残酷なシティープロモーション。解体ショーのすすめ

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ネパールのダクシンカーリー祭り。儀式? 精肉工場?

ときどき寿司屋でマグロの解体ショーというのをやっています。大勢の人だかりができています。告知があれば、わざわざ解体ショーに合わせてやってくる人もいます。

私はネパールでダクシンカーリという街にわざわざ見に出かけていきました。カーリー神に血の生贄を捧げるというお祭りで、祈りの後に、持ってきた鶏や羊の首が斬られます。それで終わりかと思ったら、その後、裏方では首を斬られた羊や鶏が解体されていました。

肉が処理されているのを見て「なんだここは精肉工場じゃないか」と思ったものです。神に祈りを捧げ、生き物を殺し、それを食肉とする。イスラム教の「ハラル」と同じです。

カーリー神に祈りを捧げる儀式と思ったからわざわざ見に行ったわけですが、精肉工場ならば日本にだってあります。「日本でも同じことをやればいいのに」と思いました。

残酷なシティープロモーションとは、イヨマンテ祭りのような解体ショーのこと

イノシシやシカなど害獣を駆除して、ジビエ料理とするのが流行っています。マグロの解体ショーをわざわざ見に来る人がいるんだから、獣の肉だって解体ショーをやったら人が集まるんじゃないの?

アイヌのイヨマンテ祭りのように、殺害するところから見物させたら爆発的に人が集まるんじゃないだろうか?

これを私は残酷なシティープロモーションと名づけました。解体ショーを見せるのです。

マグロの解体ショーはよくて、羊の解体ショーはなぜ駄目なのか?

先日、私は山梨県にサクランボ狩りに行ってきました。たぶん百粒以上食べたと思います。しかし私は「これはちょっとズルいな」と感じていました。果実だけもぎ取って食べるというのは、植物を育てるという行為の中のベストな部分だけを体験するということです。

イロハ
イロハ

でもそれはお肉を食べるのも同じじゃない?

お肉でもズルいと感じるの?

なぜ私は肉だとズルいとは感じないのに、フルーツだとズルいと感じるのでしょうか?

それはおそらく植物の育っていく過程はしょちゅう見たことがあるのに、食肉動物が育っていく過程を見たことがないせいではないでしょうか?

命をいただいている過程を見せることは、必須

しかし確かにイロハさんの言うように、そもそも肉を食うということは、命をいただいているということなのです。しかし現代はそれが見えません

解体ショーを見るということは、命をいただいていることを知ることに繋がります。中学校の授業で見学させてもいいぐらいです。必要な過程ではないでしょうか?

とくに肉は、日本の場合、原形がわからないぐらい切り刻んでからスーパーに出品されています。しかし諸外国の場合、けっこう原形をとどめたまま売っています。それが国際スタンダードです。

気持ち悪がる人もいるんでしょうが、私がわざわざタクシーを一日借り切って、ダクシンカーリーまで出かけたように一定の観光需要があるはずだと思うのです。げんにマグロの解体ショーには人が殺到しているではないですか。魚はよくて獣はダメという理屈は成り立ちません。ウシや豚を殺しまくる西洋人が、イルカやクジラはダメというのが通用しないのと同じです。

シティプロモーションには奇策が必要。ジビエをやるなら、解体ショーも一緒にやれ

シティプロモーションには奇策が必要です。他と同じことをやっていたらダメなのです。受け入れがたい意見ほど、いい意見なのです。

とくにジビエで町おこしを考えているようなところは、解体ショーも一緒にやったら人が殺到するのではないでしょうか?

そしてジビエ料理はただで食わせるぐらいでいいと思います。どうせもともとが害獣駆除なんだから。

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