ボリース・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』翻訳ロシア文学は人名を統一したら読みやすくなる提案

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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翻訳ロシア文学は人名を統一したらどうだ?

『ドクトル・ジバゴ』タイトルだけは知っていました。そして一切の事前情報なしに図書館で本を借りました。そしたらあまりに分厚い本が来てびっくりしました(笑)。

図書館で予約した本を借りるときに困ったこと。「厚い」「古い」「旧字体」!!!

ロシア文学だったのも知りませんでした。ロシア革命を背景にした物語だということも。

なぜジバゴはラーラと別れたのか?

なぜアンチーポフは自殺したのか?

ここではそれを中心に語ります。それと……ロシヤ文学の和訳! 主人公の名前を統一せいよ! 読みにくいわ!!

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わざわざ呼び方を変えても、読者を混乱させるだけ

ロシアでは、相手に呼びかける「言い方」でその人物のあいだの親密感がわかる、といわれています。

だから原作のロシア語小説で、キャラクターの呼び方をいろいろ変えて呼ぶことは、二人の関係性を暗示しており、重要なのだそうです。

しかしわたしたち日本人は、その関係性がわかりません。どっちが親密なのかわかりません。

たとえばわたしはアリクラハルトですが、ハルと呼ばれるのと、ハルちゃん、アリ、アリハルと呼ばれるのと、誰といちばん親しいのでしょうか?

たとえば本作の主人公はもちろんジバゴ先生ですが、ジバゴと呼ばれたり、ユーラと呼ばれたり、ユーリーと呼ばれたりします。主人公ひとりだけならまだしもですが、この調子で二十人の登場人物が六十通りの呼び方で呼ばれるので、誰のことだかすぐにわからなくなってしまうのです。

原作の味も重要でしょうが、日本語訳ではキャラクター名は統一した方がいいと思います。すくなくともかなり読みやすくなります。

研究者にとっては呼びかけ方が重要で、たいていの翻訳者はロシア文学研究者(作家ではない)なので、そこには非常にこだわりがあるんでしょうが、一般読者からすると読みにくくて仕方がありません。

わざわざ呼び方を変えられても日本の読者には肝心のふたりの親密度合がまるでわかりません。読者を混乱させるだけではないでしょうか?

アントニーナがトーニャと呼ばれ、ラリーサがラーラと呼ばれるのはギリギリわかるとしても、ジバゴが突然ユーラと呼ばれると、別人かと思います。

一人の人物が三通り以上の言い方で呼ばれることは、あまりにも読書に負担をかけます。

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もはやエンターテイメントとはいえないレベル。アンタ誰? 上杉謙信です。

ときどき日本の歴史小説などで、長尾虎千代、長尾景虎、上杉正虎、上杉輝虎、のことを、ぜんぶ「謙信」で統一している読みやすい本がありますが、あの感覚です。

主人公の謙信ひとりだけならまだいいのですが、周囲の人物も改名していますので、戦国時代の名まえを時代時代でリアルに追及されたら、たまったものじゃありません。

全員がこの調子でやられるととても読めません。作品がぐちゃぐちゃになります。もはやエンターテイメントとはいえないでしょう。

このブログでもユーリとか、ユーラとか、いろいろないい方で呼ばれるドクトル・ジバゴのことはジバゴと統一して呼びます。

そうすりゃどれだけわかりやすくなるか。

これはドストエフスキー作品などでも同じことが言えます。

ロシア文学の翻訳者さんよ、ちょっと考えて!!!

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『ドクトル・ジヴァゴ』のあらすじ

正直に言うと『ドクトル・ジバゴ』のあらすじはたいしたものではありません。ロシアの革命期に、主人公ジバゴがラーラという女性を愛し、すれ違うというだけの話しです。ただこの「ロシア革命」というところが読者の興味をそそるところなのです。もしも作品背景のロシア革命がなかったならば、ドクトルジバゴという作品はとても凡庸な作品になっていたことでしょう。

古今東西、自分の利益のために政変、革命を起こそうとした人はたくさんいますが、全体の利益のために革命を起こそうとしたのはロシアの革命がはじめてでした。結果は無残な失敗に終わりましたが、新しい世界を夢見てそれに人生を賭けた人たちがいました。かつてこの地球上にそういうひとつのムーブメント、お祭りがあったのです。

とくに日露戦争から第一次世界大戦、戦争に疲弊した貧しい労働者たちが、ツァーリを倒して自分たちの社会主義国家を作ろうと革命を起こすところは、ロシア人の可能性を感じずにはいられません。

たとえば現在、ロシア・ウクライナ戦争が進行中です。私は自分の著書『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』の中で、フランスやロシアが国土をアメリカに売ったような領土売買という手段はいまだに有効だと述べました。買戻し特約を付けた領土売買で、最大多数が納得できる形で終戦に導けるんじゃないかと提言しています。買えないなら力で奪うしかありませんが、買えるならお金でほしい土地を買えばいいのです。現実にかつてロシアはアラスカをアメリカに売っています。フランスはルイジアナ州を、メキシコはアリゾナ州を、スペインはフロリダあたりをアメリカに売っているのです。アメリカは戦争せずに国土をお金で買いました。売買というのはこの社会のベースです。もちろん領土と領土の物々交換という手もありますが、物々交換よりも金銭売買のほうが洗練された手ではないでしょうか。

ロシア・ウクライナ戦争のいい和平案を世界中の誰も思いつくことができないのは、ロシア・ウクライナ双方にメンツがあるからです。どちらかの顔を立てると、どちらかの顔を潰すことになるからです。でも商取引ならメンツをつぶすことにはなりません。金銭取引は対等だからです。戦争に負けたらメンツ丸つぶれですが、少々高い買い物をしたとしてもメンツはつぶれません。

そしてこれは私の著作には書けなかったことですが、実はこの戦争が最大多数が納得できる形で終わることができるのは、ロシアに政変、革命が起きた時ではないかと言われています。第一次世界大戦の時のようにロシアに政変が起こって戦場から兵士が撤退し、ロシアは新しい国に生まれ変わる。ロシア人にとってもウクライナ人にとっても最大限納得できる終戦のカタチだと思います。

その可能性があるのかないのか、当時と今は何が違うのか。そう言った目で『ドクトル・ジバゴ』を読んでみるのも面白いでしょう。

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このブログの筆者の著作『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』

戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての感想と提言。

『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか?
●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか?
●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。
●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。

ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。それに反する行動は人類全体に否決される。いつかそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。

https://amzn.to/3HtpkcQ

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ボリース・パステルナーク『ドクトル・ジヴァゴ』の魅力・あらすじ・解説・考察その1

芸術は怯むことなく死について思索し、それによって怯むことなく生を創り出してきた。

もし生活の些事、具体的な仕事や心配事がなかったら、彼は気が狂っているところだった。

われわれはこの現代に何もしないで生きようと思ってのことなのだ。そしてなんとかしてかつての祖父の森や工場の機械、財産の処分に加わろうということなのだ。

ロシアにおける所有財産の歴史は終わったのだ。すでに過去の前世代で蓄財の欲望とは決別したのだ。

彼のすべての行動に見えていたその才能は、模倣の才能であった。

わたしが囚われの身であることに対して、家族から、息子から、家から、仕事から、わたしを解放したということに対して、あなたにまだ感謝しろとでも言うのですか。

ドクトル・ジバゴは医者であり、エスタブリッシュメントです。だからこの共産革命には反対の立場をとっています。だから本書はノーベル文学賞を受賞しているにもかかわらず、ソ連では長らく発禁でした。

どうか沈黙してわたしをそっとしておいてください。わたしにはただただぐっすり眠る権利があるのです。

おお、トーニャよ、わたしのあわれな乙女よ。きみは生きているのか?

こめんなさい、兄弟たち、罪をゆるしてください。二度としません。破滅させないでください。殺さないでください。ぼくは生きたい。死ぬには若すぎる。ああ……お母さん、お母さん、ぼくはおしまいだよ。

しかしがっかりするな。歴史がすべてを明らかにしてくれよう。子孫たちが彼らの悪行を公開の広場で杭に縛り付けて曝してくれるだろう。われわれは世界革命の夜明けに、理想の殉教者として死んでいく。精神の革命万歳。全世界の国家廃絶主義万歳。

もし彼がいま森の仲間から去ろうものなら、銃殺された者たちと同じ運命が待っていた。

いつまでも飢えているくらいなら死んだ方がましだ。敵の手にかかるよりは森の獣に食われた方がましだ。

不具になった男はまだ息をしていた。右腕と左足が切断されていた。恐ろしい血まみれの肉塊になって切断された片腕と片足が彼の背中にくくりつけられ、それに板切れがついていて、赤軍部隊の残虐行為に対する仕返しであると書かれていた。

市中はうめきばかりだ。生きた人間を鉄なべで煮ている。生きた人間から靭帯を切っている。おかまいなしにニワトリを殺すのと同じだ。あるものは吊るし首、ある者は銃殺、ある者は尋問。鞭打ちし、傷に塩をすりこみ、熱湯をかける。

自分が死んだら身内の運命がどうなるかというたえざる恐怖が彼の中で途方もなく肥大した。彼は、彼らをこの先の苦しみから逃れさせ、自分自身の苦しみを減らすために、思い余った末に自ら彼らに手をかけた。妻と三人の子供を剃刀のようにもっとも鋭い斧で切り殺した。最愛の息子に木彫りの人形を掘ってやった斧だった。

夜明けに彼は恐水病にかかって狂った動物が自分自身から逃れるようにキャンプから姿を消した。

反乱者の銃殺、パルィフの妻子殺し、血まみれの打つ殴るの暴力や殺人、白軍と赤軍の蛮行は残忍さを競い合い、相互に報復を増大させていた。血で吐き気がし、血は喉元までこみ上げ、目は血で腫れあがった。

彼の背負い袋には黒パンの食い残しの耳と、ラードの塊がひとつだけだった。

人は人にとってオオカミである。旅人は旅人を見ると方向を変え、鉢合わせすると自分が殺されないために相手を殺した。特殊な例では人肉食いが発生した。動物の獣性が効力をあらわした。人間は洞窟時代の歴史以前の夢をみていた。

千篇一律の繰り返しが行われていることに眩暈がした。これらの見出しはいったいいつの年のものだったのだ?

闇屋たちに銃殺にいたるテロルの厳しい手段をとらないかぎりは飢餓からの救いはないだろう。——なんといううらやましい盲判断だろう。もう久しく穀物はないというのに、どんな穀物の話しをしているのだ? それはもはや存在していないというのに。

きみは今もまだ彼をとても愛しているのだね。だってわたしは彼に嫁いだ身だもの。彼とくらべたら私など無に等しいわ。それがわたしの罪。

ぼくは気が狂うほど、われを忘れて、限りなく、きみを愛している。

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どうしてラーラを愛したのか?

ジバゴが人妻ラーラを愛するようになるのが唐突に感じました。あれほど家族思いだったジバゴがなぜ?

もともとラーラに憧れていた部分はありましたが、彼女に恋するようになったのは、一緒に過ごす時間が長くなってしまったのが、最大の原因だったようです。

あるときは医者と看護婦として。あるときは貧しい共産革命からの避難者として。

力をあわせなければ、生きのびられないような過酷な状況でした。力をあわせて生きていこうとする中で、恋に発展します。

しかしジバゴはトーニャとの家庭のことを捨て去ろうとまではしません。それは後段に明らかとなります。

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ボリース・パステルナーク『ドクトル・ジヴァゴ』の魅力・あらすじ・解説・考察その2

社会全体の革命と社会改変とともに無に帰してしまったわ。あらゆる日常生活がひっくり返され破壊されたの。

残されたのはただ一つ、心の優しさなの。そしてわたしたちはこの消え去った奇跡を記念するために、いま呼吸し、愛し、泣き、そして互いに支えあい、互いに寄り添っているの。

ドクトルの部屋には人が住みつき、家財はきれいになくなっていた。

ヴァーシャは頻繁にドクトルを批判するようになった。関係は損なわれた。ついに彼らは絶交し、別れた。ジバゴは移ってきてからは医師の仕事をやめ、不潔でむさくるしい人に一変し、知人に会うこともやめ、困窮し始めた。

あんたがうまくいかなかったのは何もわたしのせいじゃありませんよ。自分の責任ですな。シベリアくんだりまで逃げ出し、あの危険な時期にお屋敷を捨てるべきじゃなかったんです。身から出た錆だね。

われわれの圧倒的多数は、良心をたえずゆがめ、それがシステム化されることを要求されている。来る日も来る日も、感じていることと反対の自分を現わしていて健康に影響がないはずがない。愛していないものを弁護し、自分に不幸をもたらすものをよろこんでいるのだから。

流刑のついてのきみの話し。きみがそこで成長し、流刑がきみを再教育したという話しは聞くに堪えなかった。これはまるで馬が、自分は馬場で一人調教したというようなものだ。

きみほどの人間が無益に滅びるなんて恥ずべきことだ。

生きることはつまり常に懸命になって前に向かって、最高のものに向かって、完璧に向かって進むことであり、それを達成することだ。

ジバゴの失踪。民警に届け出るわけにはいかなかった。現在の考え方からするととうてい模範的な市民とはいわれない人間のことを当局に想い起させないためだった。

突然、体の内部に未曽有のとりかえしのつかない痛みを感じ、何かが体の中で壊れ、万事休すだということを感じた。

雪の中で別れた。あなたはわたしに良かれと思って精いっぱいしたのよね。でもそのときから何もかもが悪くなり始めた。

悲しみと苦しみで心の平安がなかった。

ラーラは外出し、二度と帰ってこなかった。路上で逮捕されたに違いなかった。彼女は死んだか、あるいは強制収容所のひとつで消息がたえた。

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なぜラーラと別れたのか?

ラーラは好きでもない、かつて殺そうとしたこともあった、自分の操を奪った相手であるコマロフスキーにあずけられて、騙されたかたちでジバゴと別離をむかえます。なんで?

ラーラの命・生活も、ジバゴの命・生活も両方守られるという、おいしい提案を蹴る理由がよくわかりませんでした。そんなにラーラがパーシャを恋しがっている描写もなく、明らかに嫌がっているというのに。

ジバゴから見ても、人妻を口説いた倫理観でもなさそうですし、もとの家庭にそれほど戻ろうとしていたわけでもない。芝居風に大袈裟にラーラとの永遠の別離を悲しむのですが、そんなに好きなら、もうすっかり疎遠になっているトーニャ家族を捨てて、ラーラと一緒になればいいのに。

そう思いません? ラーラもすっかりその気になっているというのに。なぜ愛するラーラと、彼女を騙すようにして別れたのか、わたしには正直、よくわかりませんでした。まあ、それがすんなりわかるようでは謎がなく、文学的な深みもないのかもしれませんが。

私だったらあのような行動はぜったいにとりません。別れた後、ラーラは幸福になるならともかく、不幸になります。それは葬儀で彼女自身がそう告白しています。

ジバゴが元妻のところに死ぬ気で帰るならともかく、新しい女とのあいだに二児をもうけています。だったらラーラと過ごせばよかったんじゃないですかね。それが正しい判断なのではないでしょうか。

歪んでしまったものの心は、歪んでいないものにはわからない。これはそういうことなのでしょうか。

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なぜアンチーポフは自殺したのか?

これがもうひとつのwhyでした。なんで自殺しちゃうのよ?

自分から捨てたラーラといい仲になったジバゴを嫉妬しながら、翌日、パーシャ・アンチーポフは自殺してしまいます。もう逃げきれないと観念したからかしら?

自分の人生は失敗だったと絶望したからでしょうか?

そのように想像することはできますが、はっきりとした自殺の理由がわかりませんでした。まあ、それがすんなりわかるようでは謎がなく、文学的な深みもないのかもしれませんが。

歪んでしまったものの心は、歪んでいないものにはわからない。これはそういうことなのでしょうか。

こうして疑問だけが心の中で延々と繰り返される。『ドクトル・ジヴァゴ』はそんな作品でした。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
https://amzn.to/3CaR81P
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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