サマセットモーム『ロータス・イーター』

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ロータス・イーターとは、ギリシア神話から「安逸をむさぼる人」。蓮を食って生きる人。浮世離れした放浪のバックパッカーのような人種のことを指しています。

こんにちは、ハルト@sasurainorunnerです。

ここでは、文豪サマセットモームの『ロータス・イーター』の書評をします。

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大多数の人は境遇のため余儀なくされた人生を送る

主人公はトマス・ウィルソン。年金が終わる六十歳になったら自殺すると決めている男である。

語り手は別にいるのだが、主人公は語り手とは別の人間。いわゆるホームズ・ワトソンスタイルである。主人公はあくまでもシャーロックホームズだ。

トマス・ウィルソンはイギリスの銀行の支店長の地位を捨てて、カプリ島に見せられた男。

作中の青の洞窟を見てそのまま四十年カプリにとどまったドイツ人というのは、まさに私ハルトそのものである。ウィルソンは私そのものなのだ。

私ハルトは地中海に浮かぶカプリ島に魅せられて「神様。どうにかして一生この島で暮らす方法はないでしょうか」と祈ったら、直後に背骨を骨折して本当にカプリ島で一生過ごすはめになりそうになったという最悪の経験をもっている。

過ごすといっても寝たきり状態で。そのときのことは「心の底から神様に祈れば願いはかなう?」というコラムに書いた。

だからこの作品を自分のことを書いた作品のように読んだのである。

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カプリ島は私ハルトが、この島から一生出たくない。帰りたくないと神に祈ったら、転倒し、腰の骨を折って本当に島からでられなくなるところだったという思い出の場所である。

海岸で転倒骨折したのだが、いつしか階段で転倒骨折したことになっていた、いわくつきの美しい島である。

映画『ベン・ハー』にも「隠居してカプリ島でのんびりしたらどうだ」なんてセリフが出てくる。キリストの時代から美しい島として隠れもなかったようだ。

リゾート中のリゾートである。本当にすばらしい島だ。

世界一美しい光景のひとつであるカプリの夕日を眺めているとき、モーム自身を思わせる書き手の「私」は、逸脱者トマス・ウィルソンと出会う。

「もし運命の女神が私に銀行の支店長を続けさせるつもりだったのなら、月光に照らされた夜の海岸の奇岩を見せるべきではなかった」

トマス・ウィルソンは語る。サラリーマン生活に戻らなくてもいいじゃないか。扶養家族もないのだ。

毎日同じ仕事を続け定年になって退職し年金で暮らすだけ。すべてを放り出してこの島で余生を送っていけないことがあろうか?

一年間我慢して働いてみたが、一年後にも考えは変わらなかった。

「生活を楽しんだ町も、勤勉だった町もどちらも滅んだ。最後は同じじゃありませんか。どちらが愚かだったんでしょうか?」

そしてカプリで暮らすことを選んだのだ。

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お金が尽きたら自殺するつもりだった

トマス・ウィルソンは金持ちだったわけではない。年金暮らしだった。むしろその年金が尽きたときには路頭に迷うことが予測できた。

それでもカプリで暮らすことにしたのだ。

いつも他人の思惑ばかり気にするのをやめて、美しい自然あふれる島で暮らそうと、仕事をやめた。

三十四歳のときから十五年、ずっとカプリで暮らしている。

年金が尽きた時は、どうするつもりだったのか?

自殺するつもりだったのである。

それでも老いるまで意に添わない場所で働いて、食うに困らない老人になるよりも、ましだと思った。

47歳まで働いて終身年金を得て66歳まで生きるか、34歳から楽園で暮らして60歳で無一文になって死ぬか。

66歳まで生きるとわかっていたらウィルソンは四十七歳まで働いただろう。

60歳で死ぬ方に賭けたのだ。

自分が何歳ぐらいで死ぬか、誰でもボヤッとした予想がある。その中でも最も若くして死ぬ方に賭けたのだ。

いつ死ぬか、何歳で死ぬか、わかったらなあ。そうすれば人生の悲喜劇の大半は避けられるのに。

ところが悲劇が起こった。

自分が何歳ぐらいで死ぬか、予想の中でももっとも長生きするほうの目が出てしまったのだ。

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リモンチェッロ・デ・カプリ。カプリ島での生活

人生が誰にでも与える素朴で自然なものに至福を求めた。自然こそが人生の真実だ。

自分自身の幸福が唯一の目的だった。

死ぬことを常に念頭に置いていたから、どの瞬間も真剣に大切にした。

金が尽きたら自殺する決意があった。

労働しているときには死ぬ決意があった。自殺の決意は自然の中で生きる決意と同じだったから強固なものだった。

大自然に溶け込むちっぽけな人間。人間も自然の一部だ。おのれをなくしてこその幸せ。仏陀も教えている。我執を去れと。

ロータス・イーターはその境地の中に、幸福を見出す。

しかし自然の中で生きると、己を貫く鋼の魂は失われる。

その感覚が何となく俺にはわかるのだ。

自殺はこっちからあっちに向かう時の決意だった。でもすでにあっちの暮らしにたどり着いた。だとしたら自殺の決意が失われても不思議はない。

自分の勉強がしたくて学校を辞めたのに、辞めたら自由を得て、自分の勉強なんてする気がなくなった。そんな話しだ。

何一つ心を煩わすことなくのんびり暮らした後では毅然たる性格は失われる。自分の手の届く範囲にあるものだけで欲望が満たされるのならば意志は無能になる。

トマス・ウィルソンは自殺ができなくなっていた。

この暮らしの中で死ぬ意味なんてない。

人間が弱くなったといってもいい。やさしい母なる大地の中で強い意志をもった大人であることの意味はない。

金がなくなったトマス・ウィルソンは、自殺未遂をして、かつての使用人の慈悲により、冬は寒く、夏は蒸し風呂の部屋で、粗末な食事に六年耐えて死んだ。

満月の夜に、心奪われたカプリの絶景を見ながら。

死が救いとなった。

トマス・ウィルソンは最後まで強かった『月と6ペンス』のストリックランドとは違っていた。

人生は死によって完結する。

どうしてサマセット・モームはトマス・ウィルソンの死に際に心奪われたカプリの絶景を見せたのか。

「旅人の夢はかなったのだ」

そう言いたかったのかもしれない。

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プロフィール


温人ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のある物書き。サブスリーランナー。グランドスラム達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。西天取経の旅人

このサイトについて

はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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