地図は北が上である理由。上総と下総は上下が逆のわけ

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【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者アリクラハルトの人生を旅しながら走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

『車泊でGO!!』YouTube動画 始めました。(grandma-cuisine

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現代の都道府県名よりも、旧国名の方がロマンがあって好きだ!

私は日本地理を戦国時代の国獲りロマンの知識から覚えている千葉県人です。ただ地名や地形を覚えようとしてもなかなか覚えられませんが、武将たちが生死を賭けて土地を奪い合ったり戦ったりした戦国時代と重ね合わせれば、地名や地形を頭に入れることができます。

なんの色も匂いもなかった福井県、富山県、新潟県が、朝倉義景や北ノ庄城(越前)、佐々成政のさらさら越え(越中)、上杉謙信の春日山城(越後)の舞台だと思うだけで、急に血の通った物語となって、親近感のある土地に感じられるから不思議なものです。

ちなみに県名も現代の名前で呼ぶよりも、旧国名で呼ぶ方が好きです。石川県というよりも加賀と呼ぶ方が好きなのです。これは大日本帝国海軍の軍艦の名称が旧国名だったということも影響しているかもしれません。埼玉というより武蔵、青森というより陸奥、奈良というより大和と呼んだ方がロマンを感じませんか?

ところで先日、越後、越中、越前と車中泊の漂泊を続けていて、ふと気づいたことがあります。あれ、ここ前中後になってるな、と。越という言葉に対して前・中・後になっています。そういえばこのような場所は他にもあります。備前、備中、備後。前後だけなら、豊前、豊後。筑前、筑後。羽前、羽後。上下になりますが、上野、下野。そういえば我らが千葉県もそうです。上総、下総。

この命名の由来については、人に聞かなくても想像することができました。長らく都であった畿内地方から見て近い方が前、上。遠い方が後、下なのでしょう。

ところが千葉県だけが謎です。市川あたりの下総が地図の上に、市原あたりの上総が地図の下に位置しています。上総、下総って逆じゃないの?

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地球は「北が上」というのは、強烈な先入観

そもそも風土記とか律令制の時代の昔の人たちは正確な日本地図なんて見たこともありませんでした。生活感覚、徒歩感覚に頼って生きていたはずです。

それに対して現代人には地図があります。

ところで地図が北が上というのは強烈な先入観です。南半球の人間が大航海時代を制して地図を作成していたら南が上の地図ができていたかもしれません。南が上の地図でも特に問題ありません。

しかし実際には北半球の人間が大航海時代を席巻して、北半球には北極星という動かない方角を示す星があったことから、地図は北が上が常識、ということになりました。「太陽が昇ってくる東に神の国があるのだから、東を上に地図をつくろう」という考え方もあったはずですが、磁石が南北を指すという謎現象もあって、地図といえば北が上ということになったのです。北半球の人間が利便性を追求した結果が「北が上」の地図でした。ひらたくいうとその方が便利だったからです。

地球(大地)は「北が上」というのは先入観なのです。上総と下総の上下関係が逆だと思うのは「地図は北が上」という現代の常識がつくりだした先入観なのです。

昔の人の「徒歩感覚」からいえば、地図の上とか下という意識はあまりなかったと思います。その証拠に上野、下野は上下ではなく左右に並んでいます。北とか南とかいうよりも「暖かい地方」「寒い地方」という程度の意識だったでしょう。

※現代でも北が上の地図が発売されています。「アップサイドダウン世界地図」といいます。

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上総と下総の上下関係が逆と思うのは、北が上の地図の先入観から

つまり上総と下総の上下関係が逆だと思うのは、北が上、南が下だと思い込んでしまっている現代人の強烈な先入観のなせるわざということです。

当時の人の感覚に近づいて考えるならば、やはり畿内から近いところが上、遠いところが下のはずです。

しかし徒歩感覚からいってもやはり東海道を通って市川(下総)、市原(上総)のはずです。この理由だけはどんなに想像してもわかりませんでした。

さすがにこの理由は想像がつかなかったので、調べてみました。千葉県人として知っておくべき知識だと思いました。

千葉県の上総、下総が徒歩感覚からいっても逆転している理由は、当時の交通ルートが、ちょうど今でいう東京湾アクアラインや、東京湾フェリーのルートだったからです。

東京湾フェリー株式会社
東京湾フェリーは、久里浜から金谷まで約40分の東京湾横断快適クルージングができます。

このルートは、どちらも東京湾の出っ張り同士を結ぶ船の最短距離ルートです。アクアラインは、川崎と木更津(上総)を結んでいます。東京湾フェリーは、神奈川の三浦半島(久里浜)から、千葉県富津市の金谷(上総)を結んでいます。このあたりを浦賀水道といいます。この海上ルートを通るのが一般的だったために、千葉県の上陸地点を上総、その先の北側が下総になったということでした。

どうして江東区や江戸川区や船橋市を通らなかったのかというと、この地域が埋立地だったりして現代とはまったく状況が違ったからでした。徳川家康が三河・駿河から江戸への国替えを嫌ったのは、この地方が未開の湿地帯だったからだそうです。洪水も多かったので、利根川の東遷という大土木工事がおこなわれたのです。

なるほどそうだったんですか。よくわかりました。

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日本って島国なんだなあ

やりたい、かと思ったらイタリヤだった(笑)。他の国はエウロパと大雑把(笑)。

日本は古い時代から船をつかって移動していたんですね。たとえ正確な地図がなくても自分たちの国を「島国」だと思っていたのは間違いないでしょう。もともと倭人は、船で海を渡ってきた人たちの末裔かもしれませんしね。

いやあ、日本って、島国なんですねえ。

普段、海を見ないで暮らしている内陸部の千葉県人が、ずっと日本海に沿って海を見ながら越後、越中、越前と旅をしながら、そんなことを考えたのでした。

※あなたの常識をコペルニクス的に転換するため、お部屋のインテリアに「アップサイドダウン世界地図」を貼り付けてみるのはいかがでしょうか。

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