根拠のない自信。自信はたいてい根拠のないもの

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「なにその根拠のない自信?」自信とは根拠のないもの

よく「なにその根拠のない自信?」という言葉を聞くが、自信というのはたいてい根拠のないものではないだろうか。

自信というのは自分を信じるという意味である。たとえば「成功できる」とか「何かを成し遂げることができる」と自分で自分を信じる。それが自信だ。

「不合理ゆえにわれ信ず」信じるということに根拠はない。

そもそも信じるということに根拠はない。キリスト教を信じることに論理的根拠はありません。むしろ「不合理ゆえにわれ信ず」といって信じることと、根拠は関係ないものなのです。

キリスト教の本質は、この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということ

イエスの復活が根拠のあるものだったら、なにも信じる必要はありません。誰もが最後の審判の日に粛々と復活すればいいだけの話しです。

同じように「成功できる」とか「何かを成し遂げることができる」ことに根拠があるのであったら、なにも自信なんていりません。根拠どおりに粛々と事態を進行させていくだけです。

つまり「成功できる」とか「何かを成し遂げることができる」自信について、根拠なんかないのです。もともと自信というのは根拠のないものだからです。

他人に信じてもらう必要はない。自分で自分を信じればそれでじゅうぶんだ。

ところが他人には「成し遂げられる」とは思えません。成功する自信があるなら根拠をしめせ、ということになります。でもそんなものはありません。だから「なにその根拠のない自信?」ってことになるのです。

「なにその根拠のない自信?」

このセリフをいうのは常に「他人」です。「自分」ではありません。

他人には信じてもらう必要がないのです。自分で自分を信じればそれでじゅうぶんです。

それが「自信」です。根拠のないのが自信なのです。

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