風の王国。BORN TO WALK。歩くために生まれた

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

BORN TO WALK 歩くために生まれた

ここでは五木寛之『風の王国』をネタに「歩くこと」について語っています。『BORN TO RUN走るために生まれた』という本がありましたが、この本は『BORN TO WALK 歩くために生まれた』と副題がついていてもおかしくないような「歩く小説」でした。

あなたがハイカーだったり、歩く人だったら、かつてないほど面白く小説を読むことができるでしょう。

風の王国といっても風の谷のナウシカの故郷・風の谷みたいに「風吹く場所」のことではありません。

風というのは「とどまることのない、動きつづけるもの」の象徴です。

遊牧民の村のように、とどまることのない流浪の民の生きる世界のことを、歩く小説の中で「風の王国」といっているのです。

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放浪とは歩くこと。「歩く」ことに無関心ではいられない

私がこの小説に興味を持ったのは「歩く」小説と聞いたからでした。私自身、貧乏バックパッカーとして世界を旅してきた経験から「歩く」ことに無関心ではいられないのです。放浪とは歩くこと。放浪の最中、何をしているんだと顧みると、ただひたすらに歩いています。歩くことが旅することであり、歩くことが生きることだと感じてきました。

その意味でも『風の王国』は、作品世界と自分の世界が酷似しているために、自分のことのように読むことができました。

歩行術。ヒールストライクウォーキングのテクニック

ちなみに走ることに関しては、書物も出している専門家です。

あまりにも自分の世界と酷似しているために、同様のことを書いてある私のコラムを途中途中に差しはさみました。興味があればそちらにも飛んでご覧ください。

千日回峰行を満願した阿闍梨さまよりも、この大地の上を走っています。そういう書き手ならではのことをこのコラムでは書いていこうと思っています。

比叡山千日回峰行者はウルトラマラソンランナーに似ている

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歩く人・散歩愛好家は一度は読んで損のない本

歩くことと走ることの違いは、宙に浮いて進むか否か、です。宙に浮かないものを歩行といいます。

きっと五木寛之も歩くのが好きなんじゃないかな。歩くことをよくわかっている人だなあと描写の端々から感じました。

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ミズノウェーブの効果。自然な滑りをしめすランニングシューズ

「速水卓はなるだけ自然な滑りをしめすウォーキングシューズが好きだった」みたいな描写に、歩くことをよくわかっている作者だなあ、と感じるのです。

ソールの滑りがないということは、着地のところで足裏が固定されてしまうということです。歩くというのは靴底を転がすことなので、グリップ力が強すぎて滑りがゼロというのは「ネチョっとした感触」になるのです。言っている意味が分かるでしょうか。わかれば、あなたも歩くのが好きな人です。

アイススケートがどうして歩くよりも速いかというと氷の上を滑っているからです。転ばないかぎり、本当は滑った方が速いのです。

陸上短距離走だと金メダルを取れない日本人が、スピードスケートだと金メダルを取れるのは何故なのか?

ウォーキングよりもランニングで顕著なことですが、蹴りだす時には地面をしっかりと掴んでくれることが必要ですが、着地の瞬間の強すぎる固着は膝に負担をかけます。

MIZUNOのランニングシューズに搭載されているミズノウェーブというのは、そこらへんのジレンマを解消するために開発されたものです。着地の時は固定しすぎず、蹴り出しのときは滑らないようにという工夫があのウェーブなわけです。

「濡れることを考えないとすればラグソールの靴は無視してもいい」などウォーキング魂をくすぐるような専門的な描写が『風の王国』たくさん出てきます。ラグソールというのはビブラム社ソールのような刻みの大きなソールのことです。

「わたし、足の裏に目が生える話し、信じるなあ」

トレイルランニングは目の良さがスピードを決める

「マラソン選手にランナー膝という病気があり、登山家には往々にしてシュラッター病という膝の疾患があるものだ」とか、登山系の小説を別ジャンルとすれば、“歩く”小説の最高峰ではないかと感じました。

ノルディックウォーキングのインストラクターで生計が立てられるか(実践編)

デューク更家ウォーキング体験記(イオンモールウォーキング)

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物語の骨子

海外を放浪して歩くことに興味をもった主人公の速水卓三十二歳。昭和二十六年十月一日生まれ。父は石内元です。珍しい鉱物を採取しながら≪ワタ≫っていた人物。毎月講へ≪ツナ≫いで、頼みごとをしたことがなかった講友≪トモダチ≫でした。

その石内元は六家の能登のモンドという≪オオオジ≫の子でした。戸籍を作って世間に≪トケコ≫んだ≪トモダチ≫です。講の外にいて講に義理を尽くす≪ツナガリ≫の者でした。

速水卓は初代講主・葛城遍浪の血を引くたった一人の男の子です。おそらく遍浪→能登のモンド→石内元→速水卓ということなのだろうと思います。

速水卓は『青年は荒野をめざす』のジュンのような人物です。ジャズと関係のない「その後のジュン」と思ってもいいかもしれません。「ゴーフォーブレイク! これはおれからの忠告だ」このセリフ、どこかで聞いたことあるよね。

書評『青年は荒野をめざす』

雑誌のライターをしています。ノマディックに移動・放浪の自由な旅の生活を若者たちに呼びかけている雑誌です。よく歩く人はよく読む人でもあるのかもしれません。

ランニング隠者、走る哲学者の生き方。晴耕雨読なんて過去のライフスタイル

FIREムーブメントの先駆者が語るファイアのやり方、大切なこと

ある日、二上山に登るという取材を頼まれます。大和の二上山はこの世とあの世の結界にあたる境だというのです。東の山辺の道、西の葛城の道。東の三輪山は朝日さす神の山だ。西の二上山は日の沈む浄土の山だ。それを確かめてくれ、という「歩く」取材でした。

<おれは歩くことにだけ、いま、生きがいを感じている>

卓は今は歩くことだけに生きがいを感じています。バイクも車も好きだが歩くことはもっと好きです。二本の脚を動かして無限の地表を歩くことにだけ興味を感じています。

そこで興味のある女(葛城哀)と知り合います。これまでに見たどの歩きよりも鮮やかな歩行だった。駆けているのではなかった。あくまでも歩いているのだが、それがまるで翔ぶように見えるのです。ネパールのシェルパ。チベットのルムゴンパ。役小角などのような歩き手と比較したくなるような歩き方をします。

足底筋が発達しすぎて土踏まずのアーチがない女は、それをワラジ足といって自慢します。

ヘルメスの靴。足についた宙に浮くためのバネ(足底アーチとアキレス腱)

その女は講という互助会のような秘密組織の跡取りでした。そして卓は自分がその講の関係者だったということを知ります。そしてやがては……登場人物のほとんどはその講の関係者でした。

講の方針を巡る愛憎からやがて殺人事件が発生します。講は戦うか、引くか、選択を迫られるのでした。

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フィクションとは思えないリアルな登場人物たちの命名

フィクションでこんな変な名前つけますかね? フィクションでこんなに≪隠語≫が登場しますかね?

途中から『風の王国』に書かれていることは、すべて史実なんだと思って読んでいました。よく作者の創作でこんなリアルな妄想したよなあと感心します。すごいぜ五木寛之。

講の名前は≪フタカミ講≫二上山からの由来です。天無仁神講というのは、フタカミ講の隠語でした。

天の字から二を無にすると人が残ります。二神講はフタカミ講のことでした。

同行五十五人というのは、もちろん同行二人の四国お遍路からイメージを拝借しているのでしょう。

フタカミ講は、修験道や、比叡山の千日回峰行のイメージを借りた、宗教っぽいことをして≪ケンシ≫≪サンカ≫の生き方を現代に実践しようとしています。ジプシーがヨーロッパで生きるように、日本でケンシとして生きようと目指しているのでした。

≪へんろう会≫というのは葛城遍浪という人物の名前からとった一種のファンクラブ・修養団体でした。勉強会などをして派閥のようなものを形成しています。

なぜか二上山へは登りたくないという西芳賀教授もサンカの関係者だったからでした。そこは祖先の虐殺現場だったからです。流星書館の島船専務、花田出版部長も、へんろう会のメンバーでした。流星書館は射狩野グループに属しており、射狩野グループはへんろう会の世への≪突出≫経済部門。射狩野グループ代表の射狩野冥道はへんろう会の会長です。ヤクザ組織の渾流組はへんろう会の武闘部門でした。

速水卓は講と≪ツナガリ≫がある人物です。「向こうに着いたらきちんと≪ツナ≫ぎましょう」なんて言われます。講友は≪トモダチ≫で、講主≪オヤサマ≫です。≪トモダチ≫ってだけで二十世紀少年の宗教団体の教祖を思い出してしまいますね。ケーンヂくん、あーそびーましょ♪

このように秘密地下組織小説としても読むことができます。

葛城天浪は天無仁神講の講主≪オヤ≫です。相互扶助自然共存一心無私一所不在(山河を故郷として生きる志)。利益を求めて政界、官界と手を結ぶことを遍浪先生は厳しく戒められたために、射狩野グループと対立することになります。そもそも戸籍によって定住と納税をすすめる政治は、ケンシの敵だという認識です。

「≪フタカミ講≫の≪オヤ≫の代行として言っているのですよ」

「渾流組の竜崎として、お断りしているんです。」

「うちの講がからんだ以上、ちゃんと配慮はしてくれるはずです。そうでしょう? 竜崎さん」

天無仁神講のアジール(道場)は伊豆半島賀茂郡の婆娑羅峠(現在、旧道は廃道になっている)の近くにありました。

【恐怖】西伊豆町・田子地区の謎の結界

≪フタカミ講≫はへんろう会とは異なり、八家と≪ツナガリ≫をもつ同族だけの集まりです。へんろう会は血のつながりがなくても入れる組織ですね。

≪オジ≫≪オバ≫は八家の≪ナガレ≫の人物たち。その≪コドモ≫たちは講で三行≪学業≫≪遊行≫≪歩行≫を修行します。修行のまとめに海外を旅行して巡るという教育システムは二代目オヤ葛城天浪でした。

麻木サエラもへんろう会の会友でした。義理の父であった速水家も兄の真一も。

「僕は一体何者なんです」卓は問いかけます。「講はずっとあなたを控えめに見守り続けてきたんだよ。あんたに卓という名前をつけたのもこの天浪先生だ」渾流組の竜崎も同じ名付け親をもったキョウダイでした。

これまでの人生のピンチに、ラッキーに救われたと思っていたことは、すべて裏で講が助けてくれていたのでした。

こういう隠語、仲間内の言葉を小説内で使えば使うほど、架空の団体が真実にあるかのように錯覚させられます。

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飛鳥あたりに住みたくなる本

東の山辺の道に対する、西の葛城の道。東の三輪山は朝日さす神の山、西の二上山は日の沈む浄土の山という認識です。二上山から葛城、金剛山につづく。いわゆるトレイルランニング界ではダイトレ(ダイヤモンド・トレイル)と呼ばれるルートですね。

トレイルランニング哲学「おとなの障害物競争」

葛城古道、斑鳩の里なども登場します。箸墓古墳は三輪のオオモノヌシを怒らせた姫が箸で自分の性器を突き刺して死んだとされるお墓で、卑弥呼の墓ともいわれる古墳です。

『風の王国』を読んでいると奈良県葛城市橿原市あたりに住みたくなります。

前方後円墳は、二上山の雄岳、雌岳を墓として象徴的に再現したものかもしれない」なんてことまで書いてあります。そんな新説、聞いたことありません。フィクションだとしても、よくこんなこと思いついたなあと感じます。すごいぜ五木寛之。

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旅人心をくすぐる描写

「ヒッチハイクで知らない土地を旅するには、チャーミングな笑顔が最大の武器なのだ」

「知らない連中にためされるのは慣れていた。要は腹を据えて遠慮せずに振舞うことだ。出すぎて失敗したときには相手が態度でたしなめてくれるだろう」

「なんでも知ってないと、よその国では生きていけない」

「約束なんかすっぽかしてこの国からオサラバすればいい。そんな連中がたくさんいたのだ、世界のあちこちに」

旅人なら思わずにやけてしまうような描写が続きます。さすがジュンですね。……おっと、速水卓でした。

ストリートがステージ・世界の路上生活者・オンザロード写真集

旅先でのトラブル集(トラベルはトラブル)

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修験道の魅力がつまった本

歩行はホコウとも読めますが、歩く行ギョウとも読めます。自然の中を歩けばどうしたって行の相を帯びてくるのです。

一畝不耕。一所不在。一生無籍。一心無私。

歩行のことをホギョウといいます。≪キョウダイ≫≪コドモ≫にとっては大切な行のひとつです。実用のために歩くのではありません。

脳内モルヒネ。快楽のランニング中毒。世界が美しく見える魔法

≪御同行≫ゴドウギョウでは、人とともに助け合って歩く、自然と一体となってあゆむ、その心の広さややさしさを持っているかどうかが試されます。

歩行聖者のように、風の行者のように。シェラカップシェラ・クラブも登場します。

Walking softly in the wiiderness.

比叡山の千日回峰行についても語られます。

比叡山千日回峰行者はウルトラマラソンランナーに似ている

≪かわ≫が≪みち≫だった。動物であれ、人間であれ、≪みち≫がなくては生きていけません。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

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記録は定住民のわざ。歴史は農耕サイドから語られることが多い

私は常々「歴史は定住者、農耕者の側から語られることが多いなあ」と感じてきました。

たとえば中国の歴史ですが、北方の未開人が攻め込んでくるので万里の長城をつくった、というように定住者側から記述されます。そんな未開の野蛮人だったら楽勝で追い払えばいいのに、たびたびいくさに負けているんだから世話はありません。ただ非定住型の遊牧民だったというだけで実際にはそんなに未開人じゃなかったんでしょう。モンゴル民族女真族など、中国はたびたび北方の遊牧民族に支配されています。ヌルハチの清とかに。でも問題は主人公が定住者の農耕者・漢民族の側から描かれることがほとんどということです。そして征服者は残酷な野蛮人と描写されることです。

わたしは満州民族。漢人ではない。辮髪がその証し

ローマ帝国の歴史も同様です。北方から蛮族が攻めてくるという文脈で歴史が語られます。ここでも主人公は定住者のローマ側です。実際には蛮族というのはゲルマン民族の大移動で移動してきた今のフランス人ドイツ人などですからそれほど野蛮人ってこともないと思います。問題はいつも定住者の側から歴史が語られるということです。

そのゲルマン人も「遊牧民」のフン族アッティラに征服されると「神の災い」と嘆き、アッティラはバーバリアンとして描かれるのです。つねに定住、百姓目線で歴史は語られ、遊牧民は野蛮人だと評価されます。

どうして遊牧民、非定住の移動しつつ生きる側から歴史が語られることがないんだろう、と私は常々思っていました。

その答えは、おそらく記録というのは百姓のものだからです。生産物を蓄財し、生産記録、天候記録などをとって、知恵をたくわえます。ものを記録する作業というのは定住民のわざだからでしょう。

遊牧民は文字をもたなかったり、蓄財する観念が希薄です。蓄財しすぎると移動できなくなってしまいます。この地球を流れるように生きて、流れ去っていきます。世界最大の帝国を気づいたチンギスハーンはお墓の位置さえわかりません。

フタカミ講の人たちがお米を食べないのは、米は定住者の蓄財の象徴だからでしょう。

そういう意味では『風の王国』は、非定住の移動しつつ生きるサンカ、ケンシのサイドから、明治以降の日本を語っているということができます。

一般的に、サンカを虐待する政府や民衆の側から語られる歴史がほとんどです。中国やローマの歴史がそうだったように。

それを遊牧民の側から定住化、戸籍化の歴史を語っているわけです。もちろんフィクションですが、その切り取り方がたいへん新鮮でした。

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『BORN TO RUN』走るために生まれた、との共通点。歩く民族ケンシ。走る民族ララムリ

また『風の王国』を読んで『BORN TO RUN』という本を思い出しました。この本にはメキシコの圧政を嫌って山に走り去った「走る民族」ララムリが登場します。

歩くことと、走ることの違いはありますが、どちらも権力に迫害されて自然の中に逃げ去った民族が主役の物語です。

非定住の、動くことで生きていくすべを得ている遊牧民から見た政治や権力、暴力に対するアンチテーゼが描かれています。それはこの地球を住み家にして自然の中で生きることです。そのために遊牧民の生き方を選ぶという選択です。

権力に対して自然の中に隠れ住むように生きるサンカケンシは、まるでタラウマラ族ララムリ)のようです。

『BORN TO RUN』書評

トレイルランの王者スコット・ジュレクの『EAT&RUN』書評

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作品の結末

結局、フタカミ講とへんろう会(を牛耳っている射狩野グループ)は、同じ葛城遍浪から生まれた兄弟組織なのに、フタカミ講は自然を大切にして自然に溶け込む過去に回帰するような生き方を選び、射狩野グループはケンシ一族の自主独立のために世間に敵を作りながらも≪大突出≫をやっていくという立場でした。今さら元に戻れない、戻ったら負けて潰されてしまうという射狩野グループに対して、フタカミ講は「無一文で振り出しにもどって最初からやりなおせばいい」という立場でした。自然を破壊して権力に取り入って勝つよりも、前進をやめて意志的に後退する。土地を捨て、家を捨て、安住を捨て、体一つで流れて生きる、というスタンスでした。

ボストン美術館に爆弾を仕掛ける計画は射狩野冥道の自作自演でした。射狩野グループは中国の古代美術などを政治家に賄賂で贈るなどして癒着により大きく成長してきたのでした。その証拠をみずから封じたのです。

射狩野冥道はへんろう会の会長の座を卓に譲ってフタカミ講の顔を立てようとしますが卓に断られてしまいます。フタカミ講は射狩野にへんろう会会場の座をみずから下りるように促すため、講主が≪カクレ≫ることを決意します。≪カクレ≫とは即身成仏のような行為で、死を意味していました。

兄弟組織は思惑のすれ違いの中で、射狩野は竜崎に銃で撃たれ、総帥の死と射狩野グループの四散が暗示されます。

フタカミ講も三代目オヤに葛城哀が就任し、葛城遍浪の血を引くただ一人の男である速水卓は、葛城哀の恋人として、フタカミ講の中でケンシとして生きていく決意をします。

祖先と同じ生き方をしようと決意した速水卓の前に自由で国境のない風の王国がはっきりと見えました。おれが風だ、と彼は感じます。

足元を見なくても歩けました。足がすでに目でした。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

https://amzn.to/44Marfe

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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健康-体のケア-美味飲食
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