセット・モームが選んだのは後者でした。
あるとはいえない。でもないとはいいたくない。それが錬金術、人の希望でした。
『魔術師』はそんな作品です。
※※他のサマセット・モーム作品についての書評も書いています。よかったらこちらもご覧ください。