音楽はライフタイムのBGM

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

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音楽はライフタイムのBGM

忙しいこの現代において音楽だけを集中して聞いている人はどれぐらいいるのだろう。

私の人生に音楽は欠かせないものであるが、期待しているのはBGMとしての役割である。音楽だけに集中している時間はほとんどない。

今はポータブルオーディオプレイヤーがあって、たとえばランニングしながら音楽が聴ける。こうしてブログを書きながら、僕は音楽を聴いている。料理や掃除、洗濯だってウォークマンやスマホで音楽を聴きながらすませることができる。

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過去、南アルプス全山縦走をしたときも、ずっと音楽を聴いていた。塩見岳に登る途中、両手両足を使って山を攀じ登る場面があった。さすがに音楽を聴きながらでは危ないかと思ったが、どうせ落石の音がしてから避けようとしても避けられないし、千年崩れなかった山が私が攀じ登っているときに崩れるというのならばそれは神に選ばれたようなものである。音楽を聴きながらそのまま登った。

クラシック音楽なんて最高の作業用BGMである。いい時代になったものだなあ。

音楽は生きていくことそのもののBGMとして常に流れているものであってほしい。

しかし昔の人はオーディオ(蓄音機)なんてものがなかったわけだから、音楽が聴きたかったらマリアッチのような生歌、生演奏を聴くしかなかったんだろうと思う。

メキシコでマリアッチが生歌・生演奏を奏でていたが、あえて「マリアッチのリズムを聞かせて」と静聴しようという気にはなれなかった。BGMで耳に入ってくるぐらいがちょうどいい。

昔のクラシック演奏なんてオペラハウスみたいな場所で礼服を着て拝聴させていただく、という感じだもの。堅苦しくて嫌だなあ。私は音楽が大好きでクラシックもよく聞くが、椅子に座って他に何もできない状態で、ただ音楽だけを拝聴するというのはちょっと勘弁してもらいたい。

あくまでも何かほかの作業のBGMとして音楽を聞きたい。音楽は生きていくことそのもののBGMとして常に流れているものであってほしい。

蓄音機を発明したエジソンに感謝なのである。

生きがいを感じるには体を使うことが重要だと思う。体を使わない生活を何年も続けていると生きている喜びを忘れてしまいそうだ。 でも体を使うだけでは何かが足りない。そうリズムが、音楽が。

音楽は生きていくことそのもののBGMとして常に流れているものであってほしい。

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