チャイナファンタジー『封神演義』とは、どんな作品か。書評・魅力・あらすじ・解説・考察

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『西遊記』を読んだら、次は『封神演義』がおすすめです。

西天取経の旅を描いた中国最高のエンターテイメント『西遊記』を読み終えた後、どうしても読みたくなった作品があります。それが『封神演義』でした。

『封神演義』は『西遊記』と似た世界観を持っています。登場するキャラクターも両作品に共通する人たちが多々います。

さすがに孫悟空が登場するのは西遊記だけですが、哪吒太子、楊戬こと顕聖二郎真君、毘沙門天の托塔李天王・李靖、太上老君(老子)など、西遊記の冒頭で孫悟空が天界で大暴れしているときに彼を止めようとした大物が全員登場します。玄奘と悟空の旅を助けた観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩も、それぞれ別の名まえで登場します。それぞれ慈航道人、文殊広法天尊、普賢真人という名前で。

なんだか道教の人物のようですが、その通り、道教の人物です。この人たちは、この封神演義の大戦の後に仏教に帰依して、それぞれ観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩になるという後日談があります。

どうですか。『封神演義』読みたくなって来たでしょう?

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中華ファンタジー『封神演義』の作品背景

道教の祖、老子は紀元前571~471年頃の人といわれています。それに対して仏教の祖、ゴータマは紀元前566年から486年頃の人と呼ばれています。

つまり老子と釈迦は、ほぼ同時代人です。でも封神演義を読んでいると、なんだか道教の方が古い教えで、仏教の方が新しい教えであるかのように錯覚します。これは封神演義が中国の物語だからですね。中国の宗教があって、後からインドの宗教が入ってきた、ということになっています。封神演義では中国の神仙が手に負えなくなった時、西方から謎の道人があらわれて、彼らの窮地を救います。そういう構成になっています。

ご存知『西遊記』は、大乗仏教の経典がない大宋の国に、三蔵法師が天竺から仏典をもたらして世の中を仏教で救うというお話しです。玄奘や悟空は試練の後に仏教の如来の地位を手に入れます。中華に大乗を運ぶという功をたてて仏教界の大立者になるというわけです。

それに対して『封神演義』は、殷、周、秦、漢……と学校で習った中国王朝の最初の殷、周の交代期が、封神演義の作品の舞台となっています。殷というのは本来は商という国でした。商が滅んだあと、あきないをしながらさすらい人となった人たちのことを「商人」と呼んだそうです。商売人の語源です。殷というのは周から見た蔑称なのです。

だからこの物語は周が勝ち、商が負けることは最初から中国の読者はわかっているのです。『三国志演義』で蜀漢の国が勝てないことが中国人にははじめからわかっているように。

三国志の関羽雲長(道教の神様)

封神演義に登場する実在の人物としては、殷の側には「酒池肉林」「骨を砕き妊婦の腹を裂く」悪王の紂王。そして九尾の狐・千年狐狸精の化けた妲己。傾国の美女です。今では日本の那須で殺生石になっているようですが。

周の側には文王と武王、そして「釣り竿を垂れる老人」太公望呂尚こと姜子牙がいます。姜子牙が封神演義の実質的な主人公です。

それだけだと単なる『三国志』(漢が亡び晋が起こる時代の物語)なのですが、封神演義の面白いところは、殷、周に神仙が所属する道教の派閥が味方して、神通力による神仙・幻魔大戦を繰り広げるところにあります。

封神演義では、カトリックとプロテスタントの争いのように、闡教と截教という道教の二派が争っています。闡教は人間由来の道教で少数精鋭主義、截教は鳥獣や植物など森羅万象由来の多数派主義でした。滅びる商に着いたのが截教、新たに起こる周についたのが闡教でした。現実にはない宗派です。架空の道教内派閥をつくっちゃったんですね。この闡教と截教の神仙たちが繰り広げる孫悟空のような奇想天外な戦いぶりが作品最大の見せ場です。封神演義は中華のファンタジー小説なのです。

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封神台、封神榜、封神演義とは何か?

殷と周の戦いのほかに、もうひとつのミッションが姜子牙にはあります。元始天尊という大ボスが姜子牙にあたえた特殊任務でした。これは仙人と人間のあいだに神界を設けるというミッションでした。異世界創造です。この言い方からすると、仙界>神界>人界ということです。中国では神よりも仙人の方が格上なんですね。死んだ紂王なども神となります。人ならざる人、仙ならざる仙が死すれば、封神台に行くというのです。だから本作は「封神演義」というんですね。

誰が封神台に行くかは運命によって定められています。この氏名が書かれたリストを封神榜といいます。それを持っているのが姜子牙。あまたの英雄や神仙たちは殷周の戦いの中で死んでいきます。死ぬと魂が封神台へと飛んでいくのでした。

敵(殷)も味方(周)も、すごい奴はだいたい死ぬと封神台へと飛んでいきます。さすがに妲己は封神榜に載っていませんでしたが、殷の紂王も封神台で神となります。敵ながらすごい奴でしたからね。敵も神になるのがカオスの中国らしくていいと思いました。

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『西遊記』と『封神演義』はどちらが古い作品なのか?

さて、これほど『西遊記』と似た世界観をもつ『封神演義』ですが、いったいどちらが古い作品なのでしょうか?

封神演義の成立年は、中国明代。1573~1619なかばの成立だとされています。これに対して西遊記の成立年は、元末期頃(14世紀)に大枠の話が成立した後、いくらかの改編を経て、明代中期の16世紀(1570年ごろ)に成立したとされています。中大兄皇子の頃の話しが織田信長の頃に成立した、と以前解説したというわけです。

西天取経『西遊記』におけるスカトロジー(糞尿嗜好)、食人習慣、人身売買、道教と仏教

西遊記の方が封神演義よりも古い作品ということです。その証拠に斉天大聖と顕聖二郎真君の「変身追いかけっこ」そっくりのシーンが封神演義にもあります。後発だけあって如意棒のような武器、銀角のひょうたんのような吸い込み神器など、封神演義は西遊記を真似ている部分がたくさんあります。

ちなみに顕聖二郎真君(楊戬)や哪吒太子などは、西遊記や封神演義の成立以前から民間伝承されてきた神さまであり、両作品に登場するのですが、オリジナルキャラクターではありません。

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『封神演義』の魅力・あらすじ・解説・考察

紂王が妲己という悪女につきまとわれるようになったのは、女媧という中国の原初の女神(人類を創造したという最古の超重要神)を「なんと色っぽい女だ」「この女をわしの寝室にはべらせたい」と神に対して人間にあるまじき発言をしたことが原因でした。さすが帝王!

ギリシア神話でもアテナに蜘蛛にされたアラクネや、アポロンに生皮を剥がれたマルシュアスなど、神に対して傲慢な言葉を吐いたために罰せられるという物語がたくさんあります。そのパターンです。女媧が紂王を罰するために送り込んだのが妲己という九尾の狐でした。

封神演義には、拷問や処刑、人肉食など、けっこう残酷なシーンもあります。明という時代の中国の世相、風俗を知る意味でもこれからも現代風に改訂しないことを期待したいところです。

「国を思って述べた言葉も聞かず、妲己などの声に耳を傾けるとは」

肉の焼けるいやなにおいがあたりをただよう。梅伯が真っ黒な灰と化すまで燃やし続けた。

炮烙というのは、焼けた鉄に肌を押しつける人間バーベキュー拷問です。封神演義では発案したのは紂王ではなく妲己ということになっています。

姜皇后の片目をくりぬかせた。衣服は血で染まり、皇后は気を失って倒れた。

妲己の策略による皇后の拷問は目つぶしだけでは終わりません。さらに厳しい拷問にかけて姜皇后に偽の自白を迫るのです。そして火で両手を焼きました。手の皮が焦げ、骨が朽ち、異臭があたりをただよいます。やがて皇后は気を失ってしまいました。

さらに妲己は、巨大な穴に毒蛇を入れてそこに人を落とすという拷問や、伯邑考の手足を釘で柱に打ち付け失血死させ、その死体で肉餅をつくって、父親に食わせるというようなこともします。

また偽病の計において、病気を治せるのは、政敵の心臓(玲瓏心)だけだと紂王に訴えます。

「心臓をひとかけらだけくれと申しておるのだ。たいしたことではないであろう」

まるで『ベニスの商人』のシャイロックのようなことを言います。

そんなに欲しければくれてやる。男は剣で自分の胸を突き心臓をえぐりだします。心臓はぼとりと床に落ちたのでした。

このような妲己の願いを聞くことによる暴虐と政治放棄で、紂王は民の人心を失っていくのでした。

「酒池肉林」というのは、妲己に惚れられて迫られて拒否した文王の息子の詩「万民の精血酒池に流れ、四方の膏脂肉林に掛かる」が由来です。この王子は磔にされ、全身を刻まれて殺されてしまいます。殺されるだけでなく肉団子にされてしまいます。父の文王がそれを食うという人肉食エピソードの食われる側の悲劇の王子です。三国志演義にも、西遊記にも人肉食のシーンがあります。古代中国では人肉を食べるのは当たり前のことだったんですね。

「骨を砕く」というのは、若い父母から生まれれば老人でも骨髄液が充満し元気で、老いた父母から生まれると若者でも骨髄液が薄く寒がりとなるという珍説を確かめるために老人と若者の脚を切り落とすという残酷エピソードです。

また紂王のしわざではありませんが、頭を鋤で引いて殺すという処刑シーンがあります。

うわっ、残酷!! でも面白いぞ、封神演義!!

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父に反逆する子。親不孝の暴れん坊。スーパーヒーロー哪吒太子

紂王が人心を失っていく中、場面は変わってひとりの子供が誕生します。その名は哪吒太子。封神演義の神仙編がスタートです。

哪吒三太子は李靖(毘沙門天)の三男。わずか七歳で(孫悟空に如意棒を奪われたあの)東海竜王の子をぶち殺してしまいます。ガキンチョが大暴れをはじめるわけです。まるで孫悟空が天界で大暴れしたように。

このようなルールを守らない最強の無法者に、人は惹かれるものなのでしょうか。痛快です! 哪吒太子は中華圏では大人気のキャラクターだということです。息子の復讐をしようとする龍王にも怖気づくことなく戦いますが、なんと父親の李靖が先にビビってしまいます。元始天尊に言いつけるという龍王の告げ口の脅しに自分の立場を守るために李靖は息子を見捨ててしまうのでした。なんか情けないぞ毘沙門天!

哪吒は父母に累を及ぼさないようにするため、自害して遺骸を父母に返します。しかし彼を憐れんだ太乙真人によって「蓮の精」として復活させられます。哪吒の霊を祀る哪吒廟を「親不孝ものの廟だ」と叩き壊した父親の李靖に、復活した哪吒は怒って父を殺そうとします。軍神・毘沙門天の父さえ、暴れん坊・哪吒の力にはかないません。哪吒太子は風火二輪という丸い輪っかに乗って空を飛びます。この風火二輪というのは、忍者の水蜘蛛のように横でなく、一輪車のように縦に乗るようです。そして突くと火を吹く火尖鎗を操ります。しかし最大の武器は火尖鎗ではなく乾坤圏。ブーメランのように投げる武器です。古代インドのチャクラムがモデルでしょう。

怪物の息子に命を狙われ逃げる軍神。ようやく燃灯道人(西遊記の燃灯古仏)にもらった玲瓏塔によって、なんとか父は子の力を退けることができるのでした。玲瓏塔は敵を閉じ込めたり圧し潰したりできる最強の武器です。だから毘沙門天は宝塔を片手にもっているというのです。あの塔は息子の復讐にビビッて持ってたのか!! 毘沙門天が托塔李天王と呼ばれるのはそのためです。息子をビビりすぎだおまえ!

儒教により「長上を敬え」というガチガチの道徳観の中で、父に反逆し倒そうとする哪吒はダークヒーローとして拍手喝采を浴びているのでしょう。中華版エディプス・コンプレックス(少年が父親を超えようとする話し)といえるかもしれません

哪吒太子は戦う時に三面八臂の怪物となります。阿修羅のような三面六臂ではなく三面八臂です。ときどき八臂の神像がありますがアレ系です。腕が二本多いぶんだけ阿修羅よりも哪吒太子の方が強いということになりますね。その哪吒太子も西遊記では孫悟空にはかないませんでしたが。

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映画『アバター』のように、魔獣を乗り物にする神仙たち

その他、孫悟空の筋斗雲のような術も登場します。そもそも神仙は、四不像や、火眼金晴獣、五色神牛、黒麒麟などのキメラのような魔獣の乗り物に乗っています。こいつらは空を飛べるのが当たり前です。飛竜を乗りこなす映画『アバター』を彷彿とさせるものがあります。

火眼金睛というのは孫悟空と同じ特徴です。悟空の眼も赤目でした。

五色神牛というのは牛の乗り物です。菅原道真も牛に曳かれて大宰府に行ったそうです。ウシの歩き方は賢者っぽいからですかね。孫悟空の三強ライバルのひとり獨角兕大王の正体は老子の牛でした。

土遁といって、土を空中に放り投げると、その土と一体化して、土に宿る力を借りて、遠くの場所へ移動することができる技もあります。

また土行孫というちょっと孫悟空を彷彿とさせる棒使いのチビは、地歩術という地面に溶け込んで地面の下を移動する術を使います。処刑されそうになると楊戬は虫などに変化して逃げますが、土行孫は地面の下にスゥーッと逃げていきます。わたしはこの土行孫が登場キャラクターの中でいちばん好きです。

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宝貝(タオペイ)。中華ファンタジーの武器、防具、道具など。なんで貝なの?

西遊記における有名な道具、銀角がつかった敵を吸い取ってしまう瓢箪。あれみたいな敵を吸い取る系の武器も登場します。

神仙たちが使う武器、防具、道具は、封神演義では宝貝(タオペイ)と呼ばれています。

なんで貝なのかは謎ですが、貝はもともと生き物の一部で、海の底にあり、お金でもあり、美しく宝物にもなり、謎めいた空洞があることから、神秘的に考えられたものと思われます。

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おまえは誰だ? 南極仙翁は、寿老人

西遊記にも登場する南極仙翁は、日本でいう寿老人だそうです。ひょうたんのぶらさがった杖と、大きな桃が絵画上の特徴です。

なんと封神演義には、毘沙門天だけじゃなくて、寿老人まで登場していたのです。このように日本とのつながりを見ていくのも封神演義の楽しみ方のひとつです。韋護は韋駄天ですし。

ギリシア神話では軍神アレスがちっとも戦争に勝てませんが、中国でも軍神・毘沙門天はたいして強くありません。この戦争活劇において強いのは托塔李天王ではなくて、南極仙翁の方なのでした。味方にするなら毘沙門天じゃなくて寿老人ですよ!!

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楊戬は顕聖二郎真君。最強なのは太上老君。

封神演義には楊戬という何かやたらとすごい奴が登場します。この三つ目の神仙・楊戬の正体は西遊記にも登場する顕聖二郎真君です。

天界で暴れた孫悟空は、二郎真君とサシで勝負します。三尖刀と如意棒の対決ですね。しかし決着はつきません。変化して追いかけっこをしますが、捕まえることができません。太上老君に「金剛琢」を脳天に投げつけられ、悟空がバタッと倒れたところに、二郎真君の神犬・哮天が噛み付きます。悟空は犬にやられるのです。いわゆる犬猿の仲というやつですね。哮天が噛み付いた悟空を二郎真君が捕まえます。二郎真君はあの孫悟空を捕らえたのだから、最強神だといわれたりします。

でも実際には、悟空を捕まえることができたのは、太上老君と犬猿の仲の犬のおかげでした。

二郎神は、封神演義でも哪吒太子以上の活躍、強さを見せるのですが、けっして最強ではありません。けっこう負けたり、捕虜になったりしています。この辺は西遊記の孫悟空と同じです。悟空もしょっちゅう負けて観音様や太上老君に助けを求めています。そういう意味では最強なのは太上老君だといえるでしょう。軍神は弱い、というのが神話なんでしょうかね?

しかし封神演義には太上老君のさらに上がいます。太上老君と闡教の頂点である元始天尊。そして敵の截教のリーダー通天教主よりもさらに上がいるのです。太上老君の師匠という人が登場します。師匠にも師匠がいるのでした。この人が元始天尊と通天教主の争いを仲裁します。弟子は師匠にさからえないというのがいかにも中国的ですね。

さて伝説上の二郎神というのは誰の二郎(次男)かというと、なんと毘沙門天の次男だそうです。それじゃあ二郎神は哪吒三太子(三男)の兄ちゃんじゃん!! じっさいに封神演義では哪吒は二郎神を兄さん扱いしています。封神演義成立以前に存在していた神さまとしてはそういう由来なんですね。でも西遊記や封神演義では木吒という次男が別にいます。この木吒は西遊記では恵岸行者として大活躍しています。

いろいろな伝説を作品に取り込んだために矛盾が生じてしまったのでしょう。

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一番強いのは誰だ。最強の敵ベスト3

さて西遊記でも敵の強敵ベスト3を発表しましたが、封神演義でも私版強敵ベスト3を発表します。

そもそも封神演義は女媧という母神を紂王がはずかしめたことからスタートします。偉大な神さまが強いのは当然です。神は別格です。

主人公である太公望・姜子牙も、作品の中では軍神とされる托塔李天王も、哪吒太子も顕聖二郎真君でさえもけっこうな割合で敵に負けています。

封神演義で全勝無敗なのは老子の化身・太上老君や、如来の化身である燃灯道人(古仏)ぐらいでしょうか。これは老子や仏教に対するリスペクト、忖度ってやつでしょう。シヴァ神を足下に踏みつける降三世明王みたいなのは露骨すぎますからね。

さて、殷が周に負けることは読む前からわかっていることですが、負けることがストーリー上決まっている悪役たちの中で誰が最強なのでしょうか?

封神演義ではタオペイという宝貝をつかって戦うので、本人が強いのか、宝貝が強いのか、判別できない部分があるのですが、戦って勝った相手の格(実績)で強さを決定しました。

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最強の敵第三位。三面六臂の怪物・呂岳

三面六臂の阿修羅のような呂岳が最強の敵、第三位です。姜子牙と二郎真君、哪吒の三人と戦う呂岳はまるで三英傑戦呂布のようです。呂岳は三国志で最強の呂布を彷彿とさせます。まさに呂岳は呂布のように強い怪物でした。

三国志最強ゴキブリ呂布

そして呂岳はファイナルファンタジー(ゲーム)のギルガメッシュのように一度退場し、再び現れます。ほとんどの敵は一度しか出てこないのですが、呂岳は特別に二度出演します。その点も高評価しました。

呂岳は、仏法における韋駄天、韋護によって殺されます。韋駄天というのはインドでは破壊神シヴァの息子だとされています。韋駄天に殺されるんじゃしかたがない、というところでしょうか。

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強敵第二位。未来の孔雀明王・孔宣

将来、道教から仏法に帰依して観音菩薩になる慈航道人、文殊菩薩になる文殊広法天尊、普賢菩薩になる普賢真人。未来の大物は、封神演義でも強いに決まっています。

だとすれば未来に孔雀明王になるやつは強いに決まっています。その未来の孔雀明王・孔宣は、哪吒太子も、黄飛虎も、毘沙門天の李靖も、その子の金吒、西遊記の恵岸行者である木吒もやっつけます。強い、強すぎる! さすが孔雀明王!

こういう人物は正体を見破られると神通力を失うというのが西遊記からのお約束。燃灯道人でさえ倒せない孔宣は、西方の準堤道人によって救われ連れていかれます。西方というのは天竺、インドのこと。これは孔宣が仏法に帰依したことを意味します

殺すことだけが退治じゃないんですね。

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最強の敵。闡教の幹部もかなわない雲霄娘娘

娘娘と書いてニャンニャンと呼びます。うんしょうにゃんにゃん。なんか弱そうだよね。おニャン子か? しかし三仙姑の雲霄娘娘は、名前はかわいいのに、メチャクチャ鬼強いです。

混元金斗という宝貝を使って、顕聖二郎真君や闡教の誇る十二神仙(観音菩薩になる慈航道人、文殊菩薩になる文殊広法天尊、普賢菩薩になる普賢真人、哪吒太子の師匠を含む最強の布陣)をやっつけ閉じ込めてしまいます。やっつけた敵の格からいって彼女が最強の敵キャラでしょう。女性が最強というのもまた「何でもあり」のカオスの封神演義らしくていいのではないでしょうか。

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『封神演義』風の中華ファンタジーRPGがやってみたい。

登場するキャラクターの中でもっとも人気があるのは主人公の太公望呂尚・姜子牙ではなく、暴れん坊の哪吒太子だそうです。

哪吒は封神演義の孫悟空、中華の鉄腕アトムなんですね。アトムの足のジェットのように、まるでヘルメスの靴のように「風火輪」を足下に踏むと、空を飛んで大暴れします。

マラソン初心者が習得すべき走り方(アトムのジェット走法)

ヘルメスの靴。足についた宙に浮くためのバネ(足底アーチとアキレス腱)

読み終わった後、打神鞭や根元傘、太極図や混元金斗……封神演義の中華ファンタジーふうのRPGをやってみたいなあと思いました。

ベギラマやドラゴンキラーを使う西洋風ファンタジーではなく、三昧真火に玲瓏塔。芭蕉扇や火尖鎗や風火輪を駆使して、呂岳や通天教主のような怪物・モンスターと戦うチャイナロールプレイングゲームを、あなたもやってみたいと思いませんか?

『封神演義』はもっと日本で知られてもいい作品だと思います。本当に面白い作品でした。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
https://amzn.to/43j7R0Y
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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