POORISM。プアイズム。貧乏主義者(ビンボー主義)

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『バックパッカー・スタイル』『海の向こうから吹いてくる風』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』Amazonキンドル書籍にて発売中です。

POORISM。プアイズム。ビンボー主義

タイタニック』という映画をご存知でしょうか。豪華客船の「上層階のお金持ち」よりも「最下層の貧乏人」の方が人生は楽しい、という映画でした。違いましたっけ?

ヒロインのローズはお金持ちの暮らしにうんざりして死のうとしますが、貧乏人のジャックと知り合って、貧しい人たちの暮らしの中に人生の楽しみを知ったのでした。

世界各国を旅してきた私はときどきお金持ちと勘違いされることがあります。たしかに交通費はたくさん使っていますし、けっして貧乏人ではありません。しかし飛行機はLCCですし、ホテルは安宿です。移動はバスや電車が基本ですし、夜行便を使って宿泊費を浮かせることを常に考えています。バックパッカーの多くは自分のことをお金持ちとは思っていません。むしろ貧乏人だと思っているはずです。

実はバックパッカーの楽しさの大半は、お金を使わないことから生まれます。ツアー旅行者がバスで移動するところを、バックパッカーは歩いて移動します。そっちの方がおもしろいから、そうしているのです。

同様に、先進国よりも発展途上国のほうが楽しいから、貧しい国ばかりさまよい歩いています。この感受性にはすこし説明がいるかもしれません。

ただ通り過ぎて眺めるだけならば、高級住宅地よりも、貧民窟のほうが、ずっとおもしろくありませんか?

高級な場所ほどプライバシーが確保されていて何も見えません。しかしスラムでは人間の姿がむき出しになっています。貧しさは、人間を素朴にします。人間は貧しいほどわかりやすい存在になり、文明的になればなるほどよくわからない存在になります。

なぜ発展途上国のほうが旅して楽しいのかと問われたら、行動が生きることに直結しており、生きることがむき出しのところが面白いのだと答えるでしょう。貧しいほど生活が原始的でわかりやすく、「メシを食うために生きている」と実感できます。しかし豊かでなんでもすぐに買える世界で暮らしていると、往々にして何のために生きているのかわからなくなってしまうのです。

バックパッカーが豊かさとは何なのか考えさせられるのは、豊かな国を歩いている時ではなく、貧しい国を歩いている時です。

多様性という意味でも、貧しい国のほうが興味深いことが多いものです。ある国が経済発展すると、だんだんアメリカに似てきます。日本に似てきます。すると面白くなくなってくるのです。見たことのある市街地、見たことのある服装、知っているルール、知っているマナー、発展するほどそうなります。しかし通り過ぎて眺めるときにそれでは面白くありません。ホームタウンと違っていたほうが、いろいろな意味で面白いに決まっています。

バックパッカーは、このように遊んでいる割にはお金を使っていません。逆にいえばお金を使わないからこそ遊ぶことができるのです。このスタイルを私は英語でPOORISM(プアイズム)と名付けました。貧乏のpoorと、主義を意味するismからなる私の造語です。日本語ではビンボー主義と呼んでいます。

自宅ほど快適なホテルはない

ビンボー主義者の私ですが、これまでにリッチなホテルに泊まったこともあります。インドではマハラジャが泊まるようなスーパーリッチホテルにステイしました。しかし、どれほど豪華なホテルでも自宅よりも快適だということはないのをご存じでしょうか? そもそもこの世の中に自宅よりも快適な宿泊先なんてあるでしょうか?

たとえばラスベガスのカジノホテルに宿泊すれば世界一の夜景が楽しめます。ハワイのオーシャンビュールームからは海に沈む夕陽が見られるでしょう。広いお風呂にも入れるかもしれません。しかし所詮旅先ですから、そこに愛用のシャンプーはないし、着がえる服の選択肢も限られます。読みたい本はないでしょうし、ゲーム機もありません。愛用の椅子もパソコンもありません。加入している動画サブスクも見られません。どんなリッチなホテルでも、そこはやはり自宅ほど快適な場所ではないでしょう。

僕らが旅にでる理由

それほど自宅が一番なら、どうして旅に出るのでしょうか?

答えは「なぜ山に登るのか」と聞かれるようなものです。

私は登山もやるのですが、正直にいうと、山の上には何もありません。下界にあるすべてがありません。ベッドも、トイレもない。音楽も、着替えも、食料もありません。下界の暮らしがどれほど恵まれているか、それを実感するために山に登るといっても過言ではありません。不自由がなければ自由がわかりません。抑圧があるからこそ、解き放たれたときの喜びがあるのです。

世界一快適な自宅を離れて旅をするのだから、旅先のホテルぐらい、ちょっとぐらい不自由だっていいと考えるのが、バックパッカースタイルです。何もかも快適だったら自宅を離れる意味がありません。ホテルなんか、どうせ目を閉じればどこだって同じです。安宿で十分です。

ビンボー主義と、貧乏とは違う

私のかかげるプアイズムというのは貧乏そのものとは違います。貧乏というのは買いたいものを買うお金がない人のことですが、プアイズムは買うお金があっても買わない主義のことです。

買いたいものがない人、モノに興味がない人はビンボー主義者だといえるでしょう。「人生に必要なモノはすでに持っている」と考えている心の豊かな人はビンボー主義者です。なぜなら人生に必要なものはそう多くはないからです。

ビンボー主義者は、買いたいものを我慢できずに買うのではなく、熟慮の上で買わない選択をします。なぜならこの世界では、どこかで物欲を断ち切らない限り、欲望にはきりがありません。足るを知る者こそビンボー主義者だといえるでしょう。

貧乏主義者はあえて貧乏を楽しもうとする姿勢をもっています。リッチなグランピングよりも、必要最低限でやるただのキャンプの方が楽しいと思う感覚といえばわかりやすいでしょうか。そこがミニマリストとの違いです。

私は、高級ホテルよりも、安宿のほうが好きです。リッチなホテルというのはマリオットだろうとヒルトンだろうとシェラトンだろうとどこも似たりよったりで、それほど特徴がありません。すべて及第点で快適な反面、ぜんぜん記憶に残りません。ところが安宿は千差万別でバリエーションに富んでいます。エアコンがなかったり、蚊に襲撃されたり、変なにおいがしたりしますが、個性があって忘れられません。安くていい部屋もたくさんあります。いい部屋を引き当てられるかどうかはギャンブルのようなものです。翌朝になってみないと結果はわかりません。そこに一喜一憂することになるのです。そのギャンブル性がまたおもしろかったりします。

たまには不自由するのもいいものです。リッチなホテルでコーヒーを飲んだことはすぐに忘れてしまいますが、極寒のネパールの安宿で防寒着を何枚も重ね着して飲んだ熱いチャイのことは一生忘れません。

高級な場所よりも、貧しい場所の方がショックを受けたり、感動したり、記憶に残ったりするものです。そういう感覚のことをプアイズム、ビンボー主義と私は呼んでいます。

いちばんすばらしいものはすべて無料

リゾートホテルの宿泊代はどうして高いのでしょうか?

窓から海が見えるなどの付加価値に、人は多くのお金を支払っています。しかしベランダから海を見るくらいなら、自分の足で波打ち際まで歩いていけばいいと考えるのがバックパッカースタイルです。そのほうが目の前に大きな海がひろがっています。波の音も大きく聞こえます。サンダルを脱いで海に入ることだってできます。窓から見るより、その方がずっと海を実感できますよ。それがバックパッカーのやりかたです。

高級ホテル以上の体験が無料でできるのに、なんのために高いホテル代を払っているのかわかりません。太陽も風も海も空も山ものんびりとした時間も、人生においてもっとも素晴らしいものは、誰しもに平等にあたえられています。もっとも素晴らしいものはすべて無料なのです。

サハラ砂漠で見た朝日も、エーゲ海で見た夕陽も、アリゾナを渡る風も、エジプトで輝いていた星も、いちばんすばらしいものはいつも無料でした。

ビンボー主義者はそのことをよく知っています。

プアイズムの極意。お金を節約することは、稼ぐことと同じ

もっともすばらしいものは無料だと自覚することで、貯金残高を無駄に減らさずに旅に出て、すばらしい経験をすることができます。

この考え方、感じ方こそプアイズムの極意のひとつです。節約することはお金を稼ぐことと同じだという感覚です。

高級ホテルに泊まってホテルのレストランで食事をするよりも、地元のホテルに泊まって地元の食堂で食事をしたほうが楽しいものです。地元の庶民料理は高級ホテルよりも安くて特色ゆたかです。おいしい食べものは意外と安いものです。おいしいから普及し、普及するから安くなるのです。高くなければ美味しくないと思うのは間違っています。

これがプアイズムです。お金を使わずにすばらしい経験をすることができるのです。

貯蓄残高目線でいえば、節約することは、カネを稼ぐことと同じです。

モノを買わなくなった。物欲が消えた。

放浪の旅人生活は、私をビンボー主義者にしました。バックパッカーはすべての荷物を自分で運ぶため、必要最低限のものしか運べません。荷物が重くなると結局辛い思いをするのは自分です。自分のために本当に必要なものを厳選し、それだけを持ち運ぶようになります。それがバックパッカーのスタイルです。

キャンプ愛好家は、必要最低限の装備しか運べない中、あえて原始的な不便さで自然と向き合って楽しもうとする人たちですが、あの感覚に似ています。厳選したギア(相棒)だけに囲まれているというスタンスはビンボー主義者そのものです。

新しいものを買わないのは、ケチだからではなく、古いものへの愛情・愛着が深いから

厳選されたギアを相棒に旅をしていると、ほんとうに何も買わなくなります。なにかを見ても欲しいという気になりません。物欲がなくなっていきます。ヘビーローテーションでボロボロになったものでも平気で使うようになります。ときどき誰かに「新しいのに買い替えたら?」と言われますが、どうしてもその気になれません。なんで買い替えたくないかというと、ケチだからではなく、愛情深いからだと思っています。

私にとって新しく物を買うということは、古い物とお別れするのと同義です。新しいものを買うということは、一軍選手を交代させるということでしょう。ローテーションから外れた古いギアは二軍行きとなり徐々に使う機会がなくなります。使わなくなるとモノは急に色褪せてしまいます。

ビンボー主義者にとって、新しいものを買うことは、今使っているものを捨てるのとほぼ同義です。買うのが嫌なのではなく、捨てるのが嫌なのです。今使っている愛着のあるギアと別れる覚悟がないかぎり、新しいものを買おうという気にはなりません。

たとえば犬を飼っている人が、飼い犬が老犬になった頃、新しい子犬を買ったとしたらどうでしょうか? 老犬を今までどおりに全身全霊で愛していると本当に言えますか? 今まで100%だった老犬との時間の多くは子犬と費やすことになるでしょう。時間を割くのは愛情を割くのと同じです。

独身女性が人生のパートナーを選ぶとしたら、じゃんじゃん新しいものに買い替える人よりは、手持ちの古いものを大切にする人のほうがいいのではないでしょうか? 古いものをどんどん捨てて新しいものに買い替える人は、女性(つまりあなた)も新しいものに替えるかもしれません。

古いものへの愛情が、新しいものを買うことにセーブをかけているのです。こうして私はモノを買わなくなりました。物欲がないこともプアイズムの特徴のひとつです。

最も大切なのは「人生の経験」

最も大切なのは、人生の感動です。私たちはすばらしいことを経験するために、この世に生まれてきたのです。お金を使わなくても感動にめぐりあうことはできます。そこが貧乏主義者の腕の見せどころです。

もしも自宅の荷物が、バックパックにすべて収まるぐらいになれたなら、地球を我が家にして、いつでも旅に出ることができます。どこにいても、そこが旅先。それが理想ですが、そう簡単なことではありませんね。

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