スマホが変えた海外放浪。世界観(決定稿)

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『バックパッカー・スタイル』『海の向こうから吹いてくる風』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』Amazonキンドル書籍にて発売中です。

スマホが変えた海外放浪。世界観

スマートフォンの出現によって、旅行のスタイルや人々の世界観は大きく変わりました。たとえば旅先の宿泊地ですが、現地で安宿街を嗅ぎまわって探すスタイルよりも、スマホで探して予約した方が簡単・確実で、しかも安い宿が探せる時代になりました。旅行者の勘、旅の嗅覚のようなものが、あまり役に立たない時代になりました。旅人のスキルよりも、デジタルリテラシーのほうが有効という世の中になりました。外国語なんて覚えなくてもスマホが翻訳してくれます。

かつては不確実性に賭けられる勇気が旅人の資質だった

かつてバックパッカーは「なんとかなるだろう精神」の人しかなることができませんでした。よくいえば「勇気がある人」しかバックパッカーにはなれなかったのです。行った先で泊まれる宿があるかどうかもわからないという不安の中で旅をしていたからです。インターネット以前は、宿の予約なんかできなかったし、ろくに情報もありませんでした。最悪、野宿するガッツのある人しか放浪の旅人にはなれませんでした。不確実性に賭けられる勇気が旅人の資質だったのです。

しかしスマホの普及とコロナ・パンデミック以降の予約社会によって、旅から不安という要素はとても小さいものとなりました。今はスマホで宿の予約ができるし、直接メールでやりとりもできます。いくらでも旅の情報がとれます。行ってみなければわからない、ということがなくなりました。SNSによる評価社会も旅の不安をかき消しています。

不確実性のゲームだった放浪が、地図のあるRPGのようになってきたといえるでしょう。このゲームには誰でも簡単に参加できます。それがオーバーツーリズムの原因のひとつです。時代はよくなるといいますが、そればかりではないでしょう。世界はどんどん便利になっていますが、面白くなくなっていく側面もあります。なぜなら実は不安やハプニングこそが、旅を面白く演出していたからです。

スマホがないと生きていけないだなんて、ご先祖様に失礼だ

日本は災害大国です。ときどき大きな災害に見舞われます。地震や洪水、台風被害など。これらの被害は隣近所と較べて皮一枚で無傷と悲惨という差になることが多いために、被害者はよけいにみじめな気持ちになるのです。

ときどき停電がなかなか復旧しないこともあります。停電すると照明はつかえませんし、テレビは見られませんし、スマホの充電もできませんし、エアコンも使えません。給水がままならないこともあります。そりゃあ不便でしょう。

しかしメディアで「おわった」とか「もう我慢の限界」とか「生きるか死ぬかギリギリのところ」のようなコメントを連発する被災者には、違和感を禁じえません。電灯なんてエジソンが発明する以前にはなかったのです。ずっと人間はエアコンもテレビもスマホもなしで生きてきたのです。ずっと電気なしで生き延びてきたのです。そういう先祖をもちながら、ちょっと停電が続いたぐらいで「生きていくのがやっと」だなんて、現代日本人はどれほど軟弱なのでしょうか。

エアコンなんてなくたって死にやしませんよ。ちょっと不便なだけです。スマホがなければ人間らしい暮らしとは言えないだなんて、ご先祖様に失礼じゃありませんか。あなたの先祖は人間じゃないのですか? むしろこんな程度で弱音を吐くなんて、ご先祖様に恥ずかしくてあわせる顔がないぐらいの感覚がほしいものです。

家が壊れたりとか、雨に濡れたりとか、泣きたくなる気持ちはわかりますが、まだ限界ではないし、生きるか死ぬかの状況でもないはずでしょう。おおげさに言いすぎです。そんな最上級の形容詞を使ってしまったら、もっと大きな本当の危機がおとずれたときにどう表現すればいいのかわからなくなってしまいます。

地震や台風のあとの火災や停電を「天災じゃなくて人災だ」と不満を言う人がたくさんいます。損害賠償は人間からしか取れないからあえてそういうのだと思いますが、私はこの言葉づかいも好きではありません。むしろ夜空を見上げて「いつもより星がきれいです」ぐらいの余裕を見せてほしいものだと思っています。ご先祖さまの生活を思えば、なんとかなるはずです。

バックパッカースタイルで普段から暮らしていると、日本の災害被災者が軟弱に見えてしかたがありません。停電があたりまえの地域や、被災地みたいなスラムは世界にいくらだってあります。もうおしまいなどでは決してないはずでしょう。

インバウンド規制緩和。旅人が世界を変える

ある日のことです。古都のお寺の庭園を歩いていたら「写真禁止」の貼り紙がありました。本堂の仏像も撮影禁止でした。本堂のほうはわからないこともありません。しかしなぜ庭まで写真禁止なのでしょうか?

本堂の仏像や掛け軸ならば、信仰の対象だとか、ストロボ光で絵が色褪せるからとか、それなりに理由が思い浮かびますが、庭の写真がダメな理由がわかりません。あるいは売店で庭の絵葉書の売り上げが落ちるからでしょうか?

かつて岡本太郎さんが、西洋はいいものを美術館などでじゃんじゃん見せてくれるのに、日本は隠してなかなか見せてくれないと嘆いていました。なんでもかんでも禁止にすればいいってものじゃないんだけどなあ、と思っていたら、周囲の外国人たちが一切お構いなしに写真をバシャバシャ撮りまくっていました。「写真禁止」という漢字が外人には読めなかったのでしょうか。

お寺の関係者もそれを見ていましたが、あまりにも多くの外国人が写真を撮っているので、もう注意をするのも諦めていました。そこで私も便乗して写真を遠慮なく撮らせてもらいました。庭の写真を撮ることがいけないことだとはどうしても思えなかったからです。

この現象をインバウンド規制緩和と呼びます。自由な旅行者である外国人が、理不尽な日本の規制をぶち破ってくれるのです。外国人の感受性が、日本を自由に開放してくれるのです。外から吹いてくる自由な風が、日本の風土に風穴を開けてくれるのです。

悪法も法なりという人がいます。たとえばあなたが麻薬をやらないのは法が規制しているからですか? 法が許したら麻薬をやるのでしょうか。そこに自分の判断はないのでしょうか?

私には自分の判断があります。無意味な禁止はないほうがいいのです。人々の自由が多い方がいいのです。法の禁止と許可のあいだには、グレーゾーンの領域があります。インバウンド規制緩和によって、旅人が世界を変えることを私は望んでいます。バックパッカーとしての自分も、その自由解放戦線のゲリラ戦士の一人でありたいといつも思っています。

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本書の内容

・「ユーミン主義(遊民主義)」→ 限りある時間の人生を、遊びながら生きていく方法。
・「プアイズム(ビンボー主義)」→ お金を使わないからこそ、人生はより楽しくなる。
・「新狩猟採集民としての新しい生き方」→ モノを買うという行為で、どこででも生きていける。
・「お客さまという権力」→ 成功者にも有名にもならなくていい。ただお客様になればいい。
・「スマホが変えた海外放浪」→ なくてよし、あればまたよし、スマートフォン
・「強くてニューゲーム」 → 人生ゲームをもう一度はじめからプレイする方法。
・「インバウンド規制緩和」→ 外国人の感受性が、日本を自由に開放してくれるのだ。

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