旅やゲームが楽しいのは「非日常」だから
旅やゲームの楽しさには「非日常」という要素があります。非日常にはイマジネーションが必要です。砂漠や雪山や、そして神やドラゴンの住む世界こそが非日常なのです。
このページには旅情を大いに盛り上げてくれた旅先で出会った竜・ドラゴンの写真をアップしています。
ドラゴンスレイヤー。竜殺しは英雄の条件
東洋の竜は雨を降らせたりする自然の化身であり神に近い存在ですが、西洋のドラゴンは要するに悪魔です。
聖書に悪魔=ドラゴンだとはっきりと書いてあります。
ミルトン『失楽園』で悪魔サタンを倒すのは大天使ミカエル(ミシェル)。ドラゴンを倒している人物に羽根が生えていたら、かなりの確率で彼は大天使ミカエルです。
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世界遺産モン・サン・ミシェルは、聖ミカエルを称えた教会ということになります。尖塔の上には大天使ミカエルの像が立っているのです。
ドラゴン退治が英雄なのは、ただたんに「強い」というだけではなく、ドラゴン=悪魔を退治するということは「キリスト教の戦士」「聖なる存在」という意味でもあります。
ハリー・ポッターも竜に打ち勝って、勇気を証明していました。竜に勝つということは西欧人にとって何か重要なことを証明したことになるのでしょう。強さや勇気や信仰です。ドラゴン退治はその象徴なのです。
ジョージア(グルジア)の守護聖人ゲオルギウス(ジョージ)
かつてグルジアと呼ばれたジョージアという国があります。ジョージアの国章には竜を殺す騎士の像が描かれています。ここに描かれているのは聖ゲオルギウス。ゲオルギウスを英語読みにするとジョージになります。もちろんキリスト教の聖人のひとり。ここからわかるとおりジョージアはキリスト教国。コーヒーはジョージア・コーヒーを愛飲しています(嘘です)。
アトリビュートとは絵画上のお約束。それがあれば誰か見分けられる象徴
日本には素戔嗚尊スサノオノミコトという竜殺しがいます。ヤマタノオロチ八岐大蛇を殺した高天原神族です。
しかし竜殺しのドラゴンスレイヤーとして世界的に一番有名なのはこのゲオルギウスだと思います。
私は諸外国で竜殺しの絵画・彫刻を見るたびに「ああ、これはゲオルギウスの絵だな」と思ってきました。
しかしたくさんの物語を読み進めてみると、『トリスタンとイゾルデ』で有名なトリスタン、ワーグナー『ニーベルンゲンの歌』で有名なジークフリートなどがいます。彼らもドラゴン退治で名高い人物たち。私がゲオルギウスと思っていた竜殺しのうちの何人かはトリスタン、ジークフリートかもしれません。彼らドラゴンスレイヤーを見分けるアトリビュートはないのでしょうか?
アトリビュートとは絵画上のお約束です。その人物であることの象徴のようなものです。それがあれば誰か見分けられるアイテムをアトリビュートといいます。
たとえば聖母マリアのアトリビュートは「赤い服に青いショール」です。どんなに田舎の百姓女に見えても、彼女が「赤い服に青いショール」だったらかなりの確率でその人は聖母マリアを表現しているのです。
バプテスマのヨハネのアトリビュートは「長い杖のような十字架」です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』(ルーブル所蔵)は「どっちがイエスで、どっちがヨハネかわからない」と物議を醸しました。私だったらさらに「どっちがマリアで、どっちが天使(ガブリエルかラファエル)かわからない」と付け加えたでしょう。批判を受けて書き直したのが下の絵
ナショナル・ギャラリー所蔵版では、ちゃんとアトリビュートが描き込まれました。
「長い杖のような十字架」をもっている左側がヨハネです。天使はわかりやすく翼が描き込まれました。青と赤が反転していますが、ヨハネの方を抱くのが聖母マリアです。
このように誰でもその人物だとわかる象徴のことをアトリビュートといいます。
弱い者いじめ? 馬より小さいドラゴンを倒すゲオルギウス
私が世界で見てきた聖ゲオルギウスのドラゴン退治の絵には、ひじょうに印象的な特徴があります。
ドラゴン小っさ! 馬より小さいじゃん。弱いものいじめか?!
見ての通りドラゴンがとても小さいのです。馬より小さい。もしかしてこれはコモドドラゴンじゃないのか?
当時のヨーロッパにはまだ巨大爬虫類が生息していたのではないでしょうか。
人々から恐れられていた絶滅危惧種のオオトカゲを退治した実在の猟師ジョージさんが、キリスト教の聖人になってしまったのではないでしょうか?
これだけ小さいドラゴンなら檻に囲って飼いならせばいいんじゃないか? 貴重種を滅ぼすなんてもったいない!! コモドドラゴンだったら保護してください! ドラゴン、見たいです!!
巨大であってこそのドラゴンです。馬より小さい生物を殺して、それが英雄の偉業でしょうか?
ほらね。馬より小さいドラゴン……なんだかドラゴンがあわれに思えてきます。
またもう一つ「槍をドラゴンの口の中に突っ込んでいる」アトリビュートがあるなあ、と思っていました。
ところが『アーサー王と円卓の騎士』「トリスタンとイゾルデ」を読んでみると、トリスタンもドラゴンの口の中に槍を突き刺して殺しています。殺した後、ドラゴンの舌を切り取って退治したことの証拠にしているのです。
となると……この絵はトリスタンじゃないか? との疑問が生じてしまうのです。
聖ジョージは実在の人物。トリスタン、ジークフリートは架空のキャラクター
トリスタンが実在の人物かどうかは『王様の剣』エクスカリバーで有名なアーサー王が実在の人物かどうかぐらい疑わしいです。
しかしトリスタンは竜殺しを成し遂げるため、円卓の騎士の中で最高とされるランスロットよりも強烈な印象を残します。最高の円卓の騎士はトリスタンじゃないでしょうか?
ドラゴン退治にはそれほどインパクトがあります。
黙示録の世界をなしとげてしまうわけですから、聖人あつかいされるのも当然でしょう。
北欧神話ジークフリートの実在は、アルゴー船のイアソンの実在と同じ程度の確率でしょう。
私はこの砂の彫像は……ジークフリートじゃないかと思っています。
もうひとつベーオウルフという英雄もドラゴン退治をしています。しかしベーオウルフは死ぬ直前の最期の戦いでドラゴン退治をしているので老齢です。おそらく70歳前後。老人がドラゴン退治をしていたらベーオウルフかもしれません。この龍は火を吐く龍(火龍)とされていますがファフナーのような名前はありません。
ちなみにベーオウルフが若い頃はグレンデルというトロールの一種の怪物・巨人を倒しています。ドラゴン退治よりもグレンデル退治の方がベーオウルフの場合は有名です。実在の人物かどうかは……不明です。なにせドラゴン退治ですからね。素戔嗚尊は実在したでしょうか?
それに対して聖ゲオルギウスは実在の人物とされています。ジョージアの国章になるほどですから実在は間違いないでしょう。だって架空のキャラクターを国章にしますか?
もし架空のキャラクターを国章にもちいるとなったら、それは孫悟空を神様として尊崇する道教レベルということになります。やがて日本も鉄腕アトムやドラえもんを国章にもちいる日が来たりして(笑)。
長い年月のうちにトリスタンとゲオルギウスはイメージが同一視されていったのだと思います。だから「馬より小さいドラゴンの口の中に槍を差し込む」アトリビュートは実在の聖ゲオルギウスだと考えてほぼ間違いないでしょう。
翼の生えたドラゴンスレイヤーは大天使ミカエル。馬より小さいドラゴンの口に槍を突っ込んでいるのは聖ゲオルギウスのアトリビュートだとわかりました。
ちなみにこの竜殺しの英雄ゲオルギウスですが、最期は毒を飲まされ、溶けた鉛の釜に入れられ、引き回しにされ、斬首してキリスト教に殉教しています。神の御加護がなかったかたちですが、弱い者いじめしたのが悪かったかな??
それでも……わからないドラゴン殺しはまだまだ存在します。
たとえばこれはベネチアのサンマルコ広場のドラゴン殺しの像ですが……この人物は誰なんでしょうか?
翼もないし、ドラゴンの口に槍を差し込んでいないので、この人が誰だかまったくわかりません。あいかわらずドラゴンはウマより小さいですけど(笑)。
アトリビュートを知れば知るほど絵画の世界を楽しむことができる。
「ドラゴン殺しが誰なのか」当てるゲームのコツがわかっていただけたでしょうか?
このようにアトリビュートを知れば知るほど絵画の世界を楽しむことができます。
世界にドラゴンが溢れていることは、リアルドラゴンクエストのイメージを刺激してくれます。日常を非日常にする魔法のようなものです。
わたしたちに冒険へのイマジネーションがある限り、ドラゴンは人々の心の中に生き続けるでしょう。